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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

ハルマゲドンの戦いとは 第9回

2015年09月30日 | 日記

2.誰が真のイスラエルなのか?

新約聖書は、古代イスラエル民族の恵みの期間が終わると、ある人々が新しいイスラエルを構成しながら、黙示録の主人公として登場することについて明確に述べています。この冊子を通して明らかにされる、本当のイスラエルがハルマゲドンの戦いの主役であり、勝利者です。新約聖書が述べている、新しいイスラエルの存在について説明します。

1)誰が神の聖なる国民なのか? 

「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり」(1ペテロ2:9,10)。

ここで使徒ペテロは、古代イスラエルに代わって登場する、新しいイスラエルを紹介しています。メシヤを受け入れた異邦人は、十字架の血潮で批准された新しい契約の中に入ることができる道が開かれました。まさに彼らが、真の霊的なイスラエルです!そして、以前には神の民ではなかったのですが、今は神の「聖なる国民」になったのです。

2)誰がアブラハムの子孫に約束された祝福を受け継ぐのか? 

使徒パウロもペテロの意見に同意し、キリストの福音を受け入れた異邦人たちこそ、アブラハムの血肉による子孫に与えられた、神様の約束を受けることになるだろうと言っています。「もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。」(ガラテヤ3:29)。

3)誰が神様の子なのか? 

パウロは、ローマ人への手紙で、この点を明確に宣言しました。「パウロとバルナバとは大胆に語った、『神の言は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったから、さあ、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行くのだ』」(使徒行伝13:46)。 

4)誰が真のユダヤ人なのか?

「割礼のあるなしは問題ではなく、ただ、新しく造られることこそ、重要なのである。この法則に従って進む人々の上に、平和とあわれみとがあるように。また、神のイスラエルの上にあるように」(ガラテヤ6:15,16)。

ここでパウロは、新約聖書時代の真のユダヤ人の資格を「ただ、新しく造られること」(生まれ変わる経験)だと規定しましたが、ローマ2章では、真の新生を「心に割礼を受けたもの」と説明しています。

「というのは、外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の肉における割礼が割礼でもない。かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来るのである。」(ローマ2:28,29)。真のユダヤ人は、肉の割礼ではなく、心の割礼を受けた人です。

 それでは、心の割礼とは何でしょうか? 「あなたがたはまた、彼にあって、手によらない割礼、すなわち、キリストの割礼を受けて、肉のからだを脱ぎ捨てたのである」(コロサイ2:11)。古い契約は、身体の一部を切り取りましたが、新しい契約は、罪深い肉の心を切り取ることで結ばれます。言い換えれば、キリストを心に受け入れることで、新たに生まれ変わった心を持つ人々こそ、真の割礼を経験した人であり、彼らが真のユダヤ人です。


ハルマゲドンの戦いとは 第8回

2015年09月29日 | 日記

これが70週の預言の終わりを告げる最後の出来事であり、ユダヤ民族の運命が永遠に決定された瞬間であり、全世界のためのキリスト教会時代が幕を開ける時でした。

「パウロとバルナバとは大胆に語った、『神の言は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったから、さあ、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行くのだ』」(使徒行伝13:46)。

 

ダニエル書の預言通り、ユダヤ人たちは、一国家として神様の民となる特権を喪失することになりました。もはや一国家として選ばれた民となることを拒否したため、西暦34年以降、ユダヤ民族は、救いの福音を全世界に広める資格を失うことになり、異邦人と同じように個人として神様に向かう存在となることを余儀なくされました。民族や国家に関係なく、誰でもキリストの福音によって聖霊の実を結ぶ者たちが、神様の真の民であることがイエス・キリストの言葉です。「それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがた(ユダヤ人)から取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。」(マタイ21:43)。

 

ユダヤ民族は、旧約時代には、誰もその立場を占めることの出来ない聖書歴史の主人公でした。しかし、十字架の後、彼らはその栄光の主人公の座を永遠に失ってしまいました。もしそうなら、新約時代の主人公は誰でしょうか?誰がユダヤ民族の代わりに、神様の民としての責務と特権を担うことになるのでしょうか?この興味深い問題をこれから順を追って学んでいきましょう。

 

 

 その前に、預言解釈の3大原則について紹介しておきます。

 

1、聖書で聖書を解釈しなければならない

知りたい預言の象徴的な表現や比喩が、聖書の他の箇所ではどのような意味で使用されているかを集め、祈りと合理的判断を通して、その意味を把握する。

 

2、預言を示している表現が象徴なのか、実際なのかを前後の文脈を通して区別しなければならない

もしそれが象徴である場合には、その意味を解くことができる鍵を聖書の中で見つけなければならない。

 

3、多くの場合において、期間を表す預言は、一日が一年を象徴している

しかし、1つ注意すべき事項がある。1日=1年の原則を、聖書に出てくるすべての日付に適用してはならない。日付が特定の期間を示す象徴に使用された場合にのみ、これらの原則を適用することができる。

