ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

秋篠宮殿下 49歳に6

2014-11-30 12:04:36 | 皇室報道

 外国訪問について「〇〇年樹立」など以外の訪問についてのお考え

なかなかそこは難しいところで、例えば今言われたような

外交関係樹立100年とかで何とか国に行きます。

そうすると、そこまで行ったら、非常に表現として悪いのですけれど、

そのついでに近くのここにも行ってほしいっていう希望が出ることがあるんです。

確かに例えば遠いところであれば、なかなかそれ以外の国にその後

いつ行けるかどうかも分からないこともあるわけですけれども。

ただ、そうするといつも申し訳ないなと私たちが思うのは、

何となくここにこの行事があって来ました。

それでそれ以外は何となくついでですよって感じになってしまう可能性はあるわけです。

ご招待を受けているわけですから、

もちろん丁寧に務めますけれども、やはりできれば、

何か一つ核になるものがあればいいなと思いますし、

複数行くときには、国ごとで滞在している期間をできるだけ違わないようにという、

そういうことは心掛けています。

 何だか・・・ますます皇太子のあのスイス訪問が「ただの観光旅行」

  に思えて来た私です。しかも皇太子は「申し訳なさ」を感じずに

  食べるわ飲むわ記念写真撮りまくりだわ・・・一体、何しに行ったの?

  でしたよねーー

 殿下が訪問先でこまめにメモを取るのは、そこで経験した様々な事を

  記録に留めて、次にいかす為なんでしょうね。

  「ついでではない」という事でしょうか。

 

 昭和天皇実録について・・合理性と寛容さを持っていた昭和天皇について

合理性と寛容ですね。

私は、寛容ということは非常に大事なことだと思います。

天皇という立場であれば、なおさらですね。

そうでないとなかなか天皇という立場で、様々な事柄を行っていくことは

私は難しいと思うのですね。

 この寛容と合理的なこととは、必ずしも二律背反するものではなくて、

両方共存するものだと思います。

ただ、今お話しになった昭和天皇それから現在の陛下の合理性が、

科学者であるからかどうかというのは、私はちょっとわかりません。

科学者にはいろいろ範疇(はんちゅう)があると思いますけれども、

必ずしも科学的なものが全て合理的かというと、そうでないこともあるかもしれません。

ただ、私はその両方というのは、決して相反するものではなくて、

共存することができるものだと思いますし、

物事はすべて合理的に考えられるかというとそうではなくて、

(合理的に考えることが困難な)より複雑なものへの対応も

当然必要になってくるわけですし、

そういうものにも対応してこられたわけです。

ですけれども、やはりある程度の合理性というのは、私は必要だと思っています。

 難しい。寛容さと合理性を兼ね備えた人が天皇に・・・・

  早い話、柔軟であれという事なんでしょうか。

  「人格否定」発言するような人は合理性も寛容さもないので天皇には

  なれないと?

 皇太子は「昭和天皇も今上も科学者だから合理性を持っている。でも

  自分は文系だし」とか言っているのでしょうか?

 

 佳子様の性格についてあらためて。

殿 下 ; もちろん似てないところはたくさんあるんです。だけど、娘とよく話しているときに、

      自分がもっと若い頃の感覚に何かとても似ているなと思うときが

      ニュアンスとしてあるんですね。

      似ていると言われると本人はちょっと嫌がるかもしれませんが、

      具体的に言うことは難しいですけれども、

      感覚としてこの子は随分似ているなと思うときがあって、

      親は大変だっただろうなと思うこともあるんです、

      実を言うと。なかなか言葉で説明はできないですけれども、

      感覚的に似ていたということでよろしいですか

     (と記者に確認される。記者が秋篠宮さまの方にうなずき、

                            次いで紀子さまの方を向く)。

紀子妃 ; もう一度お願いできますかと記者にお尋ねになる)。

記者; 最近佳子さまからいろいろ話を聞かれて、

     気付かされるような場面があるというお話でしたけれども、

     具体的に何かこう言われてはっとされたような、

     最近印象に残っているようなものがあればお聞かせ願えますでしょうか。

紀子妃; 普段の生活でよく話すことが多いものですから、 

      ふとしたときのちょっとした言葉でこれは素敵な考えだなとか、

     これはもう一度自分の中で受け止めてより良くしていくと良いなと

     思うことがいろいろとあります。

     これは娘の佳子に限らず、長女の眞子にも長男の悠仁にもあり、

     宮様と話していてもありますけれども、

      佳子の場合は比較的わかりやすく話してくれまして…。

      普段の生活の中の一つの例ですが、私が知らないうちに、

      人と挨拶するときの声が小さくなっていたようです。

      20代よりも30代、30代よりも40代、お互いに頭を下げて挨拶をしたり、

     表情で挨拶したりすることはあっても、声が小さいことがあります。

     もしかしたら20代のときは今よりも若くて体力があり、

     元気に声を出していたので、佳子はそのときと比べて

     話しているのかもしれませんが。

     挨拶というのはとても大事であり、今私が悠仁と一緒にいて

    いろいろなことを伝えるときに、私自身が小さい声で話すと、

    悠仁の方も小さい声になってしまうのかしらと気づかされるようなことがあります。

    初めは私自身声を大きくして挨拶をするのがちょっと

    恥ずかしいこともありましたが、少しずつ始めてみると、

    20代のときの若さが戻ってくるような感じがします。

    いろいろなことを話すときも挨拶も、気持ち良くわかりやすい声で

    話すことの大切さを改めて私に伝えてくれたように思います。

殿 下 ; (紀子さまに振り向かれて)

      結構いろいろ私の態度のことも言われることもあるしね。

紀子妃 ; (秋篠宮さまに振り向かれて)ちょっと気づかされて

殿 下 ; ああなるほどな」と思うことがだんだん多くなってきましたね。

紀子妃 ; お互いに、子どもたちが感じていることを私たちに伝え、

       また私たちが子どもたちにこれはと思うことを伝えて

       子どもたちもちょっと考え直す、そういう関係を大事にしたいと

       思うこの頃です。

      (秋篠宮さまに振り向かれて)あと、

      どのようなところで似ているかというお話をされていましたか。

      私の方がもしかしたら客観的に見ることができるのかもしれませんが…。

      似ていると何となくうれしくなることもございますね。

殿下 ; (紀子さまに振り向かれてありますね。

紀子妃 ; 私も、宮様と娘の佳子で何となく似ているかしらと思うことがあります。

       最近、行事が違うのですが、偶然同じ県に1か月の間に2度参りまして、

       そのときに同じ方に出会いました。

       私の方は気づかなかったんですけれども、

      佳子の方は、「もしかしたらあそこで会った人じゃないかしら」という

      話をしました。

      いろいろな場所でいろいろな方に出会って、

      その人のことを覚えている、それは父親と娘でとても

     似ているように思いました。

    記憶が私よりもずっとよろしいところで似ていましたり、

    先ほど言い合うという話がありましたけれども、

     言い合いをしつつもお互いにどこかで優しい心を持っている、

    そのようなところも似ている2人のように感じました。

 娘がここまで「父親似」と言われると、普通は反発して「違う」とか

  言いそうですが佳子様は?(笑)

  佳子様の静かな意志の強さと行動力は若い頃の礼宮様ですね。

 紀子妃殿下がゆったりされているので、佳子様としては内心

  はらはらする部分もあるのでは?

  我が家風でいうと「最近、ママ、声が小さいんじゃない」 

  「え?そうかな」「だって昔は回りが振り向く程大きな声であいさつしてたわ」

  「あら・・」「ママも歳なのね」「・・・頑張るっ」的な。

 全体的に見て、記者さん達は佳子様の事が聞きたくてしょうがなかった

  んだなという気がしました。それはそれで微笑ましいですが。

  眞子様の時は震災直後であったし、悠仁殿下の着袴の儀と重なった事も

  ありましたしね。でも一の姫の神々しさは今になると恋しいものです。

 東宮家ではあと10年経っても、上記のような微笑ましい会話は出て

  来ないんだろうなと思うと憐れで憐れで。

 

