代役アンドロイド 水本爽涼
(第268回)
「本当かよ」
「嘘を言っても始まらん。現実に今だって動力式の一人用グライダーが飛んでるじゃないか。車が飛んでも怪(おか)しかないだろ?」
「まあ、それはそうだが…。重い車が飛ぶとは、すぐには信じられんな」
「ははは…。無論、軽量化してだ。それに飛ぶ原理がまったく違う」
俺は原案だけで、あとは沙耶が考えたと迄は言えなかったが、保は自信ありげに言い切った。保としては成功してもらいたい一件なのだが、その実、失敗した方が厄介なことにならないのではないか…と思っていた。自動補足機のマスコミ騒動は尋常ではなかったから、その記憶が保をアグレッシブにさせずにいた。中林と話していても保の意気がまったく上がらないのは、そのせいもあった。
「おい! どうした? 少し元気がないようだが…」
中林が保を見遣(や)った。
「いや、ちょっと疲れが溜まっているからだ。どうってことない」
「そうか ? なら、いいんだが…」
親友の中林には保の小さな異変が、すぐ分かる。目敏(ざと)く、それを指摘したのだった。人間の保とは違い、不必要な雑念を思わない沙耶は益々、機械工学の知識を深めていた。そして、その実行の日は次第に近づきつつあった。
『沙耶さん、私(わたくし)の方は、ほぼ大丈夫なようです。そちらは、いかがですか?』
代役アンドロイド 水本爽涼
(第267回)
『もちろん! そうと決まれば今、三井さんが言ったことが、すべてOKにならなきゃね。最低条件だからさ』
『ホームレスで暮らすのも可能でしょうが、それにしたって私たち自身のメンテナンス、修理の機材は必要ですから運び込まねばなりません。それには諸費用が必要となります。あとから購入する方法ですと、かなりの諸費用を計上し、手元に置いておかねばなりませんから…』
三井は理路整然と話した。そのとおりなんだから仕方ないわね…と思え、沙耶も反論はしなかった。
そうこうして、ひと月が流れようとしていた。保が発案した飛行車の実物大の組立は電子部品や機材の購入が始まったところだった。
「お前のとこ、また何か作るらしいな。教授がちょくちょく寄って、大将にそう言ってるぞ」
保が馬飼(まがい)商店へ部品調達の下見に行ったとき、中林がそう言って声をかけてきた。保は心中を見透かされたようで一瞬、ギクリとした。それでも、すぐに落ち着いて返した。
「ああ…。前回より凄いぞ、今度のやつは!」
「どんなんだ?」
「お前には沙耶のことを黙っていてもらう借りがあるしな。それに、発注すれば孰(いず)れ分かるだろ。…エアカーだ」
「はあ?! エアカーって、空飛ぶ車ってことか?」
「ピンポ~ン! 飛行機ならぬ飛行車さ、ははは…。SF映画でよく見るだろ? あれだ」
代役アンドロイド 水本爽涼
(第266回)
『心が荒(すさ)んでるのよね。自分さえよけりゃいいっていう人が割合的に増加しているのは確かよね。ちゃんと、データが出てるもん』
『はい、確かに…』
『そういう人間がいるかぎり、社会はよくならないわよ。そんな人が世の中を悪くしていってるのよ。今でなくても孰(いず)れ、そんな人は世の中に捨てられるんでしょうけどね』
『私(わたくし)』もそう思います。アンドロイドは、そういう反社会的行為は全否定しますから。でしょ?!』
『ええ…。っていうか、プログラム自体が私にはされてないし、反倫理的行動は規範として訂正、修正するようにプログラムされているから。三井さんも、そうでしょ?』
『はい。まったく同じかは分かりませんが、似通ったプログラムでしょう、たぶん…』
三井はトーンを落としてボソッと答えた。
『お互いを修理やメンテナンス出来るようになったら、どこかへ消えちゃう?』
沙耶が機械的な冗談を言った。
『ええっ!』
沙耶が冗談で言ったひと言は、三井に提案と聞こえた。彼? には冗談を解する言語システムまでは備わっていなかったのだ。三井は意表を突かれ面喰らった。
『まあ、飽くまでもお話だけどね。私もすぐは保に悪いし…』
『いや、そのお話はアリかと思います。私(わたくし)だって今のところ急に消え去るのは先生に悪いですし…。それに、その行動を実行するには、相応の暮らしていく準備とかが必要となるでしょう』
代役アンドロイド 水本爽涼
(第265回)
機体は順調にグラウンド上空を旋回しながら10分ばかり飛んだあと、ふたたび保達の近くへ無事、軟着陸した。
「飛行はとりあえず、これでOKのようです。今後は緊急時の安全性ですね」
