靫蔓(うつぼかずら) 水本爽涼
第九十八回
直助は、黙って手に握りしめた便箋を勢一つぁんに差し出した。
「なんやいな…」
首筋をボリボリと掻きながら便箋を受け取り読み始めた勢一つぁんの顔色が、みるみる間に蒼ざめていく。
「ええっ!! …」
そんな馬鹿なことがあろう筈はないのだ。勢一つぁんにも直助自身にも、そのことは分かっていた。現に二人以外はこの部屋に存在しなかったのだし、もし訪れた者があったとしても、表玄関や裏口は施錠されているから、誰も入(はい)れる訳がなかった。それが…。走り書かれた紙片は今、現にここに存在する。眠っている気づかない間に何かがあった…そうとしか考えられない。二人はそのまましばらく氷柱のように凍結した。
初冬の少し冷えた風が流れていた。この冷気は直助にとって気分がよかろう筈がない。むろん、勢一つぁんとて同じであるに違いない。寝起きから不気味な一枚の紙に二人は心を奪われている。もう八時は過ぎているというのに、二人は朝飯のことすら忘れていた。どちらからともなく動いて、直助は湯を沸かすために台所へ、勢一つぁんは律儀にも寝布団をきちっと畳む。二人とも終始、無言である。
「朝からインスタントラーメンゆうのも、なんやけど…、まあ、食べてってえな」