健次郎は借りてきたVTRの時代劇を観ていた。ちょうど、佳境に入ったところで、いよいよ悪党どもが正義の主人公に斬られる見せ場である。健次郎は思わず片方の拳(こぶし)を握りしめ、もう片方で煎餅(せんべい)を掴(つか)もうと菓子鉢へ手を伸ばした。ところが菓子鉢には、もう煎餅は残っていなかった。無意識に手が伸び、いつの間にか全部、食べてしまったのだ。健次郎は仕方なく、リモコンのスイッチを一時停止にして立ち上がった。立った途端、主人公になりきっている自分を感じた。感じるだけで、まだ自分だという意識は残っていた。それでも、かなり辺りが気になりだしていた。ひょっとすると、悪党どもが部屋の物陰やキッチンの机下から現れ、斬りかかってくるんじゃないか…という緊迫感に襲われた。
「う~む、殺気はねえな…」
健次郎の話し方や仕草は、さっき観た瓦版屋風になっていた。だが、話し方が妙だ…と思う深層心理は、健次郎にまだ残っていた。辺りに気を配り、台所の戸棚からすばやく菓子袋を出すと、健次郎は茶の間へと戻った。茶の間のテレビでは、今にも主人公が悪党達の一家へ入ろうとする入口の場面で停止していた。主人公が入口の戸へ右手をかけようとする瞬間である。健次郎は菓子袋を破って菓子鉢へ入れたあと、リモコンのスイッチを解除した。途端、主人公は動き出し、戸を開けた。いよいよかっ! と、健次郎は固唾(かたず)を飲んでパリッ! と菓子の一枚を齧(かじ)った。その瞬間、悪党達全員の視線がカメラ目線となった。
『誰だ! でかい音を出しやがったのはっ! 静かに観てろいっ!!』
健次郎は仰天したが、思わず「どうも、ご迷惑を…」と、瓦版屋になりきって言った。
『分かりゃ、いいんだ。静かに観てろい!』
親分肌の悪党の頭目(とうもく)がカメラ目線で画面から健次郎に言った。健次郎は素直に頷(うなず)いた。すると、主人公が『ははは…そなた、謝ることはないぞ。こ奴らは拙者がすぐに斬り捨てるゆえ、安心めされい!』と言い放った。
主人公がそう健次郎に言ったあと、壮絶な斬り合いが始まった。主人公が言ったようにバッタバッタと悪党どもは斬られて倒れ、ついに、頭目を残し数人となった。一歩、また一歩・・主人公が悪党どもに迫る。悪党どもは背水の陣となり、テレビ画面には迫る主人公と悪党どもの背中のアップが映りだされた。次の瞬間、悪党どもはテレビから消え、健次郎が観る目の前に突如として現れたのである。健次郎は卒倒し、一歩、下がった。そして、主人公もテレビ画面を抜け出して健次郎の部屋へ現れ、悪党の頭目に刀を振り下ろした。
『ウウッ!!』
悪党の頭目は、叫び声とともに健次郎の前へ崩れ落ちた。健次郎はギャ~~! と叫んで後退(あとずさ)りした。残った悪党はテレビ画面の中へ一目散(いちもくさん)に逃げ込んだ。
『お怪我はござらぬか。これは些少(さしょう)じゃが、ご迷惑料!』
そう言うと、主人公は健次郎に小判を一枚、手渡して画面へ戻った。嘘だろ! と健次郎は思った。画面に戻った主人公はカメラ目線で健次郎に品を作って微笑むと立ち去った。画面に「終」の、どでかい白文字が現れ、VTRは切れた。その瞬間、悪党の頭目は、スゥ~っと健次郎の前から消え去った。健次郎は暫(しば)し茫然(ぼうぜん)としていたが、ようやく我に返った。すべてが夢の中の出来事に思えた。しかし、健次郎の手には一枚の小判が握られていた。健次郎の手は震えた。
後日、健次郎がその小判を鑑定してもらうと、紛(まが)いもない本物だった。いつしか、健次郎は心身とも瓦版屋になりきっていた。髷姿(まげすがた)の健次郎を世間は変わり者と見たが、都会のファッション街ではそれが流行(はや)りとなっていった。いつしか、違和感なく時代劇言葉が若者の間で話されるようになった。
完