ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

皇室ウイークリー

2018-12-29 08:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

12月21日・・・天皇陛下 → 通常業務

12月23日・・・両陛下 → 天皇誕生日につき諸行事

12月25日・・・天皇陛下 → 通常業務

12月26日・・・天皇陛下 → 信任状奉呈式

       両陛下 → 外務省から進講を受ける

12月27日・・・両陛下 → 午餐会(皇族・元皇族・旧皇族)

              赴任大使夫妻とお茶

       天皇陛下 → 赴任大使に会う

 

皇太子同妃両殿下

12月23日・・・皇太子殿下 → 天長祭の儀

                天皇誕生日茶会

       両殿下 → 祝賀の儀、お祝い御膳、宴会の儀、一般参賀

       愛子内親王 → 天皇誕生日につき祝賀

12月25日・・・皇太子殿下 → 大正天皇例祭の儀

12月26日・・・皇太子殿下 → 外務省から進講を受ける

12月27日・・・両殿下 → 午餐会

 

秋篠宮家

12月23日・・・両殿下・眞子内親王・佳子内親王 → 祝賀・宴会の儀、茶会の儀

                          一般参賀

       悠仁殿下 → 祝賀

       両殿下 → お祝い御膳

12月24日・・・両殿下 → 第62回日本学生科学賞」中央表彰式出席,受賞者との懇談及び入賞作品を見る

12月25日・・・両殿下・佳子内親王 → 大正天皇例祭の儀

       両殿下 → 外務省から進講を受ける

12月27日・・・両殿下・眞子内親王・佳子内親王 → 午餐会

 天皇陛下は風邪気味で祭祀をお休みしているのに茶会だ午餐だと、そういうものはおやりになる。祭祀は寒いし大変だし。それはわかってるけど、だったら静かに全てを慎むのが普通じゃないのかと思います。

 12月28日に皇太子一家は六本木などのイルミネーションを見物。またこういうお遊びが始まったのか…次回は信号操作しながら進むんでしょうかね。

  悠仁殿下は一般参賀に交じって未来のご自分を見ていらっしゃいます。

KKに始まりKKに終わった皇室の1年。締めくくりは壮絶な紀子様叩き。

これはもう皇室ではありません。

思えば「元号」というのはいつも突然終わりがやってきて、突然変わるものでした。

ある時は「縁起がいい・悪い」「〇〇が起きたから」「帝の死」など、突然のことです。

こんな風に次の年の〇月〇日より新しい元号になります・・・なんていうのは日本の歴史始まって以来かもしれませんよね。なぜそうまでして。

元号ってものすごく大事なものだし、それが15年であっても64年であってもそれは一つの時代であるし世代でもあります。それを自ら予定の中で変えて行こうとすること。国民の為でもなく祟りを鎮めるでもなく、心機一転でもない。

単に「全身全霊で公務が果たせないから」というひどく自己中心的な理由で元号を変えるんですから、今上は本当にお偉いのねとしかいいようがありません。

誕生日記者会見での皇后賛美にしても、自分はずっと孤独の中にいて、それを支えてくれたのは皇后一人であると言わんばかりでした。天皇が天皇としてあるのは、それを支えてくれる人達がいるからだし、何より国民の為に存在している事に価値があるというのに。

来年は景気が悪くなるんですって。世界的にね。そういう時代に新しい天皇の代がやってくるんですね。

              

 

 

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ふぶきの部屋恒例 2018宝塚大賞

2018-12-29 07:00:00 | 宝塚コラム

今年もそんな季節がやってまいりました。

ふぶきの独断と偏見による宝塚大賞です。東京公演がメインなので「ファントム」は含まず、そのかわり「ひかりふる路」が入ります。

 

 最優秀作品賞・・・芝居部門 → 「ANOTHER WORLD」(星組)

 全体的にストーリーがまとまって、様々な落語のセンスがうまい具合に入り込み、素晴らしいコメディ作品になっていました。日本物としてこんなに面白い芝居は「恋さわぎ」以来じゃないかしら?と思います。

 

          次点 → 「ひかりふる路」(雪組)

 少々ストーリー展開やセリフに矛盾はあるものの生田大和の傑作といえるでしょう。楽曲のさよがそれを助けたけどそれは演出家の成果ではありませんしね。

 

         ショー部門 → 「BADDY」(月組)

 上田久美子のデビュー作でしたが、少ない予算の中で素晴らしくレベルの高いショーをつくり上げました。ストーリー性にも富んでおり、現代社会に皮肉を言う余裕も。今後も上田久美子には期待します。

         次点 → Killer  Rouge(台湾バージョン)

 ほぼ1年間、斎藤吉正作品で始まって終わった星組。です。大劇場で見た時はめちゃきちゃ雑多な感じがして「なんじゃこれは?」と思ったけど、青年館で見た時は、同じ作品でも随分進化したと思いました。

西城秀樹の曲が1曲だけになって代わりに入ったナンバーがよかったことと、台湾の曲が入ったことが評価できました。 でも本当は星組めんーあのノリのさよでもていたのも時事ですが。

 最優秀男役賞・・・望海風斗 → 「ひかり降る路」ロベスピエールの演技に対して。

 最優秀娘役賞・・・愛希れいか → 「BADDY」のグッディの演技に対して。

         次点 ・・・綺咲愛里 → サンダーボルトファンタジーの演技に対して

「「

 最優秀助演男役賞・・・美弥るりか → 「雨に唄えば」の演技に対して

              天寿光希 → 「ドクトル・ジバゴ」の演技に対して

 最優秀助演娘役賞・・・憧花ゆりの → 「カンパニー」「エリザベート」の演技に対して。

             

 新人賞・・・風間柚乃

 最優秀歌唱賞・・・望海風斗仙名彩世

 最優秀ダンサー賞・・・水美舞斗綺咲愛里

 最優秀脚本賞・・・谷正純(anotyer World)

            上田久美子(BADDY)

 ワースト作品賞天は赤い河のほとり(小柳奈穂子)

 

今年の宝塚を振り返って

 

 花組・・・今年は華々しく「ポーの一族」で幕を開け、明日海・柚香路線が決定し、さらに水美舞斗のプッシュも加わってド派手な「ビジュアル系」の組になりました。全ての組の中で最も長期政権となっている明日海りおですが、何かが急激に進化したわけでもなく上手になったわけでもなく、いつまでも芯枚トップのような初々しさを持つ稀有な人です。そんな明日海が3人目の相手として選んだ仙名彩世は先に退団することに。4人目がどうなるかわかりませんけど、いつも大作をあてがわれ、美しい部分だけを見せられても、観客はそろそろ飽きるのでは?

