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SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

黙示録の獣、龍そして女 第29回

2017年06月30日 | 日記

9.プロテスタントはどう考えるのか?

 

ある人々は、今まで私たちが見てきた事実について、プロテスタント教団はどう思っているのか?という疑問を持つことでしょう。プロテスタントたちから直接意見を聞いてみたいと思います。これから安息日問題に対する彼らの真剣な意見を見て行こうと思いますが、これらの引用文はプロテスタント内で最も権威のある代弁人の言葉になります。

 

バプテスト教会

バプテスト教会の教会心得を作成したエドワード・ヒスコックス博士の話を先に見てみましょう。このバプテスト教会の指導者は、私たちが今まで見てきた内容を次にように簡単に要約しています。「過去から現在まで安息日を聖なる日として守れという戒めが存在してきたが、その安息日は土曜日である。しかし、人々は安息日が第七の日から第一の日へ移動したと語る。・・・そのような変更について聖書のどこに記録されているのか?新約聖書にはない。そのような言葉を一切探すことはできないのである。・・・もちろん私は日曜日がクリスチャンの初期歴史で宗教的な日へと変更された事実を、歴史的な記録を通してよく知っている。異教徒たちの証であり、太陽神の名前と関連のある日曜日が教皇権の背教により安息日へと採択された。しかし、それがプロテスタントの聖なる法にまで伝授された事実は実に悲しい事実である!』(1893年11月13日、ニューヨーク新聞)。

長老教会

長老教会から出されている書籍『Christian at work』で、私たちは次のような記録を見ることができます。「ある人々は使徒がそのような命令をしたことがないのにも関わらず、使徒の命令だという理由の下、日曜日遵守の伝統を立てようと努めている。…私たちが聖書を最上権威と認めるなら、安息日遵守者たちが真理の上に立っているという事実を認めざるを得ない』(Ed. 1883年4月19日)。

 

メソジスト教会

メソジスト教会の「神学概要」には次にように記録されています。「幼児洗礼に関する明らかな聖書的確実性は存在せず・・・週の最初の日を聖なる日として守ることに対する聖書的な根拠も一切ない」。

会衆派教会

会衆派(Congregational)教会のW.D.デイル博士は、彼の著書の『十戒』で次にように述べました。「いくら私たちが日曜日を厳粛に堅く守ったとしても、私たちは安息日を守るのではない。安息日は特別で聖なる戒めとして十戒に記録されている。日曜日遵守をしながら戒めを守ると言い張ることはできない。・・・日曜日を犯すことで刑罰を受けるという記録は新約聖書には一度もでていない」 

ルター派教会

アウグスブルグ信仰告白(Augsburg Confession of Faith)に出ているルター派教会の立場を見てみましょう。「週の最初(日曜日)を遵守することに関する内容を、神様の戒めから見つけることはできない。それはただ教会の権威によって立てられたからである」。 

監督教会

監督教会の代弁人であるニンドルは、彼の著書『The History of Christian Religion and Church, pp. 187』で次にように述べました。「すべての他の祝祭のように、太陽祝祭(Festival of Sunday)も、人間が考案したものである。それは使徒の聖なる命令とは全く関係のないもので、初期キリスト教会が安息日の法を日曜日に移動させたためできたものである」。

コロビス・チャペルの著書である『Ten Rules For Living』には次のように書かれています。「私たちは安息日というものが、神様が人類に与えられたプレゼントであるという事実を忘れてはなりません。もちろん私たちは私たちの安息日が、ユダヤ人が守った安息日と同じではないという事実を知っていいます。彼らが守ってきた安息日は週の第七の日で、私たちが守る安息日は第一の日です。私たちが第七の日の代わりに最初の日を守る理由は、戒めに基づいたものではありません。安息日が第七の日から第一の日へ変更されたということを聖書から探そうとしても、それは無駄です。初期キリスト教会時代に、イエス様の復活を記念するという理由のもと、週の最初の日に礼拝を捧げるという伝統が始まりました。また、日曜日礼拝の伝統は国家が日曜日を法的に休日として決めたために始まり、A.D.321年にこのような事件が起きました。そのため、クリスチャンの安息日は明白な戒めに基づいて遵守されているわけではありません」。


