へんないきもの日記

今日も等身大で…生きてます😁

梅とお雛さまと…

2021-02-13 05:02:21 | 旅とランニング


【2つの城下町を持つ柳川】

 朝ご飯を食べて、午前9時の会館にはまだ早いので、付近をグルリと回る…





 とある通りの入り口と出口には…
 ともに"えべっつぁん"、恵比寿様が祀られていた。



 柳川市西部は有明海に通ずるかつての港町…
 かすかに海の香りがする…

 実は柳川は…
 城北と、南西部に位置するこの沖端の2つの城下町を持つというコトを知る。



【女子の節句を大切にする文化】
 さらに川べりを行くと…


 ん、ナニかのお祭り?




 なんと、屋外にお雛さまが飾られていた🤩


 幟と言い…
 端午の節句は、今でも家の前に高々と幟を立てたり鯉のぼりが泳ぐ姿を目の当たりにするけれど
果たして女子の節句であるお雛さまを外に出す…という発想は無かった😁


 …というか、ココまで"ひな祭り"を大切にする文化は(柳川市を中心に福岡県下でごく一般的に見られるのだが)全国的に見ても珍しいのかもしれない。


 私が住んでいる飯塚市も…
 2月に入ると駅の構内や市役所のロビー、古い家屋、商店街の空き店舗にお雛さまが飾られる。

 通常、一般の家庭では(果たして今、お雛さまを飾る家庭がどれほどあるだろう?)3月3日を過ぎると「嫁に行きそびれる」😅と言ってサッサとしまってしまうのだけれど…

 公の場のお雛さまは3月いっぱいまで飾られている。
 あの麻生邸にもお雛さまが飾られ、期間中は一般公開されている🤩



【北原白秋と石川啄木】
 9時を過ぎたので、北原白秋記念館へ…


 生家がそのまま記念館になっているのは中津市の福沢諭吉と同じ😁
 ただし、北原白秋の生家は、一度、周辺の火事が飛び火して燃えている。

 現在の建物は再建されたものである。


 さっそく、お雛さまがお出迎え😁


 実は北原家は代々酒造りを営んでいて…

 ココで、やっと資料館入口の暖簾の意味がわかる😁

 白秋は次男として生まれたけれど、長男がすぐに亡くなってしまったので実質、長男として大事に育てられた。

 父親は当然、家業の酒蔵を継ぐコトを期待していたであろう🤩
 だけど白秋は、酒蔵以上の偉大な業績をこの世に残した…




 実は詩や短歌、俳句といった小説&エッセイ以外の読み物には、あまり興味の無い私なんで😅
 北原白秋についても、学校の教科書程度の知識しか無い😅

 九州の、しかも福岡県柳川市の出身だというコトもこの日初めて知ったし…
 北原白秋の"偉業"についても、ココで初めて知った🤩


 北原白秋の偉業とは?


 全国各地の学校の校歌となる歌詞を作り…
 学校だけではなく会社の社歌を作り…

 それらの創作に際しては、実際に現地へ脚を運んでその土地の歴史を調べ、自然を観察し…
 そうして歌詞に盛り込んで行く…


 ナント、カルピスの宣伝歌も🤩🤩🤩


 実は北原白秋は、19歳で上京し、その後、2度の結婚と2度の離婚をし、3度目の結婚で人生そのものが軌道に乗り出す…

 その間、生家が火災に遭い、家業も絶え、父は東京の白秋のもとに身を寄せたと言う。
 生家が競売にかけられた際、全国からの支援で再建され、資料館として残されたのだから、如何に北原白秋その人が柳川市民に、いや全国の人々に愛されていたかがよくわかる。

 この点、石川啄木とは大違いだ😅


 東海の 小島の磯の白砂に
  我泣き濡れて 蟹とたわむる

 この歌は好きだが😅
 実は石川啄木は、地元の人々に嫌われ&蔑まれていた😅
 というコトを何年か前、奥州街道を走っていて聞いた話である←放蕩、という意味ではバツ2の北原白秋とそう違いは無い?気がするのだけど😅