確かに柚香光はビジュアルはどうであれ、演技力がイマイチ。それを補ってあまりある水美舞斗とのコンビは長い花組の歴史の中でも定番の「男役同士がコンビで娘役いらず」になってしまうことは言えると思うのですが。

2019年もずっと明日海りおはいるようですし、6年目くらいになるんでしょうか?和央ようかと肩を並べてしまいます。とはいっても今の花組は誰がトップになっても「ビジュアル系」という底の浅い組であることに違いはないのですが。

 

月組・・・珠城りょう率いる月組はどちらかというと、凡庸なトップの脇に芸達者でカリスマ性のある愛希れいかと美弥るりかがいてこそ成り立ってきたわけですが、その愛希れいかが退団し、果たして組をまとめていけるのかと心配になります。

珠城りょう自体は性格もよさそうだし、誠実そうではありますが、組を引っ張っていく強烈な個性がない。「カンパニー」の青柳が最も似合うなんて男役にあるまじきことだったんじゃないかと?欠点も多い、それを補う若手は多々いるけど今の月組では頭を出しにくいんです。なぜなら、若手が実力を出すとトップが消えてしまうからです。

今年、大ブレイクした月城かなと・風間柚乃の演技派と美弥るりか・暁千星の正統派二枚目を競わせてこそ面白い組になると思うのですが。芸達者の若手や中堅が多いのに、トップをたてることに終始しなくてはならないのは気の毒です。

今年のラストを飾った「エリザベート」において珠城りょうはやっぱり凡庸であると示してしまったわけですし。相手役が美園さくらになってどうなるのか。

組カラーが統一されないばらばら感が出て来たなと感じています。

 

 雪組・・・望海風斗・真彩希帆コンビ率いる雪組は「ひかりふる路」で最強の組であることを示しました。コンビが両方とも歌唱力とビジュアルに優れているというのはまれなケースだと思うのですが、おかげでしっかりと求心力がつき、雪組はまとまっています。組替えになってきた朝美絢は精一杯の個性を発揮、それにつられて若手も頑張るという図式が出来上がって来ました。

ただ、2番手の彩風咲奈が頼りない。演技の引き出しがないのはわかったけど、さらにどんな個性があるのかわからなくなってきました。彩凪翔は女役もこなす大人のエンターティナーになってきているんですけどね。出来すぎトップの組の悩みはそれに組子が頼りすぎて成長しないことです。

何とか若手を育てて欲しいのですが。

 

 星組・・・1年間お祭り騒ぎだったのが星組です。大劇場公演では日本物のコメディにのぞみ、これが紅ゆずるのキャラによく似合って成功。ショーの方はさらにお祭り騒ぎに拍車をかけた感じで。台湾まで駆け抜けた印象があります。技術的には5組の中でもっとも何も出来ないトップスターの紅ゆずつるですが、それでも彼女がイケイケムードをつくり、組子がのびやかにキザって観客を喜ばせるという星組伝統のパターンで乗り切りました。

二番手以下安定していますが、七海ひろきの退団が惜しまれます。

 宙組・・・新トップの真風涼帆と星風まどかコンビでスタートした宙組ですが、2番手時代に比べると輝きが薄れたトップに見えます。朝夏まなとあっての真風だったのかと思い。あまり作品に恵まれたといえないけど、トップコンビにぎくしゃく感がいなめませんし、愛月ひかるの専科行きでますます薄くなりそうな組ですよね。

毎年、来年こそは宝塚を控えると誓いながらやっぱり見にいくんですよね。やっぱり切り離せない関係なのかな。

来年も、平成と宝塚の関係を完結したいと思いますし、「ファントム」の観劇を楽しみにしています。今年も1年、ふぶきのヅカ話に付き合って頂き、ありがとうございました。

 

 

 

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皇居で昼食会

2018-12-28 07:00:00 | 皇室報道

 12月27日、皇居で恒例の皇居で昼食会が開かれました。

皇族方&元・旧皇族方30名を招いての昼食会。

天皇陛下は風邪気味だったんじゃないの?祭祀は休むけど・・・ってこと?

参内する皇太子夫妻。雅子さん、先日の天皇誕生日の茶会には出なかったのにね。

自分が優位に立てる場所には出るのかしら?

参内する眞子内親王・佳子内親王

なぜに秋篠宮両殿下の写真が出てこない?もっと後なの?って感じです。

誘導的なコメントは削除させていただきました。

ご了承ください。

眞子様の公務の態度を見ていれば、小室云々は勝手にやってくれという気持ちです。

週刊誌を鵜呑みにして「眞子様はKKに執着している」と思うのはどうかと。

色々眞子様に厳しい意見も多いのですが、27歳の女の子というのはプライドが高いのです。自分が男にだまされたとか、自分に見る目がなかったことを認めるのが嫌なだけです。

もはやご本人も結婚したってうまくいかないのはおわかりのはず。

でもそれを認めることは死ぬほど恥ずかしいことなんですよ。それを認めるとか、なかったことにするのに数年はかかります。だからこれこそ温かい目で見るべきでは。

それと悠仁殿下に友達がいないというのもあくまで新潮がそう書いているだけで、友達がいないわけないじゃないですか。

教育係りといってもそもそも帝王学とはなんですか?

皇太子は帝王学を学んできたのではありませんでしたか?浜尾さんは皇太子を育ててきたけど、最後は葬儀に出るでもなく花を贈るでもなく、今のていたらくです。

今時、「将来の天皇を育てる」ことが出来る人などいますか?いないでしょ?

だって「天皇」の概念こそが変わっているのですから。

皇族の概念も変わっています。戦前なら外で働く内親王なんていませんでしたよ。

「やんごとなき」姫君は御簾の奥でチャリティにいそしむもの。皇子は軍務につくか勉強三昧するか・・・平成の中でただ一人の未成年の親王は一体何を学ぶべきなのでしょう?

学習院以外の学校には入るべきじゃないなんて言われて、学問の自由さえ奪われている。

現代、内親王は公務をしながらも外で形だけ働くか研究するかの道。

では親王は?天皇になるべき親王は?もし悠仁殿下に弟がいたら彼こそどう生きるべきでどう教育しろとおっしゃるんでしょうか?

