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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

地球の歴史上、最も輝かしい日  私はすぐに来る 第6回

2016年04月29日 | 日記

6.ひとりは連れて行かれ、もう一方は残される

 ここで驚くべき事は、多くの人が、このように明確に記された聖書の言葉を、自身の主張を裏付けるために文脈から切り放して解釈しているということです。同じ事が、臼をひく二人の女性のたとえ話でも言えます。イエス様は「ひとりは連れて行かれ、もうひとりは残される」と言われました。この言葉は何を意味しているのでしょうか。この聖句の中に、聖徒の秘密携挙についての暗示が果たしてあるでしょうか?

 問題の聖書の言葉である、ルカによる福音書17章34節から37節の意味を正しく理解するため、その前後の文脈を読んでみましょう。この話は26節から始まっていて、人の子イエス様が来られる時は、ノアの時のようであると言われました。「そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう。ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってきて、彼らをことごとく滅ぼした」。ノアの時代と現在の状況はとても類似しています。ノアの時には、洪水が起こる前に、ノアとその家族は箱舟に連れて行かれ、ある者たちは残されました。連れて行かれた者たちは箱舟に乗り救われましたが、残された者たちは、凄まじい波によって全滅しました。

 キリストは、また他のたとえを用いて説明されました。「ロトの時にも同じようなことが起った。人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。人の子が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう」(ルカ17:28-30)。ここでも、類似した場面が繰り返されています。ある者たちはソドムから安全に連れて行かれ、ある者たちは残されました。残された者たちに、どんなことが起きましたか?彼らは全て火によって滅ぼされました。

 では、34節を読んでみましょう。「あなたがたに言っておく。その夜、ふたりの男が一つ寝床にいるならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう」。皆さんが、この聖書の言葉を解釈する時、まさに先ほどキリストが言われた、ノアとロトの救出の例との共通性を必ず心に留めなければなりません。いずれの場合も、内容は義人を悪人の中から選び出して取り去り、残された悪人は死に至るのです。ノアとロトの時に見放された者たちが死に至ったように、見放された者たちは必ず「死」を迎えるという事実を理解しなければなりません。続く37節の聖句を読めば、イエス様が語られたことの意味を、さらに正確に知ることができます。「弟子たちは、『主よ、それはどこであるのですか』と尋ねた。するとイエスは言われた、『死体のある所には、またはげたかが集まるものである』」(37節)。

 イエス様が、ひとりは取り去られ、もう一方は残されると言われた時、弟子たちは、その人たちがどこに残されるのか尋ねました。主は、残された者たちは死を迎えるという事実を明確に表現されました。残された者たちが再臨の栄光によって死に、その死体がハゲタカなどのエサとなると言われたのです。これが、この問題について聖書の他の部分に書いてある言葉と完全に調和する解釈です。ここには、最後の時に救われる者と滅亡する者を分ける出来事が、秘密裡のうちに行われるというような暗示はどこにもありません。それにもかかわらず、聖書的に根拠のない伝統を維持するため、また主のお言葉を、自分たちがもともと持っていた願望と一致させようとして、結局聖書の言葉を曲解するようになったのです。

 最初に秘密携挙があり、7年後にキリストが再び来られるという非聖書的な、二段階に及ぶ再臨の教えが、長く教えられてきたために、多くの人々がそれを聖書の真理であるかのように信じてしまっています。しかしそれはとても危険な教えなのです。なぜならそれは、大多数のクリスチャンたちに偽りの安心感を与え、最後には滅びへと導く可能性があるからです。悪人たちは、イエス様の再臨の時に地上に残され滅亡するのです。秘密携挙説が主張するように、残された人々も7年の患難期を過ごす中で悔い改め、救いを受けるチャンスが再び与えられるということはありません。イエス様の空中再臨後に、この地上で生き続ける人間はいません。すなわち"7年の大患難"というものも、存在しないのです。イエス様が最後の時に、「あなたかたは、惑わさないように気をつけなさい」(ルカ21:8)と警告されました。皆さんは、イエス・キリストの警告を真剣に受け止められますか?