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秋篠宮殿下 49歳に5

2014-11-30 12:03:15 | 皇室報道

 ソーシャルメディア、インターネットについて

殿下 ; ソーシャルメディア自体をそれほどよく知らないのですけれども、

     今、世の中に、ものすごい数の情報があるわけです。

     例えば、ある所に行って、そこにいた人が写真を撮って、

     それでもう次の瞬間、ネット上に出ている。

     私も、時々、車の中でパソコンを開くことがあるものですから、

     そのときに何となく、何度かあるのですけれども、試しに検索をしてみると、

     何分か前のものがもうアップされている。

     すごいスピードで情報が流れるわけです。

     それに、コメントが付いたりとかしますけれど、だんだん、本当にどこにいても、

     そういうものがネット上に出てくるというのは、

     自分自身にとっては、プライベートも何もないなという気はするのですけれども、

     既にそういうツールがあって、それが普通の社会となっています。

     ですから、もちろん、非常にいい加減なことが書いてあることもある

     わけですけれども、ある意味、致し方ないのかなというふうにも思います。

    それが良いとも悪いとも申しませんけれども、

     その一方、子どもたちにどう言っているかというと、

    これは皇室との関係ということではないですけれども、

    これだけのたくさんの情報が流れていて、本当の情報もあれば、

    全然そうでないこともあるわけですね。

    だから、それを全部素直に鵜呑(うの)みにしていると、

    全く間違った情報を基に、いろんな自分の

    考えを展開させることになってしまいますから、

    そういうことの取捨選択、それから自分の中でその情報をどう理解するかと

    いうことは大事です。

    これはソーシャルメディアに限ったことではなく、

    紙、本とかの媒体でもそうですけれど、

    そのことは伝えていきたいと思いますし、もちろん、そのことについては、

    本人たちも分かっていると私は思います。

記者 ; 紀子さまいかがでしょうか。

紀子妃 ; ソーシャルメディアについては、これは比較的新しいものであり、

       変わりつつあるものであると聞いております。

       私自身、実際に、どのようなものなのか、知らないことも多くあります。

       今は、いろいろなコミュニケーションの手段がありますが、

       ソーシャルメディアも含めて、長所と短所があるように聞いています。

       このようなことがあることを、子どもたち、特に娘たちはふれる可能性も

       ありますので、理解しておくことが大切であると話しています。

 記者の意図は「皇室の活動」がインターネットで素早く流れたり

  皇室に対する意見などが(大型掲示板などを通じて)語られる事に

  ついてどう思うかというようなこと?

  皇太子なら「心無い中傷」と一喝しそうですが、秋篠宮の場合は

  「致し方ない」だけど「鵜呑みにしないで取捨選択」とおっしゃっています。

 内親王方はネットを使いこなしていると思いますし、当然ご自分達への

  意見や皇太子家に対する批判なども目にされているのでは?

  週刊誌の嘘の記事も。その度に、それらをどう受け止めているのか

  「致し方ない」より深く知りたい所ですね。

 

 

 

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秋篠宮殿下 49歳に4

2014-11-30 12:00:48 | 皇室報道

 昭和天皇実録が出来て殿下にも奉呈されたと聞いています。

  昭和天皇との思い出と天皇の在り方、をれを悠仁親王にどう

  伝えていくか。

昭和天皇の思い出ということですが、一つ挙げるとするならば、

これは昭和の最後の頃ですね。

昭和天皇の恐らく一番最後の生物学の関心事だったと思われる

ナスヒオウギアヤメというものがありました。

ナスヒオウギアヤメというのは、ヒオウギアヤメ、これはアイリスの仲間ですけれども、

ヒオウギアヤメの一変種になるわけですね。

那須にあるのでナスヒオウギアヤメなのですけれど、

昭和天皇の生物学研究所の職員が普通のヒオウギアヤメと違うものがあるといって

見つけ、恐らく変種だろうということになったのですがそのアヤメが、

果たしてヒオウギアヤメとどういう関係にあるのか、

そのことを知りたいとあるとき私に話されました。

いわゆる花の形態であるとか、そういうものでないやり方で何か分からないかと、

遺伝学とか、生化学ですとか。

それで、私がつなぎ役みたいな形になって、財団法人でしたけれども

進化生物学研究所という元々は東京農業大学の育種学研究所だったところですが、

そこの所長に話をして、ナスヒオウギアヤメのプロジェクトが

始まったということがありました。

その間、中間的な報告が私の所に来るとそれを昭和天皇の所で説明をすると

いうことをしていたのがちょうど1988年でしょうね。

春ぐらいだと思うのですけれど。

ただ残念ながら、一連の仕事が終わる前に崩御になってしまいまして、

その後、平成になってからですけれども、

できた論文を吹上御所の、昭和天皇の御影というのでしょうか、

写真の前にお供えしたと、そういうことが恐らく一番印象に

残っていることかなと思います。

 紀子様の「お印」になったヒウギアヤメ。ここまで研究をされていたとは。

  本当に昭和天皇にとっては頼りになるお孫様だったのですね。

 

そのほか、子どもの頃に、夜、マンジュシャゲがきれいにお堀端に咲いているから

見に行こうという話があって、

全員でマンジュシャゲを見に行ったとか、そういうことがありますけれど

一番印象に残っているのは、やはりナスヒオウギアヤメのことです

 今は気軽に「マンジュシャゲが咲いているから見に行こう」と

  いえない雰囲気が皇室にはあるのですが。何ででしょうね。

 

昭和時代について…。私は昭和40年の生まれで、

昭和は64年までですけれども、時というのは、ふだんの生活の中では

常に連続しているわけですね。

だから、ここまでが昭和でここからは平成ですと確かに言えるのですけれど、

流れとしては常に連続しています。

ですから昭和の終わりから平成だと、それが一つの時代みたいな感じで

自分は認識しておるのですけれども、

もし昭和の時代で何か非常に印象に残っていることがあるかと聞かれると、

やはり万国博覧会だと思います。

当時まだ私は小さかったのですが、大阪の万国博覧会の会場で

子どもながらに活気あふれる様子というのが非常に強く印象に残っております。

いまだに太陽の塔の中の様子とか、各パビリオンのこととかが記憶に残っております

私は東京オリンピックの翌年生まれで、

東京オリンピックは知りませんけれど、

その後に札幌オリンピックがあるわけなのですが、

そのときは北海道まで行くには行ったのですが、

あいにく風邪を引いていてほとんど宿舎で寝ていてですね、

一つだけアイスホッケーの試合を見たということですから、

それ自体は印象に残ってますけれど、余り強い印象は残っておりません。

それから…(と、記者に尋ねられる)。

 札幌オリンピックの時に札幌まで行ったけど風邪で寝込んでいた・・

 という話は初耳ですね。

  当たり前ですけど、当時は宮様が風邪を引いたとか下痢をしたとか

  そういう事は一々報道されなかったんです。

 万博の時に浩宮が、アトラクションにどうしても二度乗りたいと

  だだをこねたんでしたっけ?

 

記者;悠仁親王にどのように天皇の在り方をつたえていくか

天皇の在り方についてというのは、

私が余り軽々しく言えるものではありません。

もし私が言えるとするのであれば、これは今の天皇陛下が即位20年のときの

会見で話されているのでしょうか。

象徴としての天皇の在り方を常に考えながら今まで過ごしてきたという趣旨の

ことを話されていますけれど、

恐らくそれは陛下も天皇に即位して、

そういうことをずっと常に考えてこられたのだと思います。

私がもし天皇の在り方についてということに答えるのであれば、

やはり、象徴としての天皇というのは、

いかなるものがふさわしいのかということを考える、

そういうことにあるのではないかと思いますし、

長男にどのように伝えるかということについては、

やはり私自身はその立場ではありませんので、

陛下が言われたことを長男に、そしてまた長女、次女にも伝えるということになります

 この質問をした記者さん、偉い。勇気がありましたよね。

 控えめながらも「象徴としての天皇の在り方」を考えるという点は

  重要です。ただ、陛下には「次世代をどう継承させていくか」まで

  お考えが至っていないように思いますが。

  悠仁殿下が将来陛下におなり遊ばした時、最も大事な事は

  「次の世代を誕生させ、無事に継承できる環境を作る」事です。

 今上は「象徴天皇の在り方」として「憲法順守」を上げられましたが

  秋篠宮殿下も同じようなお考えなのか・・・そこらへんはあいまいですよね。

  ただ「いかなるものがふさわしいか」と考える事が重要と

  おっしゃっているので、多少の疑問はあるのかもしれません。

 

