やっと東京で見る事が出来ました。
どっかの高校生が団体で入ってたけど、芝居もショーも刺さらなかったみたい。
RRR
宝塚に比べて自由度が高くなっているような気がしました。
一層「弟」っぽくなったビームは、最初こそすごいパワーで出てくるのですが、あとはラーマに甘ったれ、ジェニーにドキドキって感じの魅力的な男性でした。
でもマッリの前では頼りになる「お兄さん」で、素直で明るくて行動的なイケメンだったなあと感じました。
一方のラーマは、ある時は冷たい警察官、ある時は頼れる兄貴、ある時はシータの恋人といくつもの顔を使い分けていて、大変だなと。ビームとジェニーをくっつけようとする所なんてかなりいじらしい。それは映画でも感じた事ですけどね。
映画を知らない高校生が見ても「話しわかんねーー」だったろうなと思ったり。
その迫力とすさまじいダンスだけでも受け取って欲しいと思いましたけど。
こういうのはやっぱ小さい頃からの教育なのかなと・・・
そう、「ナートゥ」の時は拍手が鳴りやまなかったし、二階にいたんですけど、ラストの客席降りでは、小桜ほのかさんが、あのこわーーい奥様のまんま踊ってました。そっか、奥様、生きてたのかと思ったけど。
二階席からだと群舞がよく見えます。青い水と炎のダンサーたちは圧巻ですね。
極美慎が完全にキャラがコメディ化してて面白かったです。
やっぱり何度見てもよいものはよいという感じですね。
ヴィオレトピア
すみれ色って大好きなんですよ。でも配色に困る色でもありますよね。
同系色でいくか、黒を合わせるか。
その昔「紫のばら」が流行った事があって、私それを役者さんに届けたことがあるんですけど、束になると完全に葬式の花みたいになって。
このショーは後ろの群舞が黒で、前が菫色だから、完全に「喪」じゃない?って思ったりして。
そもそも主役がボロ着て静かに舞台を横切っていく事自体、ありえないんですけど、でもちょっとサッシ―が言いたかったことが理解出来たかもと思いました。
サッシーという人は、マイナス思考で頑固で自分へのこだわりが強い。
ショーや芝居にもよくよくそれが現れていて、真ん中はトップだから華やかにしなくちゃとか、そういうピラミッド型の宝塚風を理解していない。
「青年」は誰もいない舞台で一時の夢を見た。
だけどどれも最終的には悲しみとか、不完全とかで終わる。
現実にはなりえない、ただの妄想じゃないか、ばかばかしい!で消える。
この青年が、劇場で見たものを形にしていこうとか、現実にしようとか、そういう前向きな気持ちは一切なくて、ただただたかが妄想じゃん!と嘆いている。
まるで売れない作家のようですね。
「狂乱の酒・観客・酒」のシーンなんて全然意味わからなくて。
でもこういうシーンは小劇場のショーではよくありそうだなと。
何で舞空瞳に男装させて暁千星に女装をさせたか、そこがイマイチわからない。
こんな立派なキャバレーの中ですらボロをまとう青年が礼真琴なんだから。
完全に前衛的というしか褒めようがないですね。
せっかく「すみれ」が出て来たのだし、やっぱりすみれの花くらい、明るく出してほしかったな。
振付とか選曲はいいんだけど、ただ一つ設定がね~~~
わかりやすさというものを身に着ける事、これは作家に必要よ。
確か大劇場ではベレー帽をかぶったファンが結構いたけど、さすがに東京にはいなかった。
だけど、何度も言うけどやっぱりベレー帽ってかわいい。
キャトルに寄りましたが、宙組だけ「パガド」で止まってる。
さすがに本気で気の毒になりました。
何でこんな事が許されるんだろう。
舞台人にわけもなく舞台に立たせないってそれはいくらなんでもあんまりよね。
宝塚という場所には限りがあるんだから。
悔しさや焦りや怒りなどが宙組の場所に行くと、すごく感じてしまい、世の中の理不尽さにただただ悲しく思いました。
「不適切にもほどがある」を毎回、楽しんで爆笑しながら見ているのですが、評価は真っ二つだそうですね。
昭和世代には懐かしく、そして「うんうん」と頷きながら見るドラマが、平成生まれには「どこが笑いのツボかわからない」