誰も答えなんか出せない。だからこそ書きたい放題悪口を書けるともいえます。

悠仁殿下は一般の小学校に入り、その中で精一杯親王として生きていらっしゃると思います。あの年齢で毎年戦争のことを繰り返し教え込まれるのは苦痛でしょうがないはず。

太平洋戦争なんて悠仁殿下からみたら歴史の1ページでしかないし、リアルに感じることなんか出来ません。あの戦争が本当はどういうものであったかを知るのはもっと大きくなられてからの話。

今は花をたむけて下さって、見学して下さってそれだけしていただければ十分です。

 

「アシガール」の若君のように態度一つでついつい頭を下げたくなるような人に育って欲しいです。(余談ながら「アシガール」SP面白かったですが、あの戦国時代言葉で「世話をかける」「励め」といわれたら思わず「ははっ」って言っちゃうもんね)

 

眞子様の恋も眞子様ばかりを責め、両殿下を責めるけど、本来、眞子様が皇室を出たいと思うきっかけを作ったのは皇太子一家であり両陛下です。

しつこいけど悠仁殿下をご懐妊時のバッシングのあまりのひどさ。皇太子一家のありようが思春期の内親王に与える影響は大きいと書いてきました。

ある意味、予言が当たってしまい、だけど解決策もない状況。身内の身になればわが子を見守るしかないんです。耐えて耐え続けて、尚且つなんでこんな思いをしなくちゃいけないのか、一生懸命に子育ても仕事も頑張って来て、なぜ責められなければいけないのか。

毎日、祈るしかないんです。「内親王をわが手に返して」と。

だからどうかこれ以上は眞子様に関しては静観して欲しい。

紀子様は少しお休みになったほうがいいでしょうね。

川嶋家への里帰りもままならない日々を送っているのですから、少しご実家ですごされるとか。いなくならないとその価値がわからない。そういうものですしね。

誰か総理に根回しできないものでしょうか。

 

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週刊新潮に怒りを抑えられない

2018-12-27 07:00:00 | 皇室報道
朝からショックでショックで、紀子様がかわいそうでかわいそうで。
こんなかわいそうなのに私達国民は何もしてあげられない。
悠仁殿下が生まれた時のバッシングを上回るバッシング。こんなこと二度と許さん!と怒っていたのに、結局、今回も何も出来ず。
 
 
天皇陛下がご憂慮! 緊迫する「秋篠宮家」への諫言
▼朝礼から職員が逃げ出して「紀子さま」朝令暮改の度が過ぎます!

▼「身の丈」を口にされた「秋篠宮邸」増改築に33億円!
▼ご学友不在で「悠仁さま」帝王学の危機

 

あまりにひどい内容でレポしない・・っていうか買えませんでした。雑誌。

売り上げに貢献するのがたまらなく嫌で。

記事は今までの職員が長続きしないということをさらにオーバーに書きたてたもの。

侍女が1週間で辞めたの、やりすぎだの、天皇陛下は憂慮している。全て紀子様が悪いの一点張りです。

それだけじゃありません。秋篠宮邸の改修費33億が、「自分で身の丈にあった祭祀を」って言っておきながらなんだ的な?

はあ?じゃあ、隠居するはずの上皇・上皇后が何で東宮御所に住むんだよ!何億使う気だよっ!秋篠宮家が本来、住む場所でしょうが。

しかもしかも、悠仁殿下には友達が一人もいなくて、いつも職員と遊んでいるけど、ゲームに負けるとかんしゃくを起こすからいつも職員がまけてやってるとか。

不登校で友達いないのは愛子内親王ではありませんか!!

なんでこんなにうそばかり書くの?

私が紀子様なら自殺してます。いや、一家心中しろといわんばかりの書きなぐりぶりに名誉毀損で訴えられない宮家がかわいそう。

雅子さんのことは全部事実じゃないですか。どんなにバッシングされてもそれは事実だし、ヤフオクだって抗精神薬の話だって全部事実じゃないですか。

なのになんでまじめに公務に励んでいる秋篠宮家の悪口は許されるのか?

確かに宮様が「身の丈にあった」と発言されたことで宮内庁の怒りに火がついたのだろうと思いますが、自分たちの怠慢をかさにきて皇族を貶めるなんて言語道断です。

もうね・・・いいよ。秋篠宮様、皇族なんか辞めて一般人になったほうがいい。

命を守るためならそのほうがいい。皇室はいずれ滅びます。

せめて、妻の名誉を守って欲しいいし、それが出来ないなら紀子様を解放してあげて。

皇后も雅子さんも天皇ですら出なくなった祭祀を秋篠宮家はこんなにしっかりとやっているのに、公務だってどれほど頑張っておられるか?

眞子様と小室?眞子様があんなのにひっかっかったくらいで眞子様の名誉に傷なんかつかないし、眞子様はご立派です。

佳子様だってどんなに嫌な思いをしているか。

そしてあの頃の眞子様たちと同じ年頃になっている悠仁殿下をまたも傷つけるようなことをして、社会がそんなことをしていいと思っているのですか?

眞子様たちの進学やその後の人生に大きな影を落としているのは、いじめて貶めて宮家の誰も庇わず、真実を語らなかったからですよ。

あの時の失敗をまだ繰り返すの?悠仁殿下は字が読めるし雑誌だって見られるでしょう。

あんな風に書かれてどんなに傷ついているか。

皇嗣なんてうそ。ただのスケープゴートです。

反日だらけの日本は秋篠宮家が憎くてしょうがないし、八百万の神は救わないんです。

2000年の歴史の中で理不尽に死に追いやられた皇族は多々います。

マスコミによる惨殺ともいうべき、秋篠宮への貶め。

誰か、何とかして欲しいです。本当に本当に何とかして。

 

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宝塚歌劇にとっての平成とは何だったのか  4

2018-12-26 07:00:00 | 初心者の為の宝塚講座

 宙組誕生

平成10年、宙組が誕生しました。

かねてからの1組あたりの人数の多さ、若手が活躍できないこと、そして東京通年公演を行うための新組創設でした。

その前年には東京宝塚劇場が閉じて、そして宙組発足に向けておおがかりな組替えが行われ私達はびっくりしたり期待したり、がっかりしたりしたものです。

宙組のトップスターには姿月あさと(月組)娘役トップには花總まり(雪組)二番手には和央ようか(雪組)3番手には湖月わたる(星組)4番手には朝海ひかる(花組)という陣容。

じゃあ、これで何か他の組の陣容が大きく変わったのか?というそうでもなく。

花組 → 真矢みき・千ほさち・愛華みれ・匠ひびき・伊織直加

月組 → 真琴つばさ・檀れい・紫吹淳(星組)・初風緑(花組)

雪組 → 轟悠・月影瞳(星組)・香寿たつき(花組)・汐風幸(月組)

星組 → 麻路さき・星奈優里(雪組)・稔幸・絵麻緒ゆう

一番影響を受けたのは雪組で、こののち1年もたたないうちに朝海ひかるが宙組から組替えで来ることになり、月組の樹里咲穂が宙組みへ移動する。

宙組はトップから3番手までがめちゃくちゃ背が高く、1000days 劇場で見ると非常に映えるものでした。

けれど、プレお披露目の香港公演からして出来が悪く、発足したばかりで息がなかなか合わず、それぞれの組カラーがごっちゃになって、殺伐とした空気を出していたのも事実です。

