しまった! と民夫は思った。今朝は久しぶりに…と意気込んで料理を作り始めた、まではよかった。が、冷蔵庫から出した卵をつい、うっかり落として割ってしまったのだ。[不幸中の幸(さいわ)い]というやつで、手にした1個だけで済んだから助かった。パックごとなら目も開けられん! …と、あとから思えた。落ちた卵は当然、割れていた。さて、あとの処理である。瞬間に民夫の手は動いていた。汚(きたな)いも綺麗(きれい)も、そんな悠長(ゆうちょう)な余裕はない。床にベチャ~~と広がった卵を、そのまま放ってはおけない訳だ。フロアを拭(ふ)きとらねば…という発想だけではなく、もったいない・・という、さもしい発想も湧(わ)いた。俺は貧乏性だな…と民夫は思った。
上手い具合にフライパンは適度に熱くなっていた。民夫はフライパンをフロアへ近づけ、咄嗟(とっさ)にコテで拡散した卵汁を掬(すく)って入れていた。殻は幾らか細かくなっている部分もあったが、ほぼ割れた状態で繋(つな)がっていたから破片は、ほんの少しだった。熱が加わっているフライパンの卵は、すぐ固まりかけた。こりゃ、スクランブルだな…と早回しに掻き混ぜ、適当に味付けして一品は完成した。味は等閑(なおざり)味だと思え、余り期待はできなかったが、それでも食べものを無駄にはしなかったのだから…と心の安らぎ感はあった。失敗だったが、食べものの有難みを知る上では、民夫にある種のプラスを与える朝の出来事となった。
これで、普通なら話は、めでたし、めでたし…で終わるのだが、民夫の場合は、まだ話の続きがあった。洗いものをして食器類を片づけていると、コテが笑った。
『アンタは、よく使ってくれるけど、相変わらず失敗が多いな! 慎重に慎重に!』
「はい。…はあ?」
民夫はキッチンを見回したが、誰もいない。それは当然で、他には誰もいない訳である。だから、必然的に声がするはずがないのだ。それが、民夫の耳にははっきりと聞こえたのだ。民夫は鈍(にぶ)い遅れでゾォ~~っとした。
THE END