黙示録の獣、龍そして女 第28回

2017年06月29日 | 日記

今日、全世界は教皇権が変更させた偽物によって動かされています。私たちは一人ひとり、神様の権威か獣の権威か、どちらかを選択しなければならない時にきています。神様の安息日を守ることで、神様の権威を認めますか?それとも偽の安息日(日曜日)を守ることで、カトリック教会が立てた獣の権威を認めますか?二つの道のどちらかしかありません。その二つの道は次のように表現されています。神様と龍、真理と偽り、聖書と伝統。

聖書は獣の刻印を避ける方法を明白に示しています。黙示録14章11節に出てくる獣の刻印を避けられる唯一の道が、次の12節にはっきりと示されています。「ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」。神様の戒めを守る者だけが獣の刻印を避けられます。神様の戒めの中には、安息日の戒めが第4の戒めとして存在します。そこには神様の権威を証するしるしがあるのです。獣はまさに第4の戒めを変更させることで、自分の権威を神様の権威より高い位置に置こうとしたという事実に注目してください。獣は十戒にある神様のしるしを獣の刻印へ変更するという驚くべき欺瞞を試みました。

 1956年に発行されたカトリックを紹介する書籍で、カトリック書店で販売されている『The Faith of Millions』という本には、次のような驚くべき記録が載っています。「聖書は、日曜日ではない土曜日を安息日と証しているにも関わらず、自分たちの信仰を教会にではなく聖書のみに置いていると公言するプロテスタントが、日曜日を礼拝日として遵守している現実は実におかしいとは思わないのか?もちろんそう思う。それはあまりにもつじつまが合わないものだ。安息日に関する変更はプロテスタント主義が生まれる前、15世紀頃に起こったことであり、その頃から日曜日遵守の伝統が全世界的に行われてきた。日曜日遵守の伝統が聖書ではないカトリック教会の権威によって実現されたにも関わらず、このような伝統は代々受け継がれてきたのである。まるで家を飛び出た子供がポケットの中に母の写真と髪の毛を持って歩くように、日曜日遵守はカトリック教会を捨てて飛び出たすべての非カトリック教会が、母である教会、カトリック教会を思い出させているのだ」

 以前、ギボンズ枢機卿は安息日に関するすべての質問について、次のような要約的な言葉を発しました。「論理と理性は私たちに二つのうち一つを選ぶように要求する。すなわち、プロテスタント主義と土曜日の神聖性を守るか、もしくはカトリックの精神と日曜日の神聖性を守るのかを要求するのである。この二つの間にはどんな妥協も許されず、不可能である」(Catholic Mirror, 1893年12月23日)。


黙示録の獣、龍そして女 第27回

2017年06月28日 | 日記

ジョン・オブライエンは彼の著書『Understanding the Catholic Faith, pp.13(1955年度版)』に次のように書きました。「聖書はカトリック教会の教えだけでなく、カトリック信者たちが行っている宗教的行いもまた支持していない。例えば、日曜日礼拝の伝統や、その日に不必要な働きをさせる伝統は聖書の支持を受けられない。プロテスタントの兄弟たちも日曜日遵守問題について強く強調しているが、聖書のどこにも日曜日を主の日、すなわち安息日と指摘していない。教会の歴史の初期に、教会は意図的に安息日が日曜日へと変更されたと教えている」。

 米国のRedemptorist大学の学長であるエンライト司教は、プロテスタントに次のように強い姿勢で挑みました。「安息日を土曜日から週の最初の日である日曜日へ変更したのはカトリック教会であった。日曜日を遵守せよという命令と、第七の日である安息日に仕事をさせよという命令が、破門の脅威の下すべての人々に達した。プロテスタントは聖書の尊厳性を大きく認める人たちだ。しかし、彼らは日曜日を安息日と認めたことにより、カトリック教会の権威を認めているのだ。聖書は『安息日を覚えて、聖なる日として守る』ことを教えている。しかし、カトリック教会が『週の最初の日である日曜日を守る』と言い、すべての人が聖なるカトリック教会の命令に従っているのだ」。

