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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

あなたを変えるグッドニュース 5

2012年01月31日 | 日記
 それから私は、1888年のメッセージを学び始めました。「永遠の福音」です。第一天使の使命です。

 アドベンチストの信者は、安息日を清く守ろうと頑張っています。第一天使の使命を理解することなく、です。エレン・ホワイトは、

私たちは、三天使の使命を、順序良く宣べ伝えなくてはならないと言っておられます。皆さんが信者になって何年たっているのかは問

題ではありません。聖化の経験を何年しているのか、そんなことは関係ありません。申し上げたいのは、永遠の福音を、まず理解しな

ければいけないということです。

 福音は、神の力であります。私たちに、勝利の力を与えてくれます。そういうわけで、私は聖書の勉強を始めたのです。学びながら、

私はズボンに涙が落ちていくほどでした。私は通常泣かない人間なのですけれども、あの経験以来、涙もろくなって、時には大泣きす

ることもあります。誰かが、私の目の中に水を入れたのではないかと思うくらい、涙が出てくることがあります。時には、ひざまずい

て祈るときに、言葉が出てこない時があります。そのような時私は、罪の告白をします。そうすると、イエス様が私の良心をきれいに

して下さったのです。

 私は妻に向かって、「変えていただいたんだよ」と言いました。家内は、「あなた何を言っているの」と言いました。家内は私のこ

とを理解できなかったのです。しかし、私のことを注意深く見るようになりました。そしたら、彼女の夫の生活が変わってきたことに

気づいてきたのです。そして彼女は、夫が朝早く起きて勉強し、時には泣いて祈っているのを目撃したのです。かつてなったほど熱心

に聖書の学びをしているのを、彼女は見たのです。

 ある日、妻の所へ行って、お詫びをしました。そんなこと、今までしたことがありませんでした。韓国の強い夫だったわけですね。

いつでも自己主張が強かったのです。「こうしなくてはいけないぞ。ただ私に従って来い。私が家の主だから」。そういうタイプの夫

だったのです。その日私は、家内の前でお辞儀をして、彼女に赦しを請いました。「今まで悪かった。赦してくれるか」と・・・。

「何のこと?」。「本気で言ってるんだから、赦してくれ。今まで私が色んな説教をしてきて、おそらく君が一番祝福を受けなかった

だろう。私の、教会と家での態度や、言っていることがあまりにも違うから、それを知っているが故に、祝福を受けなかったろう。聖

人と悪魔のギャップを見ていたのだから・・・。今まで本当に悪かった。赦してほしい」

 それから、二人の子供たちの所へ行き、「子供たちよ、今まで悪かった。赦してくれ、本当に悪い父親だった。悪い牧師だった。お

前たちにとって、私はつまずきの石になってしまったかもしれない」

 子供たちに、よくこういうことを言われていたんです。「お父さん愛しているわ。でも私たちが、ピアノやバイオリンをやっている

時は、近くに来ないで」。なぜなら、私は音楽に対して結構うるさいのですね。誰かが歌っていて、ちょっと音が狂っていたり、間

違った音を出したりしたら、私はもういやになるんです。娘がピアノを練習していて、間違った鍵盤を押したら、「駄目だよ、それ。

もう一回やりなさい」。バイオリンの時も、厳しくやり直しをさせました。娘は、「お父さん好きだけど、近くにいないで」。「君た

ちのことを思って言うんだよ」と言うのですが、心の奥底では、このように感じていました。〈教会でクリスマス会をする時、長老さ

んの子供たちが前に出て、器楽演奏などを上手にやります。君たちは、牧師の子供だから、もっと上手にやらなくちゃいけない〉。そ

ういう思いがあったのです。それは、利己的なものでした。ですから私は、娘たちの所へ行って、その罪を告白しました。

 神様が私を救って下さったのです。私を、自我から救って下さり、罪から解放して下さったのです。罪の力から救って下さったので

す。赦しとは何ですか。過去の罪から赦されるということですか。それだけではなくて、今、現在の罪から救われることです。罪の力

から救出されることであります。それが福音なのです。イエス・ キリストの愛によって、純粋な回心の経験をさせていただいた後、