姿月あさとは自分がトップになりたかったわけではなく、だから組を引っ張っていくというのがとっても重圧だったようですし、花總まりは肉食系というかどこまでも追求するタイプ。二人の間の温度差が激しかったというのはあるでしょう。

また、どういうわけか新人公演を経験主演を経験したり、組替えすると退団するみたいな流れが出来ていたり、才能ある娘役が活躍の場もないままに退団していく姿を多々見せ付けられ、20年経っても落ち着かない組だなと思います。

組にはそれぞれカラーがあり、

花組 → ダンスの花組(今や・・トップが踊らない花組)

月組 → 芝居の月組(トップが大根の組)

雪組 → 日本物が得意な組(万能すぎるトップに頼りすぎの組)

星組 → コスチュームの組(これだけは伝統として残っている)

当時はこんな感じですが、じゃあ宙組は20年経ってのカラーは?と聞かれて・・・何と答えたらいいかわからない。せいぜい「見た目の宙組」というところでしょうか。

いまだに生え抜きトップが出ない組です。

宙組誕生によって東京通年公演が実現したのですが、公演期間が1ヶ月から1ヶ月半に延びました。最初は嬉しいと思っていたんです。チケットが取り易いし。

でも、おかげで1年で1組が2公演しか出来なくなり、これはトップスターの寿命の短さを考えると大きな問題でした。

またパンフレットの表紙からジェンヌの顔が消えたのも悲しい出来事。これによって堂々とパンフレットを見せて歩けるという人もいたけど、やっぱり違和感が。

脚本掲載、特にショーの脚本掲載がなくなったのも大変悲しいことでした。

戦前のような脚本集があるわけでなし、一度、バウの脚本集が出たことがありましたがそれっきりでしたね。

平成10年から、様々な古きよきものが消えて行き、削減されていくのでした。

 

 音楽学校移転

音楽学校が移転したのもこの年。

宝塚音楽学校といえば、早朝に看板を出し、稽古場をガムテープで掃除する、廊下は直角歩きでというのが特徴のようですが、そんな風になったのも昭和の「ベルばら」以降の話。大昔は非常におおらかで先輩後輩の差もあまりなかったらしいです。

新しい音楽学校になって看板だしはなくなったようですが、この時、学校の目の前に建つマンションに反対運動が起きました。

宝塚という街は今も昔も、一定のカラーを大事にしようとしない傾向があります。

歌劇と温泉と競馬場が同居している稀有な街。だったらその情緒を守るべきだと思うのですが、そういう意識が全く無いんですね。今時、歴史ある街はそのムードを守ろうとして店構えなどもレトロにするものなのに、どんどんマンションを建てちゃって。

音楽学校の目の前に建つマンション建築反対運動が起きた原因は、マンションから教室が丸見えになることだったと思います。今はそういう問題は解決したのでしょうか?

宝塚駅はJRでも阪急電車でも新大阪からは結構遠いし(っていうか、今回は特急電車ばかり乗ったんですけど、座れないっ!)宿泊するホテルが少ないので、それが集客に大きな影響を与えていると思いますけど、いまだに改善されませんよね。

周りから浮いているのが今の宝塚大劇場です。平成は本拠地の風景をあっさり変えてしまいました。

 

 植田理事長の誕生

平成8年、初の演出家出身理事長が誕生。

それが植田紳爾氏です。演出家出身だからさぞや宝塚のことを考えていろいろやってくれるんだろうと思ったら、やったことは大掛かりなリストラとえこひいきたったと記憶してます。

とにかく大劇場の稼動率を上げることに力を入れて、それがファンにも伝わって来るというか、入り出にいるファンの人数、お茶会の人数で番手が決まるとか、修学旅行生の積極的な取り込みとか、今にいたるあらゆることをしています。

また大道具とか小道具にお金をかけることをやめて、1週間かかるものを3日に仕上げろとか無茶振りもやっていたんですよね。

えこひいき・・・という点に関しては見方も様々だと思うのですが、稔幸のあとに彩輝直をトップに据えようとあれこれ動いたけど結果的に駄目だったというのはあります。

また、トップの若返りをはかるための「1作退団」を断行したのも理事長で、その犠牲になったのが匠ひびきと絵麻緒ゆう、そして貴城けいでした。「天海祐希は研10でやめている」とかわけのわからないことを言って、「時代が違うだろ」と大ブーイングされてました。

でも平成10年あたりからというもの、理事長始め古参の演出家がヒット作を作れなくなっていました。この頃から平成20年くらいにかけて不作が続き、特にショー作品はなかなか新しい動きが出てきませんでした。

今でもスカイステージでその頃の作品を見ますがやっぱりひときわ冴えないですよね。

組子の人数も100人からいきなり60人程度になり、フィナーレが短くなりスカスカ状態で、ああ、宝塚ってやっぱり人海戦術なんだと思いました。

それがよくわかるのが平成9年花組の「サザンクロスレビュー」と平成13年星組の「サザンクロスレビューⅡ」の違い。真夏とクリスマスの違いはあっても人の少なさが星組では目立ちます。

次第に植田理事長は「宝塚らしさ」というものを連呼するようになります。

一体宝塚らしさとは何か。

徒弟制度がなくなり、若い演出家が自己流の主張を始めたことで、演出家たちも宝塚の意義を見失ってしまったのではないでしょうか?

記憶として、藤井大介のみが「宝塚はお祭り」といっててしっくり来てたかな。

それと、平成10年は真矢ミキと麻路さきが退団した年です。

二人とも4年に渡ってトップを張ってきたのですが、この二人だけが伝統的な男役の型を継承していました。

その二人の退団に植田理事長も危機感を覚えていたのではないでしょうか。

一方で若返りをはからなければならない、でも促成栽培するとろくなことにならない。このジレンマはすぐには解消せず、植田理事長は後世に残る悪政を執行したのした。

 

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天皇陛下85歳の思いは

2018-12-24 07:00:00 | 皇室報道

 やっぱり年末ということで、しかも3連休でリアルタイムにお誕生日を語ることが出来なくて申し訳ありません。

天皇陛下、85歳のお誕生日おめでとうございます。あと1年で昭和天皇と並びます。

私はリアルで記者会見を見ていないので「涙ぐんで」は知らないのですが、なんだか自分の寿命があとわずかと思っているのではないかと思い・・・でもとんでもない遺産ばかり残してくれるよなと。

