子育ての答え合わせは、いつ、出る?
子育ての答え合わせ。
子育てって、正解がない、試み。暗中模索。正解だと思ってやっていても、5年10年経って、「あれはマズかったかなぁ」「もっとああしておけばよかったかなぁ」なんてうじうじ考えてしまう。
それが子育て。
子育てに答え合わせがあるとすれば、それはいつ?
数年前、子どもの中学受験を終えた同世代知人が、「これで私もひと仕事終えました」的に振り返っていた。
すっごく違和感を感じた。
良い中学に入れただけじゃないか。
まだ人生始まっちゃいねえよ。『キッズ・リターン』のたけし監督がブチギレますよ。
じゃあ、答えはいつ出るんだ。
子どもが就職したら?
結婚したら?
子どもが死んだとき?
否。
もっと後。
子どもが幸せでも、その子ども(つまり孫)がダメなら、子育て失敗。
要するに、二世代後。
なぜか。
売家(うりいえ)と唐様で書く三代目
この川柳を私は強く価値あるものと思っている。
一代目の創業者は頑張る。
その貯金で二代目もなんとか踏ん張る。
でも、三代目は、遊んじゃって、「唐様」でカッコつけて書く書道とかは覚えるけど、遊び人だから、身代を潰す。
一代目と二代目が築いてきた財産も暖簾も、引き継げない。大きく立派な家を売る羽目になる。零落する。
その「売家」という張り紙を、唐様でカッコつけて書く。
それが、「売家と唐様で書く三代目」。
世の、甘えん坊で世間知らず、苦労知らずのボンボンの三代目を揶揄した言葉。
一代目が出世して、金持ちになって、二代目がそのおかげで下駄を履いた恵まれた人生を送ったとする。
でも、苦労していない二代目に育てられた三代目は、、、
売家と唐様で書く羽目になる。
そこまで考えて私は子育てしている。
つまり、自分が一代目として、二代目の子どもたちに贅沢はさせないようにしている。
三代目が、売家と唐様で書かないために。
だから、私の場合、子育ての答え合わせは、「孫が死んだとき」ですかね。孫がきっちり育って、まともな人生を送って、いい死に方をしたら、私の子育てが間違っていなかった。
そう答え合わせができる。
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ってのは、いままでも20年くらい、考えていたこと。
これを定量化すると、、、 私が死ぬのが今から30年後の80歳とする。
私の子どもたちが死ぬのが、その35年後くらいの、今から65年後。
その下の世代の、私の孫たちが死ぬのは、、、 さらに35を足した、ちょうど100年後かぁ!
私って、100年後のために、子育てをしているんですね。
そう考えると、さらに、私の日々の振る舞い、言動について、100年後にも生きるような、真剣さを持たねばならぬ、と思います。
気合を入れ直します!