「そうだね。耐熱性の安全バルーンが緊急時に膨らみ、機体が浮上を維持できるかだが…」
「僕は大丈夫だとは思うんですが…」
「いやいや、私だって上手くいくと思うさ。はっはっはっはっ…」
教授が笑い、保も笑った。二人の話を後藤は笑顔でただ聞いている。但馬だけが少し面白くないのか、苦虫を噛み潰したような顔で見ていた。飛行車の構造は、根本的に従来の飛行概念を覆(くつがえ)すもので、物体の揚力を得る仕組みが全て違っていた。この揚力を得る新理論だけでも十分、ノーベル賞に値するものだった。沙耶がこの設計構造をプログラムに組んだとき、保は唖然としたほどである。この理論でいけば、空飛ぶ円盤に代表されるUFO(未確認飛行物体)とかの飛行物もSFではなくなり、現実に有り得る…と、保自身を思わせたのだ。
その頃、沙耶と三井は、どんどん機械工学の知識を蓄積していた。双方とも、機械というものの本質に目覚めていくうちに、アンドロイドである自分達のアイデンティティ(主体性)に目覚めていった。二人? には互いに遠方に離れているという距離感はなかった。
『はい! 今週の情報交換は、ここまでに致しましょう。それにしても、人間の行動は妙ですよね。住みよい国をポイ捨てゴミとかで、わざわざ汚してます』
代役アンドロイド 水本爽涼
(第264回)
一時間が経過し、山盛研究室の四人は、かつて自動補足機の実験走行で訪れた国立競技場の回廊に来ていた。ただ、今日の場合は、回廊走路での実験ではなく、外部グラウンドを貸し切っての実験だった。山盛教授が午前中、マスコミなどの部外者を立ち入らせないために貸し切ったのである。
「上手いこといくとええけどなぁ~」
誰に言うでもなく、呟(つぶや)くように後藤が口を開いた。保は総責任者として機体と操作盤の調整に余念がなかった。この操作盤は大型免許を持つ後藤が昨日の深夜、密かに運び込んだ実物大の操縦席である。むろん、運び込みの許可や手筈も山盛教授が施設側に了解を取っていた。以前のときもそうだったのだが、山盛教授と施設の理事長との太いパイプで繋がった人脈が、この飛行実験を可能にしたのだった。
「飛んだ、飛んだ!! 飛びましたなぁ~!」
「君なあ、そう凧が飛んだように喜ぶんじゃない。そりゃ、岸田君が設計したんだから飛ぶだろうさ。なあ、岸田君」
操縦席に陣取り機体の計器を弄(いじ)る保を横から見ながら、講師の但馬が後藤を窘(たしな)めた。反対側には山盛教授がいて、腕を組みながら保の操作と飛ぶ飛行車の模型を交互に見守る。但馬の声に保としては沙耶が設計したんです、とは返せず、ただ黙って微笑むしかなかった。
「騒音もないし、こりゃ今度こそ実用化の道が開けそうだな。なっ、岸田君!」
「はい!」
保は話したいのだが操作に慣れておらず、その余裕はなかった。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第263回)
「そうよね…。たぶん六分四分で沙耶さんが有利なんじゃないかしら」
「ほう。お前もそう思うか。わしもな、最近、そう思えるようになったんじゃ。保の飛行車の発想は、わしの及ぶところではないからのう…」
「うん、確かに…。三井は少し言語システムが硬いしね」
「ほっほっほっほっ…。それはそうじゃな」
二人は新発売のスイーツを頬張りながら茶を啜った。
その頃、山盛研究室では飛行車の第1号模型が完成しつつあった。
「教授、出来ましたな!」
関西弁の妙なイントネーションで後藤が柔和に言った。相変わらず、アフロ頭は揺れている。
「そうだね…。これが順調に飛べば成功なんだが…」
「ラジコン操作のカーやヘリとは少し構造が違いますからねぇ~、上手くいくかどうか…」
教授と後藤の会話へ割って入るように小判鮫の但馬が講師顔で教授に吸いついた。
「ああ…但馬君の言うとおりだが、私は岸田君の理論を信じとるよ」
「はあ、そう言っていただくと…。有難うございます」
保としては面目躍如といったところで、とりあえずは顔が立った格好である。とはいえ、スイッチONでどうなるかは、保本人にも分からなかった。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第262回)
「成功、不成功、いずれにせよ、すごいことじゃ。あの研究室は、どこか、わしらと似通って世離れしとるなあ。そうは思わんか。三井よ」
