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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

キリスト再臨の前兆  デビット・カン講演 第37回

2012年04月30日 | 日記




   ひまわりさんより(4月30日)

地震が頻発していますので、私は、大きな地震がきても困らないように、
枕元にリュックサックを置き、その中に、2日分の水2リットル、アルファー米、軍手、
ウエットタオル、普通のタオル、バンドエイド、手動発電式のライト、メガネケース、
財布や免許証の入ったウエストポーチ、ティッシュ、折り畳み傘、筆記用具、防寒用のシート、
小型聖書、裁縫セットなどを入れています。いざという時には十分役に立つのではないかと思います。
でも、これを使う時は、震度6強ぐらいの地震で、その時はこの家も壊れてしまうでしょうから、
こんなものを持って2日ぐらい生きて何になるのだろうという気持ちにもなってきました。
この世の消え去ってしまうものに心を置かず、地震が来てもなくならないもの、天国へ持って行ける唯一のもの、
神様の品性を持つことが大切だと思わされました。

  骨折の体験(デビット・カン講演37)

一つのお話をして終わりたいと思います。何年か前、私は手首を骨折しました。
だいたい2メートルぐらいの高さの所から落ちてしまって、手首を骨折したのです。
首が折れなかったことを神様に感謝しています。
腰の骨も折れなくてすみました。本当に危険な高さでした。
地面に落ちたときに、息ができませんでした。息をしようとしたんですが、できませんでした。
「ああ、これで死ぬんだな」と思いました。「ああ、こんなところで私は死ぬんだ」と思いました。
そして、「神様、私の魂をあなたにささげます。ゆだねます。どうぞ私を憐れんでください」という祈りをささげました。
そうしたら呼吸がだんだんできるようになってきたんです。
そして手を見たら、手の先の部分が全く反対にひねられていたんです。
自分の手が、あんなに反対にひねられているのを見たことがありませんでした。変だなと思いました。
そこで元に戻そうとしたんですけれど、力が入りません。
あたかも手の部分が切断されたかのように、神経がいかないのです。
それからあることがわかったのです。木の一片が、私の手首に刺さっていたのです。
何でここに木が刺さってるんだろうと思いました。引っ張りましたが抜けないのです。
それでわかったのですが、それは私の骨だったのです。私自身の骨が手首から飛び出してたんです。



キリスト再臨の前兆  デビット・カン講演 第36回

2012年04月29日 | 日記




   ひまわりさんより(4月29日)

今日は教会のある集会に参加しましたが、み言葉を知識や概念だけで語ると、疲れさせるだけだということを感じました。
福音を、生活を変える生きた力として語らなければならないことを思いました。
ところで、今日も、夕方千葉ではかなり大きな地震が、続けて2回起きました。
イエス様の再臨の前兆として、地震の頻発が教えられていますが、
イエス様が、再臨の準備をしなさい、と教えておられるように感じます。

    イエスの信仰を持つ民(デビット・カン講演36)

イエス様は、ご自分が見捨てられたと、本当にひしひしと感じられたという表現があります。
ところがその時に、イエス様は、父なる神様の約束を思い出されたと書いてあります。
天使たちの援軍をイエス様は一つも見ることはできませんでした。天からの一筋の光も見ることはできませんでした。
彼は全くの闇に取り残された状態でした。その時に、父なる神様の約束を思い出されたのです。
そのときイエス様は、信仰によって「すべてが終わった」と言われたのです。
目に見える、神様からの印は何一つありませんでした。
しかし信仰によってイエス様は「終わった」と言われたのです。それこそが「イエスの信仰」です。
14万4000の人達は「イエスの信仰」を持つことでしょう。
黙示録14章12節に書かれている、「神の戒めを守り、イエスの信仰を持つ聖徒たちの忍耐」(欽定訳)、
そのような忍耐を、私たちは今から養っていく必要があります。どのようにしてそれが可能なのでしょう。
私たちがイエス様と、本当の意味で恋に落ちたときです。
私たちが心からイエス様を愛するとき、イエス様の犠牲を心から感謝できるときに、イエス様を裏切ることはなくなるでしょう。
イエス様を裏切ることが不可能になってしまうのです。
私たちは、愛する者を決して裏切ることがありません。母親が子供たちを裏切ることは決してありません。