そーなのね~~これが時代のギャップってやつよね。
6回目は「昔話しちゃいけないですか」というタイトル。
すでに、小川市郎と娘の純子は阪神大震災で亡くなっている事がわかり、市郎はつらくてしょうがないし、娘にそれを伝えられない。
その気持ち、本当にわかりますよね。
「未来が素晴らしいんだよ」って言えたらいい。でも震災にテロ、平成の日本は次から次へと地震がやってきて、令和には疫病が流行り・・・
今の私達がなぜ生きているのかわからない時もある。
世代としては純子よりちょい上だけど、もし、未来が今なら生きたいと思わなかっただろうし、死んでしまう事など知りたくない。
昭和の純子が、令和に来て、昭和をばかにする番組に怒りだすシーンは本当にすっきりしたし、その後、なぜか涙が止まらなくなってね。
平成・令和にとって「昭和」とは、「ありえない」「理解できない」一方でレトロチックという矛盾した評価を貰っているようです。
だけど、昭和世代が共感して笑って何が悪いのか?
「三原じゅん子は?」「国会議員になった」
「マッチは」「色々あってレーサーになった」
これだけでも笑えてしまう。確かに国会の三原じゅん子議員を見ると、私などは「金八」の山田麗子のイメージになるけど、そういう事を「知らなかった」と驚き、そこで調べてみるという賢さをどうして発揮してくれないかなと。
あの頃、流行っていた大映ドラマ。
大げさでミステリアスで舞台ちっくな脚本だったけど、楽しめた。
その大映がなくなってしまうなんてね。
松村雄基がめちゃ年取って丸くなったなあと懐かしんで何が悪いのさ。
知らない話を聞くというのは大きな財産なんだよ。
私は両親から戦前の楽しかった話ばかり聞かされていました。
両親が好きな音楽とか俳優の話も。その時は興味がなくても20年後くらいにめちゃ興味が出てきて、「そうだったのか」と思う事も多々あります。
我が家の姫など「半ドン」がわからず。
でも「なに?半ドンて。わかんなくていいや」だもんね。
こっちこそ、半ドン知らんのか?と、それくらい知らなくても知ってなさいよ。って言いたくなるのよね。
こういう事をいうと、ついNHKで放送された山田太一脚本の「男たちの旅路」を思いだします。
あの頃、鶴田浩二の設定は「戦争経験者。特攻隊上がり」で、部下は新人で生意気で言い返す水谷豊。
(右京さんにも若い時はあった)
一々鶴田さんの言葉に「古い~~」って言ってた雰囲気。
今も昔も変わらないんだとは思う。
でも、だからって昭和を馬鹿にする事だけはやめて欲しいと思います。
昭和といってもこんな風に分けられると思います。
昭和元年~昭和18年まで・・・洋装、断髪、エログロナンセンスの残り、ロマンチックな映画が作られたり、満州や南方への憧れがあたり。
昭和18年~昭和30年くらいまで・・・普通の生活が奪われ、食べるものがなくなり、身分制度もなくなり、GHQに占領され、あっという間にアメリカ好きになった時代。
昭和30年~昭和50年代・・・「もはや戦後ではない」戦争知らずの子供、学歴偏重主義、一方で反日が闊歩してた。高度成長で、街の姿があっという間に変わり、テレビに洗濯機など、どんどん発展していく
昭和50年代~昭和64年・・・高度経済成長期は終わったものの、今度は日本のモノ作りが世界を席巻。円高も手伝ってバブル時代に突入。貧しい時代に育った親は子供を甘やかし、勉強ばかりさせ、女性も社会進出と言われた時代で、この頃から少子化に。
昭和は長いんです。64年間に繁栄→どん底→繁栄とぼんぼん世の中が変わって来たのです。
純子が生まれた世代は、学校の先生から「日の丸」君が代」への違和感を叩きこまれ、「日本は悪い国だった」と教えられたのです。
まだ、僅かに残っていた戦争経験者からは「もう二度と戦争はしないで」「平和になって」「基本的人権の尊重」と教わって、「戦争はいけない」とばかり認識して、相手から攻められる事を一切考えないお花畑が出来上がったんですよね。