やがて教会で立ち上がって教会員の方々に、赦しを乞いました。今まで間違った。説教をしてきたということを告白しました。依頼私

は率直な証を語るようになりました。本当の福音を語るようになりました。真の三天使の使命を語るようになりました。証の書から語

るようになりました。すると教会の人たちが悔い改めるようになりました。教会で奇跡がどんどん起こるようになりました。霊的な雰

囲気が全く変わってきました。若い人からお年寄りまでが、率先して前に来て証をするようになりました。教会に聖霊が下りました。

それを実際に経験しました。私がイエス・キリスト様に心を捧げた時、神様の御霊が私の説教に注がれるようになりました。

次にどんなことが起こったかと言うと、迫害されるようになったのです。ありとあらゆるところから、いろんな悪い噂を流されました。

同僚である牧師からも非難されるようになりました。狂信的だとか極端に走りすぎているぞ、とか言われました。デビット・カンはイ

エス様の再臨の日まで設定しているぞ、とかそういう噂まで流されました。牧師の中で、自分だけが本当の回心を経験している人間だ、

と触れ回っているぞと・・・。そういう噂も流されました。そして、私の人格をいろいろな人が傷つけるようになりました。ほんとう

にそれはひどいものでした。(第6回へ続く)





あなたを変えるグッドニュース 4

2012年01月28日 | 日記
 それは、本当に真に迫ったものでした。実は、私の中には、罪意識がずっとあったのです。按手礼を受けた牧師であり、優秀な説教家であり、

いろんな人から称賛されていました。教会の成功したリーダーとして認められていて、私の前途は明るいものだと、自他共認めていました。

そういった中で、私は、罪の意識に悩んでいたのです。どうしてでしょうか。私は勝利の経験をしていなかったのです。私は、自我に勝利して

いなかったのです。誘惑がありました。

 牧師にとって、安息日は結構ストレスの多いものなのです。また、教会の理事会はストレスが多いものとなります。それで土曜日の夜は、私

にとって娯楽の時なのです。もう、本当に、ストレスの多い1週間だったなあー。特に理事会は大変だった。安息日はストレスの多い日だった

のです。
 
 教会では、聖人のように振る舞わなくてはいけない、にもかかわらず、家では悪魔のように振る舞っていました。教会ではすばらしい説教

をしていました。でもそういう説教をすればするほど、自分が偽物だという思いが強くなってきました。いい言葉を語るのですが、その言葉に

従って生きていませんでした。そういった罪の意識に悩んでいたのです。そして、牧師としてうまくいっていて、前途有望な中にあって、牧師

をやめたいと思うこともあったのです。教会を出てしまうこともあるんじゃないか、と思うこともあり、幸福ではなかったのです。

 私にはすばらしい妻がいます。しかし、当時は幸福ではなかったのです。可愛い二人の娘も生まれていました。それでも幸福ではなかったの

です。牧師として成功していても、幸福ではなかったのです。人から、あなたは前途有望ですねと言われていたにもかかわらず、幸福ではなかった

のです。 神様との正しい関係を持っていなかったのです。本当の意味での幸福ではなかったのです。牧師をやめてしまおうかとも思っていました。

 実は私は、テレビを見るのが大好きだったのです。映画、ドラマ、スポーツ、ストレス解消にはそれが一番だと思っていたのです。私は罪の中

にいたのです。それに勝利する方法も知りませんでした。特に、アメフトを見るのが大好きでした。最初、アメリカに渡ったころは、そのスポーツ

について知らなかったのですが、見ていたら、それにはまってしまったのです。日曜日、テレビの前に座って、一日中見ていました。

 ある安息日の朝、私の応援しているチームが準決勝まで進み、その決勝戦が安息日にかかってしまったのです。安息日、私は説教することに

なっていたのですが、その試合のことが、頭の中から離れないのです。SDAの牧師なのに、安息日の朝、会衆の前で説教しているにもかかわらず、

私の頭の中は、その試合のことで一杯だったのです。「どっちが勝つだろうか。私の応援しているチームは勝つだろうか。もし自分が牧師じゃな

かったら、スタジアムに言って応援するのに・・・」
 多くのセブンスデーアドベンチストが、安息日ではなく土曜日を守っているのです。私たちは安息日遵守者です。土曜日遵守者ではありません。