陛下が悪いわけではないのかもしれない。

生まれた時から戦争があって、戦後はバイニング夫人によって思想改造され、クリスチャンの正田美智子さんと出会って。まるで左翼の先鋒のような皇太子時代。

さぞや昭和天皇が疎ましくてしょうがなかったでしょう。なんでこの人の息子に生まれてしまったのか。リアルに昭和を知っている私達は昭和天皇と今上との間の張り詰めるような空気を知っているのです。

父が開戦の詔さえ出さなければ・・・なんて思っていたのかもしれませんが、結果的に今のぐだぐだ皇室を作り上げた責任は大きいでしょう。

 記者会見 抜粋 

明年4月に結婚60年を迎えます。

結婚以来皇后は,常に私と歩みを共にし,私の考えを理解し,私の立場と務めを支えてきてくれました。

また,昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし,愛情深く3人の子供を育てました。

振り返れば,私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく,現在の皇后と出会い,深い信頼の下,同伴を求め,爾来(じらい)この伴侶と共に,これまでの旅を続けてきました。天皇としての旅を終えようとしている今,私はこれまで,象徴としての私の立場を受け入れ,私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに,自らも国民の一人であった皇后が,私の人生の旅に加わり,60年という長い年月,皇室と国民の双方への献身を,真心を持って果たしてきたことを,心から労(ねぎら)いたく思います。

 最上の褒め言葉を皇后に与えた天皇。まるで聖武天皇みたいですこと。

皇后無しの天皇はありえなかった。それはわかりますが弊害も考えなかったということですよね。だけどこんなに褒め称えなくてもなと思います。ますます「美智子様神話」が増えそうで怖いです。

 

そして,来年春に私は譲位し,新しい時代が始まります。

多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。

新しい時代において,天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており,皇室の伝統を引き継ぎながら,日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。

今年もあと僅かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。

 さらりと「譲位」が憲法違反であることをなかったものにしてます。

涙は定年退職する人と同じようなもの?天皇こそ生涯天皇でいられる最大の地位なのに。

みなさn「天皇とそれを支える秋篠宮」という言葉に感動している人も多いですが、あくまで「支える」わけで将来「愛子天皇とそれを支える秋篠宮」とおいう図もありえることをおわすれなく。

 

一般参賀

雅子さんはまたメーテルドレス。完璧に紀子妃とかぶってますが。

なんだろう・・・この殺伐とした雰囲気は。

いつもと変わらない笑顔をしようと必死の天皇と皇后。次期を思い得意満面な皇太子夫妻。そして静かに傍観する秋篠宮家。

 

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皇室ウイークリー

2018-12-23 07:00:00 | 皇室ウイークリー

御日程

両陛下

12月14日・・・両陛下 → 新任外国大使夫妻とお茶

                 勤労奉仕団に会釈

                 「Ay 曽根崎心中鑑賞

       天皇陛下 → 通常業務

12月17日・・・天皇陛下 → 内閣閣僚と午餐

                   御神楽の儀

12月18日・・・両陛下 → 勤労奉仕団に会釈

                 黒田清子祭主から挨拶を受ける

        天皇陛下 → 通常業務

                 認証官任命式

12月19日・・・天皇陛下 → ザンビア大統領と会見

 

 

          両陛下 → 衆議院・参議院の永年在職表彰議員に会う

12月20日・・・・天皇陛下 → 誕生日記者会見

          皇后陛下 → きりく・ハンドベルアンサンブル~クリスマスコンサート鑑賞

 

皇太子同妃両殿下

12月14日・・・両殿下 → 赴任大使に会う

12月17日・・・皇太子殿下 → 宮中午餐陪席

                    離任大使に会う

                    賢所御神楽の儀

12月19日・・・両殿下 → 昭和天皇記念献血推進賞及び昭和天皇記念学術賞受賞者に会う

 

秋篠宮家

12月12日~15日・・・両殿下 → タイ旅行

 

12月15日・・・両殿下 → 賢所参拝

12月17日・・・両殿下 → 「新潟開港150周年記念式典」について説明を受ける

                 外務省から進講を受ける

        両殿下・眞子内親王・佳子内親王 → 賢所御神楽の儀

12月18日・・・・両殿下 → 「第62回日本学生科学賞」中央表彰式について説明を受ける

12月19日・・・両殿下 → 鴨場接待

 皇后陛下も雅子妃も絶対に祭祀をやらなくなりました。このことを誰も追及しないのはどうしてなんでしょうね。

  皇后陛下は風邪が治っても咳が止まらないとか発熱がとかいうくせに鑑賞は絶対に休まない。

  基本的に二人は同じだったんだーーと思います。

 コンビニへいく姿がとられようともきちんと祭祀に参加している眞子様を責めることが出来ますか?写真なんて撮り方によっていかようにも見えます。まして誘導する文章と共にみたら、それがひどく見えることも多々あるでしょう。

そんなこと、どうでもいいんですよ。

皇族らしさとは何か?それがわからなくなっているから、それぞれのイメージで「違和感」だの「違う」だのっていうのです。現皇后と未来の皇后が示してくれてるじゃありませんか?

「皇族は常に悲劇のヒロインであるべきで、悪いのは全部国民」

「三顧の礼で迎えられた」「仕方なく嫁いだ」これが皇后のスタンス

「皇族は祭祀なんかしなくてもいいし、出たいものだけ出ていればいい」

「もし批判が起きたら倒れればいい」

「皇室のお金は気持ちしだいでいくらでも使える。贅沢じゃなくてそれは皇族の権利」

「夫(天皇・皇太子)は妻のいいなり」

全部真逆の秋篠宮家は煙たいし、存在すら許せん!というのが今の国のあり方です。

18日、報道写真展を見る久子妃

 サッカーリーグアウォーズの久子妃

 

 皇嗣職の職名を統一

 東宮大夫 → 皇嗣職大夫

  東宮侍従長 → 皇嗣職宮務官長

  東宮侍医長 → 皇嗣職侍医長

  侍従も女官も全部「宮務官」で統一

 男女の別をなくしましたというのがその理由ですが、要するに人数を少なく抑えるための策であり、宮務という今までの宮家となんら変わりないよといいたいのでしょう。

 このままでは皇嗣は皇太子と明確に違うので、皇位継承順位をいくらでもひっくりかえすことが出来るという大義名分が出来ているような紀がします。

 

 即位パレードのオープンカーは8000万

 トヨタが有力。新車を買う

 平成の時は4700万

 国という後ろ盾があれば何だって出来る。それが天皇です。

 

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宝塚歌劇にとっての平成とは何だったのか  3

2018-12-22 07:00:00 | 初心者の為の宝塚講座

 阪神大震災

平成7年1月17日に起きた阪神淡路大震災は日本にとって大災害に見舞われる日本の始まりのような出来事でした。私たち関東からみると、朝、関西で大きな地震があったと報道され、次に見たのは街が燃えているシーンでした。

