思い込み信仰の危険
今日の学びは、ある方にとっては、新しい学びとなるでしょう。また、ある方にとっては、復習ということになると思います。どちらにしても、私の願い、そして祈りは、この短い聖書の学びが皆様の魂の糧となることです。
さて、私たちは、天国へ行ってもどんどん成長していきますよね?そうですね?ということは、完全というのは、決して到達点ではないということです。イエス様にある完全というのは、性質のことなのです。まず、そのことを今日の学びの最初に理解していただきたいと思います。完全は到達点ではなく、性質です。
今回、私たちは、このカルフォルニアに5人で来ました。なぜなら、このセミナーの次に、他のプロテスタント教会の方々へのセミナーも予定しているからです。今日アトランタの空港に着きまして、デルタ航空のカウンターに行ったのですが、本当にびっくりすることがありました。彼らが言うには、私たちの名前がないといのうです。私たちは、水曜に飛行機に乗って、講演会をしなければいけないのに、そのように言われてしまって本当に困ったわけです。そこで調べてみたところ、水曜日のチケットの予約のはずだったのに、なんと次の木曜日の予約ということになっていたのです。その結果、「今日は、飛行機に乗ることが出来ません」、そのようにデルタ航空の受付の人に言われてしまったのです。私たちはこのチケットを、インターネットのサイトから購入したのですが、とても安い料金で購入できました。しかし、私の間違いなのか、それともコンピュータ上のトラブルがあったのか、それは分からないのですが、とにかく一日先の日に予約をしてしまったのです。それで、何とかこの問題を解決しようと、カスタマーサービスや本社に電話をかけたのですが、彼らは、どうすることも出来ないということでした。なぜなら、これは注文をした私たちのミスだからということなんですね。そこで、最終的には追加料金、ペナルティーを払って、今日の飛行機に乗ることになりました。そのペナルティーは、5人分ですので、とても大きい金額になりました。しかし、講演会がありますので、そのペナルティーを払いました。
彼らが言う、注文した私たちのミスだという証拠が何だったかというと、彼らは確認のためのメールを送った、それが証拠だということなんです。そのメールには、日付、どこから、どこへ行くという詳細が書いてあるので、そのメールに対して、返信がなかったということは、この内容で承認したということだ、そのように言われたんです。
確かにメールを受け取っていたのですが、私は正しく注文したと思い込んでいましたから、ちゃんと確認しなかったわけです。私たちは、完全に思い込んでいたんです。いいですか、皆さん、多くのクリスチャンが思い込みという間違いをしていることがあるのです。信仰の問題に対して、思い込んでいることがあるのです。私たちは、黙示録14章の三天使の使命を理解し、教会の教理や神学を理解している、終末時代にどのようなことがあるか理解している、そのように思い込んでいることがあるのです。
今日は、皆さんと一緒に、なぜ、イエス様が私たちの模範となるかについて、考えていきたいと思います。もしかすると、今日のお話で驚かれる方もいるかもしれません。
では、はじめましょう。
私たちの模範キリスト
イエス様は、私たちクリスチャンの模範です。まず、一つ質問してみたいと思います。私たちは、イエス様のように生きることが出来るのでしょうか?答えは、YESでありNOです。どういうことかと言いますと、私たちは、イエス様と全く同じ奇跡を行ったり、彼と同等になることは出来ません。しかし、私たちは、イエス様をお手本として、彼に似ることが出来るのです。イエス様のような品性を築くことが出来るのです。皆さん私たちは、二心の奉仕を捧げることは出来ません。中途半端な服従、屈服というのは、決して受け入れられないのです。
皆さん私たちは、この終わりの時代に、4つのグループに分けられます。私も、このグループのどれかに属するのですが、まず、最初のグループ、それは、神様の憐れみのうちに、眠りにつくグループです。終わりの時代の艱難を、肉体的な弱さ、そういったことから乗り越えられないと神様が思われた聖徒たちが、艱難の前に眠りにつくのです。これが、最初のグループです。
次のグループは、反逆するグループです。ユダのように、神の民を売り渡し、真理に背を向けるグループです。信仰がなく、人を恐れるために、裏切るグループです。このグループは、準備が出来ていないのです。なぜなら、主に会う備えというのは、一日で完成するのではなく、日々にイエス様と歩む経験だからです。このことが出来ていないため、彼らは、真理から離れ、兄弟を迫害する者となります。
三番目のグループ、それは、殉教者のグループです。多くの殉教者が最後の艱難の前後に出ることでしょう。日曜休業令が出されるとき、その前後において、多くの殉教者が出ることでしょう。どのくらいの数になるのかはわかりませんが、それは本当に多くの数になることでしょう。
そして、4番目のグループ、それが14万4千人のグループです。最終世代ですね。彼らはエノクのように、生きたまま朽ちない体に変えられて天国へ行く人たちです。
皆さんは、必ずこれらのどれかのグループに属することになります。皆さんは、どのグループに属したいと思われますか? 私たちは、この質問に対して、真剣に考えてみなければいけません。
最初にイエス様が私たちの模範であることについて、考えて行きたいのですが、黙示録14章12節にこう書いてあります。「ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」。
ここにある「イエスを信じる信仰」ですが、ギリシャ語の原文を見ますと、「イエスの信仰」とも訳せるんですね。この聖句の意味を考える上で、私は、「イエスを信じる信仰」というよりも、「イエスの信仰」としたほうが、正確に意味を捉えることが出来ると思います。「イエスの信仰」というのは、イエス様がこの地上で30数年を過ごされた時に持っておられた信仰のことです。同じ性質、同じ種類の信仰ということです。同じクオリティーの信仰です。