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秋篠宮殿下 49歳に3

2014-11-30 09:38:25 | 皇室報道

 紀子妃に・・・眞子内親王と悠仁親王の近況について

紀子妃

長女の眞子は、今年の秋から英国の大学院に留学し、学び始めています。

大学院のことは具体的には知りませんが、様々な講義や実習を受けたり、

またその後には短い期間で論文をまとめたり、

続いて博物館実習の予定があると聞いております。

このように比較的詰まったカリキュラムのようですが、

有意義な時間を過ごし、元気に帰国してほしいと思っております。

 長男の悠仁のことですが、今年も成長を感じる様々な場面がありました。

3歳頃からでしょうか、野菜作りを手伝うようになりまして、

今も野菜を作るのが好きで、そのようなときにも成長を感じることがございます。

例えば、以前は野菜作りはどちらかというと、収穫する楽しみが中心でしたが、

今は土壌を整え、種をまいたり、苗を植えたり、水をやったり、雑草を取ったり、

このような野菜畑での作業、野菜を育てることから収穫することまで、

その一連の過程に積極的に携わるようになってきました。

家族の会話でもよく今はどのような野菜が実っているか、

これからもう少しすると取れるよというような話もあります。

例えば、「ちょっと畑に行って野菜を見てこよう」とか、

「今度何の野菜を植えようかなぁ」などと言葉にしながらうれしそうにしています。

このように話しているときは何か大人のような雰囲気で話しているようなこともあり、

ほほえましく思います。

 悠仁殿下は時々、ものすごく大人っぽい表情をされる事がありますよね。

   やはり将来の陛下は違う。

  農業にこのように親しみを覚えていらっしゃるという事が素晴らしいのですね。

  陛下の種まきや収穫をご自分もやってみたいと思っていらっしゃるでしょう。

 あと学校のことですが、今は2年生のお友達と一緒に竹をテーマにした

活動「竹大作戦」に取り組んでいます。

春は遠足に行ってタケノコを掘ったり、またその後には刀を使って、

一人一人が竹のお箸を作ったり、そして夏にはその竹を使って

流しそうめんを楽しみました。

秋には今度は刀からのこぎりに替わりますが、

のこぎりを使って竹のお皿を作り、保護者のお手伝いも得ながら子どもたちは

サンマを焼いて、その味を楽しみました。

そして(秋篠宮さまに振り向かれて)先週でしょうか、

私たちは学校の全校生徒が参加する音楽会を鑑賞いたしまして、

そのときも2年生は竹をテーマとした舞台でした。

それは竹取物語をベースにして作られた舞台で、

生徒たちが力を合わせて見せてくれた、発表した舞台を見ることができて、

とても良い思い出になりました。

 このように、竹と関わり合うことを通して、例えば刀とかのこぎりなどの道具を

使うのは初めての子どもも多かったと思いますが、

それに挑戦して竹の堅さをしっかりと感じたり、

他にもいろいろな活動を通して季節の食べ物にふれたり、

また一緒に発表会に向かって準備していくなど様々な経験ができました。

 時折、授業参観や他の保護者のお手伝いで学校に参りますが、

今も寒くなってきてはいますが、校庭で休み時間や放課後遊びのときに、

たくさんの子どもたちが遊んでいます。

この前もちょっと校庭を見ましたら、休みの時間に子どもたちが元気に遊び回り、

その中に半袖、半ズボン姿の長男の悠仁の姿を見つけ、頼もしく感じました。

 要するに悠仁殿下の学校生活は順調そのものです。という事です。

  それでも週刊誌は意地悪を書くのでしょうか?

 

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秋篠宮殿下 49歳に2

2014-11-30 09:38:02 | 皇室報道

 佳子様について

殿下 ; 次女が大学を中退して、また、新たに受験をして、国際基督教大学に

     入学するということを決めたわけですけれども、

     私自身かなり直前までどこの大学に行きたいということをはっきりとは

      聞いていなかったんですね。

      ただ、高校3年のときに受験をして、第1志望だったところに入れなくて、

      そのまま内部進学をして、しばらくいたわけですけれども、

      当初からまたもう一度環境を変えて勉強したいからということを

      申しておりましたので、

      私はごく自然な流れだったのかなと受け止めました。

      私から特段何かアドバイスをしたということはありませんけれども、

      もしこのことを言っておいたら、また少し違ったかなと思うのは、

      第1志望のところに入れなくて、内部進学ができたわけですけれども、

      そのときに、何を自分がこれからしてみたいか、

      大学に進学せずに考える1年であってもいいのではないかということを

      言えば良かったかなと、これはもう後からになってしまうのですけれども、

      思ったことはありました。

 さらっと「第一志望に入れなかった」とおっしゃっている所がすごいです。

  雑誌で色々言われている事をご存じなんですね。

  「進学しないで考える一年であってもいいんじゃない」と言えばよかった

  というのはすごくわかります

  多分、その時は「せっかく入ったんだから」とか・・気が変わって楽しい

  学生生活を送るのではないかと思われていたんでしょうね。

殿 下 ;  20年間の思い出、そうですね(と、お考えになる)。

       まず、生まれてしばらくの頃ですけれども、

      長女と比べると、すごく静かな子だったんです。

      静かな子というのは、赤ちゃんですから、夜泣きを余りしなくて、

      途中で起こされることが少なかったということですけれども、

     とても静かな子だなということを今でもよく記憶しております。

      それから、私は海外に家族みんなで行ったことはありますけれども、

     次女と一緒に2人で出掛けたことはないのですが、何の機会だったでしょうか、

     2人で上野動物園に行ったことがあるんですね。

     上野動物園に一緒に行って、ちょうど桜がきれいな季節であったので、

     じゃあ帰りに寛永寺の辺の桜を少し見ていこうかと言って、

     2人でお花見を楽しんだということが、次女が恐らく幼稚園の頃、

     5歳くらいでしょうか、そういうことがありました。

 私達国民から見ても佳子様は「おとなしい」感じでした。

  いつも眞子様や紀子様の後ろに隠れている印象。

  そういえば殿下と二人きりというのは最近までありませんでしたよね。

  「お母様っ子」というイメージはありました。

殿 下 ; また、だんだん年齢が高くなるにつれて、

    これは誰でもそうなのでしょうけれども、

    いろいろと親と口論になる機会も多くなってきました。

    私とちょっと性格も似ているところがあるので

    余計そうなのかもしれないのですけれども。

    以前は、口論になると、私自身も、長女が言っていたように導火線が短い人間

    なものですから、かなり激しい口論、応酬になったのですけれども、

    こちらもだんだん年を取ってきて、

    的を射たことを指摘してくれていることが意外と多いということが分かりました。

    ですから、これからも、娘に言われたことをある程度きちんと自分でも

    意識に留めておきたいなと思っております。それが20年間で思ったことです。

 ここも同世代の子供を持つ身には非常に共感できることです。

  殿下と佳子様の言い合い、目に浮かぶようです。それを一歩引いた目線で

  見ている眞子様。「また始まっちゃたわ」とにっこりの紀子妃みたいな?

  眞子様は顔は殿下で中身は紀子妃、佳子様はその逆なのかもしれませんね。

 娘の言う事が的をえている・・・というのは、最近思う事です。

  いつの間にか立場が逆転しているような?

 

殿 下 : それから成年皇族としてとおっしゃいましたか。

    これは多分長女が二十歳になったときだったか、

    同じようなことを皆さんにお話ししたことがあるかもしれませんが、

    成年皇族としても、そうでなくても、

    いろいろな機会に開催される行事などに出席してほしいという

    依頼を受けたりすることがありますが、

    そういう機会一つ一つを大切に思いながら務めていってくれたらいいなと

    思っております。

    長女については、もちろん先ほどお話ししたことは長女にも同じことが言えます。

    共通して、これはそのうち一番下の息子にもそういうふうに

    言うときがあると思いますが、

    基本的には頂いたお仕事一つ一つを大切に務めていってほしいということが

    一番ですけれども、それとともに現在イギリスの大学院で博物館学を

    専攻しておりますので、将来的に、そこで学んだことがいかせるような

   仕事ができたらいいのかなと思っております。

     長男につきましては、去年できなくて今年これができましたというようなことは

    何があるかというのは今すぐには思い浮かびませんけれども、

   ただこの1年見ていると、少しずつ興味が広がってきているのかなという

   印象を受けます。

   割と息子は早起きをするのですけれども、朝早く起きて、

   別の部屋に行って本を読んでいたりとかすることもありますし

   そのほか何があるでしょうか。何がありますかね(と紀子さまにお尋ねになる)。

 あらーー 悠仁殿下は早起きなのね

  これまたどちら様へは強烈な・・・・

  どうしたら早起きになるか、お尋ねになればよろしいのにね。

 

紀子妃; (秋篠宮さまに振り向かれて)

       夏ですと、飼っている魚とか虫の様子を見に行ったり、

        今は折り紙をしていますでしょうか。

殿下 ; 少しずつ興味を持つ範囲が広くなってきているかなという感じは受けます。

記 者 ;紀子様はいかがでしょうか。佳子様の大学進学について

      どのようなアドバイスをされましたか。

紀子妃;  次女の佳子は、中学校、高校にいるときから、

       今までとは違う新たな環境の中で学びたい気持ちを持っていたように

       思います。

       大学に入学した後も、日々、専門分野の勉学に励み、

       また、お友達にも恵まれ、共に過ごしておりましたが、

       一方で、自分が考えていたことに向かって進みたいという

       思いが強くなって、私たちにも相談をすることもありましたが、

       時間をかけていろいろと考えて今回のような決断をし、

       一歩をふみ出したと思っております。

 まだこれからですが、佳子様は本当はどんな事をなさりたいと

   思っているのか・・・非常に興味あります。自分が考えていたことに

   向かって・・・っていい言葉ですよね。佳子様の意志の強さを感じます。

紀子妃 ; 娘に対してのアドバイスですが、

      どちらかというと娘に伝えた言葉になると思いますが、

      娘がしっかりと考えた上での判断であるならば、

     目標に向かって努力するようにと話しました。そして、

     このように学校で学び、知識や経験を深めることができるような環境は、

     非常に恵まれていることを心得ておくように伝えました。

 おっしゃる通り。非常に恵まれているのです。

  学習院に不平と不満ばかり募らせて、不登校を他人のせいにするような

  事は皇族としてふさわしくないのです。

 愛子内親王は健常なら・・・・なぜ「あなたは学習院という非常に恵まれた

  学校で学ぶことができているのですよ」と言えないのか。不思議です。

 

