水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

風景シリーズ  特別編 その後[2] 「雨やどり」

2012年08月30日 00時00分00秒 | #小説

 風景シリーズ   水本爽涼

  
特別編 その後[2] 「雨やどり」

 秋の雨が冷たく降っている。今年は暑い夏が長く続いたが、幸いにも我が家では病人が出ることなく、無事に秋の季節を迎えることができた。この前に書いたと思うが、じいちゃんは別格で、そういった心配はまったくない、と断言できる。そんな馬鹿な! 人間だったら心配はあるだろうが・・と仰せの方もおられると思うが、じいちゃんに限っては、その言葉は完璧に誤りだと言っておきたい。彼はこの世の者ではないと思える崇高で偉大な存在なのである。世が世なら、僕などは地にひれ伏さねばならないのかも知れないスーパーじいちゃんなのだ。余り褒めすぎるとクシャミをされそうだから、まあこの話はこれくらいにしたい。
 雨はやみそうにない。今日は外で遊ぶつもりだったが、あきらめて家でタマと戯れ、ポチの頭でも撫でていようと思う。それにしても、家では、こんな雨の日に雨やどりできるんだから好都合に思える。…そういや、人には雨やどりできる場が必ずあるようだ。それは場所に限らず、心理(メンタル)的な慰み事、例えば音楽鑑賞やスポーツ、植栽など多くの分野に及ぶ。前述のじいちゃんには剣道がある。彼は剣の達人で師範だから、幾らか鼻高々なのかも知れないが、心の置きどころ、すなわち雨やどりできる場なのである。父さんは? と考えれば、まあ書斎でのパソコン、読書か・・と思える。母さんにはその場がない。その場がないとは、その場がないほど多忙だということだが、それが主婦としての彼女の雨やどりの場となっているのだ。僕にはいろいろある。それも季節ごとに違うから、いわば贅沢な雨宿りの場を持っている・・ということになる。例えば、夏なら滾々(こんこん)と湧く水洗い場での水浴びや虫捕りなどだし、秋にはじいちゃんと楽しむキノコ採り、さらに季節が深まれば落ち葉焚きの焼きイモなど、秋、冬にも、もちろん雨やどりできる楽しみはある訳だ。妹の愛奈(まな)は? といえば、彼女の場合は好きなだけミルクを飲み、好きなだけ漏らして母さんによってサッパリすることだろう。さらには這(は)い這いし、赤ん坊ベッドで眠るとなれば、これはもう至福の極みなのではあるまいか。完璧な彼女の雨やどりの場であろう。
「よく降るな…」
 降る雨を窓から眺める僕に、いつの間にか父さんが横に立ってボソッとそう言った。秋霖だからね・・と思わず口にしそうになったが、我慢した。余り才を披歴するのも如何なものか、と思えたのだ。昔から、━ 能ある鷹は爪を隠す ━ ということわざが頭を過(よぎ)った、ということもある。
「どうだ…」
 そこへ、じいちゃんが威風堂々、離れから頭を照からせて現れた。片手で将棋の駒を指す仕草をし、珍しく笑顔だ。
「いいですね…」
 父さんも笑顔で応対し、二人はそそくさと居間の縁側廊下へと向かった。そこへ、母さんがやってきた。
「あらっ? 正也、お父様は?」
「今、父さんとコレっ!」
 僕はニタリと笑って、じいちゃんがやった将棋を指す真似をやった。
「もう、お昼なのに、仕方ない人たち…」
 苦笑して母さんは撤収した。そういや、父さんとじいちゃんには将棋という雨宿りの場があったな・・と思えた。そして、家が皆の平和な雨やどりの場だ…と僕は気づかされた。そのとき、空いていたお腹がグゥ~~と鳴った。


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