日曜教会の人は、自分たちを日曜日遵守者と呼んでいますが、私たちは、相手を日曜日遵守者と呼ぶなら、自分たちを土曜日遵守者と呼ぶべきです。

本当は、安息日遵守者でなければなりません。神様からの安息を私たちは経験しなければならないのです。神様の御力によって安んじる経験ですね。

イエス・キリストの力によって、それらのものに休みを得る時、私たちは、安息日を守ることができるようになるのです。当時私は、そんなことは

知りませんでした。ただの土曜日遵守者だったのです。ですから私は、安息日の朝、説教していても、フットボールの試合のことしか考えていな

かったのです。
 
 その日の午後、教会に来れなかった信徒の家を訪問していました。そういう時は、たいてい長老さんたちを引き連れて訪問するのですが、その日

は一人で訪問していました。車を運転しながら、私はできるだけ歩道に近づいていました。どこかの家から、テレビの音が聞こえてこないかなあ、

と思っていました。自然に車が歩道の近くに寄ってしまうのです。そのうち、私は、本当にこの試合の結果が知りたくなって、途中で車を止めまし

た。そして、通りがかりの人に尋ねました。「すみません。どっちが勝っていますか」そう言ったあと、急にある思いに襲われました。〈ちょっと

待てよ。私は牧師なんだぞ。今朝私は安息日の説教をしたばっかりなのに、何をしているんだ〉。私は、車のハンドルに顔をうずめて泣きました。

生まれて初めて、あるものを感じていたのです。

 私は偽物の宗教生活を送っており、純粋な者ではなかったのです。本当の意味ではクリスチャンではなかったのです。本当の意味での安息日遵守

者ではありませんでした。私は、「神様を本当には愛していない。神様よりも自分自身を愛している。世的なものを愛している。自分の栄誉、自分

の栄光のために生きている。神様のためには生きていない。そういう意味で、私は本当の牧師ではないのだ。私は罪人だ。悪人である」。そのよう

に感じました。次に私は、祈り始めたのです。祈りにきれいな言葉を並べたりはしませんでした。単純にこのように祈りました。雪の日でした。「神

様、私は福音の力をまだ知りません。ローマ1:16を読むとき、信じる者にとって福音は力であると書かれています。それが本当に私は理解できて

いません。神様どうぞ助けて下さい。このあわれな魂を助けてください。どうしていいのかわからないのです。私は幸福ではありません。聖霊をもって、

どうぞ私をお助けください」

 そういうわけですから、神様は、前もってある朝私を起こして、あのような思いを植え付けておかれたのだと思います。私は牧師ではなく、罪人であ

るということ、そして、このままだと地獄に落ちるということです。私は罪悪感に悩んでいたのです。心に平安がなかったのです。

 日本の皆さんに申し上げたいのは、皆さんの良心の呵責、何らかの罪意識を持っている方がおられるかどうか、今晩、神様との正しい関係を持ってい

るか、本当に赦されているか、清めにあずかっているのか、神様の御座の前に立って、堂々と神様と顔を合わせる用意ができているかと問うていただき

たいのです。この教会で、どなたでも、そういう問題を抱えている方がおられるなら、救い主の必要を感じておられる方がおられるなら、今、イエス・

キリストのもとに来ることができます。十字架のもとに来ることができます。心を開いて、神様に屈服することができます。その時、次のように単純に

言うことができるのです。「イエス様、私は罪人です。どうかお助け下さい。福音の力を体験できるように助けてください」。


 私は、そのようにしました。それから聖書を学び始めたときに、かつてなかったような方法で勉強しました。「証の書」を読みました。それは、説教

のためにではなく、自分のために聖書の御言葉を読みました。すると、聖書の御言葉や「証の書」が私にとって、全く新しいものになってきました。

       (第5回へ続く)