それだけではありません。次の言葉を見てみましょう。「安息日を日曜日へと変える措置は、プロテスタントたちも認め・・・彼らは日曜日を守るその行為によって・・・(カトリック)教会が祝日と制定し、これを守らなければ罪となるよう命じた権勢を持っていることを認めている』(Henry Tuberville著, An abridgment of the Christian Doctrine, p.58)。

 「教皇の権能は人の権能ではない。神様の権能であるため、彼は神様の法も修正できる」(Lueius Ferraris, Prompta Bibliotheca Canorica Vol. lv,)。

 この小冊子を読んでおられる皆さんも、この挑戦に答えなければなりません。皆さんは誰に従いますか?大司教であるC・F・トーマスが安息日の変更について語った言葉を見てみましょう。「もちろん、カトリック教会は安息日が自分たちによって変更したと主張している。このようなカトリック教会の行為は宗教的な問題において、教会の権能と権威を象徴する刻印(Mark)である」

 これで、この問題に対する争点がはっきりとしました。神様が万物を創造された権威のしるしとして安息日を人類に与え、天地を創造された方が真の神様だと言われました。しかし、カトリック教会は「いや、安息日を守ってはならない。週の最初の日を守るのだ。我らがそれを変更させた。このような変更こそ、カトリック教会の権威が神様の法とその権威より優位にあるという事実を証明する刻印(Mark)である」と言っています。

 獣の刻印は第七日安息日の代わりに、日曜日を主の日として守ることを意味します。なぜなら、日曜日礼拝は、獣の権勢が創造主である神様の権威より偉大だという主張を認めることになるからです。神様の十戒の第4条である安息日の戒めは、神様の統治権と統治者の名前、統治区域を表す神様のしるしの役割を果たします。しかし、教皇権は安息日を日曜日へと変更したことで、日曜日を自身の権威を表す証として使用しています。


黙示録の獣、龍そして女 第26回

2017年06月27日 | 日記

8.カトリック教会の同意

 ダニエル書7章は教皇権が「時と律法とを変えようと」すると預言していますが、果たして教皇権は安息日の変更とどのような関係があるのでしょうか?私たちはこの問題を公平に見るために、それぞれの立場の人たちの証言を聞かなければなりません。次に紹介するカトリック教会で有名な権威ある著者たちの言葉は、カトリック教会の立場をはっきりと証言しています。

 「ユダヤ人の安息日である第七の安息日を週の最初の日に変更した後、教会は日曜日を聖なる主の日として守らなければならないという内容で三つ目の戒めを作った」(Catholic Encyclopedia, Vol. IV, pp. 153)。

 「主の日を土曜日から日曜日へ変更せよという言葉は聖書のどこにも存在しません。私たちはこのような変更が教会の伝統によって今まで受け継がれて来たという事実を知っています。まさにこれが、私たちが多くのプロテスタントに感じる非論理的な点です。彼らは聖書に記録されていること以外は、どんなことであっても受け入れないと主張しながら、カトリック教会が命令したことにより変更された主の日を日曜日として守っているのです」(Salvation History and the Commandments, pp. 294, 1963 edition)。

 「カトリック教会は安息日を第七の日から、最初の日へと変更させた。・・・カトリック教会はクリスチャンたちの祝祭日として土曜日より日曜日が適していると考えたのだ」(This is Catholicism, 1959 edition, pp. 325)。

 キルガーロンとウィーバーの著書である『Life in Christ』に載っているカトリック教会の1958年度版教理問答には、次にようにカトリック教会の信仰を紹介しています。「なぜ教会は主の日を安息日から日曜日へ変更したのか?キリストが教皇に与えられた、結びと解きの力を使用できる教会は、主の日を日曜日へ変更させたのである」(pp.243)。