日付が記録された聖句の前後の文脈をよく読んでみると、その日付が象徴的な期間であるのか、文字通りの実際の期間であるかは、容易に判断することが出来る。

そして、これらの預言解釈の原則が正しく適用されているかどうかを確認するには、すでに過去に成就された預言が、歴史の中で1日=1年の原則に沿って正確に成就されたどうかを確認すればよい。


ハルマゲドンの戦いとは 第7回

2015年09月28日 | 日記

では、イエス様がバプテスマを受けて、公生涯を始められた西暦27年の秋から3年半後の西暦31年の春には、どのようなことが起ったのでしょうか?アダムとエバが罪を犯した後、メシヤの死を象徴していた犠牲制度と供え物を廃する事件が起きました。実に長い間、ユダヤ人たちは、傷のない小羊を聖所の祭壇上で焼くことによって、やがて来られるメシヤへの信仰を示し、身代わりの羊の死を通して、罪の赦しを受けてきました。

 

しかし、最後の70週目の中間である西暦31年の春、イエス・キリストが罪を取り除く神の小羊として十字架上で亡くなられたことによって、これ以後は羊を殺して焼く犠牲制度が必要でなくなりました。

“それだから、キリストがこの世にこられたとき、次のように言われた、「あなたは、いけにえやささげ物を望まれないで、わたしのために、からだを備えて下さった。あなたは燔祭や罪祭を好まれなかった。その時、わたしは言った、『神よ、わたしにつき、巻物の書物に書いてあるとおり、見よ、御旨を行うためにまいりました』」”(ヘブル10:5-7)。また、「こうして、すべての祭司は立って日ごとに儀式を行い、たびたび同じようないけにえをささげるが・・・、しかるに、キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、・・・罪のためのささげ物は、もはやあり得ない」(ヘブル10:11,12,18 )。どれほど明確な預言の成就でしょうか?

 

イエス様が十字架で亡くなられて、もはや羊を殺す犠牲制度が必要なくなったことを象徴する奇跡が聖所で起きました。

「イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた」(マタイ27:50,51)。聖所の中にあった神殿の幕が突然裂けたことは、モーセが犠牲制度について記録していた儀式律法が定めている祭事とささげ物は、もはや必要がなくなったことを意味していました。「神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた」(コロサイ2:14)。

 

5)正確な時に決定されたユダヤ民族の運命

 

ユダヤ民族は、メシヤを拒絶し、その方を殺しましたが、愛と慈悲に満ちた神様は、70週が終るそのときまで、ユダヤ民族が、イエス・キリストの死と犠牲の意味を理解するのを待ちわびておられました。しかし彼らは自分たちに与えられていた490年(70週)が完全に過ぎても、反逆と不従順の道を頑迷に歩み続けました。

 

最後の7年(1週)の半分である西暦31年に十字架が立てられ、残り半分の3年半が過ぎ去り、神様がユダヤ人に許された70週の預言が完全に終了しました。十字架後もしばらくの間、弟子たちはユダヤ人の救いのために働きました。そして、イエス様が亡くなられてから3年半後の西暦34年、新しい契約の福音を、最後まで拒否するユダヤ人の指導者たちに向かって、ステパノは警告と懇願の説教をしました。しかし彼を通して語られる聖霊の恵みの訴えに、あくまで反抗するサンヒドリン議会は、ステパノを石で打って殺害します。こうしてステパノはキリスト教会の最初の殉教者となりました(使徒行伝7:51-60参照)。これによりユダヤ人のための70週(490年)の恵みの猶予期間が、完全に終了しました。この事件後すぐに起こった迫害によって、異邦人に福音が伝え始められました。(使徒行伝8:1〜)。


ハルマゲドンの戦いとは  第6回

2015年09月27日 | 日記

3)正確な時に現れたメシヤ

 

ルカ3章1節によって、私たちはイエス様がバプテスマを受けられた年代に関して、決定的な情報を得ることが出来ます。皇帝テベリオの在位第十五年、ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主だったときです。歴史を見ますと皇帝テベリオが即位した年がAD12年であることが分かっています。それから、皇帝テベリオの在位第15年は、AD12年に15年を加算してAD 27年になります。AD27年に何が起こったのでしょうか?同じルカ3章21節に答えが出ています。民がヨハネによってバプテスマを受けていたとき、イエス様もバプテスマを受けられ、聖霊が鳩のように彼の上に下ってきて、聖霊と力の油を注がれました。これによって、ダニエル9章に出てくる「とがを終わらせ、罪に終わりを告げ、不義をあがない・・・いと聖なる者に油を注ぐ」(ダニエル9:24)ときが来たこと、まさにメシヤ出現の預言が成就したのです。

 

≪70週間(490年)預言:ユダヤ民族に与えられた恵みの期間≫

 

[1日=1年の原則]

7週:7週×7日=49日=49年(エルサレムが再建されるために要する期間)

62週:62週×7日=434日=434年(メシヤが来られるまで、ユダヤ人たちが準備して待っている期間)

69週:7週+62週=69週=69×7日=483日=483年

1週間:1週間×7日=7日=7年(キリストの地上での奉仕期間+十字架の後、弟子たちがユダヤ人に福音を伝えた期間)