あなたを変えるグッドニュース 3

2012年01月26日 | 日記
 私たちの伝道活動では、毎月、何千、何万部の雑誌を出版しております。最近中国で400万部以上の印刷物を出版しました。中国に

は、いかなる宗教の本も持って入ることはできないのです。そこで、中国国内で、そういった本を印刷することにしたのです。これは、

神様の奇跡によるものです。そうしたこともあって、私たちのスッタフのうち15人が投獄されたこともありました。そのうち、4人は

、現在も投獄されています。私は彼らのことを思うたびに、毎日心の痛みを覚えます。そのうちの2人は牧師です。素晴らしい、「現代

の真理」を語る教役者です。現在、中国において、700人以上の文書伝道者が雑誌を配布しています。これも、神様の奇跡としか言い

ようがありません。

 韓国や中国で、牧師のセミナーを開く時、日曜教会の牧師さんたちもやってきます。時には、100人、200人来られることもあり

ます。数か月前の事ですが、韓国のソウルにおいて、300人の日曜教会の牧師さんたちが、私たちのセミナーにやってこられました。

これは真実な話ですよ。これは、神様の奇跡なのです。神様の恵み以外のなにものでもありません。そしてこれは、私の手柄ではなく、

すべて、イエス・キリストのいさおしなのです。

 私の人生において、どういうことが起こったか、たくさんのお話をすることができます。私の伝道がどのようなものか、いろんなこと

をお話しすることができます。たくさんの奇跡について、お話しすることもできます。しかし、それらはすべて、神様の恵みによるもの

なのです。すべての栄光、手柄は、イエス・キリストに与えられるものです。

 私は今、皆さんの前にこうして立っていますが、私の人生そのものが奇跡なのです。私たちの伝道活動も奇跡です。伝道ということに

関する限りは、中国や韓国において、私たちの伝道ほど、ある意味で成功を収めているところは、ひとつもありません。

 今現在、私は中国に入国することができない状態にあります。中国政府のブラックリストのトップに、私の名前が載ってしまったので

す。中国政府のコンピュータを通して、すべての港、空港に私の写真が出ています。いかなる教派、いかなるグループ、いかなる団体も

私たちの伝道ほどの働きをやったところは一つもないのです。これも奇跡です。驚くべき奇跡です。しかし、私たちではなくイエス・

キリストの恵みによるものです。私ではなく、イエス・キリストの恵みです。
 
私は若いころ、SDAの牧師としての按手礼を受けました。牧師として、過去36年間働いてきました。そのうち、私はこんな白髪頭

になってしまったわけです。按手礼牧師として働いて、15,6年たった後、アンドリュース大学で神学の修士課程を終え、博士課程の

勉強をしていました。学生として、牧師として働いていました。カンファレンスの奨学金を受け、また、教会の承認を受けて、5日間学

校の勉強をして、週末の2日間牧師として働いていました。人気のある牧師でした。経済的にも恵まれていましたし、妻もいい職につい

ていました。給料もよかったし、教会員、教区長も、私に好意的で、前途は明るく、成功へと向かっている状態でした。まだ若かったし、

あなたはすばらしい人だと言われました。たくさんの人にバプテスマを施しました。私自身もいい牧師だと思っていました。いい伝道者

だと思っていました。

 ところが、ある日のこと、床の上で、聖霊は私に語ったのです。「デビットよ。お前は牧師ではない。クリスチャンですらない。お前

は今のままの道を歩き続けていたら、その落ちた先は地獄だぞ」と・・・。目が覚めたとき、私の体中汗でびっしょり濡れていました。

     (第4回へ続く)






あなたを変えるグッドニュース 2

2012年01月23日 | 日記

  デビット・カン先生の証 (その2)

