代役アンドロイド 水本爽涼
(第227回)
「しがし…何も食わねえで、よぐ動けっな。皆、不思議がっとるよ」
沙耶は一瞬、その言葉に危険を感じた。言語認識プログラムが作動し、村人の言葉に不信感を読み取ったのだった。
『私…拒食症で病院通いなんです』
「そうなのが? とでも信じらんねえがな」
村人は半信半疑ながらも、とにかく納得した。緊急回避システムの作動により窮地を脱した沙耶は足早に、その場を去った。
夕方になり、保がマンションへ戻ったとき、沙耶はすでに湯夕飯の準備を済ませていた。尋常に考えれば、とても出来ない時間移動である。
一方その頃、長左衛門は隠れ部屋でアンドロイド三井の機能向上を目指していた。もちろん、長左衛門の傍らには子分の里彩がいて、意味が分からないまま作業を見守っていた。里彩の役割は両親である勝、育子夫婦に気づかれないようにする、いわば見張り役と連絡役、それに雑用係であった。それを一手に引き受けているのだから結構、重要な立場だった。むろん、土、日と平日の下校後で、育子に小言を食らわない程度に、だった。
「よしっ! 今日のところは、ここまでにしておこう」
そう呟(つぶや)くと、長左衛門は三井の背面にある制御電源をONにした。しばらくすると、三井はパチリと両眼を開け、衣服を整えながらズボンのベルトを締めた。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第226回)
一瞬出来た空白の間合いに気拙(まず)さを感じたのか、「いや、つまらんことを言いました。気にせんで下さい」と、矢車は加えた。
「いや、まったく気にしてませんから…」
保は笑って受け流した。沙耶も機械的な愛想笑いをしながら軽く頭を下げ、その場を去った。保は内心、危ない危ない…と思った。それでも怪しまれずに済んだから、気分的には、ほっとして研究室へ戻った。一方、沙耶は辺りを見回し、人の姿がないことを確認すると瞬時に時速300Km超の速さで走り出した。道路に突然、疾風が巻き起こり、まるでリニアモーターカーのような通過だから、普通の人は面食らう感覚である。当然、木枯らしのような強烈な風塵を伴い木の葉などは吹き飛ばされた。およそ150Km離れた茨城の太平洋岸に沙耶は30分弱で到着し、何事もなかったかのように停止して歩き始めた。眼前には太平洋と半ば復興した漁村が展望できた。
「おめえ、凄いよな。お陰で助かるって、村の者は皆、言うどる」
『そんな…』
沙耶は疲れることなく、馬鹿力で普通の五人分は働くのだから、そう言われるのも道理だった。沙耶が参加した前からボランティア従事者はいたが、次第にその数は減り、この村では今や沙耶だけになっていた。だが沙耶は五人分を熟(こな)したから、一般ボランティアが五人いるのと何ら変わりなかった。漁村の復興状況は、元通りといかないまでも、震災前の70%方まで進んでいた。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第225回)
『忘れものなんです…』
沙耶は手に持った手弁当の布包みを示した。
「あっ! そうでしたか…。ちょっと待って下さい。今、内線入れますので」
老ガードマンの矢車は机上の受話器を手にし、「山盛さんとこは102だな…」と呟くと、慣れた手つきでボタンを押した。
保がエレベーターで降りてきたのは、しばらくしてからである。矢車に応対して電話に出た保だったが、何の用で沙耶が来たのか分からなかった。まだ、手弁当をマンションに忘れてきたことに気づいていなかったのである。
「あっ!」
保は布包みを示す沙耶を見て、初めて忘れたことに気づかされた。
『忘れちゃ駄目じゃない』
「いやあ~、済まない」
矢車の手前、保は暈して謝る以外になかった。素直に布包みを受け取った保に沙耶はそれ以上、返さなかった。
『じゃあ私、行くね。頑張ってね』
「ははは…、お友達のお従兄妹(いとこ)さんでしたよね。しかし、どう見ても奥さんにしか見えませんな」
