人はなぜ苦しむのか第28回
神様が不快に思われるような生涯を過ごしている人の中には、一見何事もなく穏やかで、刑罰や問題が生じないこともあります。そのような人々は、自分が望む通り食べたり、飲んだり、めとりとつぎなどした後に、やがて致命的な問題が起きるまで自分の道を楽しむかもしれません。ノアの時代にも、神様の怒りや不快を表すようなどんな現象もなく、120年が過ぎた時に、いきなり洪水が押し寄せてきました。快楽と自己中心的な生涯を送っている人々に、今現在は何か特別な懲らしめがないように見えるかも知れませんが、罪の杯が満ちた瞬間、彼らは取り返しのつかない苦痛と苦悩の経験を持つことになります。
絶望から希望へ 第30回
あらゆる欲を十字架につけよ!
「キリスト・イエスに属する者は自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである」(ガラテヤ5:24)この言葉は何でしょうか。キリストに属している者は、その肉を、情欲、あらゆる欲望を、十字架につけてしまった、と言っています。皆さんの心の中には、何かの欲望は残っていませんか?聖書に照らした時、聖書と違う思いを持っていませんか?罪と知っていながら犯していることはありませんか?それらの全部が十字架につけられたと言っています。全部十字架につけられ、全部なくしました。ですから、「生きているのは、もはやわたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである」(ガラテヤ2:20)といえるのです。
しかし皆さん、キリストと共に十字架につけられる生涯、死ぬだけがすべてではありません。死んだらどうなるのですか。復活するのです。聖霊による新しい人として甦るのです。