あんたはすごい! 水本爽涼
第ニ百四回
「これは、棚の玉と交信しておるのですよ。まあ早い話、人間で云うところの会話ですな」
「あのう…、なにを?」
「そこまでは私にも分からんのですが、今までの集積データの送信という奴かも知れんですな。私とあなたの今までの情況を、ですぞ」
「そんな…。見張り番のようなことをされちゃあ、おちおち何も出来んじゃないですか。SPじゃあるまいし…」
「ははは…、SPてすか。上手いこと云われますな。まあ、そんなことも、ないようなあるような…」
肯定するでも否定するでもない云い回しで沼澤氏は暈して云い、小玉をポケットへ入れた。私も、そうした。
「満ちゃん、おかわり、どう?」
ママが二人の会話を邪魔しないよう、小声で云った。
「えっ? ああ…、頼みます」
私は、ほぼ空になったグラスをママの方へ突き出し、三切れほどになったアスパラガスのベーコン巻きを、ひと切れ頬張った。沼澤氏は、いつの間に出されたのか分からないマティーニを、チビリとやった。そして、コップの水で軽く口を漱(すす)いだ。なんでも、マティーニの風味をじっくり味わうためらしかった。
私達はその後、適当に飲んで支払いを割り勘にした。これも沼澤氏によれば、長くいい付き合いを続ける秘訣(ひけつ)ということだった。
残月剣 -秘抄- 水本爽涼
《惜別》第三十六回
「ええ…。私の残月剣を何処(いずこ)かの地で見られることを楽しみにしておると…」
「お前は全国を行脚して、いっそう残月剣の太刀筋を磨け、ともお書きじゃ」
「はい…。それより道場の行く末は、長谷川さんが去られた後、樋口さんに任せると…」
「ああ…まあな。果たして俺のような者に務まるかどうか…」
「最後の先生のご下知ですから…」
「それはまあ、そうだ。やれるところまで、やるまでよ」
そう云い捨てると、樋口は自信のなさを振り払うかのように高らかに笑った。
三日後、左馬介は道場を去る旅立ちの支度に余念がなかった。本来ならば僅か三年ばかりでは、道場を中途退籍する者、ということになるのだが、左馬介の場合は、師である幻妙斎自らの特別な許しがある。これは偏(ひとえ)に抜きん出た剣の才を幻妙斎が認めるとともに、皆伝の長刀兵法目録を授けたことを意味した。今迄、堀川の門下で左馬介のような傑出した人物はなく、奥伝、或いは中伝にて道場を去る者ばかりだったのである。季節は梅が匂う初春を迎えようとする頃で、暖かな陽射しに自然が息吹く兆しがあった。
惜別 完
≪残月剣 -秘抄- 完≫