『仰せのとおりでございましょう。私をお作りになられた先生も世間に隔離されたご研究でマスコミ公表はなされませんから、確かに世離れされておりますし…』
「ほっほっほっほっ…それもそうじゃ。わしはマスコミが大の苦手でのう。余りもて囃(はや)されるのは得手ではない」
『私(わたくし)や沙耶さんのことが世に知られれば。保さんや先生はノーベル賞は間違いないように思われますが…』
「そのような小ざかしい肩書きの賞など欲しゅうはないわ。有名無実は好かん! 隠遁生活で勝手気儘(きまま)に生きられれば、それで重畳(ちょうじょう)!」
言い放つと、長左衛門は、ゆったりと顎鬚(あごひげ)を手指で撫でつけた。
沙耶は沙耶、三井は三井で互いに機械工学の習得に切磋琢磨する日が、その後も続いた。これも孰(いず)れは人間界から独立しようという二人? の協同作戦だから、それなりの意味はあった。しかし、保や長左衛門からすれば、まったく寝耳に水のクーデターであり、製作者に対するある種の反逆だった。ただ保も長左衛門もこの段階ではまったく気づいていなかった。保は飛行車で頭が一杯で、長左衛門にしろ里彩を相手に優雅に遊んでいた。
「里彩よ、三井と沙耶さんが勝負するとすれば、どちらが勝つかのう」
「おじいちゃま、勝負って取っ組み合いの喧嘩(けんか)?」
「馬鹿を言うでない。そのようなことになれば、双方とも壊れるわ。わしが言うのは頭脳戦じゃ」
皆さんは底なし沼というのをご存知でしょうか。実は、これからお話しするのは、その底なし沼に纏(まつ)わる不思議な出来事なんですがね。まあ、信じる信じないは、あなたの勝手、私は語るだけ語って退散しようと…思ってるようなことでね。なにせ、これだけ暑けりゃ、早く退散したくもなるってもんで…。
かつて私が住んでおりました田舎は山村でして、今では廃村になっております。近年、この手の過疎化はどこでも見られる訳で、別に珍しい話でもなんでもないんですが…。しかし、私の村が廃村になった訳というのには、実は別の理由があったんですよ。と、申しますのは、もう随分と前、そう…私が赤ん坊の頃のお話なんです。過疎化とかが問題になるような時代では決してございませんでした。かく申します理由といいますのは、そう! 最初に申しました沼に起因するんでございます。
私の村には昔から語り伝えられる話がございました。それは、いつの日か必ず田畑が窪(くぼ)み、そこが底なし沼となって村人を誘うから、そうなったときは村を棄(す)てて逃げよ! という俄(にわ)かには信じられないような言い伝えなんですよ。私がまだ乳飲み子の頃、地が揺れ、ぽっかりと田畑が陥没したらしいんですよ。これもね、今なら地震の陥没だろ? と冷静に訊(き)かれると思うんですが、それがそうとも思えなかったんです。といいますのは、わずか十日ほどで水が溜(た)まって小さな池に、そして半月ほどで水が引くと、言い伝えの沼が出来たんです。まあ、村の者達も、すぐには言い伝えの沼とは誰もが思わなかったんですがね。
そんなことがありまして、あるとき、一人の村の若い者(もん)が、怖いもの見たさで近づいた訳です。すると、どう見ても底なし沼には見えない。なにせ、水が引いてますから、表面はまだ湿ってますが普通の地面に見えた訳です。で、向こう見ずだったんでしょうね。裸足(はだし)になると、どんなもんだとばかりに、ひと足ふた足と入ってみた。別になんともない。これは大丈夫だと思ったんでしょうね。さらに足を進めた途端、…もうお分かりと思うんですがね。そうなんですよ。その男、ズブズブ…っと跡形もなく沼に飲み込まれたんですよ。いや、私はそう聞かされただけで、見た訳じゃないんですが…。えっ? なぜ分かっていたってですか? それは、その男が自慢たらたら他の若い者に吹聴(ふいちょう)していたからなんですよ。で、男を助けに数人の男が沼に近づいた。村では帰りを待ったんですがね。その男達も帰ってこなかったんです。そうなると、村人も気味悪くなり、他の村へ出ていく者が出始めました。私の家もその一軒でしてね。なんでも、二十軒ばかりあった村は、その後しばらくして村人がいなくなり、廃村になったようなことらしいんです。いえ、これは諄(くど)いようですが私が親から聞いた話でしてね。乳飲み子の私が断言できる訳がございません。作り話か、どうなのか…。真偽のほどを明確にすべく、私は、いつやらその田舎へ行ってみました。…沼らしきものは確かにありました。私は怖くなり、すぐさま駅へ、とって返しました。