市郎世代に残っていた「昭和天皇への尊敬」これが純子世代は消えます。
昭和をひとくくりにせず、色々学んでみて欲しいですね。
愛子内親王と悠仁親王について
愛子には、新型コロナウイルス感染症の感染状況が落ち着き、今年度からは大学のキャンパスに足を運べるようになりました。
大学での勉学に熱心に取り組み、先生方やお友達と一緒に、楽しく充実した学生生活を送っているように思います。
卒業論文の執筆に当たっては、指導の先生方の御助言を頂きながら、論文を読んだり、放課後などに大学の図書館や日本語日本文学科の書庫などで資料を集めたりしながら、一生懸命、論文を執筆していました。
卒業が間近に迫っていますが、残りの大学生活を有意義に送ってもらえればと思っています。
これまで温かく御指導いただいている先生方や職員の皆さん、そして、親しくしていただいているお友達に心から感謝しております。
お友達?楽しく充実した?学内ではほとんどみかけることもないのに。
大変な4年間でしたね。それは愛子内親王に限らず、同学年の人達全員が経験した事です。それでもずっとキャンパスに通った生徒もいます。その事が欠落してるような気がします。
大学生活では、日本語日本文学科の専門科目の授業はもとより、教養科目や他の学科の授業、例えば、日本史、東洋史、日本の伝統芸能や福祉などの講義を聴き、視野を広げることができたことや、殊に今年度からは、大学のキャンパス内で先生方やお友達と直(じか)にお話ししたり、一緒に運動ができたりしたことなどが、かけがえのない経験として印象に残っているようです。
ここでいきなり「福祉」が出てきたことにびっくり。学習院の日本語学科には福祉の講義があるんですか。何となく「あどけなさ」が残る印象です。
また、キャンパス内の様々な場所を探索できたことも楽しかったようです。
日本赤十字社への就職に関しては、愛子は、成年の記者会見の時にも、「自分の住んでいる街であるとかないとか関係なく、人の役に立とうと懸命に活動している災害ボランティアの姿に非常に感銘を受けました」と申しましたように、人のために何かできればという思いを以前から持っていたように思います。
そのような中で、愛子は、昨年には私や雅子と共に、日本赤十字社から日赤の行っている様々な活動についてのお話を伺ったり、日赤本社で開催された関東大震災時における日赤の救護や医療活動などの展示を見に伺う機会がありました。このようなことを通じて、日赤の活動に携わることで、少しでも社会に貢献したいという気持ちを強く持つようになったと思われ、私たち家族ともよく話し合い、日赤で勤めることを希望いたしましたところ、日赤側にも快諾していただいたことはとても有り難いことでした。
愛子には、この4月から、日赤の一員として多くの人のお役に立てるよう努力を続けてほしいと思いますし、社会に出ると大変なこともあるかもしれませんが、それを乗り越えて、社会人の一人として成長していってくれることを願っています。
愛子には、これからも、色々な方から沢山のことを学び、様々な経験を積み重ねながら視野を広げ、自らの考えを深めていってほしいと願っています。
また、同時に皇族としての仕事も増えてくると思いますが、今後も、思いやりと感謝の気持ちを持ちながら、皇室の一員として一つ一つの務めを大切に果たしていってもらいたいと思います。
その過程で、私たちで相談に乗れることは、できる限りしていきたいと思います。
皆様には、これまでも愛子に温かいお気持ちを寄せていただいていることに、心から感謝しております。
今後とも愛子を温かく見守っていただければ幸いに思います。
突如「福祉に目覚め」親を説得して赤十字に就職させてもらった印象がありますが。
陛下って果たしていい父親なのでしょうか。
「3ない教育」でしたっけ?週刊誌に書かれていましたけど。
とにかく愛子内親王が何をしても徹底して見守り、強制せず、口も出さず。
それは私達も見ていればわかるんですけど。
果たしてそれでよかったと本当に思われているんでしょうか?
