水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

短編小説集(48) 点数

2014年01月21日 00時00分00秒 | #小説

 すべてがすべて上手(うま)くいくもんじゃない・・と邦夫は思った。今日の数学のテストは残念ながら65点だった。去年の算数のときは80点だったから随分、成績は下がったことになる。これでは母さんには見せられない…と、邦夫は瞬間、感じた。なぜ下がったのか・・と、邦夫は巡った。やる勉強は小学校のときと同じようにやっている。それには自信があって、今後も続けていくつもりでいた。戸山先生は点数はどうでもいいって言ってたけど、母さんには通用しないな…と邦夫には思えた。邦夫は子供部屋の勉強机で思い耽(ふけ)った。

 数学教師の戸山がクラス全員に話していた。
「お前たちに言っておく! 点数なんぞで、くよくよするな! 満点でも零点でも先生は、いいんだ。ははは…、まあ、零点は少し拙(まず)いがな!」
 その言葉で教室内は笑いの渦となった。
「まあまあ、抑(おさ)えて抑えて…」
 戸山は騒然とした雰囲気を鎮(しず)めようと両腕で制した。少しして、教室内に静けさが戻った。
「出来るに越したことはない。しかし、出来なくてもいいんだ。考えることが大事なんだ。考えることが、社会へ出たときのいい肥やしになる。要は脳を鍛えること! それが大事だということだ。頭、頭!!」
 そのとき、邦夫は急に手を上げた。
「先生! 頭は鍛えられるんですか? アホはアホだと思うんですが…」
 ふたたび、教室内はドッ! と笑いの渦になった。邦夫は、なぜ皆は笑うんだろう? と不思議でならなかった。
「邦夫、先生が言うのは、な! 点数はどうでもいい、ということだ。そりゃ、アホはアホだからどうしようもないさ」
 教室内の笑いの渦はいっそう増し、騒然となった。
「よし!! 終わり、終わり」
「先生! 僕は出来なきゃ困るんです! T大に入らないとママに怒られます!」
 突然、立ち上がった秀才の功太が叫んだ。
「それは、それでいいんだぞ、功太。出来るに越したことはない、と先生、言ったじゃないか、ははは…」
「起立!!」
 クラス委員の実が颯爽(さっそう)と立った。それに釣られ、全員が立った。
「礼!!」
 戸山も礼をすると教室を出ていった。

『邦夫! ごはんよ!』
 遠くから母親の沙代の声がした。
「はぁ~~い!!」
 まあ、先生が言った通り点数は関係ないって言うか…と、邦夫は舌を出して立ち上がった。

