多岡家は少し世間とは異質の存在だった。ようやく暑気が去ったある日曜の朝、一家の大黒柱である多岡 一(はじめ)は大 欠伸(あくび)を一つすると、動くでなくドッシリと目を閉じた。
「いただきます…」
一の異質の朝食が始まった瞬間である。現実の一は茶の間でマグカップに入ったミルクを飲みながら寛(くつろ)いでいた。言葉と状況に大きなギャップがあった。だから、家の中ではバーチャルな状況を呟(つぶや)いてもよかったが、一歩、家の外へ出れば、他人の目もあり沈黙しなければならなかった。そのとき、妻の恵(めぐみ)、長男の耕(こう)、次男の育(いく)、長女の実収(みしゅう)も、それぞれの場所で同じ言葉を吐いていた。言い終わると、エアーな食事が、それぞれの場所で始まった。エアー食事である。だから当然、それぞれが食べているテーブル上の惣材は違うはずなのだが、それが怖(こわ)いことに皆、同じだった。多岡家は全員、特殊な霊力によりテレパシーで映像が共有されていたのである。これは地球科学では説明できない事例としてギネスから認定証を授与されたほどだった。
さて、それから小一時間が経った。恵は台所でエアーで済ませた同じ食事の準備をしていた。要は、実際にエアー食事と同じ献立を調理しているのである。多岡家ではバーチャルな仮想空間が現実に起きていた。しかも、お互いの意識が共有されているのだから、これはもう怖い以外のなにものでもなかった。世間の中には多岡家を、あの人達は未来が分かる宇宙人だ! と言いふらす者もいた。しかし、多岡家は全員、動じなかった。
「あらっ、お風呂? 早いわね。さっき、お父さん入ったわよ」
恵が耕を止めた。エアー風呂はすでに終わっていて、恵は終い湯を落としたばかりだった。現実の恵はキッチンにいて、エアー夕食で済ませた総菜を調理し始めていた。
多岡家は時間差で生きていた。多岡家のバーチャル[仮想的]なエアーの先頭を行く戸主の一は、すでに次の日の夕方に存在していて、エアー出勤から帰宅したところだった。現実の一は居間の長椅子で新聞を読みながら、恵の夕食準備が終わるのを待っている・・という状態だ。
「全然、違う問題だったよ…。食べたらやり直しだ!」
次男の育は自分の部屋から居間に入り、一に愚痴(ぐち)った。今日のエアー期末試験と現実にしていた勉強箇所が大きくズレていたというのだ。一方、妹の実収は実収で、テンションを下げて自分の部屋からキッチンへ現れた。
「あら実収、どうしたの?」
恵はそんな実収に気づき、訊(たず)ねた。
「ああ、いやだ! プレゼント変えなきゃ!」
実収の話では、明日(あした)彼に渡したエアープレゼントが不評だったのだ。
総じて、エアー家族の多岡家では全(すべ)てにやり直しが効くのである。便利な話だが怖い話でもある。
完
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