私の子供の頃の話なんですがね。その当時は終戦後の物資がまだ出回ってない頃でして、食い物にも事欠く有りさまだったんです。
そう、あれは夏の暑い盛りでしたよ。私の父親の故郷へお盆に帰るってのが毎年の夏の恒例になってまして、この夏も帰った訳です。私は子供でしたから、田舎の従兄弟と遊べるのと昆虫採集とかが出来るってので、もの凄い楽しみにしておった訳です。それもそうなんですが、それ以上に楽しみだったのが美味しい食べ物の数々でした。なんといいましても、田舎の畑にはマクワ、トマト、スイカ、トウモロコシとかがいろいろありましたし、白い米だけのご飯が腹いっぱい食べられましたから…。そんなで、私は田舎の古びた茅葺屋根の従兄弟の家へ行った訳です。両親は私を連れて手ぶらで毎年、帰るのが、なんか心の蟠(わだかま)りになってたんでしょうね。ある時から隣町の老舗の菓子屋で少し値の張った菓子鉢を買い求めるのが通例になっておりました。で、この年の進物は小箱に入った羊羹でした。母はその羊羹の入った小箱を大事そうに携え、父は扇子をパタパタと小忙しく動かしておったのを今でも憶えております。
帰りますと、お盆ということもあったんでしょうが、両親は必ず仏壇に手を合わせておりました。当然のように、私も両親に従い、意味も分からないままそう致しました。まあ、いろいろあって、その日は遊び疲れで昼過ぎにはウトウトしておりました。そう、あれは三時過ぎだったでしょうか。目を覚ましますと、母が仏壇の前で首を傾(かし)げてるんですよ。私が、「どうかしたの?」と訊(たず)ねますとね。母は、「ここに置いてあったお菓子の箱、知らない?」って言うんですよ。私は従兄弟と外で遊んでましたからね、知ってる訳がない。だから、単に、「知らないよ」って返したんです。母は、「じゃあもう、美佐枝さんが下げたのかしら…」って言うと、奥の間の方へ行ってしまいました。美佐枝というのは、父の兄の嫁さんなんですがね。
その晩は大勢の楽しい夕飯となったんですが、私は腹が減っていたもんで勢いよく食べておりました。そうしますとね、母が何を思ったのか、ふと、「お義姉さん、お仏壇の…下げられました?」って訊(き)きましてね。美佐枝さんは、「えっ?!」って驚くんですよ。するとね、父がニタリと笑って、「そういや、父さん、甘いものが好きだったからなあ。持ってきた羊羹は特に好きだった…」と、しみじみ言うと、仏壇の方をじっと見たんですよ。伯父さんも「そうそう、そうだったなあ…」って話を合わせ、「たぶん、食っちまったんだろ」って二人で大笑いしたんですが、とうとうその羊羹の行方は不明のままで出てこなかったんです。いやあ、あとから聞いたんですが、そんな箱が置いてあったことも知らなかったって美佐枝さんは言ったそうですが…。そういう夏の怪談なんですが、いかがでしょう?
実は、この話にはオチがありましてね。本当は父と伯父さんが話をしながら、こっそり食べてしまったようなんです。子供の私と従兄弟は食べてない訳ですから、大人の悪知恵で誤魔化したんでしょうねえ。とんだ怪談でした。
THE END
代役アンドロイド 水本爽涼
(第259回)
山盛研究所では、保が発案した飛行車の本格的な設計が始まっていた。自動補足機と同様、各パーツごとに三人が受け持つ形で進められたが、自動補足機の製作工程と違ったのは、山盛教授も設計に加わったことである。だから、実質的には設計も四人になったということである。統括責任者は発案者の保が教授に代わり任された。だから保の責任は大で、沙耶と三井の間で密かなミーティングが続いているなどとは、まったく知らないまま設計に忙殺される日々が続いていた。山盛教授としては自動補足機の二の舞は踏みたくない訳で、今度こそは…と半ば狂人化していた。こうした教授が目の前にいれば統括責任者としての保は、やりにくいのだが、上司の教授である以上は仕方がない。まあ、好きにしていただくか…という諦(あきら)めの心境で研究をリードすることにした。当然、マンションへ帰れば沙耶に愚痴ることが増えたが、心の蟠(わだかま)りは幸い吐き出せたからフラストレーションに陥らずに済んだ。そして、ひと月が過ぎ去った頃、山盛研究室では、いよいよ飛行車の10分の1模型の組立が始まった。
「いよいよ、エアカーですなぁ~!」
呑気な後藤がアフロ頭を揺らせて笑った。五月蝿(うるさ)い! お前は黙ってろ! と保は怒れたが、口にはしなかった。統括責任者の保としては場が気まずくなるのは避けねばならん…という気持が働いたこともある。