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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

なぜあなたは主に従うか(デビット・カン講演2)

2012年10月31日 | 日記



  ひまわりさんより(10月31日)

平成19年11月から働き出した訪問看護ステーションを、ぴったり5年目の今日、退職することになりました。色々な方がお別れをしてくださり、ありがたいと思いました。特にうれしかったのは、Aさんが、お別れにと言って、湯呑みを下さったことです。この方は私と職域は違いますが、上司に当たります。私が勤めだしたころは、いろいろ意見が違うのか、何かにつけ反発されることが多くありました。そして、4年間ぐらいは、こちらが挨拶しても、返事もしないで通り過ぎるような態度をしていました。しかし、1年ぐらい前から、すごくよく挨拶もしてくださるし、ある時は、私がやった『鬱予防』の講演について、自分にもその内容を教えてほしいと言われるようになってきました。そして今日は、お別れにと言って、益子焼の素敵な湯呑を下さいました。心にわだかまりを感じる人が、一人もいなくて退職できることは、本当にありがたいことだと思いました。


   心の動機を知るべき時(デビット・カン講演2)

では皆さんはどうして神様に仕えているのでしょう。何が皆さんを動機づけているのでしょうか。
神様を信じ、神様に仕える理由は、ただ単に救われたいからですか。裁かれるのが嫌で神様を信じ、仕えているのですか。これは大事な質問ですよ。まず、しばらく、私たちの現在の状況について考えてみましょう。今こそ真剣に心を探って、心の動機を知るべき時であります。



なぜあなたは主に従うか(デビット・カン講演2)

2012年10月31日 | 日記



  ひまわりさんより(10月31日)

平成19年11月から働き出した訪問看護ステーションを、ぴったり5年目の今日、退職することになりました。色々な方がお別れをしてくださり、ありがたいと思いました。特にうれしかったのは、Aさんが、お別れにと言って、湯呑みを下さったことです。この方は私と職域は違いますが、上司に当たります。私が勤めだしたころは、いろいろ意見が違うのか、何かにつけ反発されることが多くありました。そして、4年間ぐらいは、こちらが挨拶しても、返事もしないで通り過ぎるような態度をしていました。しかし、1年ぐらい前から、すごくよく挨拶もしてくださるし、ある時は、私がやった『鬱予防』の講演について、自分にもその内容を教えてほしいと言われるようになってきました。そして今日は、お別れにと言って、益子焼の素敵な湯呑を下さいました。心にわだかまりを感じる人が、一人もいなくて退職できることは、本当にありがたいことだと思いました。


   心の動機を知るべき時(デビット・カン講演2)
では皆さんはどうして神様に仕えているのでしょう。何が皆さんを動機づけているのでしょうか。
神様を信じ、神様に仕える理由は、ただ単に救われたいからですか。裁かれるのが嫌で神様を信じ、仕えているのですか。これは大事な質問ですよ。まず、しばらく、私たちの現在の状況について考えてみましょう。今こそ真剣に心を探って、心の動機を知るべき時であります。



なぜあなたは主に従うか(デビット・カン講演1)

2012年10月30日 | 日記



 ひまわりさんより(10月30日)

10月31日付で、現在の職場をやめることになり、今日の午後は有給の消化で休みとなりました。それで、先日ふくらはぎマッサージに行った人が、施設入所を希望しているので、系列の特養ホームへ話を聞きに行きました。本当は、今日の休みは、美容院へ行こうと思っていたのですが、自分のことより、人のためにすることが優先だと思って、施設の方へ行きました。すると、たまたま、その施設のトップの人と、管理部長が対応してくださり、入居は部屋が空いていないのでできないけど、ロングショートという形をくり返していき、空きができたら入居するようにしていけば、費用は少し高くなるけれども、入居と同じようにできるということが分かりました。タイミングよく話がとんとん拍子に進み、やはり、人のためにやってあげることが大切なのだと思いました。(デビット・カン先生の講演は、今日から新しいテーマとなります)





 なぜあなたは主に従うか    デビット・カン講演第1回
     
    あなたが主に仕える動機は?

「なぜあなたは神様に仕えるのですか」、という題でお話したいと思います。今晩、私たちの心を再吟味したいと思います。神様に仕える私たちの動機は何でしょうか。なぜ神様を信じているのでしょうか。なぜ神様に礼拝をささげるのでしょうか。「なぜ神様に仕えるのか」、単純な質問ですけれど深い意味が含まれています。副題として、「どんな動機で主に仕えるか」、ということを考えてみたいと思います。この副題も私たちに考えさせるような題ですよね。
ある時、バプテスト派の女性と一緒に聖書を研究していました。彼女は、大きな教会の、女性のあるグループの指導者でした。死人の状態とか、地獄の死についての教理を彼女と一緒に学んだ後で、彼女は泣き出したのです。「どうしたのですか」と尋ねました。すると彼女は、「これまで私はずっと間違った理由でイエス様を信じてきました」と言うのです。「私が神様を信じてきた理由は、地獄に行きたくなかったからでした。地獄について考えたとき、本当に怖くなったので、そんな所へ行きたくなくて教会に行っていました」と言いました。「地獄に行きたくないから教会に忠実に出席して、いろんなプログラムも忠実にこなしてきました・・・」。
では皆さんはどうして神様に仕えているのでしょう。何が皆さんを動機づけているのでしょうか。