真冬の寒い時期、早朝の大地震。本当に大災害でした。

宝塚は幸いにもこの震災の時も東日本大震災の時も上演中ではなかったので、誰かが直接被害にあうということはなかったかもしれませんが、それぞれ家族がどうなったかさぞや心配だったろうと思います。

星組トップに就任したての麻路さきが後年語っていましたが、こんなに大きな震災に見舞われているのに中日劇場での上演が中止にならなかったことに驚き、毎日「これをやっていいのか」と悩む日々だったといいます。

確かに、東日本大震災の時も休演しなかった宝塚に批判が起きたりしましたが、とにかく歌劇団のスタンスとしては「何があっても上演し続ける」というのは信条だったのでしょう。生徒たちはそれに従うしかないのです。

大劇場は出来たばかりで劇場そのものに傷はつかなかったけれど、スプリンクラーの故障で衣装が全部駄目になったとか、それでも細かい傷があって修復にはかなりお金がかかったといえます。

宝塚の衣装にはスパンコールやビーズがついているため、洗濯するのがとにかく大変で一ヶ月以上かかるんですよね。それにもろもろのセキュリティを考えるとやっぱりここは休演するしかなかったでしょう。

退団公演の安寿ミラは公演が出来なくなり、危ういところを歌手の細川たかしに救われ、梅田の劇場・飛天で続行。天海祐希もまた公演の変更を余儀なくされました。

それでも3月31日、星組、麻路さきトップお披露目公演「国境のない地図」は幕を開け、81期生が初舞台を踏んだのでした。

今、ビデオで見ると衣装が地味というか、ありあわせのもので何とかしました感が強いのですが、ベルリンの壁を取り扱った作品は、復活アピールにはちょうど良かったのかもしれません。

観客動員数は大幅に落ち、客席に赤が目立つようになっても宝塚は回り続けなくてはなりません。

けれど、やっぱりどこかで「赤字解消」の秘策を打ち出さねばと思っていたんでしょう。

 問題になり始めた組子の数と上級生の頭打ち

震災が始まるちょっと前から宝塚ファンの間では「トップ・二番手・3番手の間がなくなってきている」というのは囁かれていました。

昔は宝塚というのはファンも組子も青春の1ページを彩るところで、ある程度の学年まで行けば見せ場を与えられて綺麗に退団し、芸能界へいくか、奥様になるか・・そんな道だったのです。

トップにならなかったからといって、その生徒の価値が過小評価されることはなかったと思います。

例えば・・・ものすごく古い話ですけど水穂葉子さんという女役がいらっしゃいまして。「ベルサイユのばら」でランバル公爵夫人を演じていた人ですが、この方の「悶絶しそう」が大評判になって、最後は「モンゼット夫人という役名になったのですが、この人など別にトップになったわけでもないけど強い印象を残してくれています。

昭和の「誰がために鐘はなる」なんてほとんどが専科ばかりで二番手は峰さお理だったくらいです。

が、段々と男役至上主義になるにつれて「入団した以上はトップを目指さないと意味が無い」と考えるようになったのでしょうか。いわゆる「路線」に乗ると誰も退団しなくなっていくのです。しかもトップと二番手の差が1学年とか2学年になると、次のトップの学年が上ということになりますよね。天海祐希のように突如上級生を飛び越えて・・というのはなかなか出来るようで出来ないのです。

実際、麻路さきと二番手稔幸の学年差は2学年ですが、実際は稔の方が年上だったりしますし。一方で「娘役は若い方がいい」とばかりに、やたら早い抜擢による弊害も起きていました。

また、「青春の1ページ」の宝塚ではなく「職業」としての宝塚、芸能界へいくステップとしての宝塚を考え、昔のように「寿退団」が少なくなると、組子が増えてきます。

宝塚は年功序列の世界ですから、どんなに実力がある若手も上級生よりも上にはいけない、そういうしきたりが若手の成長を邪魔するようになっていたのです。

歌劇団は本気で「生徒の若返り」を図ろうと思っていました。

 恋愛ではない作品を書きはじめた作家たち

昭和の宝塚の2大演出家は植田紳爾と柴田侑宏でおおがかりな恋愛ストーリーを描いていました。外部の作家を起用したりしたことも多々あります。

が、平成に入ると2大巨頭はお披露目やさよならに周り、若い作家たちが台頭してきます。

その代表格が小池修一郎と正塚晴彦の2人です。

この二人の芸術性の高さはコアな宝塚ファン、作品から宝塚を分析しようという人たちには多いにうけました。「誰も死なない作品を作る」稀有な作家たちだと。

テーマが「罪と罰」だったりエコ問題だったり、生き様だったり、いわゆる「ベルばら」に象徴されるような歴史的な大恋愛ドラマはこの二人は不得手でした。

特に正塚晴彦は大劇場よりもバウ作品に定評があり、久世星佳という演じ手を得て独特の世界観を打ち出します。小池修一郎はあて書きは得意なんですけど、今ひとつストーリーが浅薄で内容があるようでないというのが一般的な見方だったと思います。

しかし、宝塚の世界から見事に濃厚な愛のシーンを抜き取った作品は斬新でもあり、たまにはこういうのもいいかな・・・と思われるものだったのです。

が!

そういう先輩の後を追う後輩たちが続出しました。木村信司・植田景子・児玉明子・斉藤吉正らです。彼らは大昔の宝塚のような徒弟制度の中で生きてきたわけではなく、大学卒業と同時に歌劇団に就職し演出助手を務めながら腕を磨いてきた人たちです。彼らには確固たる描きたいテーマや世界観があり、宝塚の生徒は二の次というか、本来、座付き作家はトップや組カラーに合わせて作品を書くものですが、その逆をやり始めたんですね。

気がつけば、男は自分の夢をおいかけ、女はそれを見守るだけの話が多数出来てしまい、平成の初めから中盤までは駄作しか生まれておりません。

きちんとしたオリジナル作品が書けない作家たちが増えてしまったのです。

 エリザベートが宝塚を救った

昭和・平成を通して宝塚では沢山の海外ミュージカルが上演されています。剣幸「ミーマイ」涼風真世の「グランドホテル」など、これらはみなブロードウエイミュージカルでした。

ブロードウエイミュージカルは上演するのが大変です。東宝が版権を得る時にオフ・ブロードウエイ作品を一緒に買わされたり、宝塚風のアレンジを許さなかったり。

私が聞いたことがある話しでは平成10年の1000days劇場こけら落とし公演として上演された月組・真琴つばさの「ウエストサイドストーリー」はフィナーレがなかったのです。