                 THE END


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短編小説集(47) 越える

2014年01月20日 00時00分00秒 | #小説

 また! …と里香は思った。ヘアサロンへ行ったまではよかったが、どうしても先を越されるのだ。今度こそは! と意気込んで出かけた今日も、やはり先客が二名いて、優雅にカット中であった。この前も見たおばさん世代の顔ぶれだ。決してこの客達が憎いということではないが、こういつも先を越されると里香の鬱憤(うっぷん)も相当程度、溜(た)まり、心は澱(よど)んでいた。二人が、さっき食べた揚げパンに見えた。食らいついてやろうかしら…などと思え、余計に自分が惨(みじ)めになった。
「これはこれは! 里香ちゃんじゃないか。随分、大きくなったな!」
 里香が腹立たしく舗道を歩いていると、突然、後ろから抜き去った中年男が声をかけた。興奮気味の里香は多少、冷静さを欠いていた。
「あの! どちらさま? 心当たり、ないんですけど…」
 怒り気味の声で、里香はつっけんどんに言い放った。
「俺だよ俺!」
 オレオレ詐欺じゃあるまいし、俺だよ、俺はないでしょ! と、また怒れた里香だが、それは言わず、心に留めた。
「そうか、そりゃ分かんないよな。あの頃は2才…いや、3才だったかな」
 そう言われて、里香はその中年男の顔をジッ! と見つめた。そういや、どこかで見た憶えのある顔だったが、どこで出会ったのか、名前も何も浮かばなかった。
「耕一だよ。母さんの弟の…」
「あっ、耕一おじさん?」
 外国で暮らす叔父(おじ)がいる、は聞かされていた里香だったが、もの心ついてからは、一度の面識もなかった。その叔父に偶然、逢えたのだ。先ほどまでの怒りは消え、里香の心は俄かに和んだ。里香は怒りの峠を越えていた。
「これから、家へ行くところだったんだ。まあ、立ち話もなんだ。歩こう」
 そう耕一に言われて、里香は耕一に続いた。そのとき、さきほどヘアサロンにいた揚げパンが二つ、いや、おばさんが二人、里香と耕一を賑やかに話しながら抜き去った。里香は、また怒れてきた。
「どうした? 里香ちゃん」
「おじさん、あっち行きましょ!」
 道は左右に分かれていた。里香は右の近道を選んだ。
「んっ? ああ…」
 耕一は里香に従った。数分、歩くと、左右に分かれた道は一つになった。10mばかり後ろに揚げパンおばさんが二人、見えた。家はすぐそこだった。もう、追い越されることはない。腹立たしさも消えていた。里香は越えたのだ。
「おじさん、お腹、空(す)いてない?」
「ああ、そういや、まだ昼、食ってなかった」
 買い置いた揚げパンが二つ、冷蔵庫に残っていたことを里香は想い出して笑った。
「んっ? どうした?」
「いえ、別に…」
 揚げパンおばさんが二人、愛想笑いして里香の家の前を越えた。里香は大笑いしながら家へ入った。耕一は訝(いぶか)しげに里香を垣間(かいま)見た。その頃、里香の家の棚では、買い置かれた揚げパンが二つ、冷蔵庫で何やら話し合っていた。

                      THE END


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短編小説集(46) 風邪[かぜ]

2014年01月19日 00時00分00秒 | #小説

 今年こそ勝つぞ…と元気は思った。名前はいいのだが、毎年、寒いこの時期になると必ず風邪をひき、全敗の元気だったからだ。かといって、虚弱体質ではない。というか、体格は小学二年のクラスでも群を抜いた健康優良児で、ダントツ[断然、トップ]の一位だった。その元気が風邪には、からっきしなのだ。
 クリスマスがひと月ほど先に近づいていた。元気が密かに思い描いた今年のサンタへの願いごとは風邪をひかないようにしてもらおう・・というものだった。形がないものだから、サンタが果して自分の願いごとを聞いてくれるかは不確かだったが、それでも元気はその願いごとにしよう・・と決めていた。
 クリスマスが近づいた中旬、ママの恵美が例年のように、それとなく元気に訊(たず)ねた。
「今年は何をお願いするの?」
「んっ? ああ、クリスマス? 今年は何もいらないんだ」
「えっ!? どういうこと?」
「物じゃないの。風邪をひかないようにしてもらおうと思うんだ」
 恵美は困り顔をした。パパの義則が会社への出がけに聞いとけよ・・と囁(ささや)いたのだ。恵美は内心、弱ったわ…と思った。恵美は会社帰りの義則にそのことを話した。
「そうか、風邪をひかないようにな…。確かに難しい。よし! 俺から、それとなく訊(き)いてみよう」
 鍋を囲んで家族三人の夕食が始まった。
「クリスマスだな。元気は何が欲しい?」
「今年は何もいらないんだ。風邪をひかないようサンタさんにしてもらおうと思って…」
「そうか…難しい注文だな。サンタさん、聞いてくれるといいな」
「うん!」
 クリスマスイブが巡り、次の日の朝になった。元気のベッドの上には銀リポンで飾った赤いサンタ靴が置かれていた。中を確かめると、一枚の紙と手作りの小さなお札(ふだ)、それにクリスマスチョコがひと箱、入っていた。元気は、お札? と首を傾(かし)げながらそれらを出した。紙には、『風邪(かぜ)退治(たいじ)。このお札を肌身(はだみ)はなさず、もっていなさい! サンタより』と書かれていた。
 元気は、ふ~ん…とチョコ粒を箱から出し、口へ放り込んだ。
 その後、元気は紙に書かれたように、そのお札を肌身はなさず持つようにした。すると不思議なことに、その後、元気は一度も風邪をひかなくなった。

