幽霊パッション 第二章 水本爽涼
第三十八回
加えて、霊界に入るとき、平林が霊界番人から云われたのは、姿と声を次に見聞きすれば、必ずよからぬことがある、と言明されていたのだ。
『その方(ほう)のみ、いかなる理由にて俗世の姿であるのか、答えよ』
『はは~っ! 訳など、さっぱり分かりません。こちらがお訊(たず)ねしたいくらいのもので、ただ、浮かんでいるのみ、なのでございます~』
平伏姿勢(幽霊としては最敬礼の姿勢の九十度、前方へ回転した姿勢)で、幽霊平林はそう云った。
『左様(さよう)か…。そなたの意志ならば、ただちに霊界から追放し、地界の者とせよ! との、お達しなれど、そなたの意志でない、となれば致し方ない。これよりたち戻り、その旨(むね)を伝えるとしよう。ではのう…』
そう告げると、霊界番人である光の輪はスゥ~っと消え失せた。幽霊平林は、ともかく危機が去ったことで、幾らかの安息感を得た。そして、フゥ~っとひと息つくと、住処(すみか)へ置いたマヨネーズのことを、ふたたび思い出し、中へと戻った。
『課長が云ったとおり、とりあえず口にするか…』
幽霊平林はそう呟(つぶや)くと、マヨネーズのキャップをとり、ひと口、吸った。人間なら味覚の酸(す)っぱみを感じるのだが、幽霊には人間の感覚がないから、ただの物として飲み込むだけである。
『しかし、ここでは朝昼晩がないから、口にする頃合いが分からないなあ…』
思案の挙句、幽霊平林は適当な頃合いを探るべく、人間界へ時折り現れることにした。時間さえ確かめれば、すぐ消えればよい…という発想だった。ともかくマヨネーズを飲み込んで、しばらく時が流れた。飲み込んだときは、まだ体は止まれない状態の幽霊平林だったが、時が経つにつれ、少し体が安定したように思えた。そうはいっても、止まれないことに変わりはない。これがマヨネーズ効果なんだろうか…と幽霊平林は思った。そうだとすれば、期待が持てるのだ。マヨネーズの飲み込みは、彼にとって不安というよりは、少し楽しみに思えていた。あとは、ほどよい時間を意識的に探れば事は足りた。