ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

令和が始まって5年 日本が終わりの始まりを迎えた

2024-05-02 07:00:00 | 皇室報道

マスコミはこぞって5月1日を祝うけれど、果たして祝う価値があるか?

この5年の「災い」が全て天皇皇后に責任があるとは言えない。

科学的に言えば馬鹿な話です。

しかしながら、あの二人にはそう思わせる雰囲気と行動があると言う事。

平成が始まった時も、天皇皇后が調子に乗って外遊ばかりしたり、舞踏会で踊ったりとブルジョア臭をまき散らし、結果的に美智子皇后に不満を抱いていた宮内庁からの突き上げが怒った。

でも令和は、不満さえ閉じ込める程の「独裁政権」が皇室内で起こっている。

誰の?雅子皇后。いえ、影の天皇・雅子である。

令和元年5月1日。この日から。

皇室の伝統をさらに破壊、左翼の言いなり、愛子天皇を企む、世界から歓迎されない天皇皇后になってしまいました。

 令和元年の出来事

 京アニ事件

 東日本で台風被害

 首里城消失

そんな中、

恐ろしい台風の中で行われた即位の礼。

パレードで泣く皇后。さらに化粧直しもばっちり撮影されました。

御所に到着してもなかなか降りずにしゃべくりまくっているので、秋篠宮殿下が先に降りる事に。

何よりも、後の世を感じさせる出来事がありました。

それが「国民祭典」における「謎の天皇陛下万歳」事件

伊吹文明氏が「天皇陛下万歳」を言ったあと、どこからともなく「天の陛下万歳皇后陛下万歳」の声が・・・・最初は応じていた国民が、次第に「怖い」と言い出す。

伊吹氏も全然予定と違う事に驚きを隠せず。

誰が、何のためにこのようなアナウンスを流したのか。延々と。

万歳」という言葉は中国由来と思われます。

要は「万年も続きますように」という意味で、基本、皇帝にしか使わない言葉です。

日本では天皇にしか使ってはいけない言葉です。

じゃあ、皇后には何と?

それは「千歳」(せんざい)です。皇后はあくまで皇帝より格下ですから、同列に語ってはいけないのです。

しかし、ここで「皇后陛下万歳」とはっきり言ってますね。

由来を知らずに言ってるなら馬鹿というか、どこかの宗教団体かと思うし、由来を知りつつ言ってるのであれば、やっぱりそこにどこかの宗教団体と小和田家が背景に見えるのです。

はっきり言って、本当に不気味でありえないセリフでした。

何というか、個人的に「日本は変わる」と思いました。

翌年から新型コロナが流行。日本人は「スペイン風邪」以来の疫病に取りつかれた。

世界的に。

安倍総理は病気悪化で退陣を余儀なくされ、後に暗殺。

首相が暗殺されるなんて、歴史教科書でしか知らない事。なのに、きちんとした捜査も行われず、国葬には左翼が大騒ぎ。

ジャニーズ事務所には法則発動して今や形が代わり、そこに韓流が占拠している。

 

いち早く防護服を手作りし、オンラインで公務を始めた秋篠宮家に対し、天皇皇后は赤坂御所に引きこもり、愛子内親王は4年間大学にいかず。

 

今や、日本は円安が進み過ぎて不況の真っただ中。

日本は中国や韓国よりもひどい国になっている事に多くの日本人は気づいていません。

続々入って来る中国人に土地を取られ、帰化され、留学生が恩恵を受け、日本人は肩身の狭い思いをする日々です。

LGBTなどという思想が声高に言われ、女性達は「女性蔑視」より嫌な思いをする羽目になっています。

この動きは世界的にそうで、未だ日本は平和とか言ってるお花畑さん達はいい加減目を覚まさないと隣の中国人に殺される日が来るかもしれません。

なんせニセコは中国に支配され「日本人お断り」になっている。

GWこそ、観光地である北海道のこの問題を取り上げるべきなのに、全く無視。

無視無視無視です。

とにかく令和になってから、外国勢力による「内側からの侵略」が始まってしまいました。

本当に恐ろしい。こんな時代でも「イギリスへ行く」という天皇皇后を受け入れるわけにはいかないじゃないですか?

天皇とは、国家安泰を祈る存在であるのにその姿勢を全く見る事のない5年間でした。

 

 

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悠仁親王と蜂子皇子

2024-05-01 07:00:00 | 皇室報道

 もうX始め色々なブログで拡散されているので、今更な話題ですが、改めて「ふぶきの部屋」風にお知らせしますね。

 2023年6月18日 悠仁親王は山形県の出羽三山をお参りした

 この神社の開祖は「蜂子皇子」という人で崇峻天皇の皇子

 殿下はご自分で歴史を調べ予定をたて、6月18日(その日は祭礼の日)に恐ろしく困難な山を登り、神社にお参りした

 宮司の話「悠仁親王が参拝されると急に雲が現れ、風が吹き雨が降りだした。このような事は70年生きていて初めてのこと。恐らく風神雷神八百万の神々が悠仁親王を歓迎したものと思われる。

 宮内庁の日程にはなく、お忍び中のお忍び行動。

 崇峻天皇って誰?