本来なら孫がいてもおかしくない年齢であるのに、病気設定の妻とあどけない娘のフォローに徹する「家族主義」の天皇陛下ですね。
悠仁親王は今年18歳となり、成年を迎えます。
小さい時から甥(おい)として成長を見守ってまいりましたが、近頃は、地方や都内への訪問であったり、外国の方々との交流であったり、少しずつ、皇室の一員としての務めを果たしてくれていることを頼もしく思っています。
会った時などには、トンボの話や野菜の栽培、また、クラブ活動として行っているバドミントンの話など、生き生きと話してくれますので、充実した日々を送っているのではないかと思います。
これから、大学への進路についても考えを深めていくことになると思います。本人が関心を持ち、学びたいこと、やりたいこともあると思いますので、自身の将来をしっかりと見つめながら実り多い高校生活を送ってほしいと願っております。
まあ・・こういうしかないと思います。
皇位継承者として半分認めていないのではないかとも思われるご発言ですが。
誕生日の挨拶とか新年の挨拶ぐらいしか会わないですものね。
ただ、天皇が悠仁親王に言及したのは初めての事で、これはよい兆候かと思います。
山本陽子さんが死去されました。心からご冥福をお祈りします。
享年81歳。
2月2日放送の「徹子の部屋」に出演されたばかりとか。
信じられません。
何というか、私の心の中で、この方はいなくならないと信じていた部分があって。それくらい若々しくて凛としていたなと思います。
小さい頃「隣の芝生」を見て名前がインプットされていらい、年齢を重ねるごとに上品で優美で着物がよく似合う方という印象を持ちました。
もっともっと活躍して欲しかったのに。
また昭和の偉大な俳優さんがいなくなってしまいました。
非常に悲しいです。
2008年10月1日 琉球舞踊鑑賞
一旦緩んだゴムは決してもとには戻りません。
一旦緩んだ時間の感覚や行動様式は決して元には戻らないのです。
「皇室」というものへの適応を諦めた段階で、誰もが口をつぐみ、誰もがアドバイスをしなくなり、雅子様は何となく周囲から浮いているような気がするものの、決してその行動を改めようとはなさいませんでした。
けれど、小山女官は、愛子様まで同じではいけないと、必死に躾け直しをしようとしました。
朝はきちんと起きて遅刻をしないようにする・・・食事の時間を守らせる。食器を正しく使う、挨拶などです。
しかし、それを片っ端から壊していくのが福迫女官であり、また愛子様の頑固さでもありました。
小学校に入ってから半年の間にもう半分もお休みをしている愛子様。
大抵は「風邪」「お疲れ」と発表されましたが、静養ではお母さまに引っ張られ、行きたくない所にも駆り出され、勉強する時間などありません。
皇太子様がいらっしゃる時は、わりと時間に正確になっている愛子様も、お父様が海外に行かれている時は途端に夜更かしになって、朝、起きられず、夕食は夜の10時。当然、学校へ行く事も出来ません。
「愛子様のようなお子様は、これからきちんと躾けてちゃんとした大人にしないと」という小山女官のセリフを、だんだん雅子様はうざったく感じて来ました。
「別にあなたにそれをしてくれとはいってないわ。あなたは愛子の面倒だけみてたらいいの」
雅子様は勢い余ってテーブルの上にあったペン立てを投げつけました。
「私に説教しないで頂戴。愛子の事は私が考えます」
失意の小山女官を「それみたことか」と笑って見送る福迫出仕。
宮中では「三猿にならないとやっていけないわよ」と誰かに言われた事がありました。
そうは言っても「諫言」は悪い事なのでしょうか?
