世間では、やらなくてもいいのに両者の言い争いの仲介(ちゅうかい)を勝手に買って出るお人よしがいる。俺がっ! と自分を格好よく見せようとする人によく見られるパターンだ。この場合、双方から反撃を食らい、気づいたときには自分が、とばっちりを受けているというケースがよくある。言い争いを始めた当の本人達は、すでに自分達がなぜ言い争っていたか・・を忘れて普段どおりとなり、逆に2対1で仲介したお人よしを攻めているのだ。
蚊取物産へ入社して五年の係長補佐、苦虫(にがむし)は、早朝出勤してデスクに座ると、机上のパソコンを開いた。同期入社のOL、雛菊(ひなぎく)は、このときすでに出勤しており、苦虫の姿を見ると、淹(い)れた緑茶の湯呑(ゆのみ)をトレーに乗せ、近づいていった。
「苦虫君、おはよう…」
雛菊は湯呑を置きながら、そう言った。
「ああ、おはよう…」
朴訥(ぼくとつ)にそう返した苦虫だったが、心中は満更(まんざら)でもなかった。苦虫は仄(ほの)かな想いを雛菊に抱いていたからである。片や雛菊は、それほどでもなかったから、他の課員と同じように苦虫に接していた。
しばらくすると、課長や課長補佐、課長代理、係長といった管理職も他の課員達に混ざって次々と出勤し、商品開発課のメンツは麻雀の役満のように揃(そろ)った。
入社して以降、課長補佐と課長代理の上下関係が今一、分からない苦虫だったが、この朝も二人の顔を見ながら、どうなんだろうな…と心中で、つまらなく思っていた。同列に位置していると見られる二つのポストの上下関係を口にする社員は誰もなく、未(いまだ)だに蚊取物産の子供じみた謎(なぞ)の一つとなっていた。
仕事が始まり、小一時間が経過したときである。急に課長補佐の蚤坂(のみさか)と課長代理の虱尾(しらみお)が言い争いを始めた。
「何、言ってるっ! 煙(けむり)優先だろうがっ!」
「馬鹿、言えっ! 臭(にお)いに決まってるっ!」
苦虫にすれば、どちらでもよかったが、ここは想いを寄せる雛菊に格好いいところを見せられるチャンスだっ! …と、閃(ひらめ)かなくてもいいのに閃いてしまったのだから仕方がない。ツカツカツカ・・と二人に近づくと、「まあまあ、お二人とも…」と仲介役を買って出た。
「何だっ、君はっ!」
「そうだっ、部外者が出しゃばるんじゃないっ!」
逆に蚤坂と虱尾に叱責(しっせき)され、お人よしの苦虫はスゴスゴと自分のデスクへ撤収(てっしゅう)した。遠くに雛菊の姿が見えたが、あとの祭りだった。
世間でこうなるケースは、いろんな分野で結構、よくある。
完