母は教育熱心な人で、私たち五人兄弟をSDAの学校に送りました。彼女は熱心に祈りました。祈りの生涯というのを、私は母から教えられました。ある時期母は、

文書伝道の働きをして、証の書を売って回ったこともありました。その頃、夕方になって母が家に戻って来た時、彼女のカバンに、米とか麺とかキムチが入っていた

ら、おなか一杯食べられると、うれしくなったものでした。

イエス様の真理のために、彼女はとても苦労しました。しかし、彼女の顔から、微笑みが失われることはありませんでした。

ある冬のこと、母は、私たちの下着を洗ってくれていました。冬用の下着は一着しか持っていなかったので、子供5人は裸でオンドルに寝ころび、毛布をかけてもら

っていました。母が洗濯してくれている間、母が「歌いなさい」と言うので、5人でずっと私たちは歌を歌い続けました。今でも私の兄弟は歌がうまく、私と同じ

「現代の真理」を信じています。そのうちの2人は、同じ伝道の働きをしていますし、一番下の妹は、編集の働きをしてくれています。私に、このような家族を与え

て下さった神様の御名を讃えるものです。これも神様の恵みによるものです。

あるとき、学費がなくなってしまい、兄弟二人で祖父の所へ行きました。私が三育大学2年の時でした。祖父に、学費を助けて下さいとお願いしました.1回だけで

いいですから、と頼みました。「安息日を守る人間になったから、お前は人生を破滅させたんだ。お前の家族を見てみろ。学費すら出せないではないか。お前は、牧

師になるんだろう」と、祖父はとても怒っていました。

「助けてあげる条件は、勉強の進路を変えることだ。今から大学の学長に電話をするから、学校を変えなさい。そうしたら、韓国の優秀な政治家か、実業家にしてや

ろう。そのことは保証しよう」。

私の祖父は、韓国の有名な保険会社を始めた人だったのです。それで、事業のことはよく知っていたのです。その時私は21歳でした。世の中の栄光が私の前をよぎ

りました。〈いい車、すばらしい家に住めるだろう〉。しかし次に、母の顔が浮かび、祖父にこう言いました。「おじいさんのご厚意を感謝します。でも、それを受

けることはできません。今さら、私の主イエス・キリストを裏切ることなどできません。私の人生で最も大切なお方なのです」。そして、祖父の前にひれ伏して、そ

の家から出てきました。その日は2月のとても寒い日でした。そこから3キロほど雪の降る道を歩きました。その日私が学んだことは、〈イエス・キリストに従うこ

とは苦労を伴う〉ということでした。

真理を信じることには苦労が伴います。犠牲が伴います。しかし、今振り返ってみると、感謝の念があふれてきます。高校時代、大学時代、私は家が貧しかったこと

で口惜しい思いに満たされていました。時には、2食、3食、何も食べることができないこともあったのです。ですから私は、飢えることの苦しさを知っています。

しかし、振り返ると、そこには、神様のお恵みしかないのです。貧しい経済状態であったが故に、私は女の子と付き合うことができませんでした。

 若かった頃、私は結構女の子に人気があったのですが、世的なものを楽しむこともできずにいました。あとで振り返ってみて、これは神様が世的なものから守って

下さった恵みであったことを知りました。私の、貧しい魂を救って、神様の器として下さるためにほかならなかったのです。そのために神様は、私たち家族を貧しい

状態にすることを許されました。

 皆さんにお聞きしたいことがあるのですが、皆さんは今日、何に苦しんでおられますか。皆さんが負っておられる十字架はどんなものですか。私は世界中の国々を

巡ってきました。そして、負うべき十字架を持っていない人には、一人も出会ったことはありません。それがどういう人であろうが・・・。貧しい人、お金持ちの

人、教育のある人、ない人、若い人、年いった人、女性、男性、関係ありません。世界中のすべての人が、何らかの十字架を負って生きているのです。その人生にお

いて、何らかの苦しみ、悩みをかかえています。ですから、皆さんお一人お一人も、そのような重荷を負っておられると断言できます。病に苦しんでおられますか?

人には言えない悩みをかかえておられますか?人にはわからない、自分だけの苦しみというのはありませんか? 試練の中を、今、通っておられるかもしれません。

 癌を患っている方はいらっしゃいませんか?何らかの障害を持っておられる方がいらっしゃいますか?心の痛み、体の痛みをかかえていらっしゃいますか?

