SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

最後の民の召命と使命 第9回

2018年02月02日 | 日記

私たちの研究テーマは、イエス様が持っておられた人性は救いのご計画の中でどのようなものだったのか、それは私たちにとってどんな意味があるのか、その部分についてだけです。

実は、19世紀の再臨運動の先駆者たちの多くがアリウス主義者だったというのは驚くべきことです。彼らは三位一体に反対し、御子は永遠の方ではないと信じ、聖霊も人格がなく、一つの力だと信じていました。 神様だけが始まりがない方とし、キリストは神様から出たものであるという見解を持っていました。ですから私たちは、誰がそれを語ったかということに私たちの信仰の基礎を置くのではなく、「それは聖書的なのか」ということから出発しなければなりません。

 イエス様は神様ですか? そうです。 イエス様は人間ですか? そうです。 イエスさまが「オギャー」と言って赤ちゃんとなって生まれたとき、彼は神様で、同時に人間でしたか? そうです。イエス様はエホバですか? そうです。 イエス様は人性と神性を兼ね備えた方です。その方がどのように聖霊によって生まれることができたのか説明できる人はこの世にだれ一人もいません。イエスの神聖(神様の本質)についてこの世で明確に説明できる人は一人もいません。 どのような神学者も、いかなる牧師、どんな教授もそれを説明できません。この問題について、明快に答えられる存在は神様以外にはだれもいません。

私たちが神様の前に行くまでは、それは永遠の神秘です。ですから、イエス様の神性の問題は、私たちが論じることのできるテーマではなく、私たちが扱うことのできる性質のものでもありません。だれがあえてイエス様の神性の部分を暴き出して説明することができるでしょうか。有限な人間が無限の神様の神的本性を完璧に理解しようとする試み自体が神様を汚すことになるのです。「それは神秘であり、全てを知ることは不可能である」と答えるのが正直な答えだと言えます。

ですから、私たちが研究するのは、イエス様の人性の面だけということになります。それはイエス様の神性を無視するからではなく、私たちが神様ではない限り、その問題を知ることができないからです。人間となって来られたイエス様の立場を理解し、イエス様がこの世を生きていかれる中で、サタンの誘惑に勝利して、神様の言葉に服従し、罪に勝利する人生を送られ、私たちの模範となられた、その面だけを取り上げて学ぼうということです。   

イエス様がとられた人間の本性は私たちと同一のものであり、罪の結果によって堕落した私たちと同じ肉体を持って来られたのです。 それにもかかわらず罪を犯されず、勝利されたその方の生涯について知らなければなりません。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。