記者 ;佳子さまとの20年間の思い出と、

     成年皇族として期待することをお聞かせください。

紀子妃 ; 先ほど宮様がお話しされたことと重なりますが、

       娘の佳子はとても小さいときは静かな女の子で、

       でもよく周りを見て、自分の意志をしっかり持っていたように思います。

       小さいときから手を動かすこと、手芸や折り紙を作るのが大好きで、

        いろいろと出来たものを私のところに持ってきて見せてくれたことを

       よく覚えています。

       また、私が娘に作ってあげたぬいぐるみに名前をつけてくれ、

       大事にしていました。

      そのぬいぐるみに兄弟を作りたいと娘は考えまして、

      小さいなりに私が作ったぬいぐるみと同じような形になるように考えて、

      幾つもぬいぐるみを作ったことを思い出します。

      小学生の頃になりますと、フィギュアスケートに関心を持ち始めて、

      小学校の授業が終わった後や、休日の早い朝にスケートの練習のために

      スケートリンクへ一緒に通いましたことも懐かしく思い出されます。

      姉と弟とについてですが、3歳違いの姉の眞子とは、幼稚園、

     小学生の間は外で元気よく鬼ごっこをしたり、

     自転車に乗ったり、一輪車に乗ることがよくありました。

     中学・高校に移りますと、ちょうど10代の頃でしょうか、

     外遊びはなくなり、2人で仲良く話し合う時間が増えていきました。

     娘の佳子は小さいときから妹か弟が欲しいと話していました。

     そのため、自分に弟ができたときには大変喜んでおりました。

     私が出産する前に1か月入院しておりましたが、そのときには

     度々病院に訪ねてきてくれ、学校の宿題をしたり、

     これは夏休みだったので夏休みの宿題でしたが、

     留守中のことやスケートで練習したときのことの話などをしてくれたりしました。

     このように、娘の佳子の優しさに触れる穏やかな時間も思い出されます。

     弟の悠仁とは、一回り、12歳年が違いますが、

     年齢が近いきょうだいのように仲良く遊んでいる姿をよく見かけます。

     悠仁は優しくて、同時にしっかりと言うべきことは話してくれる姉を慕っています。

    佳子は私にも素直に気づいたことを話してくれますし、

    また励ましたりもしてくれます。

    そのような佳子の言葉が私自身の考えや行動を見つめ直したり、

    また課題に取り組むきっかけとなりましたりすることもあります。

    いつの間にか、小さかった娘の佳子が成長し、

    私たちが頼るようになってきたことを、大変うれしく思います。

    また、成年皇族として期待することについてお話しいたしますと、

    娘の佳子は来月二十歳の誕生日を迎え、

   新年の宮中行事に出席させていただくようになり、ま

   た成年として公的な活動に携わるようになります。

   これからも、日々の暮らしや務めを支えている人が多くいることを心に留め、

   感謝の気持ちを抱きつつ、様々なことを学び、経験を積み重ねて、

   若い成年皇族として一つ一つの務めを大切に果たしてほしいと願っております。

 一回り違っていても歳の近い兄弟のように遊んでいる・・・わかります。

  我が家もそうですから。「歳が離れているのに同じレベルで喧嘩」すらします。

  きっと悠仁殿下は佳子様に甘えていらっしゃるでしょうね。

 ぬぐるみを沢山作ったり。佳子様の手先の器用さはすばらしいです。

  服飾などは学ばれませんか?

 学校が終わったあとや、週末の早い時間にリンクへ・・・

  どこかの内親王はいまだに毎週貸し切ってはキャンセルしてますのに。

 何となく、佳子様は若い頃の礼宮殿下に性格が似ているんですね。

  (それはご本人もおっしゃっていますが)

  皇后様のお話の中に、浩宮が「おたたさまは若い」といい、礼宮は

  「歳相応」と答えたエピがありますが、おそらく佳子様もそういうタイプ

  なんだと思います。

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秋篠宮殿下 49歳に1

2014-11-30 09:37:23 | 皇室報道

 秋篠宮殿下 49歳のお誕生日

おめでとうございます 

今後ともお健やかでますますのご活躍を

お祈り申し上げます 

 秋篠宮殿下の記者会見全文 

 

 今年一年を振り返ってー高円宮典子女王の結婚、桂宮薨去

  災害、皇室の外国訪問など。

この1年様々なことがありました。

中でも今質問にありました広島の土砂災害、

それから御嶽山の噴火による事故を始めとして、

自然災害が台風なども含めて多かったというのが印象に残っております。

この関東の近辺でも2月に大雪が降って、それによる被害もかなり出ました。

また、短時間に非常に降水量の多い雨が降るというのが増えていると思いますし、

これからも数が多くなってくるだろうという報告書も出ています。

そのような災害に対するリスクの管理が非常に大事になってくると思っております。

また、御嶽山の噴火による事故についても、

なかなか予測も難しいところがあるということも聞いていますけれども、

日本には火山も多い一方で、登山を楽しむ人もかなり多いと聞いています。

そのようなことを考えると、登山をして、

これはいろいろな目的で行く人がいると思いますけれども、

もちろん噴火に対する予知も大事ですし、山を登る人たちのリスク管理と

いうのも大変大事になってくるのではないかと思っております。

 また、もう一つ挙げるのであれば、今、西アフリカの方で広がっている

エボラ出血熱があります。

これは非常に感染力の強い感染症ですけれども、

それに携わっている医療関係者には深く敬意を表したく思います。

これに限らず様々な感染症があります。

こういうものがいったん流行したときにどのように対応するか。

何となくアフリカで起こっていることで、日本にいると遠いところで

起こっているような気持ちになりますが、これだけ海外との

行き来が容易にできる時代になっていることを考えると、

そのことに適切に対応することが求められてくると思っております。

日本でも約70年ぶりにデング熱が発症したわけですが、

例えば気候の変化に伴って今後マラリアなどもまた日本で出てくる

可能性もあるかと思います。

そういうことへの対応をきちんと考えていくということが大変大事なことだと思っています。

 生物学者らしいお言葉と思います。

 今後、マラリアが流行るかも・・・あんて、普通は考えませんけどね。

 登山好きな皇太子が「登山のリスク」を考えて登っているとは・・・・

  とても思いませんね。

  っていうか、そういえば御嶽山が噴火したのに、登山好きな皇太子は

  慰問に行こうとも思わないし、山に対する情報収集もなさらないのだなと。

 

 あとこの1年で印象に残ったことというと、

先だってノーベル物理学賞、3人の日本、これはどういう表現をすればいいのでしょうか、

2人の日本人と1人の、国籍がアメリカに移られていますから

日系になるのでしょうか。

日本出身の方がノーベル物理学賞の受賞が決まったという、

とてもうれしいニュースでした。

日本の科学分野がこれからもますます発展していくことを願っております。

 それとつい2日前でしょうか、スポーツの話になりますけれども、

お相撲の白鵬関が32回の優勝に輝きました。

大鵬の記録と同じになるわけですけれども、

私なども32回に達するという人が今後出るのかと思っていましたが、

それが実際のことになったことは非常にすばらしいことだと思います。

 珍しく白鵬に言及・・・これは白鵬への賛辞ですよね。

 「品格がーー」とか言ってる相撲協会を暗にけん制?

