イエス様に全てを捧げましょう
神様に赦していただくために、私たちが何らかの形で神様の怒りを鎮めるようなことをしなければいけないと考える人がいます。しかしまず理解しなければいけないのは、神様が私たちを初めに、最初に愛して下さったということです。赦しを受けるというのは、神様の私たちの罪に対する怒りを鎮めるというものではありません。神様の大いなる平安、同情が私たちに向けられているということです。多くのクリスチャンが、罪の赦しを受けて罪の宣告から解かれたいと思っていながら、心の中にはその罪を継続したい、犯し続けたいと考えています。そして自分自身の利己的な思い、目的を隠しながら、内に秘めながら生きようと考えているのです。赦しを受けたいのです。救われたい、それは疑いの余地はありません。しかしそのように願いながら、世的な願望を抱えたまま生きようとしているのです。そして個人的な利益の追求に夢中になっています。全身全霊でイエス様に全てを捧げたいとは思っていないのです。
それはどうしてかというと、彼らは神様の愛を十分に理解していないからなのです。すべてをイエス様に献げたら、もうこの世の快楽も全てを得ることが出来ないと考えています。そうしたらもう刺激のない、退屈な人生になってしまうのではないかと思うわけです。しかし、心底、懸命に、イエス様の救いを求めるならば、それを心から欲するならば、そして神様の赦しだけを私たちが人生で願い、探し求めるならば、イエス様は皆さんの魂に向かってこのように言われます。「子よ、わが息子よ、娘よ、あなたの罪は赦された」と。その時直ちにすべての重荷から私たちは解かれます。かつて経験したことのない自由に浸ることでしょう。征服者、勝利者となります。勝利者だけがイエス様と共に、シオンの山に立つ事が出来るのです。
今日お話ししたことは、ごく単純な福音なのです。子供でも理解できるような概念です。とても容易に理解できる事柄です。イエス様の奇跡から、このような真理、教えを得ることが出来るのです。皆さん、皆さんが罪を赦された者となることを心から願い祈ります。イエス様が、神様が私たちを創り変えて下います。そして私たちを天国へ連れ帰って下さいます。それがイエス様の力なのです。そのことを体験しなければいけません。
救い、聖化、完全、栄化、そういった教理的なことに関して、たくさんの意見が飛び交っています。しかし赦しの真の意味は、私たちがそれを把握するならば、すべての疑問は解決するものなのです。神様の救いは単純なものです。これは創造の業なのです。この単純な福音を悟られ、皆さんお一人おひとりの心が変えられるように願っています。
この神様が天の聖所におられます。生ける神の印を持って、皆さん一人一人に印を押したいと願っておられます。
皆さんは残りの教会に属していますか?本当の意味で赦されていますか?
お祈りしましょう
「天のお父様、このような単純な福音を与えて下さいましてありがとうございます。イエス・キリストの力強いカルバリーの福音を信じます。そのことを心から信じます。全身全霊をあなたに捧げたいと思います。私たちはあなたから赦しをいただきたいと思っています。私たちの内に新しい心を創造してください。正しい霊を私たちの内に回復させてください。あなたの完全な創造のみ業の一部になりたいのです。お父様、ますますこの世は闇へと突き進んでいます。艱難の時がやってこようとしているのを見ることが出来ます。あなたの翼の下に私たちを隠して下さい。私たちはあなたの子供ですから、あなたがこの子供たち一人ひとりを保護して下さるように、私たちの名前を覚えて下さい。イエス・キリストのみ名を通してお祈りを捧げます。アーメン」