              
             THE END

 


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短編小説集(45) 怪談定食 

2014年01月18日 00時00分00秒 | #小説

 影山は会社の出張で、とある街へ赴任していた。最初はひとり暮らしで何かと不自由していた影山だったが、ひと月もすると、ようやく街にも馴(な)れた。梅雨が明け、暑気が出始めたある日、影山は街へ出て外食しようと歩きながら店を探していた。だが、なかなかいい店が見つからない。腹は減ってくるし、日は落ちて辺りも薄暗くなってきた。最初の目論見(もくろみ)では、すぐに店へ入り、適当に食べて社宅へ戻ろう…という予定だったのだが、すぐどころか、かなり時間は経(た)っていた。見つからないならコンビニ弁当でも買って…と影山が思ったときである。陰気な定食屋が路地伝いに一軒あるのが目に止まった。影山は一も二もなくその店に飛び込んだ。店内には幾つかのテーブルとカウンターがあり、影山はカウンターの椅子へ座った。
「いらっしゃいまし…」
 物腰の柔らかい主(あるじ)らしき老人が奥からスゥ~っと陰気に現れ、影山の座った席へ冷茶を運んできた。急に現れた老人に、影山はギクッ! と驚いたが、すぐ落ち着きを取り戻して品書きを見回した。その中に、妙な品書きがあるのを影山は気づいた。
<怪談定食 時価>
「? …あのう、怪談定食って、なんですか?」
「怪談定食でございますか? フフフ…これからの季節のもんでございますよ、お客さん。初見えなんでございますがね、よかったら、どうです?」
 主は陰気な顔で、影山をジロリと舐(な)めるように見回して言った。
「どうです、って言われても、財布の都合がありますから…」
「ああ、なるほど。時価は、まずかったですかな。七百円がとこで、いいがす」
「いや、それはいいんですがね。内容は?」
「しばらく、お待ちを…」
 そう陰気に言うや、主はスゥ~っと奥へ消えた。歩いていた? いや、スゥ~っと流れるように消えたぞ…と影山は少し不気味に思えた。それでも、気のせいだろう…と気を取り直したときである。店の灯りが点滅し始めた。そして、その光は白色光から次第に蒼白さを含んで暗くなっていった。
「お待ちどぉ~さまぁ~~」
 現れたのは手盆に氷を乗せた老人の幽霊だった。
「ギャア~~~!!!」
 影山は大声を上げ、店を走り出た。恐る恐る影山が振り返ると、その店は壊(こわ)れかけた廃墟(はいきょ)だった。
「ギャア~~~!!!」
 影山は、ふたたび大声を上げて走っていた。

                                 THE END


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短編小説集(44) まあいい…

2014年01月17日 00時00分00秒 | #小説

 