キリスト再臨の前兆  デビット・カン講演 第35回

2012年04月28日 | 日記
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   ひまわりさんより(4月28日)

今日の安息日は、銚子にある私たちの教会の礼拝に参加するため、夫と共に出かけました。
銚子の近くへ行くと、大きな風力発電機のプロペラが回っていました。
ところが、道路の左側のプロペラは回っているのですが、右にある1台は故障しているのか全く動いていません。
巨大な設備が、ただ立っているだけで何の働きもしていないのは、全くのデクノボーで、それを見て私は
、人間も、神様の力を受けて行動しなければ、何の役にも立たないのだと思いました。
今日の礼拝のお話では、「クリスチャン生活は古いものを修正したり改良したりすることではなくて、
性質が生まれ変わることである。自我と罪に対する死があり、全く新しい命がある」ということ、
「人は、最高の意味において、イエスを信じる者となることができる前に、自分自身をむなしくしなければならない。
自我が放棄されるとき、主はその人を新しい人間にすることがおできになる」というテーマで
、新しく生まれることの必要が訴えられました。

  真理のために生涯をささげる(デビット・カン講演35)

私はこの写真が大好きなのですけれど黙示録19章の描写です。
イエスキリストが、白い馬に乗ってこられる姿が描かれています。そして、すべての天使がイエス様に従います。
なぜイエス様の到来が、白い馬に乗った姿として描かれているのでしょうか。なぜなら、これは戦争の時だからです。
悪人たちは、すべての神の残りの民を殺し、滅ぼそうと躍起になります。
その時、私たちの王であり、将軍であられるイエスキリストが、救いにやってこられます。
その危機的状況から私たちを救出するために・・・。私たちには、忍耐、我慢が必要です。
真理のために、皆さん生涯をささげることができますか。「悩みの時」に立ったままでいられるでしょうか。
その時私たちは、完全に神様から見捨てられたのではないかと思われる状況もやってくるでしょう。
十字架上で、イエス様が経験なさったことに似た経験をするでしょう。
「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」。
ある意味で、それにそっくりの経験にあずかることでしょう。
神様に見捨てられ、自分ひとり取り残されたと思われるような状況になることでしょう。
しかし、『各時代の希望』を読むならば、
「すべてが終わった」という章がありますが(79章)、そこにホワイト夫人は素晴らしいことを書いておられます。




キリスト再臨の前兆  デビット・カン講演 第34回

2012年04月27日 | 日記




   ひまわりさんより(4月27日)

昨日の日付が間違っていました。すみませんでした。
今日の日課の言葉をご紹介いたします。「キリストはご自分の教会に聖霊の賜物の約束をなさった。
そしてその約束は初期の弟子たちのものであったのと同様にわたしたちのものである。
しかし他のすべての約束と同様、それは条件に基づいて与えられている。
主の約束を信じ、自分のものだと主張する人々が多くいる。
彼らはキリストと聖霊について語るが、何の益も受けない。
なぜなら、彼らがこのお方の導きと支配に自分の魂を明け渡さないからである。
・・・神は、もし彼らが自らを神に明け渡すならば、人をありのままお受け入れになり、
そして彼らをご自分の奉仕のために教育なさる。
神の霊が魂に受け入れられると、魂のすべての機能がよみがえらせられる」(キリストを映して)。
私はこの文章を読んで、聖霊を受ける条件が、もし、何かを自分の力でしなければならならないのでしたら絶望ですが、
自分がすることは、神様に心を明け渡すことだけでよいのだということを知り、すごく希望を感じました。
そして、神様に心を明け渡すとは、み言葉に素直になることだと思いました。

