思いを見られる神様
私には3歳半になる孫がおります。本当に可愛いです。私にとっては世界で一番麗しい少年です。皆さんがどう思っているか私にはどうでもいいのですけれど、しかし、私にとってはこの孫は世界で最も麗しい少年なんです。私のところに来るたびに、「おじいちゃ~ん」と呼んでくれると、私の心は溶けてしまいます。もう心からこの孫を愛しています。私の言わんとしていること、お分かりの方いらっしゃいますよね。もう孫というのは特別の存在なんですよね。
若い時に自分の子供を育てましたが、その時は忙しくて、子育てを楽しむ余裕がありませんでした。でも孫が出来たら、これは特別の経験です。今こうしてお話ししながら孫のことを考えています。世界中を旅行している間に、スカイプで孫と話をする機会があります。テレビ電話みたいに話ができるわけです。顔と顔とを合わせながら・・・。そしたら孫が「おじいちゃ~ん!」。もう素晴らしい経験です。私はここにいますけれども、日本と言う国にいて、アメリカから遠く離れていますが、もう、あっと言う間に思いにおいて、アメリカにいる孫のところに行くことができます。興味深いことではないでしょうか。
どうしてこういうことを今、私は話しているのでしょうか。皆さんに、ある大事なことを伝えたいからなのです。私たちの品性を形成する最も小さな粒子、あるいは要素というのは、思考、思いなのです。私たちの品性形成は思いから始まるのです。何を考えるか、どのように考えるかということは大変重要なことです。天の故郷に帰る時に、私たちが地上から持って行ける唯一のものは私たちの品性ですよね。今現在こうして椅子に座っておられる間に、誰かに対して憎しみを抱くことも出来ます。誰かに対して愛情を抱くことも出来ます。誰かを軽蔑、見下すことも出来ます。ここにいて、遠くにいる誰かをぶん殴って戻ってくることもできます。そういうことが出来るんですよ。どうやって?思いを通してです。
神様は、その、皆さんの思いを、思考をご覧になるお方なのです。私たちの心の中枢部分を見ておられます。それは何ですか。それは私の思い、思考です。その思考パターンを、何を好んでいるか、何を好まないで嫌っているか、何を欲しているか、やりたいか、何を食べたいか、何について話したいか、どのような人と接するか。これ、すべて私たちの品性の一部です。それはすべて思いから始まっているのです。神様は、そのような皆さんの思いをご覧になっています。そして、それに基づいて、私たち人間がどういう人間かということを神様は裁かれるわけです。もうどれほど私たちの思考が、思いが重要であるかということをお分かりいただけたと思います。
詩篇139篇を見てみましょう。詩篇139篇1節2節です。「主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。あなたはわがすわるをも、立つをも知り、遠くからわが思いをわきまえられます」。神様はすべてをご存知ですね。私たちの思いを読むことがお出来になります。これは本当に特別なことではないでしょうか。神様は遠いところにおられても、私たちの思いをご覧になります。知っておられます。私が、立って歩いている時も私の思いをご覧になります。そして、絶えず、一瞬一瞬私たちの思いを天の記録の書、天のコンピューターに記録されているのです。天のコンピューターに、このようにして私たちの全ての思いが記録されていくんです。