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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

デビット・カン先生の証9

2012年08月31日 | 日記




  ひまわりさんより(8月31日)

このブログを書く時になると、「今日は一日何を考えて生きてきたきたかなあ」と思います。
今日特に感じたのは、人間は、いざという時、究極的な事態が起きた時に、本性が出てくるのだということです。
何かをしようとする場合、まず何を優先するか、その判断の時に、その人の日ごろの価値観が出てくるのです。
私自身、かつてすごくつらく厳しい目に遭った時、神様の愛もわからなくなり、
心には神様への不満だけがつのっていったことを覚えています。
ヨブのように、どんな厳しい状況の中でも、新しい心を頂いて行動出来るようにしていきたいと思いました。

   中国伝道の進展(デビット・カン講演9)

なぜ神様は、私たちに罪の結果を刈り取らせるのでしょう。
それは、私たちの救いのためにほかなりません。神様の愛によるものなのです。
イエス・キリストの恵みによるものなのです。
 私たちの伝道では、毎月、何千、何万部の雑誌を出版しております。
最近中国で400万部以上の印刷物を出版しました。
中国には、いかなる宗教の本も持って入ることはできないのです。
そこで、中国国内で、そういった本を印刷することにしたのです。
これは、神様の奇跡によるものです。
そうしたこともあって、私たちのスッタフのうち15人が投獄されたこともありました。
そのうち、4人は、現在も投獄されています。私は彼らのことを思うたびに、毎日心の痛みを覚えます。
そのうちの2人は牧師です。素晴らしい、「現代の真理」を語る教役者です。
現在、中国において、700人以上の文書伝道者が雑誌を配布しています。
これも、神様の奇跡としか言いようがありません。








デビット・カン先生の証8

2012年08月30日 | 日記


 ひまわりさんより(8月30日)

今日の日課の中に、「伝道とは奉仕を意味する」とありました。
私は伝道と言うと、何か人に教えたりすることというように感じていたので、
どういうことだろうと思いました。それで、辞書で奉仕の意味を調べてみました。
そうすると、「奉仕」とは、①神仏、主君、師などに謹んでつかえること 
、②利害を離れて国家や社会などのために尽くすこと、とありました。
「伝道とは奉仕すること」という言葉は、今まで考えていた伝道の概念がガラリと変わる、
目からウロコの言葉でした。


 苦しみを通して救いを得る(デビット・カン講演8)

皆さんにお聞きしたいことがあるのですが、皆さんは今日、何に苦しんでおられますか。
皆さんが負っておられる十字架はどんなものですか。私は世界中の国々を巡ってきました。
そして、負うべき十字架を持っていない人には、一人も出会ったことはありません。
それがどういう人であろうが・・・。
貧しい人、お金持ちの人、教育のある人、ない人、若い人、年いった人、女性、男性、関係ありません。
世界中のすべての人が、何らかの十字架を負って生きているのです。
その人生において、何らかの苦しみ、悩みをかかえています。
ですから、皆さんお一人お一人も、そのような重荷を負っておられると断言できます
。病に苦しんでおられますか?
人には言えない悩みをかかえておられますか?人にはわからない、
自分だけの苦しみというのはありませんか? 試練の中を、今、通っておられるかもしれません。
 癌を患っている方はいらっしゃいませんか?
何らかの障害を持っておられる方がいらっしゃいますか?
心の痛み、体の痛みをかかえていらっしゃいますか?
しかし、私は皆さんに知っていただきたいのです。
それらの痛み、悩みは、皆さんを救ってくれるのです。
それは、イエス様の恵みによって与えられたものなのです。
そういった苦しみを通して、私たちは救いに至るのです。
そのような苦しみを通してイエス様は私たちを救って下さるのです。
 





デビット・カン先生の証7

2012年08月29日 | 日記



     ひまわりさんより(8月29日)

私には、時々ふっと、「なんで自分がこんなことをしなくちゃいけないんだろう」とか、
「あの人ちょっとひどいんじゃないかしら」というような批判の気持ちが起きてきていました。
私はそれが自分の気持ちだと思って、その気持ちにしばらく引きずられてしまっていました。
そのあと、「これは肉の思いだから」と思って心を変えようとしていたのですが、
先日お借りした、アル&コレット・マーチン夫妻のCDの中で、そのような思いはサタンが人に入れたもので、
そのような思いが来たら、直ちに『従わない!』と言ってサタンを叱りつければいいのだと教えられました。
私は以前にも、悪い思いを叱ったりすることをやっていたのですが、その時は、叱っても、
自分の思いだからまた出てくるのではないかと思っていました。
今回のCDで、悪い思いはサタンがほのめかすことなのだということがわかって、
罪の思いを憎む気持ちが強くなり、サタンの力をシャットアウトできるように戦い続けていこうと思いました。

   貧しさも祝福(デビット・カン講演7)

