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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

14万4千人  第27回

2014年07月31日 | 日記

    

 14万4千人  第27回

ここで皆さんに申しあげたいことがあります。この危機的状況にあって、私はなんて祈ったら良いのかわかりませんでした。この突如として起こった状況にあって、私は言葉を失ってしまったのです。もう死が目前に迫っていました。生涯初めての経験でした。結局このような祈りをしました。「神様、私の魂をみ手に委ねます!」。これ以上どんな祈りが出来るでしょうか、この短い時間に、神様に、どんなお願いが出来るでしょうか。もう罪を告白する時間はありません。「私の魂を救って下さい」と神様に一生懸命お願いするしかありません。

皆さんだったらどのようなお祈りをされますか。私は単純にこう言ったのです。「神様、私の魂をみ手に委ねます」。この短い間に私はハッキリと思い出したことがありました。「ああそうだ、私は罪人だ、私にはたくさんの弱さ、弱点がある。今までたくさんの過ちを犯してきた、永遠の命を獲得するための功績は自分には何一つない。自分が救われるとしたら、これは神様の恵み以外の何ものでもないだろう」。そのことを、私は心底、心の底から分かったのですね。

    主の日は盗人のように 第24回

ある場所では、そこが一つの園のように整えられていて、園の丘の上に、十字架のキリスト像が立てられています。その像から血が浮き上がってきます。しかも、その浮き上がった血が140日間も固くならず、そのまま生々しく流れ続け、手から、額から流れるのですね。そしてその像を触ると脈が感じられ体温も感じられるというのです。

サタンは全世界を、ハルマゲドンの戦いに向けて召集しています。私は大丈夫だ、安全だとは言えません。こういった奇跡的なことに接すると、それが神様から来たもののように思えて、そこで教えられることを信じるようになります。「主が私に見えるような形で、ご自身を表して下さった。私は主の奇跡にあずかった。私は主に導かれている。私の信仰は本物だ。このような、奇跡を行うことが出来る教会は本物だ。この教会の教えていることに誤りはない」。このように考えてしまうのです。

み言葉で自分を見つめ、み言葉によって自分が罪人であることを告白して、主の前にひれ伏すのではなくて、「今日は私にこういったことが起きた。これは神様からの声だ」、このような、不思議な現象を信頼して、神様を信じていく場合があります。そのような現象を信仰の拠り所として、そこで教えられること信じていくなら、聖書の真理が語られても、聖書の教えよりも、自分の体験を優先していくということになってしまいます。聖書の言葉よりも、自分の経験を信頼してしまう結果になります。たとえ、自分が間違っていることが理解出来たとしても、感覚的、感情的には抵抗することが出来ず、偽りの中にとどまり続けて、最後には、「あなたを知らない」と言われてしまうのです。

 


14万4千人 第26回

2014年07月30日 | 日記

 

  14万4千人 第26回

そして大学病院の手術室に運ばれている時に、私に4人のお医者さんが付いて下さいました。一人の中国人のお医者さんが、こう言ってくれたんです。「カンさん、おそらくあなたは死ぬでしょう」。何という言葉を頂いたことでしょう!今から手術室に行くというのに、こんな慰めの言葉ってあるでしょうか。「もう二度とあなたは家族に会う事はないでしょう」と言われたんですね。「だから心の備えをしなさい」と、それほどの、医者がそういうことを言うほどの深刻な状態だったのです。

そのような、自分の状態をきちんと理解するようにとお医者さんは言ってくれたんですね。女性のお医者さんだったのですけれど、私にしてみれば、正直すぎる人だなあと思いました。この手術、今から行おうとしている手術の成功率は、だいたい25%ぐらいでしょうと言われました。それだけしか申し上げられませんというわけです。

突如私は、死の陰の見えるところに突き落とされたのです。突如として私は、神様の裁きの日に立つことになりました。私は心の目覚めを経験して、いったいどの様なことが私に起こっているのかと言うことを悟りました。その短い時間に、私の全生涯が走馬灯のように流れてきたのです。そして考えました。どうしたら良いだろうと。まず、祈らなくてはいけない、と思いました。何と祈ったら良いだろう、どんな祈りを捧げたらいいのだろう、どんな言葉を神様に伝えたら・・・、もう時間は残されていない。もうすぐ麻酔をかけられて眠らされますよね、どうしたら良いだろう・・・。

 

