9.プロテスタントはどう考えるのか?
ある人々は、今まで私たちが見てきた事実について、プロテスタント教団はどう思っているのか?という疑問を持つことでしょう。プロテスタントたちから直接意見を聞いてみたいと思います。これから安息日問題に対する彼らの真剣な意見を見て行こうと思いますが、これらの引用文はプロテスタント内で最も権威のある代弁人の言葉になります。
バプテスト教会
バプテスト教会の教会心得を作成したエドワード・ヒスコックス博士の話を先に見てみましょう。このバプテスト教会の指導者は、私たちが今まで見てきた内容を次にように簡単に要約しています。「過去から現在まで安息日を聖なる日として守れという戒めが存在してきたが、その安息日は土曜日である。しかし、人々は安息日が第七の日から第一の日へ移動したと語る。・・・そのような変更について聖書のどこに記録されているのか?新約聖書にはない。そのような言葉を一切探すことはできないのである。・・・もちろん私は日曜日がクリスチャンの初期歴史で宗教的な日へと変更された事実を、歴史的な記録を通してよく知っている。異教徒たちの証であり、太陽神の名前と関連のある日曜日が教皇権の背教により安息日へと採択された。しかし、それがプロテスタントの聖なる法にまで伝授された事実は実に悲しい事実である!』(1893年11月13日、ニューヨーク新聞)。
長老教会
長老教会から出されている書籍『Christian at work』で、私たちは次のような記録を見ることができます。「ある人々は使徒がそのような命令をしたことがないのにも関わらず、使徒の命令だという理由の下、日曜日遵守の伝統を立てようと努めている。…私たちが聖書を最上権威と認めるなら、安息日遵守者たちが真理の上に立っているという事実を認めざるを得ない』(Ed. 1883年4月19日)。
メソジスト教会
メソジスト教会の「神学概要」には次にように記録されています。「幼児洗礼に関する明らかな聖書的確実性は存在せず・・・週の最初の日を聖なる日として守ることに対する聖書的な根拠も一切ない」。
会衆派教会
会衆派(Congregational)教会のW.D.デイル博士は、彼の著書の『十戒』で次にように述べました。「いくら私たちが日曜日を厳粛に堅く守ったとしても、私たちは安息日を守るのではない。安息日は特別で聖なる戒めとして十戒に記録されている。日曜日遵守をしながら戒めを守ると言い張ることはできない。・・・日曜日を犯すことで刑罰を受けるという記録は新約聖書には一度もでていない」
ルター派教会
アウグスブルグ信仰告白(Augsburg Confession of Faith)に出ているルター派教会の立場を見てみましょう。「週の最初(日曜日)を遵守することに関する内容を、神様の戒めから見つけることはできない。それはただ教会の権威によって立てられたからである」。
監督教会
監督教会の代弁人であるニンドルは、彼の著書『The History of Christian Religion and Church, pp. 187』で次にように述べました。「すべての他の祝祭のように、太陽祝祭(Festival of Sunday)も、人間が考案したものである。それは使徒の聖なる命令とは全く関係のないもので、初期キリスト教会が安息日の法を日曜日に移動させたためできたものである」。
コロビス・チャペルの著書である『Ten Rules For Living』には次のように書かれています。「私たちは安息日というものが、神様が人類に与えられたプレゼントであるという事実を忘れてはなりません。もちろん私たちは私たちの安息日が、ユダヤ人が守った安息日と同じではないという事実を知っていいます。彼らが守ってきた安息日は週の第七の日で、私たちが守る安息日は第一の日です。私たちが第七の日の代わりに最初の日を守る理由は、戒めに基づいたものではありません。安息日が第七の日から第一の日へ変更されたということを聖書から探そうとしても、それは無駄です。初期キリスト教会時代に、イエス様の復活を記念するという理由のもと、週の最初の日に礼拝を捧げるという伝統が始まりました。また、日曜日礼拝の伝統は国家が日曜日を法的に休日として決めたために始まり、A.D.321年にこのような事件が起きました。そのため、クリスチャンの安息日は明白な戒めに基づいて遵守されているわけではありません」。