 

 皇室の外国訪問については、これは公式と非公式と両方あるわけですけれども、

非公式の方は非常に多様なので、とりあえず公式の訪問というものについて少

し私の考えをお話ししてみたいと思います。

例えば天皇の公式訪問であると、国賓という形がとられることが

多いと考えますけれども、

皇族の場合には、国賓としての訪問というのはまずないわけです。

そうすると国際親善・親善訪問という形になろうかと思います、

枠組みとしてはですね。

ただこれは、なかなか受け入れる側としても、

皇族、しかも天皇でもない皇太子でもない皇族をどう捉えていいかというのは

難しいときがあるのかなという気がします。

私たちも今まで何回くらいか分かりませんけれども、

行った中で向こうの元首の方であったりとか大臣だったりとかとお話をしている中で、

今回あなたたちが訪れた目的は観光旅行ですか、

というふうに聞かれたことが2回くらいありますかね(紀子さまに振り向かれて)。

こちらも観光旅行ではないけれども、かといって単なる親善だけですと

主たる目的が見当たらなくて、なかなか答えるのが難しかったことがあります。

皇族ですから、外交に携わってはいけないわけです。

外交ではない親善、例えば王室がある国ですと、向こうの王室との親善というのは

ある程度分かりやすいかもしれませんけども、

そうでない国もたくさんありますし、もし公式の訪問をするのであれば、

例えば外交関係ができてから何十周年であるとか、

日本と当該国との何か大きい文化行事があるとか、

何か一つの核になるものがあるべきではないかと思います。

そうではなくて単に親善ということを目的とした公式訪問というのは、

目的が曖昧になりますし、そういうものは余りよろしくないな、

というふうに考えております。

 これは東宮家への強烈なパンチだと思います。

要約すると

「皇室は外交を目的に外国訪問をしてはいけない。

「親善」という名を借りた海外旅行になってしまってはいけない」

という事でしょうか。

 皇太子一家は親善でもない「静養」目的でオランダまで莫大なお金を

 つぎ込んで行きました。即位式では雅子妃は「ただ行っただけ」状態でした。

  皇太子のスイス訪問は「150周年樹立」のものでしたが、単なる観光旅行

 になってしまいました。

 高円宮妃のオリンピック招致はまさに「外交」以外の何物でもなく

 一番やってはいけなかった事ではないかと。

 秋篠宮殿下が「皇室は外交をしてはいけない」とおっしゃった事は

 「皇室外交を目的に入内した」雅子妃の生き方を否定したものです。

 ここで考え方を変える事が出来ず、まだ側近に「皇室外交を」といい

 続ければ自滅の道を歩むという事ではないかと。

 それにしても秋篠宮両殿下に対し

 「今回は観光旅行ですか」と聞いた人の顔を見てみたい。

 

 両陛下から戦争についてどのように聞いているか

私が本当に子どもの頃から度々に両陛下から戦争の話を聞きました。

特にあれは、1975年でしたでしょうか。

まだ復帰から3年の沖縄で海洋博が行われたときには、

非常に激しい地上戦になった沖縄の戦争のときの話を、

折に触れてというよりも非常に頻繁に沖縄戦の話を聞き、

またそれに関連する映画を見たりいたしました。

その後も度々に戦争のときの話を聞く機会があり、

私たち(両殿下)は、戦争というものを二度と繰り返してはいけないということを

強く思ったわけです。

ただ、一方で私が子どもの頃にたくさん戦争の話を聞きましたけれども、

それをなかなか子供心に理解するというところには、

非常に大切なことだということは分かりましたが、

きちんと理解するというところには至らなかったと思います

むしろ、そのことを分かるようになったのは、やはり、ある程度大人になってから

話を聞くとともに、それに関連する昭和の歴史について戦争に

触れているところがたくさんありますので、

それに関連する書籍を読んだりしながら、だ

んだんと理解をできるようになっていったように思います

ただ、そうではあっても私自身、

私たち自身がその時代に生きていたわけではありません。

終戦後20年たってから生まれています。

そのようなことからこういう出来事があったということは分かっても、

そのときのその時代の雰囲気というのはどうしてもやはり理解、

実際の感覚として分からないところがあります。

 これらの言葉は同世代としてはものすごく納得できるし

 「その通りです」と言うしかないです。殿下、簡潔に表現して頂いて

 ありがとうございます。

 ニュアンスとして、その当時聞いていたことに対する印象と

 今、現在同じ事に対する印象が違って来ているのではないでしょうか。

 私達は子供の頃、ものすごい左翼教育を受けて来たわけです。

  殿下も子供心に不愉快な事を言われたりしたでしょうし。

それを乗り越えての今があるんですね。

 

また、慰霊についてですけれども、

これは戦後50年の機会に両陛下は大きな被害を受けた

広島、長崎、沖縄と、東京大空襲被害での東京を慰霊されております。

また60年のときに、これも多くの人が犠牲となったサイパンでの慰霊をされております。

この霊について、やはり戦争中、そして終戦、それから戦後の復興を見てこられた

両陛下にとって、その礎となった人たちのことを、考え、

思いを寄せないわけにはいかないというお考えがあったと思います。

そして1回慰霊をするごとに、また新たな事実を知るようになり、

やはり慰霊をすることが非常に大切なことだという気持ちに

自然になっていかれたと聞いております。

特に、サイパン。今の陛下にとってサイパンが取り分け印象に残っているのは、

戦争がだんだん激しくなって、疎開が始まって、

最初の疎開をされたのが静岡県の沼津だったのです。

沼津の疎開中に、ある日学校の授業から帰ってきたときに、

お付きの人からサイパンが陥落して、危ないので日光の方に場所を移しますと

いうことを言われて、それでサイパンが陥落したということが

大変なことなのだと強く印象に残っているということを伺ったことがあります。

いずれにしても、やはり戦争の中に日々の生活があった両陛下にとって、

戦争の記憶を風化させることがないようにするという気持ちが非常に強くて、

それが国内、それから海外での慰霊というものにもつながっていると

私は理解しております。

子どもたちについてどのように伝えているかということですが、

私たちも時々戦争の話を自分が知っている範囲で伝えることはあります。

一方、子どもたちが御所へ伺ったときに、折々に両陛下から、

その当時のことについてのお話がありました。

先ほども申しましたように、私たちは戦争そのものを知らないので、

自分の子どもたちに大事なことで伝えられることは伝えますけれども、

なかなか当時の様子というのを正確に伝えることには限界があります。

その意味からも両陛下から子どもたちへの話というのは非常に大切な

機会であると思っております。

私たちが今までしたこととすれば、例えば戦争で大きな被害を受けた場所に

一緒に行って、その場で慰霊碑に花を手向けたり、

体験のある方から話を聞いたり、そういうことはいたしました。

先ほど質問にもありました、今年が学童疎開船対馬丸の悲劇から

70年という節目の年ということもあり、

その行事に家族で出席をしたわけです。

これはそのときに長女から聞いた話ですが、彼女は対馬丸のことを、

私たちがそのときの話をしたり、沖縄に行ったときに当時のことを知っている方から

聞いたことが最初だと思っていたのですが、学校の図書室に、対馬丸の、

(紀子さまに振り向かれて)

何て本でしょうね。ちょっと題名は分かりませんけれども、あって。

小学校の低学年の頃だと思うのですが、そのときに本を読んで、

そういうことがあったことを知ったということを話しておりました。

私からは以上です。

 「理解している」という言葉の裏に殿下の苦渋が見え隠れ。

 本当は年齢的にも「慰霊の旅」はやめて欲しいのではないでしょうか。

 けれど、陛下からサイパンの話などを・・多分、何度も何度も同じ事を

 話されて「だから行かなくちゃいけない」と言われたら止めようがない

 んだろうなあと

 息子である殿下に出来る事は「お気をつけて。体調に変化があったら

 無理をされませんように」とおっしゃって、側近にお願いする程度かも。

  かといって戦争経験者の両陛下を尊敬申し上げているからこそ

  殿下はお子様方にも積極的に戦争の記憶を伝えようとなさっているのですね。

  眞子様は「対馬丸」の本を学校の図書室で見つけたのですか・・・・

  だったら愛子内親王も見ててもいい筈ですよね。

 私は「ああ対馬丸」という漫画を読んだことがきっかけですが、何が

  きっかけになるかわからないので、そういう機会は大事にしないと

  いけませんよね。

 

紀子妃

宮様とご一緒に参内しました折などに、両陛下より戦争や慰霊のことについて

お話をお伺いすることが度々ございました。

戦争によりかけがえのない尊い命を失われた多くの人々やそのご遺族に対する

深い思い、そして戦後の荒廃から復興に向けてたゆみない努力をされてきた

人々に寄せるお気持ちをこれからも大切にしてまいりたいと思います。

天皇陛下が皇太子殿下のときにお話をされた

日本人として忘れてはならない4つの日」には、

子どもたちが小さいときから一緒に黙とうをし、

戦争で亡くなった人々のことを静かに思いながら過ごしてまいりました。

また、本を読みましたり、戦争を体験した人や専門家からのお話を伺いましたり、

関係する場所を訪れたりすることを通して、

子どもたちが自然に平和の尊さを感じることができるよう心がけてまいりました。

戦争を直接知らない世代の私たちにとって、

戦争を体験された方々の様々な思いをしっかりと受け止め、

次の世代に引き継いでいくことは容易なことではありませんが、

これからも戦争と慰霊について考える時間を大切にしていきたいと思っております。

 無論、妃殿下は「皇族」としておっしゃっているのですが、

 本来、こういう言葉は皇太子夫妻から聞くべきことではないかと思っています。

 愛子内親王はもうすぐ13歳なのですが、皇太子殿下の記者会見の中で

 「戦争」についての教育を受けたとかした・・というような話は一度もありません。

 「心を寄せる」事の意味がここまで重要だったとは。

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皇室ウイークリー

2014-11-29 10:52:26 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

11月21日・・・天皇陛下 → 通常業務(3回)