【掘割のヒミツ】
 資料館には人々の白秋に対する愛と称賛と…
 そして白秋自身の地元に対する愛が詰まっていた🤩



 一瞬、柳川の掘割と小樽運河がかぶって見えた🤩

 そもそも、この掘割とはいつ、どのようにして出来たのだろうか?
 ベネツィアの運河のように?もともとそこにあったのか?あとから造ったのか?🤔

 その秘密を知りたい…
 と思っていたら、ナント、北原白秋記念館にその秘密を解く鍵があった🤩




 
 もともと柳川の地は、水に恵まれない平地だった。
 そこへ地面を掘り、8キロも離れた矢部川から水を引く工事を行ったのが、柳川藩主として柳川城にやってきた田中氏、そう、久留米と柳川を結ぶ道路(現在の県道23号線)を造ったその人だ🤩

 地面を掘って出た土は盛り土として固めて、その上に家屋を建てて人々を住まわせた。
 
 人が住まない湿地帯の江戸を与えられた徳川家康は、知恵を絞って治水を行ない、現在の大都市東京の基盤を作っているが…

 家康の治水作業を参考にしたのだろうか?🧐

 それにしても…
 道路を作り、治水作業を行い…
 人民の為に精を尽くす素晴らしい人だ🤩

 今の政治家にもぜひ、見習って欲しい👍


 実は掘割は…
 近年まで人々の飲水や生活用水として大切にされてきたのだが…
 水道が引かれるとその有り難みが一気に低下して😅

 昭和40年代にはゴミが浮かび、ドブ川のような異臭を放ち、ヘドロ化していった… 
 というから、ますます歴史的な経緯と用途は違うにせよ小樽運河の歩んできた道とかぶって見える😅

 そんな危機的状況から掘割を救ったのは…
 他ならぬそこに住む住民たちの手によって、だった。

 毎年一回、掘割の底のゴミやヘドロを取り除く作業が行われ、ちょうどこの日の夕方4時からその作業が行われる…

 というコトだったけど…
 そんなに遅くまで居られない😅


 でも、コレで柳川のシンボル、掘割の歴史と役割について知るコトが出来た🤩



【柳川再訪〜♪】
 次に訪れたのは、藩士の旧家…


 ココでもお雛さまがお出迎え🤩






 かつて北原白秋が生家から高校に通うために歩いた道を歩いてみる👍



 すると、その先には…

 ナント、故ジョン・レノンの妻、オノ・ヨーコ女史の祖父の家の跡が…😮

 柳川って、いろんな人を輩出しているのね😁



 実は一番、楽しみにしていた古文書館🤩

 なんとなく嫌な予感がしていた…
 だいたい、こういう予感は当たるのだ😅

 もともと木曜日がお休みで昨日は祝日で開館したので今日がお休み、とか😅


 そんなふうに思ってやって来たら…

 ナント、休館😅
 理由はコロナでも緊急事態宣言でも臨時休館でもなく…
 トイレの改修工事の為😅

 たかだかトイレの為に休館するなよ〜🤔
 せっかく楽しみにしてたのにィ👍

 ま、トイレは大事だけどね🤪
 まだお昼だったけど…

 ココでじっくり観察してすぐ近くの西鉄の駅から電車で福岡天神まで帰ろうと思っていたので…
 そのまま西鉄で帰るコトに…



 また来よう、柳川♪



 西鉄の特急は止まる駅が少なくて速い🤩
 柳川から天神まで1時間もかからなかった👍


 そして「ただいま〜」と家に帰ると…
 ベッドの上にあのニャツが…😅

 ひらりを追い出して?入れ代わり?🤔




 夜になっても家の前に居るので、完全に鍵をかけて入って来れないようにして… 
 家の前から立ち去った所でひらりが開けておくれ〜と鳴いてきたので家に入れた👍

 今、ひらりニャンは私の横に居て… 
 ニャツは外で「入れてくれ〜」と鳴いております😅

 飼い猫ひらりの為にも…
 ココはニャツに諦めてもらうしか無い🤔

 しばらく様子を見るとしよう。
 当分、私自身、外泊はしないように👍

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