     主の日は盗人のように  第23回

この最後の「聖母」という所を除けば、これは完全な福音ですよね。「この世は罪に満ちている。誤びゅうで覆われている。あなた方は何よりも、この聖書を信じなさい。罪を捨てて、福音に沿った生活を送りなさい」。サタンもこのようなことを言います。なぜなら、信じる者さえも誘惑するためです。ですから皆さん、イエス様を信じている人だからといっても、その人が見た幻や、聞いたという声でも、それにだまされてはいけません。天のお父様は、そういった形で働かれるお方ではありません。

なぜなら、今私たちには、真理の明確な光が与えられているからです。私たちが求めて探すなら、真理のみ言葉がいくらでもあるのですから、この終末の時代、そういった方法で主は働かれる必要はないのです。

もうすぐ、キリストの受難週間を迎えます。この期間に、ナジュで起きたような不思議な現象が、カトリック信者の間で全世界的に起きています。受難週の間に、人々が急に具合が悪くなります。その人の額にいばらが刺したような跡がつくのです。そして、手からは釘を刺したように血が流れます。こう言ったことを、カメラが実際に撮るのです。これはトリックや嘘だと言えないほど現実味があって、それを撮影した人たちがみんなカトリック信者になっていくのです。

 


   14万4千人  第25回

2014年07月29日 | 日記

 

   14万4千人  第25回

しかし、私が救急車に乗せられて大学病院に運ばれている時にも、一方で適切なお医者さんを探してくれていたんです。もし見つからなかったら、もう死ぬはずでした。それに一人のお医者さんが応えてくれたのです。これ、1月1日のことでした、昨年の。そしてそのお医者さんが、この心臓手術をした経験があります、今勤務中なのでやりましょうと言ってくれたわけです。朝早い時間なので、これから駆けつけてあげましょうと言って、私が大学病院に運ばれている最中に、その答えてくれたお医者さんが、私の行こうとしている大学病院に向かってくれていたんです。これは神様の奇跡なんです。神様のみ業を終える任務を私が果たすために、神様はもうしばらく私が生きるようにして下さったのです。神様の恵み以外の何ものでもありません。もう神様の憐れみ以外の何ものでもない、私はそのことをよく知っています。

   主の日は盗人のように  第22回

最近韓国で起きている現象を、皆さんに話したいと思います。韓国にナジュという都市があります。そこに、美容室を経営していた平凡な主婦がいました。彼女の家に、思いもかけない奇跡が起こります。カトリックの歴史上、一番大きな奇跡だと言われるようなことが、ここで起きています。それを紹介するインターネットサイトに入ってみると、10か国語に翻訳されていて、日本語でも見ることができます。その中には、今私が言う現象の写真があります。そこでどんなことが起きているかというと、聖母像が血の涙を流すんです。また、汗をかいたり、鼻血を出したりするんです。それが、少しの間ではなくて、10年間も続いています。そこで、カトリックの巡礼者たちは、その場所を訪問するのが一つの宗教行事になっています。

また12月25日のクリスマスには、赤ちゃんのイエス像から涙がこぼれて、周りは不思議な光に照らされたと言います。そして、マリヤ像からはバラの香りが漂い続けています。バラの香りのする油が流れているのです。もう700日も続いています。今も流れています。

カトリックの指導者たちは、ここは聖地だと言って、韓国のナジュを訪問します。そして、イエス様からのメッセージだと言って、こういうことを伝えます。「この世の中には罪があふれていて、世の終わりは近づいている。誤びゅうが増えて、暗黒に覆われている時代にあって、聖書を身近なものにしなさい。また福音的な生活をしなさい。涙を流して訴えておられる、私たちの母なる聖母の話を聞きなさい」。


   14万4千人  第24回

2014年07月28日 | 日記

  

   14万4千人  第24回

そのお医者さんは優秀な方で、インド人でした。そして心臓専門のお医者さんとして、今までやったことのないことを私にやったのですね。それは後で教えてもらったのですけれど、その時お医者さんは、こう思ったそうです。「この患者さんの問題はこれだけではないぞ」と。「これだけでは済まない、何か別の問題があるはずだ」と。そこで調べ続けたのですね。いろんな血管の中を調べていきました。そしたら心臓に穴があることを見つけたのです。左と右、左心房と右心房ですか、そこの間に穴が開いていたのです。色んなストレスの影響である破裂が起こったのです。心臓の壁に小さい穴が開いていたのです。そして右と左の心臓の別々の部屋の血液が混ざり合ってしまったのです。これはもう深刻な状況でした。