        両陛下 → ヨルダン国王・王族と昼餐

               国際緊急援助隊と会う

11月22日・・・両陛下 → 特別展「東山御物(ごもつ)の美 -足利将軍家の至宝-鑑賞

11月23日・・・天皇陛下 → 新嘗祭神嘉殿の儀(夕の儀)

11月24日・・・両陛下 → 新嘗祭神嘉殿の儀(暁の儀,掌典長ご奉仕)

11月25日・・・両陛下 → 勤労奉仕団に会釈

       天皇陛下 → 通常業務

                前衆議院議長,参議院議長から国会終了の挨拶を受ける

       皇后陛下 → 日本・スイス国交樹立150周年記念ブライダルクチュールコレクション

11月26日・・・両陛下 → 勤労奉仕団に会釈

                 地方行啓について説明を受ける

                第30回国際生物学賞について説明を受ける

11月27日・・・皇后陛下 → 企画展「堀文子展 2014・・・現在(いま)~初夏の白い花達~」鑑賞

           両陛下 → 新任外国大使夫妻とお茶

                   木曜会主催「両陛下傘寿記念音楽会」

 

皇太子同妃両殿下

11月21日・・・皇太子殿下 → 土木学会創立100周年記念式典出席

11月23日・・・皇太子殿下 → 新嘗祭(夕の儀)

11月24日・・・皇太子殿下 → 新嘗祭(暁の儀)

11月25日・・・皇太子殿下 → 離任大使に会う

                    勤労奉仕団に会釈

11月26日・・・皇太子殿下 → 平成26年度(第29回)上級国家行政セミナー参加者に会う

11月27日・・・両殿下 → 木曜会主催「両陛下傘寿記念音楽会」

 

秋篠宮家

11月14日・・・紀子妃殿下 → 「第28回日本フラワーデザイン大賞2014」

         紀子妃殿下・佳子内親王 → 第37回聴覚障害児を育てたお母さんをたたえる会」について説明を受ける

11月17日・・・両殿下 → 宮城県訪問

          ・ 東北大学東北メディカル・メガバンク機構(ToMMo)」視察

11月19日・・・両殿下・佳子内親王 → 舞鶴引揚記念館について説明を受ける

11月20日・・・秋篠宮殿下 → 東京農大で講義

                    山階鳥類研究所で懇談

 日本とスイスの150周年ブライダルクチュールコレクション。これって紀子妃と佳子内親王

  だったらすごく話題になったのにと思います。

 聴覚障害関係は佳子様が関心を持たれているんでしょうか?

  舞鶴記念館についての説明を受けるところなどは、秋篠宮家らしいなあと。

 

 彬子女王 兵庫県へ 

 彬子女王は淡路市の伊弉諾神宮で「心遊舎」の匂い袋作りワークショップに参加。

彬子女王の痩せっぷりがすごい。手袋を持っていなかったら皇族には見えないかも。

この写真など、髪の乱れ具合といい、軍需工場で働くお姉さんにしか見えず。

服もだぶだぶ?

 

 久子妃、京都へ 

 久子妃は25日、京都の大覚寺で行われた「嵯峨菊展」へ。

こういう華やかな公務、一つだけの為に京都へ行ったり・・・・なんて事が皇太子妃の

「あこがれ」だったのかなあと。

例えばぱーーっとイギリスへ飛んでパーティに出たら、レストランで食事する為に

ドーバー海峡を渡るとか・・・ スケールが違いすぎますけど。

でも、例えば障害者に会うとか施設訪問ばかりしているより、こういう生花だのの展覧会に

何度も出る方が華やかな感じはしますよね。

 

常陸宮殿下。

28日に79歳のお誕生日を迎え、最近は車いすを使用する事が多くなっていたので

年内に自動昇降機を設置しようか・・・・という話が進んでいた矢先のお怪我

だったようです

こう申し上げてはなんですが、殿下は元々足がお弱くていらっしゃるし、白内障もあったし

もっと早く何等かの手を打っておくべきだったのではないかと。

すぐに福祉用具を使うのは本人の為によくない事とはいえ・・・そこらへんの判断。

ちゃんとなされていたのか?

ケアマネに来てもらうレベルじゃなかったのかなあと。

 

 

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」172(実在の人物とは関係ありません)

2014-11-28 08:30:00 | 小説「天皇の母」161-

10月は秋・・・ではあるが東京は紅葉とはほど遠い。

もうすぐ皇后誕生日の御所の庭だけが何となく秋めいているようだ。

オワダ邸の殺風景さは今に始まった事ではない。

コンクリート打ちっぱなしの冷たい外観。そしてかきねすらない庭。

リビングに咲くチョウセンアサガオ・・・これは10年前と変わっていないようだった。

誰にも見つからずに来たか

ヒサシは玄関からそっと入ってきたマサコに向かって言った。後ろからはレイコと

その子供も入ってきた。

大丈夫」

マサコはそういって、アイコを出仕に預ける。

レイコも当然のように自分の子供をあずけた。

出仕のフクもまた当たり前のようにアイコとその従兄弟を預かると

別室に消える。

まあ、万が一ばれてもエガシラのばあさんの見舞いだと言えばすむからな

ヒサシはサイドボードから高級なウイスキーを出した。

グラスを3つ並べて注いでいく。

 

エガシラ家のスズコの具合が悪いのは事実だった。

具合が悪いというより、ついに「お迎え」が来ているだけなのだが。

それでユミコはスズコがいる病院に詰めていて留守にしている。

そう、長くはないという事でヒサシも帰国しているのだった。

おばあちゃま、大丈夫なの?」

マサコは聞きながら父の目の前に座った。

高級な家具を置いてあるわりに少しも温かさを感じないのは、オワダ夫妻達が

すでにこの家に住んでいないからか。

それでもわざわざ皇宮警察に頼んで警備をさせている。

そういう事が「無駄」だとか「身分不相応」などとは思わない一族だった。

ばあさんはもう歳だ。いい加減お迎えが来ても文句は言わないさ。後にじいさんも

控えているんだから」

ヒサシはウイスキーを一口飲んだ。

結婚してからこの方、エガシラ夫妻に親近感を感じた事などなかった。

一人娘を貰ってやったが息子を産んでくれなかったユミコ。エガシラ家に

子供はユミコ一人だった事をもっと考慮にいれるべきだったか。

散々金銭的に世話になっておきながらも「チッソの娘を娶ってやった」くらいにしか

思わないのがヒサシだった。

だがな。人の死というものは一つのハク付けにはなる。死んでどんな葬儀をして

貰えるかでその人間の格が決まるというかな。

エガシラのばあさんは皇太子妃の祖母として死ねるんだから幸せだ。せいぜい

大きな花と供物を頼むよ。そうだな。記帳所をもうけさせるか

当然よね」とレイコが言った。

イケダ家も、おばあちゃまの葬儀が大がかりだったらきっと驚くわよ。私を見る目が

かわるはず」

なんだ、レイコ、婚家で苛められてるのか?」

そういうわけじゃないけど。こっちだって大変なのよ。お姉さまのご病気は色々面倒だから」

適応障害と命名したじゃないか

ヒサシは笑った。

それに一役買ったのはお前の夫だろうが

夫はいいのよ。夫は。でも舅とかね。まあ、私の事はいいの。息子を産んであげたんだし

なによ。それ、私への嫌味?」

マサコは露骨に嫌な顔をした。この妹は時々毒を吐く。

あら、ごめんあそばせ。うちは皇太子殿下みたいな高貴な夫じゃないもので

「私が何に傷ついているかわかってていうわけ?」

だから謝ったでしょ

二人ともやめないか

ヒサシが声を荒げたのでマサコとレイコは黙った。

アイコの様子は相変わらずなのか。医者には見せてるのか。オーノは何といってる

お父様。オーノ先生は精神科のドクターで小児科じゃないわよ

またもレイコが口を挟む。

だからオーノを通してそっちの権威を探すとか」

もう探したわよ。だけどなかなか秘密を守れる医者がいなくて。とりあえず

有名所の発達障害のドクターはおさえたわ。それから、青山にある

リトミックの教室に通わせるわ。頭の発達にいいとかなんとか」

絶対に治らないのか

そうらしいわね。ナルもみんなもアイコがあんなだっていうのにのんきすぎて

やってられないわ。あの人、おばさん達もああだから気にならないのね。

でも私は無理。とても受け入れられそうにない」

まだ国民に真実を・・・などとほざいているのか

宮内庁はそういうスタンスよ。でも私は絶対に嫌。どうしてそんな事、はっきりと

言わなくちゃいけないの。全然わかんない。こうなったのは全部ナルの血筋なのに

あの人達は私に謝りもしないのよ」

マサコはぶすくれて茶色い液体を飲み干した。

全く・・・とヒサシは思う。

アイコが生まれてもうすぐ3年だというのに、いつまでも同じ事で文句を言う。

だが、下手に叱り飛ばすとまた軽井沢のような事が起こりかねない。

結果的になだめすかす方法しかとれないのだ。

まあ、彼は彼なりだろう。しかし、せっかく爆弾発言したのに、その後の対応が

悪すぎたな」

 