天皇になる前の名前は泊瀬部皇子。

この頃、敏達天皇→用明天皇→崇峻天皇→推古天皇となります。

敏達天皇と推古天皇は夫婦で、二人には竹田皇子がいました。が、蘇我・物部戦争で負傷し死去。

用明天皇は2年程で病気で亡くなりました。長男である聖徳太子はまだ10代。

天皇にふさわしいと言われる年齢は30歳すぎ

なので聖徳太子では若すぎる。

用明天皇には弟が何人かいましたが、そこで生き残り、蘇我氏を母とする崇峻天皇が擁立されました。

しかし、崇峻天皇と蘇我馬子は対立していきます。

一番それがわかるのは、彼の正式な妃に蘇我氏が入っていない事です。

蘇我馬子は正室との娘を聖徳太子と結婚させ、側室の娘を崇峻に嫁がせました。

で、崇峻が後ろ盾としたのが大伴糠手で蘇我氏でなかった事もわだかまりの原因。

ある日、イノシシが献上され、崇峻は「いつかこの猪の首を斬るように、自分が憎いと思っている者を斬りたいものだ」と言ってしまい、それが馬子に伝わって「イノシシは自分の事」と思った馬子は崇峻天皇を暗殺したのです。

結局、蘇我腹の有力な皇子がいなかったため、推古天皇を立てて「中継ぎ」としました。

 蜂子皇子って誰?

伝承として「崇峻天皇の3男」となってますけど、「日出ずる処の天子」では、初めての子のような扱いでしたね。

大伴小手子から生まれ、ゆくゆくは大伴氏を母に持つ天皇誕生という所で、蘇我氏からすると危機感があったのだと思います。

崇峻天皇暗殺時、聖徳太子がこの蜂子皇子を助け京都から船で日本海を渡って山形まで行き着いた・・という話は、東北出身の私も聞いた事がありません。

聖徳太子は、歴史上「暗殺」された唯一の天皇に対する思いがあったと同時に、蘇我氏への怒りを感じたのでしょうね。

ゆえに従兄弟の蜂子皇子を助けたと思います。

蜂子皇子は山形で出羽三山の開祖となり、人々から信仰を集めました。

顔が怖いのは人々の悩みや苦しみを聞いたのでこのような顔になったと伝承。

いやいや、「処天」に出てきたちょい役皇子が実は東北ゆかりの方とは驚きました。

そういえば、悠仁親王が生まれた時、出羽三山に龍雲が出たと話題になりました。

ですから、ご自分で「蜂子皇子」に興味をお持ちになり、自ら調べその地へ行かれたというのは、まるで導かれたかのように思われます。

悠仁殿下といえば理系を想像しますが、このように歴史も大変造詣が深く、またご自分で探求していこうというお気持ちがある。つまりこれが「帝王学」であるという事ですね。

(死ぬ前に一度行ってみたい)

そして悠仁親王参拝の折の八百万の神々の祝福が心に刺さります。

こういう感覚ってわかる人しかわからないというか。ほんの気づきなんですが。

明治神宮へ行った時に、本殿にさわやかな風が風が吹き渡り「ああ、神様がいる」と私は思いました。また、清正の井戸への道々は人が沢山歩いているのに、なぜか静でそこに自然界の偉大さを感じました。

そういう「天候」を感じたのは昭和天皇の大葬の礼の時です。

あの日は、朝から雪が降ってそれが幻想的で、日本中が悲しみを感じていた。

明治神宮ミュージアムで見た明治天皇大葬の礼の車列の模型。

私は高校の時に図書室にあった「大葬の礼の写真帖」を何度も見ました。

車列が何ページにも渡って写真になってて。正直、その時は退屈でそこは見飛ばし、

大正天皇、貞明皇后や昭憲皇太后の写真ばかり見てたんですけど、日本における天皇の「大葬」もやっぱり伝統行事であり、簡単に「簡略すべきものではない」と私は思っています。

あの模型が目の前で繰り広げられたら、どこの国の人だって「荘厳」としか言いようがないだろうと思うので。ゆえに私は上皇陛下の「大葬の礼はしないで」には反対です。

で、昭和天皇の大葬の時にテレビでそれを見る事が出来、やはり荘厳さを感じました。

ではなぜ悠仁親王は蜂子皇子に興味を持ったのでしょうか。

私は単純に「名前」だと思います。

「蜂子皇子」は「はちのこのおうじ」とも読みます。つまり蜂の幼虫ですね。

何でこんな名前を付けたのだろう。

私も「処天」で変な名前と思った口で。

っていうか、古代の皇族・豪族の名前は現代では理解しがたい名前が多々あります。

よく子供が「小野妹子」は男なのに「子」がついていると言って笑いますが、「子」という文字は中国では非常に身分が高い、あるいは「学識」が高い名前です。

中国では「子」を「ズ」と発音し、名前の上に持って来ます。「子○」って。

 

馬子も同様ですね。舒明天皇以降、皇子皇女の名は生まれた地名や乳母の氏由来になっていきますが、この時代は恐らくですが

 子を入れる

 蜂や馬、貴重なものの漢字を入れる

 唐とか漢とか、ちょっと外国人っぽい名前をつける

 漢字の意味より音を重視する

 地名を羅列した名前

があったのかなと思っています。

例えば聖徳太子は「厩戸皇子」ですが、当時の漢字の意味と今の漢字の意味では違っているかもしれないし、もしかすると発音が違うのかもしれないと感じます。

さらに「桜井皇子」「桜井弓張皇子」「星河女王」とか、非常にロマンチックな名前もあります。

また聖徳太子の子の名前で「馬屋古女王」という姫がいますが、これは「古」は「子」に繋がり、「馬屋」は「厩戸」に繋がるのではないかと思います。

要するに末っ子で最も愛された姫だったんじゃないかな。(漫画では恐ろしい姫ですが)