AD34:ユダヤ人に定められた70週(490年)の恵みの期間が終わり、ステパノがキリスト教会の最初の殉教者となることを通して、福音が異邦人に伝えられ始めた

 

イエス様はまさにこの預言を根拠に、ご自身の地上での働きを開始されたので、次のように語られたのです。「イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた、『時は満ちた』」(マルコ1:14、15 『The time is fulfilled』)。どのような時が満ちたのでしょうか?まさに、ダニエル9章に預言されていた69週(483年)という預言の時が満ち、西暦27年に、イエス様はバプテスマを受けられ、聖霊の油そそがれた後、公生涯を始められたのです。

 

4)正確なときにメシヤを殺害したユダヤ民族

 

ところで、70週の最後の残りの1週(70週-69週間=1週間)、この7年間に何が起きるのでしょうか?最後に残った1週についての天使ガブリエルの説明を聞いてみましょう。 「その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう」(ダニエル9:26)。ガブリエルは62週の後、つまり西暦27年以降に、イエス・キリストが十字架上で亡くなることを述べた後、イエス様がメシヤとしてなさることの詳細な説明を次のように付け加えています。 「彼は一週(week)の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週(week)の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう」(27節)。(ここで、7日〈1週〉の半分は7年の半分なので、3.5年、つまり、3年半になります)


ハルマゲドンの戦いとは? 第5回

2015年09月26日 | 日記

1週間は7日であるため、70週は490日(70週×7日)であり、これは期間的預言の計算原則に基づいて490年になります。「1日が1年である」(エゼキエル4:6、民数記14:34)。ところで、490年が始まるのはいつでしょうか?続いて天使ガブリエルの説明を聞いてみましょう。「それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう」(ダニエル9:25)。

さあこの説明から、すべてのことが明らかになりました。70週つまり、490年の開始年(起算点)は、エルサレムを建て直せという命令が出されるときです。ですからそのときから始まり7週と62週、すなわち、69週(69×7=483日、つまり483年)が経過すると、メシヤなるひとりの君が現れることが、ガブリエルによって説明されています。

 

では、70週の預言の開始点であるエルサレムを建て直せという命令が出された年はいつでしょうか?エルサレムを再建する最後の命令が、いつ布告されたのでしょうか?エズラ7章7、13節に、私たちは、エルサレムの再建命令を見つけることができます。「アルタシャスタ王の七年に… 手紙…に送る」。再建命令が出された、アルタシャスタ王の7年は歴史的に確立された年です。聖書の主な注解書を見ても、再建命令が出された年はBC457年であることを確認することが出来ます。従って、70週の預言の出発点は、BC457年です。エルサレム再建を命じる手紙が、その効力を発揮するBC457年の秋から始まり483年(69週)過ぎると、歴史の年表の中で最も輝かしい出来事が起こる年になります。その年はまさに、キリストがバプテスマを受けられた年です。

 

≪1日=1年の原則について≫

    

象徴的な期間を示す預言解釈で、1日を1年として解釈する原則は、健全な預言解釈法で、古くから認められてきました。多くの聖書学者たちだけでなく、宗教改革者たちも、ダニエル書と黙示録に出てくる象徴的な預言期間である、1260日、1335日、2300日などの預言解釈に1日=1年という原則を適用しました。1日=1年とする原則は、教会史を見ても、この原則が初期キリストの教会の時から始まり、中世の暗黒時代のローマカトリック、宗教改革の時代、そして近代のキリスト教会に至るまで一貫して適用されてきたという事実を確認することができます。以下にその代表的な人物をあげておきます。

 

❶初期キリスト教会の聖書学者:

テルトゥリアヌス、クレメンス、ユゥセビオス、テオトレッド、

テオドシウス、アンドロニクス

❷中世のユダヤ人学者:

ナハウェンディ、アリ、ラシ、ナハメニデス、ブラシバズ

❸中世のカトリックの学者:

ヨアキム、アーノルド、アベルティーノ、デリア、ブルテ、ニコラスクレプ

❹宗教改革者:

マルチン・ルター·、メルラヒントン、プンク、ボーリン、ジョン・ノックス、ジョン・ベール、トーマス・ブライトマン、ジョン・ウェスレーの助力者であるプレショル

❺1700年代の聖書学者:

ルーテル教会の神学者ベンゲル、万有引力を発見したアイザック・ニュートン卿

❻1800年代の聖書学者:

長老教会一般議会の議長であるジョシュア・ウィルソン博士、監督教会の司教であるジョン・ヘンショ、エール大学の総長ティモシー・ドワイト、ユニオン大学の総長エリファー・リーアップデートノート、オハイオ大学の総長であるジョージ・ジャンキン

 

このように、預言解釈の、1日=1年の原則は、ある個人や教団の独自の見方や特殊な解釈方法ではなく、長い歴史を通し、そしていろいろな教派に所属している様々な聖書学者たちの、詳細な聖書研究を通して導き出された結論であることが分かります。