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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の力を体験せよ 30

2013年11月30日 | 日記

   

                  (庭の銀モクセイ、甘い香りがただよってきます)

 福音の力を体験せよ 30       

“真実な証人の証は、半分も留意されていない。教会の運命がかかっている厳粛な証は、完全に無視されていないまでも、軽視されてきた。この証は、深い悔い改めを促さなければならず、その証を真心から受け入れるすべての者は、それに従い、そして清められるのである。”(1T180)

ある人たちは、「そのような深い悔い改めの経験は14万4千のみが必要だ」と言います。しかし皆さん、このように完全に清められる経験なしには、誰であれ、救われることはできないのです。

聖書は、「栄光の望み」であるキリストを、心のうちに宿している人だけが救われる、と教えています。しかし問題は、どうすればキリストを私たちの心のうちに宿すかについて、大勢の人がよく分かっていないことです。 

“人々は、種々の悪習慣を改め、良いことをして、クリスチャンになろうと望むのであるが、それでは、出発点が誤っているのである。まず始めるべきところは、心なのである。”(COL97) 

イエス様は、私たちの古い本性を象徴する古い着物に、新しい布ぎれで継ぎ当てをしてはいけないと言われました。新しい着物を買いなさい、つまり、新しい心を持ちなさい、と言われたのです。

     新生への道 11 祈りの特権 18 

私たちは、もっと「主のいつくしみと、人の子らになされたくすしきみわざとのために」(詩篇107:8)神をほめたたえなければなりません。私たちの祈りは、ただ求めること、与えられることだけであってはなりません。また自分の欠乏ばかり考えていて、受けた恵みを忘れることがないようにしましょう。私たちは祈ることが本当に少ない上に、感謝の心が乏しい者です。絶えず神のあわれみを受けていながら、感謝を言い表すことがなんと少なく、神が私たちのためにしてくださったことについて賛美することのなんと少ない者でしょう。

 その昔、イスラエル人が礼拝のため集まったとき、神は次のようにお命じになりました。「そこであなたがたの神、主の前で食べ、あなたがたも、家族も皆、手を労して獲るすべてのものを喜び楽しまなければならない。これはあなたの神、主の恵みによって獲るものだからである」(申命記12:7)と。神の栄光のためになされることは、賛美と感謝の歌をもって喜んでなされるべきであって、悲しい気持ちや憂うつな気持ちでなされてはなりません。


福音の力を体験せよ 29

2013年11月29日 | 日記

  

  福音の力を体験せよ  29

“私は神の民を見せられたが、彼らは大いにふるわれていた。私が見たふるいの意味を尋ねると、それは、ラオデキヤ教会への真実な証人の勧告に奮い起こされた、率直な証によって生じることを示された。この証は、それを受け入れる者の心に効力を発するようになり、標準を高めて率直な真理がほとばしり出るように導く。ある者たちは、この率直な証に耐えないであろう。彼らはそれに反対して立ち上がり、それが、神の民の間にふるいを引き起こすのである。”(1T179,180) 

現在神の民が、真理に対抗して立ち上がっているのをご存知ですか?魂は、罪から完全に清められねばならないとの率直な証に反対して、彼らは立ち上がるのです。なぜでしょうか?大多数の人は、これが可能であることを信じていません。多くの教会員が、この経験をするために、何年も努力してきたにもかかわらず、うまくいかなかったためです。 

このような人たちは、「罪の中にいながらも救われる」とのメッセージが来ると、それをうのみにしてしまいます。そのために、人々は率直な証に対抗して立ち上がるのです。

    新生への道 11 祈りの特権 17

神は私たちを常に守っておられますから、いつも神のことだけを考えたいと思えば、常に心に神を宿し、喜んで神について語り、神を賛美しなければなりません。私たちがこの世的なことを話すのは、それに興味を持っているからです。友だちのことを話すのは、その友を愛し、喜びも悲しみも共にしているからです。けれども私たちは、この地上の友を愛する以上に神を愛する大きな理由があります。ですから、何よりもまず神のことを思い、神のあわれみ深さや、神のみ力について語るのは、全く自然なことでなければなりません。

 神が私たちにお与えになった賜物があまりにも豊かなために、私たちの思いや愛情が全部それに奪われ、神にお返しするものが何もないようではいけません。むしろ、これらの賜物は、常に私たちに神のことを思い出させ、愛と感謝の絆で恵み深い神に結びつけるためのものなのです。私たちは、とかくこの世のことに心を奪われがちですが、天の開かれた聖所の扉を見上げ、「彼によって神に来る人々を、いつも救うことができる」(ヘブル7:25)キリストの顔に神の栄光が輝いているのをながめましょう。

 


福音の力を体験せよ 28

2013年11月28日 | 日記

   


  福音の力を体験せよ 28

私たちが買うべき白い衣とは何ですか?