矢車は冗談のつもりで言ったのだが、保と沙耶は少しギクリとした。ただ、二人のギクリは違っていて、保の場合、気持が動転して驚いたギクリ! なのに対し、沙耶の場合は言動の弱点につけ込まれたメカ上のWARNINGプログラムが警報で冷静に認識された判断上のギクリだった。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第224回)
走る方向は一瞬で変化した。もちろん、保がいる山盛研究所に向かってである。沙耶は漁村のボランティアへ行かねばならない…と思考回路が命じていたものを非常退避行動プログラムに切り替えていたから、急いでいた。で、保が禁じていた時速300Km以上の走行を始めた。束の間ならぬ、瞬く間に大学院新館へは着くはずだった。ただ、走行する姿を人目に晒(さら)すことになるのは覚悟せねばならなかった。マスコミ騒ぎとなる危険性がある行動を手弁当一つで、そこまでする必要があるのか…という思考安定システムからの緊急指示もあったが、沙耶は振り切って非常退避行動を優先し、保の所へと向かった。
街を行く人々は沙耶が通過する疾風を見て感じた。そして一瞬だが、どの人にも沙耶の走る姿が映像として残った。当然、すべてが唖然としたが、それでも叫声を発する人は誰もいなかった。正確に言えば、その間合いがなく、誰もの目に映った次の瞬間、沙耶の姿は失せて見えなくなっていた。
10分も経たず、沙耶は山盛研究所のある新館へ到着していた。むろん、息も切らさず、所作には寸分の乱れもなかった。当然といえば当然なのだが、人間なら明らかに異常だから、停止する場所柄も考えなければならない。沙耶もその不便さは少し感じていた。厄介という人間感覚ではなく、無駄があると判断するシステム感覚である。
「おや? いつやらの…。どうされました?」
沙耶が入口を入ると、いつもの老いたガードマーン矢車が訝(いぶか)しげに沙耶を見上げて言った。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第223回)
『スクランブルでいい?』
「…ああ」
毎朝のことだから、ポーチドでもスクランブルでも目玉焼きでもいいんだ…と、保はまだ起きれない目を瞑(つむ)りながら眠たく思った。だが、この瞬間も沙耶は律義にも自分のために家事をし、その後、保を送り出してからボランティアに出るのだ…と思うと、寝てなどいられない気分になり、ガバッ! とベッドから飛び出した。眠気は完全に消え去っていた。
惰性とは恐ろしいものである。いつものように身体は動き、洗顔・歯磨き→着替え→磨き→出勤となるのだ。むろん、沙耶が傍にいて、なに不自由ない潤滑油のような気配りをするのだから、保としてもスムースに出勤出来るのだが…。そんなことで、寝起きに考えていた沙耶のボランティアの大変さもすっかり忘れ、保はいつものようにスンナリと地下鉄に乗った。これも日々の惰性である。
スンナリと地下鉄に乗れたが、保はついうっかり、出がけに沙耶が作った愛妻弁当ならぬアンドロイド弁当をマンション出口の手すりに置き忘れたことに気づいていなかった。沙耶がこの日は送り出さなかったことも原因の一つだったが、保が飛行車のキャド(コンピュータ設計支援ツール)のことを考えていた・・という浮ついた気持によるものだった。沙耶が置き忘れに気づいたのは、保が大学院新館に着いた頃である。
『あっ! 忘れてる…』
沙耶はボランティアで茨城沿岸の漁村へ走ろうと出口ドアを開けた瞬間だった。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第222回)
『片づけよ、片づけ』
「片づけって?」
「地震の津波」