そんな想像をすると楽しいのですが、なんせ学者じゃないので論文にするわけにもいかず。

 

だから「蜂子皇子」は「蜂」という蜜もとれれば針もある強くて魅力的な昆虫のような強く生きてという願いがあったと。

ちなみに蜂子皇子の妹に「錦代皇女」という方がいて、これこそ皇女にふさわしい名前ですね。小手子と錦代皇女もまた聖徳太子に助けられて福島県まで逃れたのですが、皇女は途中で亡くなり、結果的に母と息子の再会はなかったようです。

 

悠仁親王のおかげで私達はものすごい歴史を知る事が出来ました。

北関東や東北というのは、なかなかこのような伝承が大げさに語られる事がない土地です。なぜなら「隠れ里」の意味もあり、大っぴらにすれば殺される危険性があったからでしょう。

でも今は21世紀ですから、このような東北と皇族の関りをもっともっと広めてもいいのではないかと思います。

 

 

 

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自民党が考えている皇族を残す案

2024-04-29 07:00:00 | 皇室報道

金沢で紀子様が送られた布の花束。素朴ですけど心がこもっていますよね。

現代ビジネスがまた紀子様に対し誹謗中傷記事を載せています。

こんなの自分だったら傷ついて公務する気も失くすのに・・・また体調を崩されたらどうしよう。宮内庁は何とかして下さい。

さて、GW明けから始まる、「皇統の危機」に対する様々な案。

しかし、ここで忘れてはならないのは、あくまでこれは「悠仁天皇以後」の話です。

決して「愛子内親王を天皇にする」という話ではないので間違えない様に。

悠仁天皇が子宝に恵まれ、沢山の子女を儲けられればそれでよしです。

 

で、今考えられているのは

 皇族女子を結婚後も身分保持する

これは、いわゆる「アン王女」型というか。

アン王女は自らは結婚しても王族ですが、配偶者には王位継承権はないし、身分も上がっていません。その子供達も同じです。

しかしながら王族の冠婚葬祭には全員しっかりとご出席し、花を添えるというか。

でもアン王女は家族の中では別枠ですが。

これを日本に適用すると、佳子内親王と愛子内親王、悠仁天皇の皇女がこれにあたります。

なぜ、こんな事をする必要があるか。

 総裁職などの保持には皇族である方が望ましい

と考えているからでしょう。もし、「天皇の補佐」を自民党が考えているなら、それは間違いです。

 天皇の補佐・代理が出来るのは皇后と皇太子のみ

悠仁天皇の補佐が出来るのは皇后と長男のみですから、女性皇族が無理に皇族である必要はありません。

悠仁天皇誕生の頃、愛子内親王や佳子内親王はかなり年取ってる筈だし、身位も下がる。それなら普通に降嫁した方が幸せでは。

問題なのは、その頃、大正天皇系の三笠宮2女王と高円宮承子女王がおばあさんとしているかどうか・・・税金の無駄遣いですね。

つまり問題点としてあるなら

 女性皇族の配偶者はどこに住むのか

 皇族費と配偶者の年収の兼ね合いは

 生まれた子供が男子の場合、皇位継承権を主張しないか

 女性皇族の公務がどれくらいあるか

という事です。

愛子内親王が誰か平民と結婚した時

・赤坂御用地

・都内の一軒家もしくはマンション

に住むの?降嫁ではないから一時金はおりません。

さりとて平民の男子が赤坂御用地に住む事は出来ない筈です。それを許したらもう「皇室」が皇室じゃなくなるから。

また、現在愛子内親王は総裁職が〇で皇后から受け継ぐものもなく、今後も出て来る見通しはない。

とするなら、「日赤で嘱託としてはたらく内親王」というだけの存在です。

(称号がどうのというけど、身位は大幅に下がってる)

この方を皇族として残す意義がなくなってきますね。

また、その頃小和田家は滅んでいる筈ですけど、その遺伝子を継いだ輩が「愛子様のお子様こそ次の天皇だ」と言い出したらどうするんでしょうか。

 

 旧皇族男子を宮家の養子にする

例えば、久邇家・賀陽家等の男子Aが秋篠宮家の養子に入ります。

その彼が結婚すると秋篠宮○○家。つまり寛仁親王家のようになります。

そしてAには皇位継承権はなく、結婚後生まれた男子に皇位継承権があるとわけ。

問題点は

 養子Aが結婚できるか、男子が生まれるか

 複数養子B・Cがいたとして結婚後、男子が生まれるか

 秋篠宮家の祭祀は誰が継ぐのか

という事です。

もし男子が生まれなかったら、もし女子ですら生まれなかったら・・・税金の無駄ですね。

 身位は?