例の「人格否定」発言以後、宮内庁や天皇から再三にわたって

「説明を」と言われ、皇太子はどうこたえていいかわからず、右往左往していた。

今まで記者会見の原稿などはノリノミヤに聞いて書いてもらったりしていたので

自分の「意志」としての発言が波紋を呼び、しかも自分で責任を取らなくては

ならない事態というのに対応できないのだった。

説明を・・・・と言われても実は答えようがない。

結果的にヒサシに相談し、やっとひねり出した言葉は以下の通り。

記者会見では雅子がこれまでに積み上げてきた経歴と,その経歴も生かした人格の大切な部分を

否定するような動きがあった,ということをお話しました。

その具体的内容について,対象を特定して公表することが有益とは思いませんし,

今ここで細かいことを言うことは差し控えたいと思います。会見で皆さんにお伝えしたかったのは,

私たちがこれまで直面してきた状況と今後に向けた話です。

記者会見以降,これまで外国訪問ができない状態が続いていたことや,

いわゆるお世継ぎ問題について過度に注目が集まっているように感じます。

しかし,もちろんそれだけではなく,伝統やしきたり,プレスへの対応等々,皇室の環境に

適応しようとしてきた過程でも,大変な努力が必要でした。

私は,これから雅子には,本来の自信と,生き生きとした活力を持って,その経歴を十分に生かし,

新しい時代を反映した活動を行ってほしいと思っていますし,

そのような環境づくりが一番大切と考えています。

会見での発言については,個々の動きを批判するつもりはなく,

現状について皆さんにわかっていただきたいと思ってしたものです。

しかしながら,結果として,天皇皇后両陛下はじめ,ご心配をおかけしてしまったことについては心が痛みます。

皆さんに何よりもお伝えしたいことは,今後,雅子本人も気力と体力を充実させ,

本来の元気な自分を取り戻した上で,公務へ復帰することを心から希望しているということです。

雅子の復帰のためには,いろいろな工夫や方策も必要と考えますし,

公務のあり方も含めて宮内庁ともよく話し合っていきたいと思っています。

多くの方の暖かいお励ましに,私も雅子もたいへん感謝をしています。

雅子が早く健康を回復し,復帰できるよう,私自身も全力で支えていくつもりです」

最後に,雅子の回復のためには静かな環境が何よりも大切と考えますので,

引き続き暖かく見守っていただければ幸に存じます

要するに

何であんな発言をしたのかと理由を説明する必要はないと思う。マサコは皇室の

環境に適応できないのだから皇室が変わるべきと思う。

今後はマサコの好きなようにやらせようと思うので文句を言わないで欲しい」

という事を言いたいが為の長々とした文章だったのだが、皇太子の言葉で語ると

本当にソフトで、意味不明に見えてしまう。

ヒサシからすればそれは「特技」だ。

本当に言いたい事が何であるかぼかしながらも、文章だけは整っている。

こんなに都合のいい話はあるだろうか。

皇太子の文章はわかりにくい。わかりにくいが国民はそれに文句をつける事すら出来ない。

なぜなら、意味がわからないから。

そう考えると笑えてしょうがない。ヒサシは一人でくくと笑いながら

まあいいさ。あの人格否定発言は大きな意味があった。これでもう誰も文句は言わない。

マスコミも同情的。要するに悪いのは皇室なのだと印象づけられたから。

戦というのは先手必勝。そしてイメージ操作が一番大事なんだよ。

私はこれを中国から学んだな

酒が入ったのか、ヒサシはここで壮大な陰謀の中国史を語り始め、娘達は

いささかうんざりした。

だが、いつまでも無駄話をしているヒサシではなかった。

ころあいをみて本題に入る。

それは今後の戦略だった。

「人格否定発言」によって、マサコは悲劇のヒロインになった。

かつての「ミチコ妃いじめ」のように、国民の同情を一手に集めている。

あとはアイコの事だけなのだ。

これも、「プライベート映像」を出した事で一つの結果が出ている。

誰もあれを「替え玉」とは思うまい。

この調子で何度か映像を出せば・・・・その間に世論を「女帝容認」へ持って行く。

女帝を立てる為には皇室典範の改正が必要だ。しかし政治家どもはこれに

触るのを嫌がる。だから、お前が病気になった原因を皇室の「男女差別」に

置きかえれば国民の世論を盛り上げる事が出来る。

総理には話しておく。まあ、あのコイズミは皇室には無関心だ。

だからこそ頼もしい。アイコの事だってろくに見もしないだろうから

典範改正に向けてスタートするのは簡単だ。

だが、何とかその流れが出来るまでにアイコを人前に出せるようにしておけ」

しておけといわれても・・・・」

マサコは口ごもった。

そうねえ。アイコちゃん、この間、参内するのを嫌がって車に乗らなかった事があった

でしょう?そういう事が続くといつかは気づかれるわ。ただでさえドイツの新聞でしたっけ。

自閉症の事を書いてたって」

ドイツなんぞほっとけばいい。もう書かせん」

ヒサシは吐き捨てるように言った。

なんでぐずった?女官がいるだろうに

知らないわよ。突然嫌がって・・・あの子、そういう時はものすごい力を出すの。

しかも、一旦嫌だってなるとてこでも動かないし。そういう病気なんだから仕方ないじゃない

マサコは酔いもあってイライラしはじめる。

それを察知したレイコは

アメリカの新薬って手もあるしね」と助け舟を出した。

アイコちゃんの事は何とか隠せばいいわよ。いくら両陛下だってアイコちゃんの

両親が言う事に口なんか出せないわ。お姉さま達も皇居に行かなければいいんじゃないの?」

そうだな・・・せいぜい機嫌をそこねない程度に参内を控えておけ」

うん」

マサコはうつむいた。

そんな娘を見てヒサシはため息をつく。

一体、どこまで続くのか、この長い道は。

ヒサシの最終目的は「天皇の祖父」になる事だ。

かつての藤原氏のように「外戚」として権力を振るう。

なぜ権力が欲しいのか。それは金だ。力だ。

かつて先祖が貧しさと出自によって貶められた恨みをはらすためだ。

澱のように心にたまっている「コンプレックス」を根こそぎ抜き取るには

是が非でもアイコの即位が必要だ。

アイコの即位・・・・それを見る事が出来ないのならせめて「立太子」だけでもいい。

皇太子の祖父でも構わない。

「皇后の父」「皇太子の祖父」やがて「天皇の祖父」となれば、この赤坂東宮御所も

堂々と自分の居城と出来るだろう。そしたらこの屋敷は双子のどちらかに与えて

いや、それとも新しく家を買うか。

イケダもシブヤもそこそこの資産家だが、「天皇の親戚」としてふさわしい格をつけて

やらなくては。

マサコとアイコを支えていくのはイケダ・シブヤの両氏なのだから。

そんな不敬な事を考えるのが好きだった。

そんな事を考えていると現実を忘れる・・・・・・

オランダで国際裁判所所長の地位にありながらも、実際は「まだ辞めないのか」と

思われている事。

椅子に菊の紋をつけてみたが、あまりしっくり感じない事。

それどころか、裁判官の連中は敬意を払いもしない。

そして何より頭にくるのは、ヨーロッパの社交界が自分を受け入れない事だ。

国際司法裁判所の所長であり、皇太子妃の父だというのに!

会員制のクラブやゴルフ場は、至極丁寧に「お断わり」を入れる。

理由は「紹介がないから」だというが、誰に頼んでも「ええいいですよ」と言われるだけで

実際には紹介してくれない。

日本人だからバカにしているのか。

やはり戦前の日本の行為が全てのガンなのかもしれない。

これに対抗する為にはやはり「金」なのだ。

金と権力なのだ。

マサコ、宮廷費は毎年全部使い切る必要性があるんだろう?

少し融通してくれないか

ヒサシは小さい声で言った。

え?」

マサコはちょっと驚いたように聞き返した。

お金がないの?」

いや、ないわけじゃない。しかし、国際司法裁判所の所長ともなると

色々物入りなんだ。コネを作ったり権力を得る為に。

いくらあっても金は足りない。私が高い地位についていながらみすぼらしい恰好を

していてもお前は平気か?

ヨーロッパの連中は家柄もよく、財産家ばかり。

しかし私は一代でここまでのしあがってきたのだからなあ。

まあ、うちは金がないので酒を飲みにいけません・・・・とは言えない。わかるだろう?