津波と聞いて、さすがに保もピンと来た。地震と津波…これはもう、今では過去の語り草となっている東日本を襲った大震災のことだと閃(ひらめ)いたのである。その片づけか…と思えた。そういや未だに立ち直れない人々も多くいるとは聞いている保だった。結局、頷(うなず)いただけで、多くを沙耶から訊くことなく、その日は終ってしまった。保が少し疲れを感じていたこともある。山盛教授に言われている飛行車のキャド(コンビュータ設計支援ツール)は余り進んでいなかった。その構築を考え。なおかつ長左衛門対策を考えていたのだから、保が疲れるのも道理だった。その点、疲れるという言葉が認識出来ない沙耶はタフそのものである。ソファーでぐったりしている保をよそに鼻歌で調理場に立っていた。保つとすれば、そんな沙耶が煩(わずらわし)く疎(うと)ましいのではなく、羨(うらや)ましく思えていた。人として見れば、疲れないことは有り得ないのだ。だが、その疑問を口にすることなく、じっと眼を閉じながら、流れる鼻歌を聴いていた。よく考えれば、十日に一度のメンテナンス以外、彼女? は完璧だった。
翌朝、保はいつものように沙耶によって起こされた。彼女? は、すでに一時間以上前から起動していて、当たり前のように食事の準備と愛妻弁当ならぬアンドロイド弁当を調理しているのだった。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第221回)
後藤はアフロを掻き乱してノートパソコン上にフケを撒き散らしていた。保はこの体(てい)たらくは、いったい何事だ! と内心で怒れていた。自分もこの体たらくの一員かと思うのが嫌だった。そう思えたのには、もう一つの訳があった。沙耶の変貌ぶりである。保の了解を得て、彼女? は日々、ボランティアに奔走していた。保が瞬間移動の設定を条件付きで外したこともあり、沙耶は瞬時に猛スピードで移動し、ボランティアを終えれば、また猛スピードで戻ってくることが可能となっていた。
沙耶のボランティアは都内から移動して約150Kmの地点にあった。茨城の太平洋沿岸に点在する漁村である。今ではもう過去となったが、大震災の爪痕が未だ色濃く残っていた。沙耶はその復興ボランティアで移動してのである。沙耶が何をしようと、無関心でいようと保は心がけていたから、ボランティアの内容はまったく知らなかった。気にはなっていたが、敢(あ)えて聞こうとはしなかった。しぱらく様子を見てみよう…と保は思っていた。幸い。長左衛門陣営の音沙汰はしばらく鳴りを潜めていたから、保としては助かった。だ一つ、保が沙耶に釘を刺しておいたのは、出来るだけ人目を避けて移動するようにということだった。マスコミ沙汰になることだけは憚(はばか)られた。
沙耶のボランティアは都内から移動して約150Kmの地点にあった。茨城の太平洋沿岸に点在する漁村である。今ではもう過去となったが、大震災の爪痕が未だ色濃く残っていた。沙耶はその復興ボランティアで移動していたのである。沙耶が何をしようと、無関心でいようと保は心がけていたから、ボランティアの内容はまったく知らなかった。気にはなっていたが、敢(あ)えて聞こうとはしなかった。しぱらく様子を見てみよう…と保は思っていた。幸い、長左衛門陣営の音沙汰はしばらく鳴りを潜めていたから、保としては助かった。
「いやあ~、訊かなかったんだけどさ、どんなことをしてるんだ? 一応、保護者のようなものだからさ」
改めて訊くというのは、どうも歯切れが悪かった。保はそれでも、このまま知らん顔は出来んぞ・・と思えたから、話を切り出していた。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第220回)
要は人間ならテンションを下げたということである。
「だったら、おじいちゃま。それまで三井をお借りしていいかしら」
里彩が、おしゃまな言い方をした。
「ほっほっほっ…、里彩の好きにしなさい」
長左衛門は孫の里彩には、からっきしで甘かった。
『里彩お嬢さまの言われるままに…』
三井はテンションを下げたままで、暗く従順に言った。長左衛門は、しばらく髭を撫でつけながら無口になった。