主は我らの義(デビット・カン講演43)

2012年10月29日 | 日記



  ひまわりさんより(10月29日)
今年の春、訪問看護ステーションの前の芝生の中に生えていた雑草を、毎日少しづつ、根っこから完全にとり続けていきました。それこそ、毎日、10センチ四方ぐらいずつ、どんな小さな根っこも残さないように取っていきました(5月1日の記事で紹介)。今日、少し時間があったので、伸びた芝を刈ろうとして見たら、一本も雑草が生えていませんでした。これまでは、芝を刈ろうとすると、芝と雑草が半分ぐらいずつあったのに、今では、一本の雑草も生えていないのです。雑草も、取り続ければこうなるのだということを知りました。同時に、私たちの罪も、辛抱強く、誘惑が来たら払いのける、ということをやっていったら、罪の根を抜くことができると思って、自然の中から教えられ、とても励まされました。

 デビット・カン先生の祈り(「主は我らの義」講演最終回)

 天のお父様、あなたの大いなる愛を心より感謝いたします。あなたがどうしてこれほどまでに私たちを愛されるのか、本当にはわかっていません。なぜなら、あなたのこの大いなる愛に値することは何もしていないからです。あなたのこの素晴らしい救いに、本来、値しないものであります。私たちは罪深い者です。本当に邪悪な者です。私たちの生涯のうちに、何一つ良いものを見いだせません。たとえあなたの戒めに従おうと努めたとしても、また、あなたの良き証人となるために最善を尽くしたとしても、私たちの行いは、私たちを救うことはできません。そして実際のところ、天使たちの前で、他世界の前で、あなたの証人として立つことを恥じるものであります。そこで、あなたのみ前に、私たち自身をおささげしたいと思います。私たちの罪を告白いたします。私たちの無能さを告白いたします。過去において、あなたのみ名を余りにも多く汚してきました。あなたは私たちの心の動機、私たちの心の中をご存知であります。神様、私たちはあなたを愛します。あなたに栄光を帰したいと思います。イエス・キリストに栄光を帰したいと思います。あなたは私たちの心をご存知です。この砕けた悔いた心を、あなたにおささげしたいと思います。心を砕いて、へりくだってあなたのみ前にまいります。そのような謙遜な、へりくだった心を、あなたは決してさげすまないと、聖書にかかれています。ですから、どうぞこの状態のままで私たちを受け入れてください。
あなたのみ言葉を信じ、あなたに頼ります。あなたのお約束に頼ります。あなたの創造の力に頼ります。どうぞ私たちを義なるものとしてください。私たちを清めてください。いつの日か、さばきの日に、自分自身の義によって立ちたいものであります。その義はあなたからいただいたものです。
この場所に来られた兄弟姉妹がたを、どうぞ祝福してください。あなたの「聖霊の後の雨」を注いでください。日本全国に、彼らを通して、「大いなる叫び」のメッセージが伝えられますように。そして、この国の働きを、この兄弟姉妹がたが遂行することができますように。
感謝いたします。
あなたのみ名をたたえます。
イエス・キリストのみ名を通してお祈りいたします。
              アァメン





主は我らの義(デビット・カン講演42)

2012年10月28日 | 日記



    ひまわりさんより(10月28日)
 今日は、先週の土曜日午後訪れた、Sさん夫婦の所へ、ふくらはぎマッサージで出かけました。今後は、自分たちでもできるように、いろいろなものをそろえ、ホットパックや、フットバスの用意もして出かけました。ところで、私の車は、ホンダライフですが、一昨日、一緒に仕事をするようになった弟が、会社の費用で、方向音痴の私のために、最新の「ゴリラ」というナビゲータをつけてくれました。最初夫に操作法を習い、目的地に向けて出発しました。先週、夫の車で行った時に教えてくれたナビとは、違うコースを取ったので、私はかなり心配しましたが、どっちみち道は分からないのだから、ナビを信じていくしかないと思って、指示の通りに進んで行ったら、本当にピッタリ、その人の家の前まで来ることができました。私は、完全にナビに従っていれば、必ず目的地に着けるのだということを知り、聖書の教えにも、従ったり従わなかったりではなく、完全に服従することが大切なのだとつくづく思いました。(写真は我が家のナデシコとサニーレタスがちょっと写っています)

   キリストの見捨てられない愛(デビット・カン講演42)
なぜなら、私たちの心が神様のうちに広く開かれているからです。そのような思いに私達たちをさせるために、イエス様は十字架上で死んでくださったのです。なぜイエス様は心臓発作にかかって死なれなかったのでしょうか。なぜ十字架で手を広げて死なれたのでしょうか。それはどんな状況であれ、決して私たちをお見捨てにならないということを表明されるためでした。私たちのためには、どんなこともするということを示しになられたのです。私たちを救うためにそのためにイエス様はおいでになりました。この地球に! あなたのために!
     ≪ 賛 美 歌 ≫
「尊き神の愛 口にえ言わねど 星の数にたとうはかりしれぬ愛 
 そは独り子をばわれにたまわり われらを滅びよりあがないたもう
 ほむべき神の愛 とこしえまでも み使い琴を取り歌にぞ合わす」