水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

よくある・ユーモア短編集-42- 見解の相違

2016年11月03日 00時00分00秒 | #小説

 国営テレビに映し出された国会中継を観ながら、本岡は神仏前に供えたあとの、お汁粉を美味(うま)そうに食べていた。本来は小豆(あずき)粥(がゆ)を供えるらしいが、本岡家では古くからお汁粉で供える家風となっていた。
 本岡が、さてと! と食べ始め味わっていると、画面は論議が伯仲し始めていた。『国会は甘過ぎるが、今年は、まあまあの甘さだな…』などと偉そうに本岡は思いながら、フゥ~フゥ~…ズズゥ~…ムチャムチャと味わっていると、この上なく侘(わ)びしい満足感に包まれた。まあ、中東の難民の人々とか震災被害の人々に比べりゃな…とも思えたが、満足感と幸福感とは違う…とも思えた。画面は野党議員が政府の閣僚を前に熱弁をふるっていた。論議は[国民の日常生活に対する実感]だった。野党議員は数値を読み上げ、国民の生活に対する不満足感をアピールし、その答弁に立った閣僚は独自データの数値を披歴(ひれき)して、野党が政権時代の数値よりは改善していると反論した。要は、見解の相違である。
「見解の相違だな…」
 本岡はお汁粉を平らげたあと、淹(い)れた茶を啜(すすり)りながら、小声ではっきりと言った。そのとき、別間から妻の恭子が現れた。
「今日のお汁粉、ちょっと薄かったわ…」
 恭子にそう言われ、やかましい、やかましいわっ! なら、お前が作れっ!! と本岡は偉そうに思ったが、大魔神の逆襲を恐れ、思うに留(とど)めた。大魔神が埴輪(はにわ)姿のときは柔和だが、ひとたび荒ぶれば、天は怒り、地は裂(さ)けるのである。この事実は息子が叱(しか)られている姿で十分すぎるほど知らされている本岡だった。
「そうだったか…。俺はちょうどいいと思ったがな。見解の相違か、ははは…」
 恭子は何が可笑(おか)しいのか分からない・・とでもいうような表情で訝(いぶか)しげに本岡を見た。まだ、国会中継は続いている。いつのまにか質問者が変わり、違う野党議員が質問席に立っていた。
「この人も少し見解の相違があるな…」
「えっ?」
「いや、なんでもない…」
 本岡は、濁(にご)して茶を啜ろうとしたが、湯呑の茶は空(から)だった。
 人と人は大筋で一致して生活しているが、同じ人間でない以上、多かれ少なかれ、見解の相違はある。見解の相違の主張が強面(こわもて)に叫ばれるようになると、大筋で合意していた組織は細分化する。最近、わが国では、こうしたことが多方面でよくある。 

                    完


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