でも翌年、稔幸のお披露目として上演された同作品にはフィナーレがついていました。最初は全員シャンシャンを持たずに降りてきて・・最後は持っていた?ような大階段降りでしたが、トップお披露目だから何とかここは見逃して欲しい、とあちらさんを説得した結果だったような。

でも結局、今に至るまでビデオ化はされていませんね。

グランドホテル」も涼風版はビデオになりませんでした。

というように宝塚にはあまりそぐわないだろう作品をそのまま上演する・・・海外ミュージカル。

ところが、小池修一郎がずっと温めてきたウイーンミュージカル「エリザベート」に関しては、小池が積極的に宝塚歌劇団の特徴を理解させ、ゆえに主役がエリザベートではなくトートにすることが出来たのです。多分、ヨーロッパにおけるミュージカルはなかなかアジア圏まで広げることが出来ていなかった為、マーケットの拡大という意味で両者の利害が一致したものと思います。

小池修一郎はこれにより雪組、一路真輝のさよなら公演として平成8年に「エリザベート」を上演することにこぎつけました。

当時、全編歌ばかりのミュージカルは「レ・ミゼラブル」くらいで、宝塚では未経験。それゆえに組子達の緊張度も高く、もし一路の声が駄目に鳴ったときのために二番手以下全員が役代わりできるようにしたといいます。

宝塚独特の「エリザベート」は大ヒットし、やがてそれがウイーンでも上演され始めます。

なぜエリザベートがヒットしたか・・・・それは当時の世相と関係があると思っています。

男女雇用均等法の中、女性たちは家事も育児も仕事も頑張る綱渡りの状態で生きていました。今以上に「女性らしさ」「妻らしさ」「母親らしさ」を求められる一方で「自由」がないと思っていた人もいるのです。

嫌なものを嫌だと真っ向から拒否できるエリザベートがうらやましい、自分の殻に引きこもることで我を通していく彼女は自分のようだ、フランツ・ヨーゼフがもっと理解ある夫だったら私だってこうはなっていないのに。というまさに「ME TOO」運動です。

今思えばエリザベートの生き様は身勝手ですし、誰がどうみても皇帝陛下はいい人だとわかるのですがね。

それでも楽曲のよさで往年の大ヒット作品として今も上演され続けています。

つまり、宝塚にとってドル箱になったのです。困った時には「ベルばら」「エリザベート」ってことになったのではないでしょうか。

 高いレベルを求められるジェンヌたち

「エリザベート」のヒットで、宝塚は大きく変わりました。

歌唱力にしてもダンス力にしても、衣装の着こなし、メイク、かつら全てにおいて高いレベルを求められるようになりました。

衣装では美しい色合いとレースや刺繍が綺麗な任田幾英から有村淳が台頭してきます。

有村淳の衣装は濃い色が多く、上品さが売りの任田よりさらにバージョンアップしています。

「エリザベート」が上演されるたびにその時のトップに合わせた衣装を作り続けています。

衣装がより豪華になればかつらやメイクも変わる必要があり、生徒達はより努力しなければならなくなりました。

「エリザベート」一つで宝塚は世界の宝塚になっていったのです。

 

しかし、トップスター制度も過渡期に入り、4組制も限界に来てましたし、新しい東京宝塚劇場の建設も視野に入って来ました。

小池修一郎による「華やかな宝塚」の具現がある一方、自己主張に終始する作家たちに翻弄される生徒たちの姿がそこにはありました。

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南青山に児童相談所の件

2018-12-21 07:00:00 | ドラマ・ワイドショー

 えっと、週刊誌に載った眞子様の写真ですがマスクしてコンビニに買い物をしにきた真子様ということで、同じコンビニに買い物しても佳子様のような明るさはないとか、夕食を買ったから宮邸で一人で食べるんだろうとかものすごく無責任なことを書いていました。

働いている眞子様がコンビニで買い物したからって、なんですぐに一人で夕食?おかしいでしょ。

それと、上皇・上皇后・天皇・皇后は内廷皇族として列車を貸切するけど、秋篠宮家は今と変わらない待遇だそうです。

今まで上皇や皇太后は「隠居」の身なので御所に質素で小さくて、ほとんど公的な場には出ないというのが一般的。皇太后職の人数も少なかったのに、今回は天皇とほぼ同じ人数のまま、高輪に1年、現東宮御所に住む・・という破格の待遇であることを忘れてはいけないのです。

国民はいつまで昭和34年の夢を見続けるのでしょうか?

どんなにいい人でも立場が変われば人も変わるということを知るべきですよね。

さて、南青山に児童相談所を作るということで近隣の人たちが怒っているらしいです。

 青山ブランドに傷がつき地価が下がる

 青山の学校はレベルが高いので児童相談所の子がくるとついてこれない

 裕福で幸せな子達の中で彼らは引け目を感じるのではないか

 児童相談所の子が何か問題を起こすかもしれない

これ、全部近隣住民が言ってる事なんですよ。ヒエラルキーの問題なんですよね。

自分たちの階級に合わない子は来て欲しくないっていう考えですね。関東の人がここまであからさまに階級意識をむき出しにするのは珍しいのではないかと思いますけど。

これが芦屋とかだったら話もわかるんですけどね。

誰もこれを差別とか偏見とかいわないの? 外国人を差別するなーー在日を差別するなーーというくせに自分の国の子供たちは差別するんだねという感じです。

元々どういう子供たちが児童相談所に来るかということを一般の人は知らないのではありませんか。虐待されてきた子供だったらきっと暴力を振るうだろうとか、犯罪に結びつくだろうとか、自分の子供にはそういう子との付き合いはさせたくないとか。

お役所もお役所でマスコミにこんな形で槍玉にあげられることを承知で作ると言ったのか。

今回のことで日本全国の児童相談所の子供達が傷ついているとか嫌な気持ちになっているなどとは思わないんだろうなと。

保育所が足りないから作るといえば「うるさいのは嫌だ」といい、援助が必要な子の施設を作るといえば「ヒエラルキーが」という。

裕福で知識も教養もあるだろう親御さんたちが前時代的なことを言って差別を助長するのは、子供の教育にとってよくないのでは。

児童相談所は養護施設じゃないので、ずーっとそこにいるわけじゃなくて、一旦保護する目的であるものです。なんというか、様々な困難を抱え絶望して大人なんか何もわからないと傷ついている子供たちの最後の砦というか「君を決して見捨てない」という場所でもあります。その児童相談所が役所的な対応をやると、死亡事件に繋がってしまうんですが。

いっそのこと、青山中にいくつも児童相談所をつくればいいんじゃない?子供食堂と養護施設や乳児院も。建物一個じゃなくてビルの空いてるスペースをそういう系にしてしまうとか。