 誰が皇族として教育するのか

今の宮内庁は正直言って、かなり皇族教育は難しいと思います。

この案を本気でやるなら、「専属」職員が必要であり、メンバーは旧皇族、旧華族から選ばないといけません。

どちらにせよ、難しい。

 

という事で、次は私の案です。

 宮内庁を「宮内省」に格上げし、旧皇族・旧華族メンバーを採用

さらに、「皇室典範」「儀式」「装束」「文化財」について徹底教育し、間違った情報を皇族に与えない事。

皇室では「身位」が全て、例外を許さず、余計な信仰を持たせず、公務の管理をきちんと行い、厳しく管理する。

緩み切った今の皇室を正すには悠仁天皇とその后には厳しいかもしれませんが、後々の事を考えて耐えて頂く

 旧宮家男子の中で、家柄・性格に申し分のない配偶者を持ち、男子に恵まれた家のみ、天皇の「猶子」として、悠仁親王の子供達の下に身位を授ける。

猶子というのは養子と違って、年齢が上でもあり得るし流動性が高い。もし、この猶子が不祥事を起こせば臣籍降下させることもできます。

また、猶子として「内廷皇族」扱いにし、称号をあたえる事も出来る。皇統譜記載によって改名もありえます。

 悠仁天皇の皇女を旧宮家と縁づかせて新宮家を創設

これは「二世皇族」とし、5世孫で臣下に降りること。

しかし、悠仁天皇に皇子ない場合、この宮家の長男を天皇の猶子として皇太子格にする。

 

宮内庁を改革しない事には、将来の天皇家もないのです。

ですから宮内庁に旧皇族・旧華族メンバーを入れてそれぞれの家に伝わる儀式や格式を学ぶ事は今から始めないと無理ですよね。

また反日勢力に取り込まれない様にする事も重要です。

天皇があるのは国家の為なのですから。

「日本」を守る為に、天皇という最後の砦は守らなくてはいけません。

 

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上皇后・華子妃・紀子妃様 三者三様のご公務

2024-04-27 07:00:00 | 皇室報道

まずお出ましのニュースから。

4月24日、上皇后陛下は一人で明治神宮ミュージーアムへ。

昭憲皇太后の大礼服を見る為です。

いくらお歳でも、もうマスク似合わないのでおやめになればいいのに。

この方程容貌が変わった方もいないでしょう。

私が小さい頃、美智子妃のファッションは憧れでした。

私もケープファッションをしてみたいと思ったものです。年齢が上がっても美しいと思っていたし。

でも、平成後期から急に容貌がお変わりになった。尋常じゃないです。

今や、今上夫妻は仙洞御所に来ないし、愛子内親王が時々行くだけ。

誕生日文書などでは親しくしていても、年に一度の一家の写真における親しさはなかったですね。

上皇后はとにかく自己愛が激しく強い方で、正田家の「お嬢様」から「皇太子妃」になって一見シンデレラになったけど、それは彼女の中のコンプレックスをより刺激するだけで、皇后になって以来、復讐が始まったんだなと思っています。

そもそも東宮御所を公務をしない年寄二人で占拠するなんて、普通はありえないでしょ。

でも、そうでもしないと気が休まらないんだと思います。

本当に家族を思えば、皇統を思えば秋篠宮家に特に目をかける必要があったのに、いつの頃からか耳が痛くなったんですね。

今回の大礼服を見るというのも、去年、京都で誰よりも先に見ているのに何で?って思ってしまう自分がいます。

皇統の危機を招いた元凶にしかみえない上皇后です。

 

こちら、華子さま。上野の森美術館へ。

常陸宮殿下が総裁を務める「日本美術協会」の代理でご出席。

華子さまはお若い頃から全然お顔が変わらず、そして華やかな装いがとても素敵です。特に帽子はいつも素晴らしくて、まさに「ザ・皇族」という感じ。

上皇后と華子様、そんなに年齢は違うのに、杖をついでもきちんと公務をこなされる。対して上皇后は杖をつくのが嫌いなのか、よろけようが構わず他人の肩に手を置く。この違いはなんでしょうね。

 

そして紀子様は石川県訪問。結核予防会の石川支部視察で金沢大学角間キャンパスや金沢大学附属病院を視察。

紀子さま「学習支援とは具体的にどのようなことを支援されたのでしょうか

宮田樹さん「ついていけていない生徒にも声をかけたりしながら支援しました」

宮田樹さん「子どもたちのために、勉強とか支援のほうも頑張ってくださいという言葉をいただけて頑張ろうと思った」

無量井文恵さん「ずっと真剣に聞いてくださって応援のお言葉もいただいたので、これを糧にこれからも頑張っていこうと思った」

この宮田さんと無量位さんというのは、2次避難してきた学生に学習支援をして来た人達です。

さらに3月に卒業し、輪島の病院で働く竹園看護師には、紀子様ら手芸クラブのお仲間特製の布で作った花束をプレゼントされたそうです。

これからも被災地のことを思い続けていますよという優しいお言葉とともに受け取りました。相手の立場になって考えられる看護師になりたい」

さらに附属病院でもお花のプレゼントがあり、どうやらブルーが医療の色なので、そういう花束だったようです。

紀子様は手芸クラブに入っておられるのですね。

「何かしたい」というメンバーの心をこうやってお伝えになる事も素晴らしいなと思います。

 

 

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愛子内親王 武蔵野陵へ

2024-04-26 07:00:00 | 皇室報道

 蓮の実の甘納豆を買いました。

姫ちゃん・・・気づいてくれるかな。

「蓮の実」といえば・・・「陳情令」って。

何で日本では蓮の実は食べないのかな。

愛子内親王が武蔵野陵を参拝しました。

10年ぶりですよ。その間に高校入学卒業、大学入学卒業、成年と様々な事があったのに、なぜ今?のタイミングでの参拝。

さすがに、ネットに毎日のように「武蔵野陵はいつ行くのか」と書かれたら、嫌でも参拝せざるを得ないですか?