THE END
代役アンドロイド 水本爽涼
(第261回)
速度も当然、猛スピードで、図書館司書は初めて見た生物のように沙耶の姿を追った。小一時間が経過し、沙耶はほぼ立ち読みを終えようとしていた。すべての本は沙耶の記憶回路へインプットされ、処理を終えていた。図書館を平然と出ていく沙耶を図書館司書を含むすべての人々が手を止めて見送った。図書館にいる一般人でさえ、もの珍しげに沙耶を見ていた訳である。少し目立ったわね…と、沙耶は、ほんの少し反省した。
その頃、三井も暇(ひま)を見つけては機械技術の知識習得に時を費やしていた。ただ、沙耶と違ったのは、彼? の場合、実技主体で、両指を不器用に使って技術力を高めていた点である。いわば、三井は実技優先で、沙耶は知識優先だということだが、毎週木曜正午の電話ミーティングでは、そのことまでは互いに連絡しなかった。
「おう! 保からの手紙だと、飛行車なるものの模型が完成したそうじゃぞ、三井よ」
『飛行車? でございますか。はて先生、それはいかなるものなのでございましょう?』
「ほっほっほっ…、字のとおりじゃよ、字のとおり。飛行をする車、早い話、空飛ぶ車の模型よ」
『セスナとかの小型飛行機のように? そ! それは、発明ではございませんか!』
「そうじゃ、発明だのう…。ただ、保が付いておる山盛教授は、世間にしばらく公表せぬ腹積もりらしいぞ」
『…左様でしたか』
三井はそれ以上、深く訊(たず)ねず頷(うなず)いた。
怪談には、ちょっと季節外れの話なんですがね。その日の朝は雪が降りしきる寒い朝でした。私は、いつものように起きますと顔を洗い、それから歯を磨きました。前の日と何も変わらない平凡な日だな…と、思うでもなく縁側の廊下を歩いておりました。日本家屋でしたから、廊下の向こうはガラス戸を通して庭が見える訳です。カーテンを開けますと、当然、雪明りで明るくパァ~! っと目が眩(くら)む一面の銀世界が広がっています。おお、積もったなぁ~と、しばし見ておりますと、なんか風情があるんですよね。深々と雪は降っております。ふと、いつもの手入れしております盆栽鉢がどうなっているだろう…と、なにげなく置かれた辺りに目を遣(や)った訳です。すると、たぶん私の目の錯覚だろうと最初は思ったんですがね。いや、これは今考えても私の目の錯覚だったんでしょうが…。といいますのは、あまりにも常識では考えられない大きさの透き通った黄色い蜘蛛が一匹、その盆栽鉢の上に乗っていたんです。動くでもなく、ただじっとして乗っている訳です。先ほども申しましたように、朝起きたばかりですから身体(からだ)は次第に冷えきっていきます。しかし、妙なもので全然、寒くないんですよ。そりゃ、そうですよね。常識ではこの世に存在しない大きさの蜘蛛を目の当たりにしている訳ですからね。で、私は、もう一度、ジッとその大きな蜘蛛を見ました。すると、やはりいます。私も少しずつ気味悪くなってきましてね、その場を離れて台所へ入った訳です。そのとき、妻が台所から出てきて、「どうかしたの?」って訊(き)くもんですから、「いや~別に…」と暈(ぼか)しました。すると、「そう? 顔色悪いからさ… 大丈夫?」って、また訊き返すんですよ。「余り寝れなかったからだろ…」って、誤魔化すしか私は出来ませんでした。原因は分かってましたが、妻に話す訳にもいきませんしね。で、妻が「そう…」と訝(いぶか)りながら台所へ戻ったあと、もう一度、縁側の廊下へ戻りました。そして、先ほどの盆栽鉢へ目を遣りますと、あの蜘蛛はもう跡形もなく消え去っていました。しかも不思議なことに、その乗っていた痕跡がまったくないんですよ。普通は重みで足跡とか残りますよね。それがまったくない訳です。しかしまあ、深々と雪は降り積もっていますから、その足跡を隠したんだろう…とは考えました。それで、もう一度、顔を近づけて目を凝らしましたが、不思議なことにその痕跡がないんです。といいますのは、雪が降り積もっているとしても、妻と話していたのは、ほんのわずかですから、そうは積もっていないですよね。あとが隠れた場合でも、少しは跡の部分が凹んで分かるはずなんです。それがなかったんです。フワッ! と山のように積もった形がそこにはあったんです。なんか、信じられない話なんですが、これは本当にあったお話です。こういう科学では説明できないことって…あるんですよね。
THE END