ねえ、岸谷五郎さん、エイズや海外の貧困ではなく、自分たちがいる国の福祉を考えてチャリティをやって欲しいです。

 

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宝塚歌劇にとっての平成とは何だったのか  2

2018-12-20 07:00:00 | 初心者の為の宝塚講座

昭和の後半において「ベルサイユのばら」という大ヒットを飛ばした宝塚歌劇団は昭和が終わるまでその幻影を利用し続けました。

巷の人たちは「宝塚」をきけば「金髪のかつらを被って目の周りが真っ青で軍服着てる」みたいなイメージとともに「♪ 愛 それは甘く ♪」と歌いだす。全く「ベルサイユのばら」を見たことの無い人でもこのフレーズだけは歌えるというほど有名になり、たびたびパロディも作られたりして。

でも、その効力も昭和が終わる頃にはかなり陰りが見えてきました。

 平成最後のと言われた「ベルサイユのばら」

平成元年、長い間封印されてきた「ベルサイユのばら」が再演されます。

最初は雪組、杜けあき・一路真輝主演の「アンドレとオスカル」編、そして星組では日向薫と毬藻えり、紫苑ゆうらの「フェルゼンとアントワネット編」です。

私は生で見ることは出来なかったのですが、後年、ビデオでこの二つを見る限り、昭和編に比べると本当の主役であるオスカルの影が薄くなっていったり、やたら女性的だったり、衣装のセンスが悪いなと思ったり。様々した。

やっぱり長谷川一夫演出ではない「ベルサイユのばら」ってこんなに中身がないものなのかと実感しました。

でもこれで「ベルばら」ブーム再びの歌劇団はさらに平成2年に花組の大浦みずき主演の「フェルゼン」編をつくり翌年には月組・涼風真世主演の「オスカル」編を作成。この月組を皇太子が観劇したんですね。

「平成最後の」っていったけど、色々なバージョンを一巡する植田先生やりたい放題でしたね。

けれど、今回の「ベルばら」ブームは本当に一過性のものでした。

 宝塚大劇場が新しくなった

平成3年、雪組の杜けあき主演でさよなら公演の「忠臣蔵」で宝塚大劇場は閉場しました。

そして平成4年、新宝塚大劇場が誕生し、こけら落としは星組「宝寿頌」「パルファン・ド・パリ」

ここでは高田賢三デザインの衣装と各組からの特出が売りでしたが・・・・KENZOデザインの衣装が宝塚には合わないと結構批判を受けましたよね。後年、ゴルチェの衣装を使った時もそうですが、ファッションとしてどんなに鮮やかな生地を使ってもほとんどスパンコールもビーズも使わなかったので地味というか、ヅカ的じゃないと思われたんでしょう。天海祐希的なナチュラルさが今ひとつぴんとこないというか。

 平成が作り出した大スター

平成がスタートした時、

花組・・・大浦みずき → 安寿ミラ に繋がる「ダンスの花組」で一世を風靡。大浦退団後は「ヤン・ミキ」安寿ミラ&真矢ミキコンビでんんきを博す。

月組・・・昭和の大スター・大地真央の退団後、組を引っ張って来た剣幸が惜しまれて退団後、涼風真世がトップ就任。けれど「グランドホテル」初演で退団し、天海祐希が研7でトップ就任の快挙。

雪組・・・宝塚最大の歌唱力を持つ一路真輝の時代。

星組・・・白馬の王子・紫苑ゆうの時代

天海祐希に関していえば植田紳爾いわく「お母さん、よくぞ産んで下さった」という言葉が残っているということで入団当初から人気がしかけられていたような気がします。

宝塚を見ない人でも天海祐希の名前は浸透していたし、天海祐希時代のみヅカファンだった人もいるほどでした。

研7でトップに就任するというのは本人にとってどれだけプレッシャーだったことかと。新人公演の最終学年でトップ就任ということは今の98期がずらりとトップになるようなもの。

年功序列の宝塚において上級生を2番手3番手においてのトップスター。その心情は察してあまりあります。

男役10年という言葉は伊達にあるものではありません。最低でも10年かけなければ「男役の型」は完成しないという意味なんです。

新人公演最高学年程度ではまだまだ・・・のはず。

そこで天海祐希がとった行動はいわゆる「ナチュラル派」と呼ばれるもので薄いメイクに普通の衣装・・・正塚先生が好みそうな作品ですね。

天海祐希というのは男役としては未完成だったし、トップとして何も功績を残していません。名作に恵まれたわけでもないし、何か一つ秀でたものがあったわけでもない。だけど人気抜群。観客動員ナンバーワン。さよなら公演の時は東京宝塚劇場の入り口にすらりと当日券に並ぶ人々が。

そしてまた彼女は「宝塚的なものが嫌い」な人でした。ストーカーなどの被害にあっていたからかもしれないけど、差し入れやプレゼントは断固拒否の姿勢を貫く。今ならそんな人は絶対にトップにはなれないけど、天海祐希にはそれが許されていたんでしょうね。

現在、「天海祐希に憧れて宝塚に入りました」という人が何人も上級生になってトップになって・・という現実をみれば彼女の功績は「宝塚に入りたい」人を増やしたことだったと思います。

私は「ミーマイ」の天海祐希しか見たことがなく、あとは全部ビデオだけですけど、唯一評価できる作品としては「エールの残照」「エキゾティカ」くらいですか。だけどそれは天海祐希がいいというよりは、久世星佳・真琴つばさなどがきっちりと脇を固めていたからだったと思います。

じゃあ、天海祐希の魅力とはなんだったのか?それは「かっこよかった」につきます。要するに宝塚始まって以来のアイドル、それが天海祐希だったのです。

今思えば、どうしてこんなに促成栽培してトップスターにしなければいけなかったのかわかりませんよね。せめて研10まで待ってくれたらもう少しいいトップになったと思うのですが。

ただ多分ですけど、その裏には宝塚の母体である阪急電鉄の衰退があったと思います。

創業者一族で頑張ってきた阪急がどんどん衰退して、やがて宝塚も阪急の「ドラ娘」から歌劇事業部という一種の独立採算制をとらなくてはならない組織になっていきます。

今まではどんなにお金がかかろうとも、客席が真っ赤だろうと気にせずよい作品を生めばいいと思っていたのに、予算があり、限界があり・・特にスタッフの一掃が激しく、宝塚は一時的にでも大劇場稼働率を上げなくてはならなかった。

その象徴が天海祐希だったのだろうと思っています。

「昭和はよかった」「昭和は遠くなる」と最初に考えていたのは宝塚歌劇団だったのかもしれませんね。

「ダンスの花組」の残像とアイドルスター天海祐希で宝塚は迷路に迷い込んでいくのです。

 

 

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