 


 地球の歴史上、最も輝かしい日  私はすぐに来る 第5回

2016年04月28日 | 日記

5.盗人のように来るとは

 イエス様の来臨について説明する聖書の二つの言葉を、間違って解釈したために多くの混乱が生じています。しかし、主は偏見を持ちやすい人間が誤解することのないように、明確に言われました。そこで、主のお言葉の中で秘密携挙を証明する言葉として使われている"夜中に盗人のように"と、"ひとりは連れて行かれ、もう一方は残される"という言葉を、詳しく見てみましょう。もし私たちが、心を開いて聖書の言葉をそのまま受け取ろうとするなら、イエス様の言葉の中に、曖昧なことなど一つもないという事実を見つけられるはずです。

 主が、“夜中に盗人のように”臨まれると言われた意味はなんでしょうか?主はマタイによる福音書24章42-44節で詳しく説明されました。「だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。このことをわきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、目をさましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう。だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである」。

 まさにここに答えがあります!子供でも理解できるほど、簡単ではありませんか?主の再臨は、多くの人たちが意識していない時に起こるのです。主の再臨は突然で、この世をあっと驚かせることでしょう。主は、人々が最も期待していない、思いがけない時に来られるのです。夜中に忍び込む盗人を予測できないように、多くの人々が全く主に会う準備が出来ていないような状態の時に、キリストの再臨は起きるのです。この言葉は、主が盗人のように誰にも知られないように、そっと秘密裡に来臨されるという意味ではありません。さきほど学んだように、主が来臨される光景は、世界中の人々が同時に見ることが出来る荘厳なものです。しかし、その方は誰も予測出来ない時に来られるのです。イエス様はマタイ24章50節で次のように強調しておられます。「その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて」。

 ペテロもキリストの来臨を描写する時に、同じ「盗人のように」という言葉を使いました。「しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう」(Ⅱペテ3:10)。この言葉にも、秘密携挙の考えが間違いであることがよく表されています。ペテロはイエス様が盗人のように来臨される時は、同時に天が大音響を立てて消え去っていく光景を描写しています。それが、秘密めいたことになるのでしょうか?この表現を見れば、イエス様が空中にそっと来臨され、同時に数百万の聖徒が秘密裡に天へ連れて行かれ、他の人たちは何が起きているのか全く分からずにいるという光景を考えることは出来ません。そのような解釈は、聖書の言葉が意味するものと正反対です。ペテロが言及した“大音響”とは、パウロの手紙の中では、あまりにも大きな音なので、死者まで起こすほどの叫び声とラッパの音です。

 


地球の歴史上、最も輝かしい日  私はすぐに来る 第4回

2016年04月27日 | 日記

4.二段階で来臨されるのではない

 使徒パウロは、キリストの再臨に備えられなかった者たちの最後の運命について、次のように記録しています。「それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。その時、主は神を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう。その日に、イエスは下ってこられ、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚嘆されるであろう――わたしたちのこのあかしは、あなたがたによって信じられているのである」(Ⅱテサロニケ1:7-10)。義人たちが栄光を受ける時に、主の恩恵を拒否した者たちは、主の光によって死を迎えるのです。

この聖句は、数百万のクリスチャンを誤った方向に導いている大きな欺瞞を暴露しています。聖徒たちの昇天については、秘密めいたものは何一つなく、いわゆる"秘密携挙"は一つの妄想に過ぎないのです。私たちが少し前に読んだ明確な聖書の言葉のように、義人が永遠不滅の体を授かると同時に、悪人は審判を受けるのです。キリストの降臨は二段階で起きるという話をするクリスチャンがいますが、彼らの主張をはっきり裏付ける言葉は聖書のどこを探しても見つかりません。最も人気のある教えである"秘密携挙"すなわち、イエス様が世界に終末が訪れる7年前に来臨され、義人を秘密裏にそっと天へ連れて行かれるという概念は、明確な聖書的裏付けがどこにもありません。義人たちの秘密の携挙から7年間、悪人たちが地上で生き続けるという教えは聖書にはない仮想のお話です。パウロは、"イエス様が降臨され、彼の聖徒たちに栄光を与えられる時"、悪人たちは死を迎えると言いました。