しかし、私は皆さんに知っていただきたいのです。それらの痛み、悩みは、皆さんを救ってくれるのです。それは、イエス様の恵みによって与えられたものなので

す。そういった苦しみを通して、私たちは救いに至るのです。そのような苦しみを通してイエス様は私たちを救って下さるのです。

 なぜ神様は、私たちに罪の結果を刈り取らせるのでしょう。それは、私たちの救いのためにほかなりません。神様の愛によるものなのです。イエス・キリストの恵

みによるものなのです。( 第3回へ続く)

 

あなたを変えるグッドニュース 1

2012年01月21日 | 日記

        福音は再創造の力

        キリスト教の神髄をあなたに



    私は、曾祖母の代からのキリスト教の家庭に生まれ、6000年の歴史のある聖書の教を聞いて育ちました。小、中、高、看護学校とキリスト教
  
   の学校で学び牧師と結婚、3人の子供が生まれました。けれども、私の心の中にあるものは、「私は正しい、あなたはまちがっている」という

   思いでした。それで、子供たちは、「お母さんの言っている事は正しいけど、心がついていかない」と悲痛な叫びを上げ、その結果、家庭内暴

   力、自殺未遂、家出、ホームレス、警察沙汰となりました。夫は、私に責められ、牧師をやめ、再就職した会社は倒産、工事現場での警備員を
  
   やり、そして別居。家計は、教育ローン、住宅ローンで借金地獄、家中の小銭をかき集め、100円の石鹸も買えないほどに。マンションは、人手
  
   に渡り、家族離散。自律神経失調症を患い、うつ状態になり、死以外解決の道がない、というところまで追い詰められた時、私の身代わりとなって

   死んで下さった方(キリスト)がおられることに気づかされました。その時以来、少しずつ私も、家族も変わっていき、今は本当に平安な生活を
  
   送らせていただいています。

    このキリスト教の神髄を、デビット・カン先生が、わかりやすく、深く心に迫って語って下さっています。



    
   デビット・カン先生の証

 私は世界のあちらこちら旅行します。神様の恵みによって、これまでに、30から35カ国を回りました。どの国に行っても神様の「現代の真理」を

信じる忠実な民に出会います。もちろんその人たちはSDAです。また、他教派の人の中でも信仰深い人に出会います。今日は、その神の民の出会いか

ら証をしたいと思います。どういうわけか、神の民は同じような笑顔をしておられます。神の栄光、神のご品性は同じです。空港で迎えに来られた先生

に会いましたが、彼を見た瞬間、この人は私の兄弟だとすぐにわかりました。同じように真理を理解している方だと思いました。今まで会ったこともな

い人に、このような感じを持つことができるのです。皆さんが回心した時に皆さんの見かけが変わるのです。考え方も変わります。皆さんの表情、雰囲

気も変わります。皆、それぞれ見かけは違うにもかかわらず、そして、育ってきた環境、文化、さまざまな背景も違うのに、神の民は一つになることが

できます。そして、皆似ています。同じ品性を反映しているからです。それが、イエス・キリストの品性なのですね。

 今晩のお話は、私の個人的な証です。私自身のことを話すとき、私がどんな人間か、知っていただけると思います。私がどこから来た人間か、神様の

恵みによってどのように変えられたか、知っていただけると思います。

  始めに、1コリント15章10節を開いてください。世界中のクリスチャンに、よく知られている有名な聖句です。とても単純な聖句です。それで

も心に深く食い込んでくる御言葉なのです。これは、使徒パウロの証です。そして、これは、多くのクリスチャンにとって証となっています。私にとっ

てもそうです。「しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである」神の恵みであると書いてありますね。この聖句を読むたびに、私