 ステファン・キネンの著書、『A Doctrinal Catechism』には、次のように書かれています。「質問:カトリック教会に祝祭の概念を新しく作り出す権限があるという事実を証明できるのか?/ 答:もしカトリック教会にそのような権限がなければ、すべての現代宗教人が同意するとしても、そのようなことを作り出すことはできなかったはずである。要するに、教会にそのような権限がなければ教会は土曜日遵守を聖書で証明できない日曜日順守へ変更できなかったはずなのだ」。ここで、「変更」という言葉に注目しなければなりません。昔からサタンは神様の言葉を変更したり、偽造するために努力を尽くしてきました。

 カトリック教会のギボンズ枢機卿は彼の著書『The Question Box, pp.17』で次のような驚くべき言葉を発しました。「もし聖書がクリスチャンのための唯一の案内書なら、ユダヤ人と共に土曜日を遵守する第七日安息日再臨信者が真のクリスチャンである。・・・聖書を自分たちの唯一の基準とするプロテスタントが一貫性もなく、カトリック教会が作り出した伝統に従うということはおかしいとは思わないのか?」


黙示録の獣、龍そして女 第25回

2017年06月26日 | 日記

7.歴史的な証拠

 世界の歴史家たちが、安息日の変更について提示する証拠を見てみましょう。皆さん自身の目で直接、変更された歴史を見るまでは信じ難いはずです。有名な『ブリタニカ百科事典』には日曜日(Sunday)についての歴史的な事実が次のように記録されています。「コンスタンティヌスは日曜日遵守のための最初の法令を作った人である。彼はローマ帝国全体で正式に祝われなければならない日として日曜日を指定した」。

 英国オクスフォード大学のギリシャ語教授ギルバート・モレイ博士は、日曜日遵守について次のように記録しました。「ミトラ神は無敵の太陽で、太陽は忠誠の星だったため、ミトラ教徒は地上でミトラ神の代理人となれる王を探した・・・彼らの目にはローマ皇帝こそ彼らが求める真の王に見えた。キリスト教会と激しい対立関係にあったミトラ教徒たちにとって、ローマ皇帝は聖なる神の恩恵を担う者と考えられたため、ローマの軍隊や民間機関にはミトラ教徒たちが溢れた。・・・このような情勢はキリスト教界が安息日の代わりに日曜日を守り、イエス・キリストの誕生日として太陽の誕生日である12月25日を守るというミトラ教徒たちの要求を受け入れるようにしたのである」(History of Christianity in the Light of Modern Knowledge)。

 ウィリアム・フレドリック博士もまた同一の歴史的事実を証言しています。「異邦人たちは太陽を崇拝する偶像崇拝者でしたが、彼らにとって日曜日は最も聖なる日でした。彼らに近づくために教会は日曜日を休日にすることが必要不可欠でした。このような状況で教会は異邦人たちの礼拝日をキリスト教会の礼拝日とするか、もしくは異邦人たちが礼拝日を安息日に変更するか、どちらか一方を選ばなければなりませんでした。教会が異邦人たちに自身の礼拝日である安息日を守らせるのは、異邦人たちを刺激するだけでなく、教会自身に厄介な問題を引き起こすことになります。そこで教会は、異邦人が彼らの礼拝日にそのまま礼拝を捧げられるようにすることで、彼らに自然に近づくことができたのです』(Sunday and Christian Sabbath, pp. 169)。

 また、キリスト教会が異邦人たちの太陽の日(Sun-day)を受け入れるようになった理由について、『The North British Review』は次のように説明しています。「異邦人の知り合いや同胞、そして愛国者たちは便宜上日曜日を主の日である安息日とすることに協力した。・・・実際、日曜日が必ず遵守されなければならない日となるまで、教会は日曜日礼拝を採択しなかった」(Vol. XVIII, pp. 409)。