真理を信じることには苦労が伴います。犠牲が伴います。
しかし、今振り返ってみると、感謝の念があふれてきます。
高校時代、大学時代、私は家が貧しかったことで口惜しい思いに満たされていました
。時には、2食、3食、何も食べることができないこともあったのです。
ですから私は、飢えることの苦しさを知っています。
しかし、振り返ると、そこには、神様のお恵みしかないのです。
貧しい経済状態であったが故に、私は女の子と付き合うことができませんでした。
 若かった頃、私は結構女の子に人気があったのですが、世的なものを楽しむこともできずにいました。
あとで振り返ってみて、これは神様が世的なものから守って下さった恵みであったことを知りました。
私の、貧しい魂を救って、神様の器として下さるためにほかならなかったのです。
そのために神様は、私たち家族を貧しい状態にすることを許されました。




デビット・カン先生の証6

2012年08月28日 | 日記



   ひまわりさんより(8月28日)

私の訪問先で、週4日尋ねているおじいさんがいます。
肺がんの末期で、ターミナルということで病院から自宅へ帰ることを希望された方です。
この方は少し動くだけで酸素濃度が下がってしまうので、在宅酸素を使うようにしました。
そうすると、その後、家にいるだけで食欲が出るようになり、トイレにも行けるようになり、
すごく元気になってきました。この結果を見て、自宅にいることがいかにいいか、
この方の介護に関わってきたみんなに理解されました。
聖書には、「私たちの国籍は天にある」とありますが、私たちの本当の実家である天国に行くことが、
どれだけ大きな祝福をもたらすかということを考えました。

   父との決別(デビット・カン講演6)

あるとき、学費がなくなってしまい、兄弟二人で祖父の所へ行きました。
私が三育大学2年の時でした。祖父に、「学費を助けて下さい」とお願いしました。
「1回だけでいいですから」、と頼みました。
祖父は、「安息日を守る人間になったから、お前は人生を破滅させたんだ。お前の家族を見てみろ。
学費すら出せないではないか。お前は、牧師になるんだろう」と、とても怒っていました。
「助けてあげる条件は、勉強の進路を変えることだ。今から大学の学長に電話をするから、学校を変えなさい。
そうしたら、韓国の優秀な政治家か、実業家にしてやろう。そのことは保証しよう」。
私の祖父は、韓国の有名な保険会社を始めた人だったのです。
それで、事業のことはよく知っていました。
その時私は21歳でした。世の中の栄光が私の前をよぎりました。〈いい車、すばらしい家に住めるだろう〉。
しかし次に、母の顔が浮かび、祖父にこう言いました。
「おじいさんのご厚意を感謝します。でも、それを受けることはできません。
今さら、私の主イエス・キリストを裏切ることなどできません。私の人生で最も大切なお方なのです」。
そして、祖父の前にひれ伏して、その家から出てきました。その日は2月のとても寒い日でした。
そこから3キロほど雪の降る道を歩きました。その日私が学んだことは、
〈イエス・キリストに従うことは苦労を伴う〉ということでした。





デビット・カン先生の証6

2012年08月28日 | 日記



   ひまわりさんより(8月28日)

私の訪問先で、週4日尋ねているおじいさんがいます。
肺がんの末期で、ターミナルということで病院から自宅へ帰ることを希望された方です。
この方は少し動くだけで酸素濃度が下がってしまうので、在宅酸素を使うようにしました。
そうすると、その後、家にいるだけで食欲が出るようになり、トイレにも行けるようになり、
すごく元気になってきました。この結果を見て、自宅にいることがいかにいいか、
この方の介護に関わってきたみんなに理解されました。
聖書には、「私たちの国籍は天にある」とありますが、私たちの本当の実家である天国に行くことが、
どれだけ大きな祝福をもたらすかということを考えました。

   父との決別(デビット・カン講演6)

あるとき、学費がなくなってしまい、兄弟二人で祖父の所へ行きました。
私が三育大学2年の時でした。祖父に、「学費を助けて下さい」とお願いしました。
「1回だけでいいですから」、と頼みました。
祖父は、「安息日を守る人間になったから、お前は人生を破滅させたんだ。お前の家族を見てみろ。
学費すら出せないではないか。お前は、牧師になるんだろう」と、とても怒っていました。
「助けてあげる条件は、勉強の進路を変えることだ。今から大学の学長に電話をするから、学校を変えなさい。
そうしたら、韓国の優秀な政治家か、実業家にしてやろう。そのことは保証しよう」。
私の祖父は、韓国の有名な保険会社を始めた人だったのです。
それで、事業のことはよく知っていました。
その時私は21歳でした。世の中の栄光が私の前をよぎりました。〈いい車、すばらしい家に住めるだろう〉。
しかし次に、母の顔が浮かび、祖父にこう言いました。
「おじいさんのご厚意を感謝します。でも、それを受けることはできません。
今さら、私の主イエス・キリストを裏切ることなどできません。私の人生で最も大切なお方なのです」。
そして、祖父の前にひれ伏して、その家から出てきました。その日は2月のとても寒い日でした。
そこから3キロほど雪の降る道を歩きました。その日私が学んだことは、
〈イエス・キリストに従うことは苦労を伴う〉ということでした。