 章二は見当たらない財布を探していた。 
━ 妙だな…。確か、ここへ入れたはずだが… ━
 ズボンの後ろポケットに入れたはずの財布が消えていた。最後に出し入れしたのはつい数十分前のことだから、消える訳がない! と、章二は確信して、もう一度、ズボンのポケットを弄(まさぐ)った。しかし、やはりなかった。章二は黙って動きを停止した。
━ 待て待て! ここは落ちつくんだ。外で落とした訳がないんだから、必ずこの辺りにあるはずなんだ ━
 章二は目を瞑(つむ)り、最後に財布を出し入れしたその後の自分の動きを脳裡で遡(さかのぼ)った。やはり、この辺り以外、思い当たる節(ふし)はない。章二は財布の中身が幾らあったか…と、次に思った。今日はスキ焼をする予定で五千円ばかりありゃ足りるだろう…と算段し、肉屋→八百屋→豆腐屋→…の順に回り、家へ戻ったのだ。そうそう、レシートがあったな…と、章二は左胸に入れていたレシートを取り出し携帯の電卓機能で計算した。すると、残金は六百八十円となった。今日は、いい肉を少し多めに買ったからそんなに残らなかったんだ…と思った。となれば、まあいい…という気持も芽生え始めた。おっつけ、そこら辺から出てくるだろう・・第一、外で落とした訳でないことは明白だった。というのも、数十分前に財布に入れておいたクレジットカードを出してネットで買物をしたからだ。番号を入力するために出したのだ。だから、確かに家のどこかに財布は潜んでいるのは確実だった。章二は夕飯準備を始めた。
 見当たらない財布はバーゲンで千円した。今どき、千円の財布などそう滅多にあるもんじゃない…と手に取って籠へ入れたのだ。ブランドものかどうかは別として一応、感触は本革だった。まあ合成皮でないことぐらいは章二にも分かった。少しの年の効というやつだ。レジで財布から千円札を出した。出した財布は数千円したものだが、破れてかなりくたびれていた。だから買い換えたのだった。
 スキ焼で一杯やり、ほどよく酔いが回ったのでテレビをつけ、ふと見ると、財布がテレビの上で笑っていた。章二は酔いのせいだと最初、思った。だが、財布は確かに笑っていた。不思議なことに目があり口があり、足まであって胡坐(あぐら)をかいていた。章二はテレビへそっと近づいた。
『ははは…夢でも幻(まぼろし)でもありません。私はあなたが千円で買われた財布です』
 財布が話す訳がない…と章二には刹那(せつな)、思えたから、自分は、酔ってるんだ…と思った。財布はまた話しだした。
『ちょっと、待って下さい! 私が言うことを聞いて下さい』
 章二はギクッ! として、手の財布を見た。
『私に入るのは千円までなんです』
「えっ?! なぜなんだっ!」
 章二は思わず語りかけていた。
『そりゃ、そうでしょ。だって私は千円であなたに買われたんですから』
「そんな馬鹿な。前の財布はそんなこと言わなかったぞ!」
 章二は、いつの間にか財布が話すという現実を認めていた。
『私は特別なんです』
 そんな…と思えたとき、章二は急に睡魔に襲われた。気づくと章二はテーブルに顔を伏せて眠っていた。慌てて身を起こすと、スキ焼はまだ食べる前だった。ほどよく煮えて、いい香りがしていた。記憶では食べ終えていたから、章二はおやっ? と首を捻(ひね)った。なにげなくテレビの上を見た。財布が乗っていたテレビの上には千円札が一枚、置かれていた。章二は、ギクッ! と驚いたが、まあいい…と美味そうなスキ焼を食べ始めた。

                       THE END


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短編小説集(43) 贋(にせ)のもの 

2014年01月16日 00時00分00秒 | #小説

 二人は美術館にいた。まばらな入場者達が絵画を観ながら、ゆったりと巡っている。その流れに沿って、少しづつ二人も流れた。
「贋(にせ)ものと贋のものとは違いますよ」
 唐突に山崎が言った。
「はあ…」
 田辺は入場券を支払ってもらった遠慮からか、聞く人になっていた。
「贋のものは本物もあり! なんです」
「はあ…」
「それに比べ、贋ものは贋もので、贋ものです」
「はあ…」
 哲学的なことを諄々(くどくど)、講釈を垂(た)れる山崎に、田辺は辟易(へきえき)としていた。
「あの…贋物(ガンブツ)は、どうなるんでしょう」
 田辺が唐突に山崎へ迫った。
「…が、贋物(ガンブツ)はガンブツでしょう…」
 即答で返せず、山崎は言葉に詰まった。二人はゴーギャンの油絵の前で立ち止まった。
「私達は、どこから来て、どこへ行くんでしょうね…」
 山崎は知識を披歴(ひれき)して、少し自慢げに言った。田辺に絵の知識は、まったくなかった。
「えっ?! …」
 山崎はゴーギャンの絵を指さした。
「ああ、この絵が、ですか…。さあ…、来たところも分からないんですから行くところも分かりません」
 田辺は素直に答えた。
「…」
 山崎は返せなかった。自分にしては、よく出来た返答だ…と田辺自身にも、思えた。