正直、愛子内親王はピンクや白のような、膨張色は似合わないので、だからグレーだったらもっと引き締まって見えるかと思ったのですが。

・・・百合子様くらい老いて見えてしまうのはなぜだっ!!

まだ若いのよ。22歳なのよ。何が悪いの?何が!

この内親王は参拝専用の顔してますけど。

 また前髪が。

車の中よりも色が薄いグレー。

デザインは信じられない程シンプル。まあ、これなら引き締まって見えるね。

今回は襟足も何とか。

だけど姿勢が悪いというか。反面教師にしなくちゃ。若さの秘訣は姿勢。

でももうちょっと腰のあたりにくびれをつけてもいいかもしれない。

何で襟足剃らないんだろうか。

今時の若い人ってみんな襟足を剃ってるよね。

車内とは別人のような顔に見えてしまうのです。

 

前回、園遊会でつけてたネックレスは60万以上するものですから、今回の真珠もさぞや高価なものなのだろうと思われます。

ブローチも可愛いんですけど。

しかし、グレーにも色々色がある。

年上の佳子様。去年ですよ。ペルーへ行く前。

愛子内親王がつけているアクセサリーの方がずっとよいものだろうになあ。

何で若々しく初々しく見えないのか。

そりゃ、「愛子天皇」派からみれば「愛子様、美しすぎて涙が出る」んだろうとは思うけど、そういうカリスマ性が本当にあるか?と言われたら・・・(黙)

 

今週の週刊女性セブンによると、女性宮家が何とか成立しないと愛子様は結婚出来ないらしいんです。

で、どうせ結婚出来ないのなら、お仕事にまい進しようと、リモートもせず毎日日赤に通ってお仕事中。文章力抜群の力を生かして編集に携わっているそうです。

なぜ「女性宮家」にならないと結婚出来ないのか。

要するに「降嫁」するのは嫌だ。って事でいいんですよね?

 

とはいえ、政府が討議している女性皇族の身位保持というのは、あくまでも悠仁親王が即位された後の話なんです。

男性・女性に限らず皇族は「どの天皇から最も近い血筋か」という点で身位が変わってきますし、また「皇位継承権」の順位でも変わってきます。

今回、園遊会で紀子様→愛子内親王→佳子内親王だったのは、愛子内親王が今上の娘であるが、皇位継承権はないからなんです。

ゆえに皇嗣両殿下の方が上なのです。

 

そして、将来、秋篠宮殿下が即位されたら、紀子様→悠仁親王→悠仁親王妃→佳子様→愛子内親王→三笠宮家→高円宮家になります。

そしてさらに将来悠仁親王が即位されたら、悠仁天皇→皇后→悠仁親王の子→佳子様→愛子内親王になります。

今は「天皇の娘」であっても、将来「天皇の姪」「天皇のいとこ」になるに従って身位はさがる。

三笠宮家の女王、高円宮家の女王らは大正天皇に繋がる血筋になるので、悠仁親王が即位する頃には「皇族」でなくてもいいんじゃないか?と私は思いますが。

無論、その頃には紀子様が皇太后になります。

じゃあ、先帝の妃と娘はどのような扱いに・・・・・?

「源氏物語」風にいくと「○○御息所」「敬宮」で仙洞御所を別に与えないといけない面倒な事に。

そして「天皇の姉」になる佳子様(独身だったらの話ですが)はわりと強い立場になる筈です。

江戸時代まで遡れば皇后より上の扱いになる事だってあり得た。

 

そんな事言われないうちに降嫁された方がいいけどね。

だから、あまり身位について「愛子様の方が上」とか言わない方がいいと思います。

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2024年 春の園遊会

2024-04-24 07:00:00 | 皇室報道

やっぱり直前までは雨が降ってたんですね。

おでましは、やっぱり遅かったようなが来ます。

もっと派手な色でいいと思うんですよ。

何でこんなに淡い色になるかな・・・秋篠宮家は新調すべきです。

佳子様は華子様や信子様と歓談。楽しそうですね。

後ろの彬子女王はいつもこんな表情だけど、しっかりコンスって感じで。

そして、華子妃は早々にご退場。去年みたいなのは御免でですしね。

紀子様のつやつやのスーツは素晴らしいし、佳子様の何度も着ているこのオレンジ。帽子が可愛らしくて。

愛子内親王は少し緊張しているんですね。

佳子様にやたら話しかけてるシーンがありましたね。

何というか・・・両陛下を先に行かせて、秋篠宮が随分時間をおいて後に続いているんだけど、それでも追いついてしまうという位の長話っぷり。

いい加減、「あれ見てました」っていうの止めませんか?

「おおひばり」と北大路欣也に話していましたけど、1977年から8年に放送された学園ドラマなんですね。

そんなドラマを覚えている徳仁さん。ドラマ学でも専攻した方がよかったんじゃないかと。

その北大路さん。「愛子様の卒業と就職おめでとうございます」と言ってたけど、どうにも内親王が就職するって私などから見ると違和感のある言葉なんですよ。

で、皇后が延々とそれについて話すっていうのもどうかと思うんです。

いつまでも会話が続いてやめられない。

 

川渕さんとは、最初はバスケットやサッカーの話で盛り上がったけど、何かの拍子に言葉が詰まった皇后。それでおしまいという感じ。

無理に喋らなくていいのに。「これからも貢献して下さい」で。

 

横尾忠則氏の所では飼い猫の写真を皇后がお見せになったようで。

何でそんなチープな話になるのか。

横の秋篠宮殿下にはおのすごい哲学的な話をしていたのに。

猫と言えば愛子内親王は横尾忠則氏と猫について話したようです。

「一緒にいるのですか」と聞かれた内親王は「部屋は別です」とお答えに。

え?猫で部屋が別ってどういう事なの?