ご自身が外交官の娘だというのに、雅子様はどうしてこんなにだらしないのか。
普通に学習院を受けたら落ちるような家庭だったと言う事に、小山女官は絶望したのでした。
そして、毎年恒例の運動会がやってきました。
しかし、この年は皇太子の重要な公務「全国障害者スポーツ大会」とぶつかってしまいました。
今年は大分へ行かなくてはなりません。
雅子様は当然の如く「私はいかない」とおっしゃいました。
「でも、八大行啓の一つですし、無視するわけには。愛子様の運動会はあくまでプライベートな事ですから。どうか大分行きを優先して下さい」と東宮大夫に泣き疲れたのですが、雅子様は無視しました。
当然、皇太子様は「雅子がいかないというならそれでいい」と一言。
ああ、またこれで宮内庁が悪く言われる・・・・東宮大夫も侍従も、広報課も宮内庁のどこもかしこも理不尽な記者達の言葉に耐えなくてはいけないのかと思うとぞっとします。
官僚というのはある意味「いじめ」の世界でもありますし、パワハラ、モラハラに耐えつつ、乗り越えて仕事をする必要があるのですが、さすがにこの所は宮内庁の中でも体調不良者が続出し、病気療養に入る職員も少なくありません。
何とかごまかしつつ、人事院からの「異動」を待たないとやっていけないと思うのです。
2008年10月12日 学習院初等科運動会
運動会では愛子様は、リレーの選手に選ばれて見事な俊足を発揮しておられました。
その様子を生き生きとカメラで追う雅子様の表情には「重要公務を休んでしまった」との後悔などみじんもありません。
おかしい。どうみてもおかしい・・・・誰もがそう思ったものの、「病気」を印籠代わりに好き勝手する雅子様に意見する者など誰もいません。
気まぐれな雅子様は、突如「外食したい」なとどおっしゃいます。
高級なレストランは当日に予約など出来ませんが、そこをなんとねじ込んで予約しても、
出発の時間を守る事が出来ない雅子様はいつまでお部屋にこもっています。
皇太子様は、周囲がせかすのを無視して、「愛ちゃん、ママが降りてくるまで遊んでいようね」と車寄せで鬼ごっこなどを始める始末。
5分や10分などでなく、それが1時間になろうとも、皇太子様は決して雅子様の様子を見にいかせたりはしません。
黙って待っているのです。
「おかしい。この夫婦」と侍従達が思っても、夫である皇太子様がそういう態度でである以上、何もいえません。
つまり、このような形で東宮御所の平和は保たれていたのです。
2008年10月20日 皇后誕生日の為参内
2008年10月25日 日本橋三越「皇后さまと子どもたち」写真展を鑑賞
2008年10月28日 NHK放送センター日本賞授賞式にドタ出
妻が突然「行きます」「行きません」そういっても、否定するわけでもなくそのままにする皇太子様。その胸中に流れるのはいわゆる「無気力」です。
ご自分の母君が強いタイプなので、黙って従うのが平和の根幹と思っているのです。
何の野心もなく、希望もなく。
2008年10月30日 チャールズ皇太子夫妻 東宮御所で夕食会
チャールズ皇太子とカミラ夫人がいらした時は、普段は出ない玄関先まで出て来た雅子様。
それはもう得意満面のお顔でした。
「英語が得意」ですから、通訳を介さずひたすら喋りつづける雅子様に、チャールズ皇太子は戸惑いをみせ、「何でこの女はこんなにハイなんだろう」と思っていたでしょう。
雅子様的には世界でもっとも有名人に会える喜びというか、そういう特権を持った自分に酔いしれていたのです。
2008年11月10日 スペイン国王夫妻来日
スペイン国王夫妻がいらした時にはわざわざ飛行場までお出迎え。
カーティシーをしたのですが、がつんと頭が国王陛下にぶつかってしまいました。
しかし、晩さん会は出席せず、これで終わりかと思いきや