                  THE END


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短編小説集(42) 人材あります![最終回]

2014年01月15日 00時00分00秒 | #小説

 戸倉は、ふと手を止めて部屋の隅の異次元へ通じる空間の穴の辺りを見た。妙なことにその空間穴は渦巻いていて、戸倉にも鮮明に見えた。戸倉は唖然として近づき、その空間穴を見続けた。確かに渦巻いている…と、戸倉が確信したとき、戸倉はクラッ! と目眩マイ(めまい)を覚えた。何かに身体が引き込まれそうになる幻覚が続いて戸倉を襲った。戸倉はその場に倒れ、気を失った。
 戸倉が気づくと、店員と思われる若者が一人、必死に呼びながら戸倉を抱き起こしていた。どこかで見た店員・・アチトクがいた異次元か…と、戸倉には思えた。
「店長! 大丈夫ですか?」
「… … ああ」
 戸倉はよろよろと立ち上がった。さっきまでの人材屋の風景が消えていた。机があり、憶えのある店員が他にもいる。どこから見ても異次元の戸倉人材店だった。見回したがアチトクはいなかった。それもそのはずで、アチトクはその頃、戸倉のいる人材屋へ現れていた。時空の歪みで、戸倉とアチトクの存在次元が入れ換わったのである。戸倉は自分の携帯番号を押した。
「はい! 私です」
『今、異次元にいますが、アチトクさんは?』
「あなたの人材屋です」
『そうですか…。どうも入れ換わったようですね。おやっ? アチトクさんに見せて戴いた店隅にある時空の穴が消えています』
「そうですか…。どうも、私達は入れ換わったまま、生きていかなきゃならないようですね、ははは…」
『笑いごとじゃないですよ! どうします?』
「失礼しました。しかし、どうしようもないじゃないですか、私達には」
「はあ、それはそうですが… ~~▽□※×=~~!!」
 そのとき、携帯がノイズを出し、二人の電話回路は断たれた。以後、二人は異次元で別の人生を味わうことになった。

    
                 THE END

 


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短編小説集(42) 人材あります![19]

2014年01月14日 00時00分00秒 | #小説

 取ってつけたような嘘が、上手い具合にスンナリ出て、戸倉はホッとした。嘘も方便とは上手いこと言ったものだ…と、戸倉は刹那、思った。これなら異次元の向こうにずっといた方がいいな…という怠惰感も出てくる。というのも、人材屋は戸倉一人だから、どうしても無理にやってしまうのだ。切りをつけようとしても、アレコレと目につくことがあると手が出た。
 それから一週間ぱかり日は流れたが、これといって異常な兆(きさ゜)しはあらわれず、異次元の戸倉ことアチトクは一度も現れなかった。戸倉は次第に超常現象の起因を探りたくなっていた。アチトクも探るとは言っていたが…とは思えたが、出現もなく電話連絡も入らないところをみると、まだ起因が判明できないんだ…と思えた。いつの間にかひと月が経ち、ふた月が過ぎると、戸倉の記憶もすっかり薄らいだ。
 あるとき、出ようとしていた戸倉に、都合でキャンセルしたいという携帯が入り、仕事に空きが出来た。ドタキャンである。作業衣に着替えを済ませ、道具も車に積みこんで出ようとしていた矢先だったから、戸倉は少し怒れた。しかし、事情を聞けば依頼先にもハプニングがあったらしく、怒りは鎮まって了解した。そんな仕事の空きだったが、しばらく休めてなかったな…と思え、いい身体休めだな…と戸倉は思い返した。だが、この事実は異次元の戸倉の出来事と関連していたのである。そのことを戸倉もアチトクもまだ気づいていなかった。そのとき、異次元では異変が起きていた。本来なら、戸倉の昨日の現象が進行するはずだったが、科学では解明できない空間の歪みが生じたのである。戸倉がいる三次元空間では、すべてが科学で解明される・・とする。ところが、それはただ単なる三次元に生きる戸倉達人間の心の気休めでしかなかったのである。所謂(いわゆる)、三次元理論ともいえるもので、異次元ではまったく通用しない理論なのだった。それを証明する根拠は、宇宙の果てには何があるのか・・という思考に他ならない。宇宙は膨張している・・とか論ずる三次元科学だが、膨張という概念は有限の世界に通じる理論だった。 


