私がフェイスブックを初めて2か月になりました。日々、お友達も増えて本日、40人達成・・・!(40人目のお友達は「うーさん」でした。
フェイスブックを始めようか迷っている人へ・・・始めた方がいいです!
フェイスブックをミクシーのように出会いの場と勘違いされている方へ・・・基本的に実名、顔写真入りなので本来は自分の過去からのお友達、今現在のお友達など、一度はお会いしたことのある人とお友達の輪を広げていくのがフツーですが、たまに・・・お友達のコメントしていると、そのまたお友達(一度も会ったことのない人)からお友達リクエストがあったりします。その時は、無理に承認しなくてもいいし、そのままお友達になってもいいし・・・その辺は自由です。逆に、お友達にコメントしていく中で、友達の友達(会ったことのない人)とナンカ気が合いそうだなあ~なんて思ったら、勿論、自分から友達リクエスト送信して結構です。
フェイスブックの良いところは、こうして趣味や昔の友達を通じてさらに友達が広がっていくところにあります。
私の友達関係も、最初ばフィットネス関係からスタートして、高校・短大の友達、ライフセーバー時代の友達、そして最近、ようやくランニング関係の友達が加わりました。
おかしかったのは・・・フィットネス関係のお友達にその人を全くしらないライフセーバー関係の私の友達がコメントして、なんだか私以上に仲良くなってるよ~って状態・・・
こんな感じが自由で「いいね!」フェイスブック・・・
昨日、テレビでそんなことを言っていた・・・なんでも「節電」のため、LEDに切り替える方針らしい。そこまで「強要」しなくても・・・裸電球には裸電球の「ぬくもり」と「癒し」があるのだぞ!
写真は、開けてた窓から雨が入り込み、和紙の傘がびしょ濡れになったスタンド・・・以来、この一年、ホントの意味で「裸電球」のもとで暮らしてきました。
よく、「人は石垣、人は城」というが、人そのものが「石」なんだと思う。
互いに摩擦することによって傷つけもし、磨かれもする・・・摩擦がなければ、な~んにも、おこらない。つまらない。
傷つくことを恐れていては、何も始まらない。
「人は石」って感じたのは・・・元旦~2日に佐賀県の呼子町~佐賀市内に入るランの時。親しいランニング仲間の間でも、ちょっとしたことで(特に疲れてくると)いざこざがある。互いに言わなくてもいいひとことを言ってしまったり・・・でも、すぐ、仲直り。仲直りできる自信があるから、つい、いらんひとこと言ってしまうんかな?
日曜日、大阪ミナミの繁華街で起きた通り魔事件・・・むしょ帰りの犯人の男は、「すべてを失って生きる希望をなくした。死のうと思ったが、自分では死にきれず、人を殺せば死刑になると思ってやった。」と答えた。私は、このコトバに注目した。
「すべてを失って生きる希望をなくした・・・」そう感じている人は、この男以外に今の日本にはたくさんいるんだと思う。それは、ある意味、第2・第3の通り魔的無差別殺人が今後も続くということを示唆している・・・
みなさんは、この男のことを単なる加害者と見るだろうか・・・?
私は、「すべてを失った結果、我々が行き着く果て」とみる。もちろん、すべてを失っても希望を失わず明日へとつなげていきている人はたくさんいる。福島やその周辺の人々のように・・・
でも、そのココロのもちようは実は紙一重の差でしかないんじゃないか?と。そう思うと、原発問題もしかり。だが、早急に政治家に考えてもらいたいのは・・・「一人でも多くの人が希望を持てる社会の構築」である。
我々一般市民のレベルでは限界がある。最終的に社会のしくみを変えることができるのは「政治家」なのだから。政治家よ、つまらん派閥争いをする前に、このような命を無駄にさせない、将来に希望を持てる日本社会の構築に心血注げ・・・!!