「…そういや、三井の話も合点がいくのう。沙耶さんが物を食べなかったのも頷(うなず)けるわ。わしが三井のそのことを隠したのと同じじゃからのう」
「なんのこと?」
「里彩は分からずともよい」
長左衛門にそう言われ、里彩は少し不機嫌になった。
その頃、保は山盛研究室で欠伸をしていた。自動補足機が日の目を見なくなって以降、研究室は熱気が失せていた。
「岸田君、その後、飛行車のキャド(コンピュータ設計支援ツール)は、どうなってるかね?」
怠惰感が充満する室内に山盛教授のひと声が響いた。保は思わず欠伸(あくぴ)をおし殺した。
「は、はい…。もっか進行中です!」
「そうかね…。急がないから、よろしく頼むよ」
いつもなら教授のご機嫌を伺う但馬もテンションが今一、上がらないのか、小判鮫ぶりを発揮しなかった。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第219回)
「なにっ! 沙耶さんがお前と同じアンドロイドじゃと!?」
「はい。ほぼ100%の確率で間違いないように思われます」
「して、その根拠は?」
「はい。簡単にご説明いたしますと、他の方々には生じない音声の歪(ゆが)みがあのお方には、ございます」
「音声の歪みとな!? ああ、音声システムのことじゃろう…」
長左衛門が製造した三井には保の音声解読システムよりやや古い音声システムが組み込まれていた。だが、人以外の音と声は識別できた。
「う~む。わしのようなことを保がのう。まあ、考えられなくもないが…。なにせ、わしの遺伝子を持っておるんじゃからな、はっはっはっはっ…」
長左衛門は豪快に笑い飛ばした。そこへ里彩が現れた。
「おじいちゃま、私はなにも言ってなくてよ」
「おお、里彩か。聞いていたのか…。分かっておる分かっておる」
そう言うと、長左衛門は里彩の頭を優しく撫でつけた。
『里彩お嬢様や先生に早く紹介していただかねば私の立場がございません。この立場とは立つ場がないという意味ではなく顔が立たないという意味で…いや、顔は立ちませんが、私の存在が疎(うと)んじられると申しますか…』
「なにをゴチャゴチャ言っておるのだ、三井。これは、プログラムを修正せずばなるまいのう。よって、お前のお披露目は、まだまだ先じゃ」
『はい…』
三井はトーンを下げた。感情システムは沙耶とほぼ同等に思われた。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第218回)
「なにかありましたら…」
若い家政婦を下がらせたあと、トメも語尾を濁しすように呟くと応接室から消えた。保としてはこの手下が少し厄介に思えた。
「じいちゃん、先っき、沙耶さんが言ったことだけどさ…」
「ああ、三井のことじゃろう。実はのう、まだ勝(まさる)達には言っとらんのだ。じゃから、知っとるのは、わしと里彩だけでな。…それとお前達だ」
「そうか…」
保は三井がアンドロイドであることを知らない態にした。
「まあ、そんなことじゃ、ホッホッホッホッ…。それでな、お前も黙っといてくれんか。他の者にはわしが言うでのう」
「ああ…。それはいいとして、三井さんは離れにいるんだろ?」
「そうじゃが…。食事は外食させておる」
「ふ~ん、そうなんだ。それにしても、じいちゃん益々、意気軒昂だな」
「ホッホッホッホッ…、笑わすでない。わしはもう、隠居じゃ」
保にはアンドロイドを作る長左衛門が、とても隠居とは思えなかった。むしろ、好敵手に見えた。
二人の間にバトルが起きたのはその十日後だった。とはいえ、それはメンタルな両者の戦いで、お互いの腹を探り合う、いわば頭脳戦の様相を呈する電話でのトークバトルである。長左衛門は保と沙耶が東京へ戻ってから偶然、三井から情報を入手したのだった。保達がUターンするまでに三井が情報を提供することも出来たのだが、長左衛門は訊(き)かなかったから三井も答えなかったのだ。ただ、それだけのことである。保達にとっては不幸中の幸いで、敵地でのバトルは回避されたということである。