よくわからない。狭い家じゃないんだし。猫様専用の部屋でもあるの?

襟足・・・佳子様との違いがはっきり。

 

 弾ける笑顔。

人によって話しやすい、話しにくいはあると思うので、そういうのはおいおい学んでいけばいいとしても。

ファッションはもう少し若々しくしましょうよ。

佳子様の方が若く見えるって・・・・

飲み物も軽食もチープ。

この所外国人が「チープ」という言葉を連発しているんですけど、日本語的には「安っぽい」んですよ。

別に予算がないわけじゃないのに、何で以前のような料理を出せないんでしょうね。

 

 

 

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秋篠宮殿下 能登へお見舞いに

2024-04-19 07:00:00 | 皇室報道

 正直、こんな事メディアで取り上げる必要があるかわかりませんけど、

「日赤で愛子様は具体的にこんなお仕事してます」が発表されました。

 赤十字奉仕団や個人ボランティアに関する情報誌の編集

 ボランティアに向けた研修会の運営などを担当

入社して1か月も立たないのに、もう編集とか運営とか?

でも一番言いたいことは「新規採用された同期の職員と同じように先輩職員と一緒に仕事をしていて、元気に過ごされている」って事ですね。

わざわざ発表しなくちゃヤバイ何かがあるのかな。

日赤の人、「本当は違うのに」って思ってるかも。

秋篠宮さまが、さらりと能登の穴水町へ行き、被災した農家を励まされました。

ぶどう農家の前田さん。

殿下が総裁の大日本農会で表彰された方なんですね。

前田さんの義父が輪島で亡くなった事を聞くと

大変でしたね。おつらかったですね」とお言葉を。

殿下「ご自宅から外に出るのも大変だったでしょう」

輪島の米農家の川原さん「命があっただけでも幸せだったと思いました

何というか、まさか直接いらっしゃるとは思わなかったと・・・それが単身でさらっと来て、「あなたの事を忘れてはいないよ」とメッセージを送る。

これは大事な事ではないですか?

片付けるのが大変でしょう」と格納庫の荷崩れを心配。

心が折れている前田さん方にとって。殿下の登場は「今一度」の励ましとなった筈で。

何が何でも今一度立ち上がらないといけないと。

今は心が一杯でも、そのうち、ふと思い出しては力が湧いて来る。

そんな印象の殿下のご訪問でした。

ちょい反抗期の息子?36歳、お辞儀の仕方を覚えようね。

やっぱりね。

両殿下でお見舞いにいけないのは、両陛下が「3度目」を狙っているからですよね。だから殿下は総裁職を利用してさらっと、行かれたのだと思います。

服装も、ワイシャツにジャケット。これが普通です。

共に椅子に座り、膝を交えて語り合う事が大事だと思います。

お弁当が入った袋を持ち、被災者を椅子に座らせ、自ら跪く、どこか卑屈な両陛下とは違うなと思うし、また服装も、ちょっとした事ですがタートルネックのセーターとワイシャツではまた違うと思います。

秋篠宮殿下と繋がった方は、このようにずっとその後も見守って貰える。

素晴らしい事です。

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大人になりきれない愛子様 日赤は苦労する

2024-04-18 07:00:00 | 皇室報道

日赤が「愛子様に残業はさせておりません」と言われてから、ぱたっと、日赤での勤務風景の描写が消えた愛子内親王。

お仕事いってるんですか?私はもう飽きちゃってると思うんですけど。

八幡氏がPresident Onlineに書いておられるのでちょこちょこ引用しながら書きます。

「愛子様万歳」と叫ぶ人達にとっては

・愛子様美しすぎ

・神々しい

・頑張りすぎる

などという言葉をちりばめて褒めますが、私達普通の人間はもういい加減嫌になってます。テレビでコメンテーターが「すっかりお綺麗になられて」なんていうと、テレビ消しますよね。

なぜでしょうか?

そこに事実がないからです。

何人入れ替わってるかわかりませんけど、愛子内親王はどの場面を見ても「幼い」「あどけない(BY雅子)」には見えても「絶世の美女」には見えないでしょ。

どんなに美しかったダイアナ妃だってさすがに「絶世の美女」とか「神々しい」まで言われたことはありません。

 突如福祉に目覚めた内親王

愛子内親王の専攻は日本文学で、特に中世の歌人とか文学について勉強した筈なんですけど、日赤入社が決まった途端に「福祉に関心をお持ちだった」「人の役に立ちたいと思われた」と絶賛されました。

けれど、もしそうならコロナ禍で4年もの間、リモートやってますか?

「両陛下にコロナを移してはならない」使命感に燃えている事と、福祉に関心があるは相反した誉め言葉なんですよね。

 日赤への入社は親のコネ

そもそも、何の関係もないのに、突如親子3人で日本赤十字社を訪れて、さらに献花までするという、「滅多にない行動」をした方々。

恐らく、日赤への入社はこの頃から打診→命令になったのだと思います。

学習院大学の卒論も締め切りに間に合わず延長させた。その事を「何でも最後まで完璧にやり切る粘り強い内親王」と教授は褒めていたけど、これが一般人ならどうでしょうか?