 どれほど真理が歪曲されていることでしょうか?キリストが降臨される時には、悪人たちもまた、イエス・キリストを見ることになるのです。パウロは、「二度目に現れて(Will Appear)」(ヘブル9:28)と言い、ペテロは「大牧者が現れる時には(Appear)」(Ⅰペテロ5:4)と言いました。もし、主の来臨が秘密めいたことだったり、目に見えないことだとしたら、彼らは「現れる」とは書かないはずです。パウロと彼の同僚が海で暴風に遭い、暗闇の中に置かれた時、「幾日ものあいだ、太陽も星も見えず(Appeard)、暴風は激しく吹きすさぶので、わたしたちの助かる最後の望みもなくなった」(使27:20)と表現しました。現れるということは、目に見えるということを意味しています。では、イエス様が降臨される時、目に見えるように「現れますか?」「現れませんか?」多くの聖書の言葉が、主は「現れる」と言っています。聖書を信頼しますか?もしくは、自分がが信じたいことを支持するために"現れる"という言葉を、"現れないでしょう"という意味に解釈しますか?


地球の歴史上、最も輝かしい日  私はすぐに来る 第3回

2016年04月26日 | 日記

3.空中再臨の光景

 悪霊や偽預言者たちが、主の降臨をどのように偽装するかは分かりませんが、主がこの地球に降臨される輝かしい光景を真似ることは出来ないのです。いついかなる場合でも、主の再臨の光景の栄光と荘厳さを示す事は出来ません。マタイによる福音書第25章31節に、主は聖なる天使たちと共に降臨するということが書かれています。使徒ヨハネの記録によると、主が降臨される時には、すべての天使が伴うのです。「その数は万の幾万倍、千の幾千倍もあって」(黙5:11)

 聖書の歴史の中で、時々、天使が人間たちの前に現れ、天の栄光の力を現したことがありますが、その結果は想像を絶するものでした。「その夜、主の使が出て、アッスリヤの陣営で十八万五千人を撃ち殺した」(Ⅱ列19:35)。そのような栄光に数千万倍以上プラスされたと考えてみましょう。そうすれば、再臨の栄光がどれほどのものかよく分かるはずです。その出来事は世界中の人々に見えますか?イエス様は、「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう」(マタ24:27)と言われました。つまり、全世界のすべての人が、その驚くべき光景を目にするということです。暗い夜空に明るく光る稲妻を誰もが見ることが出来るように、主の降臨もまた誰もが目にすることが出来るのです。地球はこちらの端から向こうの端まで主の栄光で明るく照らされます。

 このように私たちは、キリスト再臨の出来事がどこかの片隅で起きるのではないという聖書的事実を知ることが出来ました。またキリスト再臨の時には、目に見えるように臨むこと以外に、とても大きな音が鳴り響くことが教えられています。使徒パウロは、「すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり」(Ⅰテサ4:16)と言いました。その驚くべき光景と音は、死者が墓より目を覚ますほど凄まじいものなのです。その叫び声とラッパの音は、地球上の全ての被造物に聞こえるものです。ひとつ確実な事は、ラッパは静かな楽器ではないということです。ラッパというのは、多くの人に聞こえるようにするために作られた楽器です。

 終末を告げる他の現象は何でしょうか?再臨の前に、世界的な大きな地震が起こるのですが、それは今まで見たことがないほど破壊的なものになります。「すると、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴とが起り、また激しい地震があった。それは人間が地上にあらわれて以来、かつてなかったようなもので、それほどに激しい地震であった。・・・島々はみな逃げ去り、山々は見えなくなった」(黙16:18,20)。大きな津波によって、人々が住んでいる島や山が海にのまれて、消えてしまうという恐怖の光景を想像してみて下さい。預言者の生々しい描写によると、巨大な山脈でさえバラバラに崩れ落ちるのです。

そのような光景を根拠に考えてみると、主の再臨は有史以来、最も大きな地殻変動を引き起こします。この地球上で隠れられる場所など誰一人として見つけることは出来ません。その時悪人たちは、イエス様をエスコートしてくる多くの天使たちの行列を見て、激しく動揺することでしょう。使徒ヨハネは、悪人たちが、自分たちが拒絶し否定した方の前から、必死に逃げ隠れようとする姿を描写しました。「天は巻物が巻かれるように消えていき、すべての山と島とはその場所から移されてしまった。地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、ほら穴や山の岩かげに、身をかくした。そして、山と岩とにむかって言った、さあ、われわれをおおって、御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ。御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか」(黙示録6:14-17)。