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短編小説集(42) 人材あります![18]

2014年01月13日 00時00分00秒 | #小説

 それから小一時間、戸倉は異次元の生活を味わった。もうそろそろ…と戸倉が椅子へ座った足を見たとき、偶然なのだろうが、戸倉の足先は消え始めていた。そして、わずか数秒のうちに元の戸倉の家が現れた。戸倉は瞬間移動して家へ戻ったのだった。
 机の上へ置いておいた携帯が、しきりに振動していた。戸倉は慌てて携帯を手にした。依頼主の怒ったような声がした。
「朝から電話してたんですけどね! お休みですか、今日は?!」
「いや、そういう訳じゃないんですが、ちょっと知り合いの結婚式で…」
「携帯は持って出られたんでしょ?」
「いや、それが…ついうっかり、礼服に着替えたときに忘れたようなんです。どうも、すみません」
 取ってつけたような嘘が、上手い具合にスンナリ出て、戸倉はホッとした。嘘も方便とは上手いこと言ったものだ…と、戸倉は刹那、思った。
「それで、来てもらえるんですかね!」
「あの…どういった内容でしたか?」
「ああ、興奮して忘れるところだったよ。ブロック塀に車が突っ込んじゃってさ。直せるかい?」
「ああ、はい! 明日の早朝にでも、係の者を派遣させていただきます。ご住所は? あっ、はい…、はい…」
 戸倉は電話の内容を机上でメモ書きした。
「料金は軽微ですと、1日まで修理費込みで2万を頂戴しておりますが、この件ですと、一日当たりの手間賃が1万、そこへブロックの材料費を別途、頂戴いたしとうございますが。… … あっ、はい! 分かりました。ではそういうことで。、明朝9時に入らせていただきます。詳細はお伺いした上で。はい! どうも、ありがとうございました」
 戸倉は口八丁で、上手く依頼を引き受けた。


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短編小説集(42) 人材あります![17]

2014年01月12日 00時00分00秒 | #小説

 タバコの煙は最初、真っすぐ立ち昇っていたが、アチコチが近づけたある空間で、スゥ~っと換気扇に吸い込まれるように消えていった。
『今、あなたの次元に、この煙が出ているはずです』
 アチコチは確信を込めて言い切った。
「なるほど…。少し理解出来たような気がします」
『偉そうに講釈を垂れておりますが、この私にもなぜこうなったかは、まだ分かりません…』
 アチトクはタバコの火を灰皿で揉(も)み消すと戸を開け、外へ出た。戸倉は後ろに従った。表には戸倉人材店の大看板が飾ってあった。それに、戸倉の家は店舗風の改造をしたのか、幾らか大きく立派に見えた。そういや、店の机には四台の電話があった。戸倉の家は携帯のみで電話はなかったから、偉い違いだ…と、戸倉は思った。
『次元が違うと、こうも違うんだ…』
 語るでなく呟(つぶや)くように戸倉は言った。
『ええ、まあ…。時間的にはあなたの次元より一日前ですがね』
「俺は、いつ消えるんでしょう? そして、どうなるのか…」
 戸倉は不安げに訊(たず)ねた。
『私の経験からすれば、あと2時間ほどはコチラに留(とど)まれるはずです。ご心配される、消えてどうなるかですが、それは心配いりません。そのまま、あなたの次元へ瞬間移動します。場所は消えた位置ですから、消える可能性のある30分内外は、お家(うち)の中におられた方が安全です。外だと交通事故に・・ということにもなりかねませんから…』
 アチトクは事細かに説明した。
「分かりました。おっしゃるようにしましょう…」
 二人は店内へと戻った。


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