「両陛下と国王夫妻がお茶するなら私も出たい」と突然雅子様が言い出したのです。
周囲は慌てました。
雅子様は両陛下主催の晩さん会にも、国王夫妻主催の答礼晩さん会にも出席していません。
しかも12日は、国王夫妻は両陛下とつくばにおでましで、その後の正式な茶会です。
ドレスコードはロングドレスです。
雅子様が入る余地などなかったのです。頭に来た雅子様は
「外務省に電話して、入れて貰って」と言い出しました。
どうせ皇后陛下に直談判しても断られるだろうから、第三のルートを使ったのです。
このようにして、雅子様はお茶会に入り込みました。
しかし、服装は普通のスーツ。
突然、茶会への出席を知らされた両陛下は愕然としてしまいました。
しかも、お客様より後に入って来た雅子妃を見て、またも愕然としてしまいました。
「ご紹介しますわね。皇太子妃です」
皇后陛下は震えがちにそうおっしゃいました。
国王夫妻もちょっと驚いた様子で、「夏に皇太子殿下がいらした時は同行されませんでしたね」とおっしゃいました。
雅子様は「はい。病気療養中なので」とにこやかに答え、椅子に座ります。
下手な英語でそんな風にお答えになったので、「?」となっている国王夫妻にスペイン語の通訳が一生懸命に説明し、天皇陛下はなるべく雅子妃に会話がいかないように気を遣い、皇后さまもまた同様に、静かに静かにセーブしました。
結局、会話のしどころがない雅子様は、出て来たお茶とケーキを食べるしかお仕事がなかったのでした。
後に、皇太子様は天皇陛下から大目玉をくらいましたが、ただただ笑ってやりすごしたのでした。
2008年11月12日 両陛下とスペイン国王夫妻の茶会にドタ出
2008年11月20日 ニューオータニで開かれたPTA60年式典にドタ出
2008年6月18日 皇太子ブラジル訪問見送り
それは皇太子様がブラジルにご出発される日。まさにその時に起こりました。
愛子様は、その日は朝からご機嫌がよろしくありませんでした。
何となくお父様が出かけてしまう事をご存知だったのでしょう。
それでも今までは、大してぐずる事もなかったのですが、その日は癇癪を起こし、大暴れしてしまったのです。
殿下も雅子様も、マスコミが玄関前に来る事はわかっていたので焦りました。
「愛子様のお見送りはなしで」と侍従長は申し上げましたが、その時、愛子様は皇太子様の足に腕を回して絶対に動けないようにしながら泣いていたので、そうもいかず。
仕方なく雅子様が、無理やり愛子様をひっぺがして「いい加減にしなさいよ」と怒鳴りつけたので、愛子様はびくっとなさり、動かなくなったところで、皇太子様は玄関前に出ました。
でも、普通に出る事は出来ず、思わず入り口を見つめながらになってしまい、集まったマスコミ各社は「何が起こったのか」と驚いてかたずをのみました。
雅子様は、何事もなかったかのように愛子様の手を引っ張って見送りに出て来たのですが、なんと愛子様は皇太子様を反対側から回り込んでぐいぐい、入り口に押し戻してしまうではありませんか。
マスコミは愕然としました。
人前でヒステリーを起こして泣きじゃくる内親王。
それに対して怒るでもなく、笑ってなされるがままになっている皇太子。
まるで「3人で遊んでいるだけなの」というように歯を見せて笑う雅子さま。
3人がまた戻ってしまった所で、
「見送りなし?飛行機に遅れるんじゃないの?」と他人の記者がおろおろする所。
楽屋裏はもっと悲惨で、「ちょっと愛子、ちゃんとしなさいよ」と怒る雅子様と「愛ちゃん、すぐに帰って来るから待っててね」となだめる皇太子様。
愛子様はどなりつける母を怖がって、どうしても皇太子様にくっついてしまう。
「愛子様離れて・・・離れて・・・」
福迫出仕と新しい小山女官が何度も抱き上げてはなだめすかし、ようやく泣き止みそうなところで