このお医者さんは、これはとても危険な状況で、このままではすぐ死んでしまうから、今すぐこの正しい処置のできる専門医を探さなければいけないと言いました。そこで、また私を担架に移して救急車に乗っけて、ジョ-ジア州アトランタの一番大きな大学病院に連れていきました。そして、このような心臓の壁に穴が開いている患者さんの手術が出来る専門医はいらっしゃいますか、と尋ね回ったわけですね。けれどもそこには、私の問題に適切な手術をしてくれるお医者さんがいませんでした。

 

    主の日は盗人のように 21

これは、全世界的に恵みの時が閉ざされる印ですが、個人個人の恵みの時がいつ閉ざされるのか、誰にも分かりません。それは今日かもしれません。もしかして、昨日だったのかもしれません。明日になるかもしれません。私たちの恵みの時は、いつでも閉ざされる可能性があります。そこで、皆さんは、何よりも霊的な感覚を失っていませんか?聖霊が訴えて下さる、小さな細い声を無視してはいませんか?私たちが、聖霊の声をちょっと拒んで聞き流す時、聖霊の導きを拒否する時、恵みの時が閉ざされる立場にあるのです。

人の子は夜、盗賊のように来ると言われています(マタイ24:42)。これはイエス様の再臨ではありません。マタイ22章の王と婚宴のたとえでも、礼服を着ていない人が婚宴の席に来ますが、これも再臨を指している話ではありません。再臨の前に、礼服を着ているかどうかが調べられるたとえです。

「花婿だ!」。この最後の叫びが発せられると、みんな目を覚まします。目をさましますが、油がないのです。それはどれほど悲しい現実でしょうか。今まで力をつくして、熱心に信仰生活をしてきたにもかかわらず、油がなかったら、私に聖霊が注がれていない状況が現れたら、品性が整えられていない状況が現れたら、どうでしょうか。


14万4千人 第23回

2014年07月27日 | 日記

   

 14万4千人 第23回

ところが私の状態、健康状態がどんどん悪化していったのですね、もう息が出来ませんでした。私の妹たちがやってきまして、これは今すぐ病院の救急室に行きなさいと言われました。そしてある病院の救急室に運ばれまして、これは心臓発作だと言われました。「心臓発作だって」、生涯こんなことが自分に起こるとは思ってもいませんでした。自分の家族にもいませんでしたし、今まで、知り合い、友だちがそういったことに襲われても、まさか自分がそうなるとは思っていませんでした。

また、自分にはやる事が一杯あるんだから、こんな心臓発作なんかになっている場合ではないと思ったのです。神様はここから救われるだろうと。でも、そういった中でも息は出来ないままでした。病院で酸素マスクをつけてくれました。そして寝台に乗せてくれまして、担架で手術室に運ばれたんですね。お医者さんたちがやってきて、まず単純な処置からやってくれました。私の静脈から小さなカメラを入れて、何かふさがっているところがないかと調べ始めたのです。そしてそれを見つけて、それを吹き飛ばす機械があって、そのような処置を行って、そのふさがっている所が、血液が通るようになったと言ってくれました。

    主の日は盗人のように  第20回

この、全世界の恵みの時が閉ざされる前に、まず、クリスチャンたちの中で、恵みの時が閉ざされます。なぜでしょうか。それは光を先に受けた者が先に裁かれるからです。ペテロ第一の手紙を見ると、「さばきが神の家から始められる時がきた」(1ペテロ4:17)とあり、まず神の教会から裁きが行われるのです。エゼキエル書にも、御使いたちが、殺す武器を持って出ていきますが、まず、聖所、神の家から裁きを始めます。また聖所の中で、年老いた人から裁きが始まります(エゼキエル9:6)。この老人は誰を指していますか。大祭司や、今でいえば牧師、教師(先生)、聖書の言葉を教えていた人たちです。彼らの恵みの時が先に閉ざされます。

では、世の中全体の恵みの時はいつ閉ざされますか?イエス様の再臨の時ではありません。七つの災害が降り注ぐ時です。この七つの災害というのは、なぜ、いつ降り注がれるかというと、イエス様を信じる人々を迫害して、あまりにもこの人々は可能性がない、救われる可能性がない、と主が判断された時、彼らに対して、七つの災害が降り注ぐのですね。その時には、いくら悔い改めようとしても悔い改めることはできません。「不義な者はさらに不義を行い、・・・義なる者はさらに義を」(黙示録22:11)行うようになります。そのことによって、七つの災害が降り注ぐ時、私たちはこの世の恵みの時が閉ざされたことが分かります。