まさか、こんな地へ左遷(させん)されるとは…と、吉岡久司は、がっくりと肩を落とし、溜息(ためいき)混じりに社屋(しゃおく)の窓から外を見た。リストラされなかっただけでも、まだよかったじゃないか…と心の片隅で慰(なぐさ)めるもう一人の自分が呟(つぶや)いた。まあ、それもそうだな…と吉岡は、ふたたび書類に目を通し始めた。
吉岡が異動した商社は本社の子会社で、課長の吉岡は、形だけは次長ポストという昇任人事で、子会社へ遷(うつ)されたのである。
「まあ、そうガックリしなさんな。また日の目を見る日もあるさ…」
一杯飲み屋、蛸足(たこあし)で杯(さかずき)に酒を注(そそ)いでくれた同期入社、小野辺(おのべ)の言葉が、ふと浮かんだ。
「俺は、もう駄目だよ…」
吉岡は突き出しの蛸足の酢ものをつまみながらショボく言った。
「俺達は会社の物だ、流れるだけさ。帰ってきたやつもいる、諦(あき)めるなっ!」
「ああ…」
吉岡はこの言葉に勇気づけられ、会社を辞(や)めず努力した。その結果、吉岡の実績は積み上げられていった。右肩下がりだった子会社の営業利益は飛躍的に(の)伸び、会社経営は立て直されたのである。
それから一年が経(た)とうとする春先だった。
「あっ! 吉岡君。君、四月から本社へ戻(もど)れることになったぞ! おめでとう」
部長の烏賊墨(いかすみ)は握手を求めながら笑顔でそう言った。
「ありがとうございます!」
吉岡の脳裡(のうり)にふと、同期、小野辺の顔が浮かんだ。あいつのお蔭(かげ)だっ! 戻ったら礼を言わなきゃな…と吉岡は心に記(しる)した。
「それで、私のポストへは誰が?」
「ああ、それな。よく分からんが、本社からの電話では、確か…そうそう、小野辺とか言ってたな」
「ええっ!」
吉岡は物流として本社へ返送され、本社から入れ換わりに小野辺が流れてくる・・という物流がすでに出来ていた。
春先、一杯飲み屋、蛸足で小野辺の杯に酒を注ぐ吉岡の姿があった。
「俺達は会社の物だ、流れるだけさ。帰ってきたやつもいる、諦(あき)めるなっ!」
「ああ…」
どこかで聞いた言葉だった。
THE END