は、この聖句と同様の思いにかられます。私ではなくて、「イエス・キリスト」の恵みによるのですね。その恵みによって、私はここに立って、皆さん

にお話をしているのです。1年ほど前に、私の母は亡くなりました。彼女は特別なクリスチャンでした。とても敬虔な、私にとって、すばらしい母でし

た。私には4人の姉妹がありまして、私は一人息子なのです。ふつう東洋では、一人息子は特別扱いされるわけです。日本でもそうですか?最近ではそ

ういうことはなくなってきましたね。しかし、私が育ってきたころは、そういう風潮が強かったのです。私はわがままな子供でした。よく、母に苦労を

かけたことを覚えています。しかし、神様の恵みが母を通して働いたのです。私は母に一度もどなられたことがありません。声を荒げて私を叱ったこと

は、一度もありませんでした。そのような母でした。敬虔なクリスチャンでした。母は韓国長老派の熱心なクリスチャンで、執事も務めておりました。

 ところが私が赤ん坊だったころ、セブンスデー・アドベンチストに改宗したんですね。どうしてかと言うと、ある日、文書伝道者が私の家に来て、『各

時代の大争闘』と言う本を売ってくれたんです。この本を読んだ私の母は、著者であるエレン・G・ホワイトがとても好きになったのです。以来、証の

書を読みあさりました。そして、韓国語に訳されているすべての証の書を読んだのです。彼女が特に大好きな本は、『教育』と『アドベンチスト・ホー

ム』で、この本を、全部暗記するぐらい読みました。そしてこの勧告を、私を教育することに用いたのです。私が何か悪いことをした時、母は決して私

をどなりつけるようなことはありませんでした。たたきもしませんでした。私の両手を握って、私を見つめて何も言いませんでした。ただ、私を見つめ

、同情にあふれた目をしていました。私も母の眼を見つめるのですが、見ているうちに、母の目がうるんでくるのです。今にも泣きだしそうな顔でした。

これは私にとっては最悪の罰でした。時には、私のために祈ってくれました。私は大きくなって、世的なことに興味を持ちました。しかし、教会を去る

ことはできなかったのです。どうしてかと言うと、そのたびに母の顔が思い浮かび、私を思いとどまらせました。彼女が亡くなる直前に、私に語った言

葉は、「息子よ、イエス・キリストに忠実であり続けなさい」というものでした。私がこうして立って、説教壇から説教するとき、母は一番前の席に座

って私の話を聞いているのですが、彼女の手はこのように握られていました。「アーメン、アーメン」と言ってくれました。そして、説教が終わった後、

私の所に来て、私の手を彼女の頬に置いて、「先生ありがとう」と言ってくれました。母が私をどのように扱ってくれたかを、私は皆さんに申し上げた

いのです。彼女の、私の人生に対する影響は、はかりしれないものがあります。

 亡くなる前の数年間、彼女は思い病気を患いました。イエス様がおいでになるとき、私の母はきっと墓から甦ることでしょう。そして、私にこのよう

な質問をするはずです。「息子よ、今日は何の日だろうか」。私がどのように答えると思われますか。「お母さん、今日は永遠の安息日ですよ。もう決

して離れ離れになることはありません。決して年をとることもありません。死ぬこともありません。永遠に一緒にいることができます」すべてこれは、

イエス・キリストの恵みによるわけです。神様はこのような素晴らしい家族を私に与えて下さったのです。

 私が若かった頃、私の父はある程度裕福な人でした。しかし、私の母がSDAになった時、私の祖父は、ものすごく怒り、私の一家を勘当してしまっ

たのです。もう、私たちの家族と縁を切って、援助しないということになりました。私の祖父は、かつて、韓国政府の大事な役職についていて、父はそ

の下で働いていました。私の母がSDSAになった後、父は職を失いました。以前は、1月1日になると、私は孫の列に並んで、順番がくると、祖父に

向かってお辞儀をしました。時には、そのお辞儀をする列の中に、議員さんもいました。祖父はそれくらい権力のある人でした。私の家族がSDAに改

宗した後、苦しみが始まりました。韓国はその頃、経済的に貧しかったので、父はいろいろな仕事をしましたが、3度連続して失敗してしまいました。

最後には、住む家も失ってしまいました。 (以下次回に続く)