ひっくり返せば「マイペースで相手の立場を考えない」人って事でしょう?

この時も父陛下がワゴン車に乗って学習院へ。

山岳会への出席をしたみたい・・と言われていたけど実際は面接だったんじゃないかと私は思ってます。

 なぜ「働く」のか

内親王には就職の義務も留学の義務もありません。

卒業後はいわゆる「家事手伝い」でお見合いしまくって降嫁するというのが、愛子内親王にとって最もふさわしい選択肢であったと思います。

なぜなら。

小さい頃から、やれピアノを弾いた。漢字が書ける、相撲が好き、チェロを習っている、スペイン語が得意、ネイティブな英語が話せると褒めまくりですが、国民は一度もその姿を見た事がないのです。

翻ってみれば、愛子内親王には人生の「テーマ」がないんですね。

好きな事、やりたいことがない。

それは母皇后もそうで、バブルの時代、親のコネで外務省入りしたら、学生でいる事を楽しみ、海外旅行を楽しみ、スキーをして贅沢する。そういう事が好きだから、天皇のクラシックやオペラ好きにはついていけない。

学ぼうともしないし、恐らく本当は本を読むのが苦手なんじゃないかと思います。

同じように内親王も、先日の雅楽鑑賞でも「衣装が素晴らしいですね」とおっしゃったそうで。3回目だよ?さすがにそれはないでしょう・・・せめて「私、雅楽の装束が大好きで」とか「楽器に触れてみたい」とか言うんじゃないか?と思うんですけど。

恐らく東儀秀樹氏の名前すらわからないんだろうなと思われます。

 

皇族というのは、人権がないです。

その代わり許されるのが「研究」です。

近代の皇族、特に男子皇族はいわゆる「オタク」っぽく学問を究めて霞を食べているような人が多々いました。

では女性皇族は?というと、多くのお妃が上流階級における社交と福祉に力を注いだわけです。紀宮殿下は盲導犬に興味を持ち、また鳥の研究もされていましたね。

眞子様は美術、佳子様は手話で今やネイティブな手話がお出来になります。

それだけ集中的に学ぶ時間と機会に恵まれているということです。

紀子妃殿下も子育てをしながらも学問を究め博士号を取られました。

では愛子内親王は?

恐らく、親としてはこれ以上勉学させても、本人がついていけないし嫌がっているんだろうという思い、頭を抱えていたろうことはわかります。

留学させようにも海外で「将来女帝になるの」と言っても納得されないだろうし、受け入れて貰えない。

ならいっそ働かせる・・・という選択肢になり、そこでコネの効く日赤に入ったと思われます。

好き嫌いもなく親の言う通りに就職(あくまで嘱託)してしまう内親王には「自立心」というものが一切みられません。

「自分」がないのです。

与えられるものに反応はするけど、「これが好き」というものがない。

反抗も出来ない。恐らく就職の交換条件としての「静養」があるんだと思いますけど。

そもそも「5日間も連続して出勤された」と爆上げされる事が異常。

内親王と同い年の人達は、当たり前にやっている事。

なんなら就職だって自分で探している。

週刊誌が書くように「毎日外に出ることがすごい」状態の内親王ですから、+明治神宮参拝や雅楽鑑賞は前代未聞の「頑張りすぎ症候群」という事になるでしょう。

 

 日赤では・・・

ここから八幡氏の文章を引用すれば

関係者によると、愛子さまの場合は厳重警備のため、最初の1週間、通用門の一部閉鎖、夜間の裏口の閉鎖、宅配業者などの立ち入り禁止、勤務されている部署への一般人立ち入り禁止などが実施され、現場では戸惑いがあるようだ。

その後、宅配便の扱いなどは少し緩和されたようだが、いまのままの状態は続けられず、バランスをどこで取るか苦慮しそうだ。  

現状では、同じ部署の同僚との接触に留まっているそうだが、せめて、他の職員も気軽に声をかけられるようにしないと、愛子さまが気の毒だ。」

となってます。

これって学習院とすっかり同じ状況ですね。

なぜこういう事になるかと言えば

 愛子内親王の実情を知られたくない

 天皇の一人娘だから格が違う扱いをしろ

こういう事なんですよね。

学習院の子や親なら「しょうがない」で済むけれど、同じ職場にいる人達にとっては迷惑千万。

あっという間に退職しますよ。

今の人達は躊躇しないから。

無論、同じ職場の人が全部どこかの学会の人なら「苦行」と思って耐えるんでしょうけど、大人がこんな閉じ込められた空間で仕事が出来るかって思いませんか?