“白い衣は品性の純潔、すなわち罪人に分け与えられたキリストの義である。まさしくそれは、天の生地で織られた衣服であり、キリストは、従うことをいとわない者のためだけに、それを買うことがおできになる。”(4T88) 

キリストが、皆さんの心に働いて、キリストのみ心を果たしていくことを言っています。まさしくそれが白い衣です。

それなら、目薬は何ですか?

「この目薬は神の言葉」(7BC965)です。み言葉が目薬なのです。では、この目薬でもって何をしますか?直ちに自分の目に塗らなければなりません。 

では、み言葉を塗る目とは、何のことですか?目は、私たちの「良心」だと言われています。 

それは心の内的光です。聖書の言葉を私たちの心に適用すれば、これ以上、盲目的状態にはなりません。私たちの良心は、何が真理で何が誤りであるかを判断することができるようになります。私たちの良心は、光であられる主のみ言葉を適用するまでは、良く見ることができません。

     新生への道 11 祈りの特権 ⑯

神に奉仕するにあたって、互いに力づけ励ますために、互いに交わる特権を軽視すれば必ず損失を招きます。神のみ言葉の真理は輝きを失い、その重要性を悟れなくなってきます。そして、私たちの心は、その清めの力に照らされることも、覚醒されることもなく、霊的に衰えてしまいます。クリスチャン同士の交わりにおいて、お互いの間に同情心がなければ大きな損失となります。自分だけで閉じこもっている人は、神が計画されたその人の立場を占めていないのです。私たちが社交性を積極的に養い育てていくなら、他人にも同情できるようになり、神に奉仕する上においても成長と、力強さが与えられます。

 もしクリスチャン同士が、互いに交わって、神の愛と尊い救いの真理について語り合うなら、自分の心が新たにされるだけでなく、互いの心が活気づけられるのです。私たちは毎日、天の父についてもっと学び、神の恵みを新たに体験するのです。そうすると、神の愛について語りたいと思うようになり、人に語れば自分の心が温められ勇気づけられるのです。もし私たちが、もっとイエスのことを思ったり語ったりして、自分について考えることを少なくするなら、彼の臨在をより近く感じることができるのです。


福音の力を体験せよ 27 

2013年11月27日 | 日記

  

    

    福音の力を体験せよ 27 

イエス様がそのような彼らに求めておられることが、ヨハネの黙示録に述べられています。

そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。”(黙示録3:18)

私たちが買うべきその金とは、何でしょうか?

“火で精錬された金といわれているのは、愛によって働く信仰である。”(COL158) 

“愛によって働く信仰は、魂を清める”(1SM357)。

ゆえに、火で精錬された金は、純潔の状態を象徴します。金とは、神の愛で清められた心のことです。利己心ではなくて、愛がその心の中にあることです。生ぬるい人たちの生涯の中心には、いまだに自我が居すわっています。イエス様は戸の外におられます。イエス様は、ご自分の民の心の中に入りたいと望んでおられるのです。

   新生への道 11 祈りの特権 15

神は、私たちが礼拝に専念するからといって、この世から離れて世捨て人となったり、修道僧になることを望んでおられるのではありません。私たちの生涯はキリストの生涯のように、山と群衆の間になければなりません。祈るばかりで働かない人は、まもなく祈ることを止めるか、その祈りはただ形式的な習慣になってしまいます。人が社会生活から離れてクリスチャンとしての義務と十字架を負うことを避け、自分たちのために熱心に働かれた主のために働くことをやめるとき、祈る主題を失ってしまい、神に献身する動機も同時に失ってしまいます。彼らの祈りは個人的になり、利己的なものになります。人類の必要や、キリストの王国の建設のために祈ることも、また働く力を求めることもできなくなります。


福音の力を体験せよ 26

2013年11月26日 | 日記

    

  福音の力を体験せよ  26        (庭のナンテン)

イエス様がそのような彼らに求めておられることが、ヨハネの黙示録に述べられています。 

そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。”(黙示録3:18)

私たちが買うべきその金とは、何でしょうか? 

“火で精錬された金といわれているのは、愛によって働く信仰である。”(COL158) 

“愛によって働く信仰は、魂を清める”(1SM357)。

ゆえに、火で精錬された金は、純潔の状態を象徴します。金とは、神の愛で清められた心のことです。利己心ではなくて、愛がその心の中にあることです。生ぬるい人たちの生涯の中心には、いまだに自我が居すわっています。イエス様は戸の外におられます。イエス様は、ご自分の民の心の中に入りたいと望んでおられるのです。

    新生への道  11 祈りの特権 14

 イエスは「あなたがたは、わたしの名によって求めるであろう。わたしは、あなたがたのために父に願ってあげようとは言うまい。父ご自身があなたがたを愛しておいでになるからである」(ヨハネ16:26,27)。「わたしがあなたがたを選んだのである・・・あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである」(ヨハネ15:16)と言われましたが、イエスの名によって祈るとは、ただ祈りのあとにイエスのみ名を唱えるというのではなく、イエスの心と精神をもって祈り、それと共に、イエスの約束を信じ、その恵みに頼り、彼がなさった働きを行うということです。