「殿下、いそぎませんと」と侍従の声が聞こえ、皇太子様は再び、玄関に出ました。
今度は雅子様の腰にくっついた愛子様がしゃくり上げながら出て来ました。
皇太子様は何事もなかったかのように車に乗り込み、雅子様も無理に笑顔を作って
「ほら、アイちゃん、パパにばいばい」と促すのですが、愛子内親王は、どうしてもぐずって言葉も出ませんでした。
取り合えず、マスコミは「お父様と離れるのがよほど悲しかったのだろう」と好意的に取り上げましたけど、実際は「小学生でこの態度?」と呆れられていました。
雅子様も非常に不機嫌で、皇太子様が行ってしまわれた時は、愛子様を放り出してご自分の部屋にこもってしまう程でした。
「もう・・・本当にどうしてこうなるわけ?愛子はまるで猛獣みたい。私はこんな子嫌い。大嫌いよ」
感情をあらわに周囲に八つ当たりする雅子様と、何がきっかけで癇癪を起こし始めたのかわからない愛子様。ある意味二人はよく似ています。
そんな愛子様ですが、食堂でジュースを飲み、プリンを食べ始めると静かになりました。
「福迫さん。子供を食べ物でつるような事はよろしくないのでは」と小山女官が注意をするよ、出仕は女官の方を見ずに言いました。
「愛子様の事は私が一番よく知っていますから」
2008年6月27日 皇太子帰国出迎え
さすがにお出迎えの時は、愛子様は大そう上機嫌でお父様の帰りを待ちわびていらっしゃったのですが。
実はブラジルではちょっとした事が起きていました。
本来であれ、両殿下お揃いで訪問すべきところ、雅子様は「病気療養中」という事で単独訪問になってしまったわけですが、殿下は式典で
「雅子もブラジル政府からの招待を大変うれしく思っており、私達夫妻の訪問を願っていた方々に心からのお礼の気持ちをお伝えしたい」と言付かっております」と挨拶をされたのです。
みなは驚いてしまいました。
皇太子様が妃殿下のお言葉を言付かるなど、前代未聞。
まるで殿下はメッセンジャーで、お偉いのは妃殿下の方じゃないかとの批判が起きたのです。
事はそれだけではすみまえんででした。
昼食会では、両殿下も心酔しておられる学会の長男と一緒に写真におさまり、されが学会の新聞に載ってしまったのです。
これには宮内庁も予想外であったのですが、殿下は何知らぬ顔でした。
日系人が沢山いるブラジルで、誰に会っても「お元気で」しかおっしゃらない殿下のロボットぶりは、次第に高まっていた日系人の魂を静かにさせてしまったのです。
2008年7月1日 菊栄親睦会昼食会
2008年7月2日 国立新美術館「エミリー・ウングワレー作品展」
この頃、どこへ行くにも雅子様は髪をハーフアップにして白い服しか着ませんでした。
それは「白」というのが発色がよくて、顔が綺麗に見えると言われたからであり、おでこを出した方が品がいいと言われたからです。
とはいっても、僅かな鑑賞公務以外は、一切の活動をせず、雅子様はだらだらとした毎日を過ごしていました。
何かに出ようとすれば、かつての屈辱が蘇って来る。
誰かが近づいてくると「喋らなくちゃ」という思いで、身体が緊張してこわばってセリフが出てこない。
そんな恐怖感と向き合うのはまっぴらごめんです。
2008年7月15日 スペイン訪問の皇太子見送り
2008年7月31日 トンガの戴冠式に行く皇太子見送り
2008年7月20日 那須御用邸に
唯一自分らしくいられる場所。それは御用邸での静養時。
子供のようにはしゃぎながらメリーゴーランドに乗ったり馬を見たり・・そういう時は際限なく元気になる雅子さま。
8月26日 りんどう湖ファミリー劇場
8月29日 那須どうぶつ王国
9月3日 那須ステンドグラス美術館
毎年同じ所に同じだけ滞在する・・・という安心感が大事なのです。
「同じ事やっていたら何も言われないでしょ」ってな感じですね。