地球の歴史上、最も輝かしい日  私はすぐに来る 第2回

2016年04月25日 | 日記

2.サタンがキリストの真似をする

 皆さんがそのような欺瞞にだまされないように、しっかりと防御していると思っているのであれば、次のような人物について想像してみてください。もし皆さんが、巧みに偽装した人を暴くため、再臨のキリストという人物の前に駆け付けたとします。その時皆さんは、もしかしたら今まで見たこともない荘厳な現実に出会って、たちまち心を奪われてしまうのではないでしょうか。

周りに集まっているたくさんの人たちよりはるかに背の高い、威厳のある人が、輝く外套を着て立っています。驚くほど強い光がキリストの姿をしたこの人を照らし、本当にイエス様がこの地に来られた時のような温和な声で語りかけます。その人が手を差し出し、目や足が不自由な人や、病人たちに触れる姿を目にします。そして、それぞれの病や障害が治っていく光景を、皆さんは驚きのあまり、ただ呆然と眺めることでしょう。多くの群集の叫びが天に響き渡ります。「イエス様がいらっしゃった!」。皆さんは、道をぎっしりと埋め尽くした人たちの歓声に心を奪われるでしょう。多くの宗教指導者や政治家たちさえもその聖なる人の前に、ひざまずく姿を目にすることでしょう。その時、この崇高な姿をした人物が、自分はこの地で聖なる教えと治療をまた始めるために、再臨したメシヤだと公言したと仮定してみましょう。そのような人を神様の子と賞賛したい衝動を抑えることが出来るでしょうか?皆さんは興奮し、目に見える証拠によって圧倒され、これこそ再臨のメシヤだと信じるようになることでしょう。

 

なぜ人々は、そのような光景に魅了されてしまうのでしょうか?それは、全ての人間の中に、神秘的で荘厳な光景に惹かれる先天的な傾向があるためです。多くの人は、どんなにお金がかかろうとも、超自然的な病気の癒しや奇跡を見るためなら、どこにでも飛んで行くでしょう。サタンはまさに、このような人間の弱点を利用するはずです。そこで私たちは、神様に選ばれた人までも、惑わされてしまう危険性があると言われたキリストの言葉を、もっと深く考えてみなければなりません。

 

では、主はどのように再臨されるのか、聖書の中から探っていきましょう。私たちの唯一の安全策は、聖書に書かれている真理をそのまま理解することです。

 

聖書には二人の天使が天から降りて来て、キリスト再臨の方法について、明確に教えた記録があります。それを見れば、人々が、ああだこうだと間違った解釈をする余地はありません。「こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて言った、ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」(使徒行伝1:9-11)。

 

この聖書に出てくる“彼らの見ている前で”、“その姿が見えなくなった”、“天を見つめていると”、“なぜ天を仰いで立っているのか”、“見たのと同じ有様”のような5つの表現は、イエス様の昇天は実際に起きた出来事であるということが分かります。それは、決して神秘的な夢や幻想ではありませんでした。弟子たちは、文字通り、主が遠い天へ昇られ、消えて行かれる姿を肉眼で見つめていたのです。その時天使が言いました。「天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。主の降臨は昇天の時と同様に、実際に目に見える現実的なものなのです。

 

主は雲に乗って昇天されたので、降りてこられる時も雲に乗って来られるはずです。他の聖書の言葉がこのことを確認しています。使徒ヨハネはこう記録しました「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン」(黙1:7)。短いこの言葉の中に、使徒ヨハネはキリストの降臨について、最も驚くべき事実を提示しています。主が、天空からゆっくりと降臨して来られる姿は、この世界のすべての人たちの目に映ることでしょう。地球上の全ての悪人たちがみんな空を見上げて、空中いっぱいに降りて来られる主の栄光を見つめるはずです。その光景を、イエス様は次のように描写されました。「そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう」(マタ24:30)。