   今はキリスト再臨に備える時(デビット・カン講演34)

「大いなる叫び」とは、大声で「ワアーッ」と叫ぶようなことではありません。
人々が私たちの言うことに真剣に耳を傾けるということです。
私たちが何か言う時に、ささやくような声だったとしても、人々はやってきて耳を傾けます。
それが大いなる叫びです。
私たちがマタイ24章を吟味し直すときに、それは、新しい光でもって私たちの心に真理を照らしてくれます。
次に、マタイ24章33節から35節ですが、ここでは、いつも私たちが悩まされてきた一つのことをイエス様はおっしゃっています。
「これらの事が、ことごとく起るまでは、この時代は滅びることがない」、
これは、どの時代どの世代のことを、イエス様はおっしゃっておられるのでしょうか。
世界のあちらこちらで、災害、地震、飢饉、疫病が起こっているのを目撃する時代のことです。
日曜休業令の危機が実際に起こるのを目の当たりにする世代です。神の民が、全世界の国々から憎まれる、
実際、そのことに直面する世代です。福音の働きが終わるのを目撃する世代です。
そのような世代のことを、イエス様は「この時代」と言っておられるのです。
それは、私たちのこの世代です。
これらのことがすべて起こるまでは、この時代は滅びることがない、とイエス様は言われました。
私はこのことについて確信を抱いています。
私たちはその最後の世代であり、その最後の時代に住んでいるのです。
今もう、皆さん目覚める時です。そして、御言葉を研究し、備える時です。
イエス様が間もなくおいでになるからです。



キリスト再臨の前兆  デビット・カン講演 第33回

2012年04月26日 | 日記




    ひまわりさんより(4月26日)


八重桜の続報です。昨日見た八重桜の話を、職場の主任に話したら、行動派の彼女は、
さっそく昼休みに牧場まで行って写真を撮ってきてくれました。
彼女は、自分が関わっている難病の人にせめて写真だけでも見せてあげたいと思っていたのです。
その写真を事務の女の子に、プリントしてくれるよう頼んだら、彼女もその話に賛同して、
普通紙でなく、A4サイズの大きな写真用紙にプリントしてきてくれ、すてきな写真となりました。
きれいな花をめぐって、皆のやさしい心が広がっていきました。

   後の雨と大いなる叫び(デビット・カン講演33)

日曜休業令のあとに、後の雨が、残りの民に注がれます。セブンスデー・アドベンチスト教会の残りの民と、
バビロンの諸教会にいる神の民にです。そして彼らは、後の雨を受けて一つになります。
神様に対する初穂として、捧げものとして、神様が彼らに印を押されます。
後の雨をもって、神の民を印されるわけです。
これらの印された人たちが立ち上がって、大いなる叫びを発します。
その時全世界が揺さぶられます。人々はショックを受けます。
私たちが法王教の間違い、その罪を暴くのです。
大いなる叫びとは何でしょう。
私たちが、那覇とか名護の街に行って、忙しい人が大勢集まっているところに行って、通りで大声で叫んだら、
人々は聞いてくると思いますか。注意を払ってはくれませんよ。
どこかの精神病院から出てきた人かなあ、としか思われませんよ。
決して、まともには注意を払われないのですね。では、どうして突然人々が、
私たちの言うことに耳を傾けるようになると思いますか。
どうしてかというと、私たちが聖霊に満たされるようになるからです。
人々が、世界中で起こっていることを見るときに、彼らの心の中に、飢え、渇きが起こります。
短期間で人々は義を探し求めるようになります。「私に真の、本当の神様を示してくれる教会はどこにあるだろうか。
どの教会だろうか。
聖書の真理について私に示してくれる人々、教会はどこにあるのだろう」。
もう、世界中の教会に対して、人々は飽き飽きしています。その時、神様は一つの教会を立ち上げられます。
そこに加わっている人たちが大いなる叫びを発するようになるのです。