一般人の結婚式に紛れ込んで邪魔をするのも
「私がいたらハクがつくでしょう」と本気で思っているからです。
優越感にひたりつつも、自分らしく遊ぶというのが、今の雅子様には大事な事なのでした。
ご日程
両陛下
10月27日・・・天皇陛下 → 通常業務
離任大使に会う
10月29日・・・両陛下 → 競馬法100周年記念特別展「伝統の天皇賞 ~日本競馬のあゆみとともに~」及び第168回天皇賞
10月31日・・・天皇陛下 → 勤労奉仕団に会釈
通常業務
佳子内親王から挨拶を受ける
認証官任命式
11月1日・・・天皇陛下 → 旬祭
11月2日・・・両陛下 → 園遊会
皇嗣家
10月27日・・・両殿下 → 鹿児島県訪問
・伊佐市子ども発達支援センターたんぽぽ見学
・「特別全国障害者スポーツ大会」鹿児島県選手団激励会出席
・「特別全国障害者スポーツ大会」開会式出席
・昼食会
・ バスケットボールを見る
・ ボランティアと懇談
10月28日・・・佳子内親王 → 鹿児島県訪問
・「特別全国障害者スポーツ大会」ソフトボール競技を見る
・昼食会
・「特別全国障害者スポーツ大会」ボッチャ競技を見る
10月29日・・・殿下 → 山階鳥類研究所会議
佳子内親王 → 賢所参拝
10月31日・・・両殿下 → JICA海外協力隊(令和5年度第2次隊派遣隊員(駒ヶ根訓練所)115名)に会う
両殿下・佳子内親王 → 宮内庁人事異動者に会釈
佳子内親王 → 天皇陛下へ挨拶
11月1日・・・両殿下 → JICA海外協力隊(令和5年度第2次隊派遣隊員(二本松訓練所)111名)に会う
両殿下・佳子内親王・悠仁親王 → 宮内庁人事異動者に会釈
佳子内親王 → ペルーに出発
11月2日・・・殿下 → 公益社団法人大日本山林会「第62回農林水産祭参加全国林業経営推奨行事賞状伝達贈呈式」出席
両殿下 → 園遊会
雅子さま、まさか素手でポニーに触るとは。馬アレルギーはどこへいった?
アレルギーなめるなよ。
秋篠宮殿下は手話を使ってご挨拶。素晴らしい。
佳子様、お洋服、ヘビーローテーションしすぎだよ~~~
宮内庁の人事異動が多くないですか?今年に入ってなおも。国家公務員ってそんなに人事異動しないけどね。
園遊会はまたも30分遅れで日テレは去年の失敗を踏まえ、昭和天皇の園遊会風景などを流して時間を繋いでいました。
今年の園遊会は500人近く辞退者が出ていますね。有名人も加山雄三だけではないようで
そりゃ行きたくないわ。飲み物だけで立ちっぱなしで長話に付き合ってる時間がないものね。
11月3日 華子妃殿下 馬公公苑リニューアルオープン
まさに!これぞ。妃殿下の鑑!
スペインのレオノール王女 18歳で立太子
スペインのレオオール王女が立太子の宣誓をしました。10月31日のことです。
現在の称号は「アストゥリアス皇太子」
スペインは女性の国王を認めているというのではなく、もう男子の誕生がないと踏んで、王女が女王に即位するわけです。
ゆえに、「未来の女王」として軍隊に入り国への忠誠を誓いました。
「本日、成年年齢である18歳となり、憲法に規定される宣誓を行いました。私は忠実に自らの義務を遂行し、憲法と法律が順守されていることを保証し、市民と自治体の権利を尊重することを誓い、国王への忠誠を誓いました」
「私が、私たちの未来、スペインの未来を確信しているように、国民の皆さんが私を信じてくださることを願っています」
つまり、女性が未来の王として認められる為には、男性以上の苦労があると言う事です。
愛子内親王派に言いたいのは、こんな事を本当に望んでいるかという事と、愛子内親王に果たしてそれが出来ますかということ。
未だに伊勢にも武蔵野へも単独で参拝出来ないような人が「天皇の娘」というだけで皇位継承権を得たなら、それは皇位簒奪に他なりません。