皇太子妃の父親なのに欧州の特権階級と肩を並べる事が出来ない悔しさが」

わかった・・・・・」

マサコは素直に頷いた。

「私だってお父様がそんな目にあっているなら助けたいと思うわ。

でも東宮のお金を管理しているのは宮内庁なの。どうやってお金を引き出すの?」

それは私が教えようじゃないか

ヒサシはにやりと笑った。

よく覚えておくといい。金というものは使あるところにはある。そして

それを使えるのはごく一部の選ばれた人間だけだ。

一度、それを得ればスロットマシンのように金は出てくる。ざくざくと。

その方法を教えよう」

娘達はごくりとつばを飲み込んで父の方に顔を向けた。

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両陛下傘寿祝賀音楽会

2014-11-28 07:35:00 | 皇室報道

 常陸宮殿下、79歳のお誕生日おめでとうございます。

 早くお怪我が治りますように 

 

 松たか子・・・妊娠してたんだーー おめでとうございます。

それで紅白でないと言うならわかります。

そっかそっか・・・大事にしてねーー

 羽生結弦 「あまり心配をなさらぬよう」って・・・すごいセリフだなあ。

今時、こんな時代劇がかったセリフを言える子がいるとは。

とはいってもね。ゆづくん。君には未来があるの。若いからって何でも大丈夫ってわけじゃないのよ。

いい子だからおばちゃんの言う事聞きなさい って、怒れないしなあ。

ほんとにがんこな子なんだからとしか。

産経の加藤支局長、まだ日本に帰る事が出来ないんですって?

あんまりだ 人権問題じゃないんですか

しかも、車に卵をぶつけるなんてっ あれは「ヘイト」な行動とは言わないんですか

舛添さん。卵をぶつけられる事を思えば「韓国帰れーー」と叫ぶ人達は

なんて優しいんだと思ってしまいます。

一番の問題は、産経の報道の通り、パク大統領があのセウォル号沈没の時に

7時間もどこで何をしていたかでしょう?

問題のすり替えをするんじゃないよっ

自分達に都合の悪いことを言われるとすぐに怒りだして論点を変える。

その手に乗ってはいけない日本

ウイリアム王子が来年の2月に単独で来日予定です。中国にも行くそう。

またどなたかの「体調が整う」のでしょうか。

「イギリスに招いて」って言いそうですわ。

でもウイリアム王子からしたら、「プリンセス・マコは元気にやってますよ」と

言う方が先じゃないのかと。

 両陛下、宮内庁主催の音楽会に 

 27日、宮内庁主催の音楽会。両陛下の「傘寿」を祝うもの

 両陛下・皇太子夫妻・秋篠宮夫妻・黒田清子さんらが出席

 ジャズなどが演奏された

全員前を向いて微動だにしていないのに、なぜか皇太子だけが天皇陛下に話しかけ

それを横目で見る雅子妃。

皇后陛下のシックな赤、紀子妃の濃い緑、清子さんのグレーに対し、雅子妃だけがてかてか

白のシルク。

なにをかいわんやですね。

 

コメント (16)
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紅白出場歌手

2014-11-27 07:00:00 | ドラマ・ワイドショー

 羽生結弦君さあ、何でNHK杯でるの?

そりゃあ・・・・練習で4回転飛べれば大丈夫って判断はわからないでもないけど

今シーズンは休養した方が先をみればいいんじゃないの?

先が長いんだよ?先がっ

記者会見してたスケ蓮のおばさまが魔女に見えた。

そんなに「スター」が必要なの・・・・・・?

 日本の「和紙」がユネスコの無形遺産に選ばれた事はとっても嬉しいです

和食も和紙も日本ならではの文化の継承。

なのに隣の国では「ぜーーんぶうちらが始まりや」と言って仏像を盗むわ、珊瑚をとるわ

めちゃめちゃだわ。

アジアには沢山の国があります。ヨーロッパや中近東とは違う「アジア」が。

二つの国がそのアジアの印象をことごとく下げている事はとても悲しい事だと思います。

 我が家のヨンジュナの今年の流行語は

ゲラゲラポー」のようで

とはいえ、私に向かって「いいじゃないのーーママー」と言ってごまかすので

「ダメよダメダメ」と答えております。

そうそう「壁ドン」も彼の中では一種のブーム?(単にママが喜ぶから?)

先日、一緒にバスに乗った時、横座りの席に座ったら目の前に立ったヨンジュナに

壁ドンされまして

ちょっと・・・っていうか、大いに嬉しかったのですが。

でもやっぱり「これがジュニアだったら・・・・」と言ってしまい

見てた姫が「ママの頭の中は1に皇室2に宝塚で3にお兄ちゃんだからね」と言いました。

そんな事ないのよーーただ、いつもそばにいない息子が気にかかるだけなの

決して誰かをひいきしたりはしませんって。

ところで。

紅白の出場歌手が決定したそうでですね。

毎年「今年こそは見るもんか」と思うのですが、美輪さんのところだけは・・・と思い、

じゃあ、ついでにジャニーズの面々も・・・とかいってる間に時間が過ぎて

あっという間に「ゆく年くる年」になってしまうのですが。

でも。

今年こそはみないぞーーと言ってみたりする。

 ジャニーズ枠は

 

 関ジャニ∞

 SMAP

 SEXY ZONE

 TOKIO

 V6

6枠。ちょっと多すぎやしませんか

V6が初出場っていうのはなかなかであるけど、何で彼らが出なかったかっていうと

「枠」に入れられなかったからじゃないの?

裏で何がどう動いてこのジャニーズメンバーになっているのかわかりませんけど

とにかく6枠は多いでしょ。一つのプロダクションですよ?

おかしいんじゃないの?NHKは。

 

 EXILE枠は

 EXILE

 三代目 J Soul Brothers

 E-girls

3枠であるけど人数が半端じゃないでしょ・・・・・

同じ振付で踊る面々が楽屋を席巻。怖いかも。

 

 AKB系は

 HKT48

 AKB48

 SKE48

 NMB48

4枠であるけど、こちらも人数が半端ない。楽屋はどうなっている事やら。

乃木坂が落ちたーーと言われているけど、これも事務所の力関係に差が?

 

歌番組をほとんどみない私ですので、今現在流行している曲(若者に)は

わからない。AKB系は誰が誰やらわからない。

どんな曲がヒットしているのか、何をもってヒットと定義づけているのか。

ヒットがなくてもNHKに貢献していれば出場できるという価値観もわからないし。

じゃあ、和田アキ子とか天童よしみとか・・・どこらへんでNHKに貢献しているわけ?

「今年の活躍」「世論の支持」「番組の企画・演出」の3条件にあてはまるか否かだそうですが。

演歌組がさっぱりわからないよねーー

常連が落ちた理由も単にジャニーズ枠とかEXILE、AKB枠のせいじゃないの?

いっその事、この3つの事務所だけで紅白やればーーー?と思ってしまいます。

 

 初出場

 V6

 sekaino owari

 HKT48

 May.J

 薬師丸ひろ子

初出場5組中、2つがジャニーズとAKB系。

May.Jは「アナ雪」で松たか子が出ないから?っていうか、神田沙也加は母と一緒に

出てカウントされているわけ?

薬師丸って去年も出ていなかった?「潮騒のメモリー」歌ってたよね?

でも「あまちゃん」系だからカウントなし?

薬師丸さん、結構紅白に出てる印象ですけど・・・安全地帯の応援だったかしら?

とにかく初…が少ない印象。

 

 大トリは?

御大が名誉ある撤退をされて、大トリは?

出場回数だけでいえば

 石川さゆり

 和田アキ子

 五木ひろし

 森進一

の誰か?和田アキ子は虎視眈々と狙っているような気がするし、それは森もそうだよね。

だけど、大トリで「天城越え」とか「津軽海峡冬景色」もいいよなあ。

っていうか、演歌の方々はことごとく「東北」か「沖縄」で攻めて欲しい。

毎年同じ曲っていうのもつまらないかもしれませんけどね。

 

昭和の頃は「家族そろって紅白を見てゆく年くる年を見て、初詣」が定番でしたね。

仙台の冬は寒くて冷たくて風が吹いて。

下宿屋という大きな建物から学生が消えて家族3人だけになると暗くて寒くてねえ。

茶の間だけが明るくて。

火鉢型のストーブとこたつ、特上のお寿司4人前(ふぶきが2人分食べる)

それにおにしめ・・・・くらいの年越しでした。

お正月から雪が降ったりしましたっけ。

あの頃は「津軽海峡冬景色」やら「雪国」やら「北酒場」やら、聞いてもなーんにも

感じませんでしたが、今はひどく懐かしい。

イントロが風の冷たさと空の青黒さを表すようで、本当に懐かしい。

私も歳をとりましたね。

だんだんお年寄りには辛い紅白になってきて。

だってグループばっかりで人数がやたら多くて、騒がしくて誰がだれやら

区別がつかないうちに終わっちゃうんだもんね

しょうがない・・・・AAAだけ見たら寝ちゃうかな。

 

コメント (8)
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