もう来ないでよ~~状態だと思います。

 

次に来るのは「パワハラ」「モラハラ」で出社拒否になる事でしょうかね。

誰がターゲットになるだかという感じですが。

お疲れで「出社できない」方が世間の為だと思います。

 

22歳にもなって「自己」を持たない女性を箱入り娘とは言わない。

親の操り人形になっている内親王が気の毒ですね。

 

 

 

 

コメント (13)
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上皇陛下と島津家

2024-04-16 07:00:00 | 皇室報道

もう色々な方がブログで書いていると思うので、改めて書く事もないのではとは思うのですが。

4月13日、上皇夫妻と秋篠宮両殿下・佳子様は霞会館で開かれた「島津家ゆかりの会合」に出席。

今までも出席されてきたとは言われていますが、報道は初めてではないでしょうか。なにゆえに、報道されたのかと思います。

島津家・・・というのは、香淳皇后の母君、俔子妃殿下の御実家になります。

当時は公爵家。

 非常に大礼服が似合う方。でも小柄なのかな。

頭上に輝く三日月のティアラはどういうものなんだろうなと思った事があります。

一見して裕福そうに見えますけど、久邇宮家は賊軍の家柄に当たりますので、結構「お手元不如意」と言われていました。

上皇陛下は香淳皇后の息子ですので、外祖母に当たるのが俔子妃という事になりますね。

戦後は皇籍を離脱。昭和31年に亡くなられました。

後に、清宮様が島津家に嫁ぎ、絆はより強いものになったと思います。

このいお二人は「はとこ」の関係なんですよね。

 

つまり、皇室の中には脈々と島津家の血が流れているという事になります。

ところが、この会に招待されなかった人達が。

そう、天皇家の3人です。

前日に能登へ行ったとはいえ、そんなに「疲れて死ぬわ」って程でもなかったのに、お断りしたのか最初から招かれなかったのか。

霞会館の方々からしたら「来なくてほっ」でしょう。

ようやく、雅な一日を過ごせるわ~~という感じで。

佳子様のお見合いが含まれていたらいいなと思うのは私だけかしら?

 

しかし・・・今回、これが報道された背景を深読みすると、何となく見えて来るものがありませんか?

そう。11日に小和田家が皇居に招かれて愛子内親王のお祝いをしたというニュースです。

徳仁天皇にも島津の血は流れている筈。それは愛子内親王にもです。

しかし、今回、その血筋からは完全に排除され「今上一家は小和田家の血筋」と決まったように見えてしまいました。

 

元鹿児島藩主で公爵家の島津家と、久邇宮家。元華族と皇族の中に天皇一家は入らないと言う事です。

これは誰が考えたんでしょうね。

実は美智子様は、平民の正田家の血筋で、やんごとない家とはかかわりがない、新興ブルジョア出身です。

だから、当然、入内の時には大反対されたし(今なら私も反対する)

お蔭で美智子さまの「旧皇族・旧華族嫌い」はすさまじいもので、完全にその人達からはそっぽ向かれて、ゆえに黒田清子さんの嫁ぎ先も決まらなかったという経緯があります。

それ以上に「血筋を誇る家が大嫌い」なの雅子皇后で、3代前が不肖であり、小和田はまだしも、江頭家の血筋というのは世界的に認められていない。

 

小和田家が皇居に招かれた直後に「島津家とのゆかりの会合」に参加された上皇夫妻には何等かの意図があり、それゆえに一層天皇家は孤立するでしょう。

 

正直、退位後、こんなに大事にされないというのは美智子さまの中にはなかったと思うんです。

二重権威と言われても、「私達は天皇より上」という意識は高かったと思うし。

だから最初は一般参賀にも出たし、天皇夫妻もしょっちゅう仙洞御所に挨拶に行っていた。

しかし、今年からはそういう事もなく。むしろ、雑誌にバッシングされた事で余計に外に出にくくなった。まさに「美智子さま封じ」に成功した小和田家なんですよ。

こうなると伝家の宝刀っていう感じですかね。

しかし、上皇后陛下。せっかくの会合なのに平服というのはどういう事でしょう。「和服の方が楽」だったんじゃないですか?

せめて洋装でも明るい色を着るとか。

まるで着たきり雀になっています。

そういうマナー力も衰えてしまったんだろうかと思うとね。

でも会合に参加した人達からみれば「美智子様は私達を軽く見てるわけ?」って思うでしょうね。

「盛装なんかしない。平服で十分よ」と思われているんじゃないかと内心ではカチンときたひと多数だと思います。

 

色々なお遊びに出たり出なかったり、全然整合性がとれなくなってきた上皇夫妻ですけど、仙洞御所は広すぎるのではありませんか?

 

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佳子様 明治神宮参拝

2024-04-13 07:00:00 | 皇室報道

 さあ、オオトリは佳子様です。

ギャラリーの数が全然違う。暖かいっていうのもあるけどやっぱり

「佳子様みたいっ!」って感じですよね。

佳子様もにこやかで、お帰りの時はギャラリーにご挨拶されて・・・美しい。

参拝の仕方も非常にシンプルっていうか、変にお辞儀をしすぎないっていうのが大事なんですね。

私も行きたかったなあ・・・佳子様の美しさを肌で感じたい。

しかも玉串を奉納する時に、葉っぱが舞い踊って非常に神様に愛されているなと感じました。

「神々しい」とか「涙が出る」という表現は佳子様にこそふさわしいと思います。

 

 

さて、その頃紀子様は・・・・近くの明治記念館で「第56回愛育班員全国大会」にご出席。

能登地震について

多くの人々が命を落とし、今も困難な暮らしを送っている方々が数多くいらっしゃいます」

「講演をお聞きして、被災された子どもやその家族、また高齢者などへ思いをめぐらしていくことができましたらと考えております」

と、お言葉を。

 

 

ええっと・・・両陛下の能登行きの飛行機、機体トラブルで乗り換えだそうで。

2度目ですわね。大変ですね~~~

コメント (6)
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