ひまわりさんより(9月28日)
今日は、11月から新しく一緒に介護事業を始める弟と、夫と共に、国際福祉機器展へ出かけてきました。毎年出かけていたのですが、今回は、新しく始めるデイサービスで使う、リハビリ機器や、入浴介助用品、椅子などの具体的な選定のために出かけたものです。私が今いる施設にも、立派な、高価なパワーリハビリ機器はありますが、あまりお年寄り向きではなく、一人でしょぼしょぼやるのは楽しくないらしく、いまひとつ人気がなく、これでは効果が出ないと感じていました。私は、お年寄りのリハビリは、若い人のリハビリと違って、何よりも、楽しいという気持ちになれるもの、気持ちいいと思えるものを中心にした方がいいと思っていました。また、ひとりで黙々とやるリハビリでなく、みんなとおしゃべりしたり、励まし合ったりしながらやれるものがないかと思って探してみたら、ちょうどそれにいいものが見つかりました。中央の四角い柱の4辺に、4つの運動器具が取り付けられていて、お互いに顔を見ながらリハビリができるのです。値段も手ごろでいい運動ができると思いました。でも、長年在宅支援をしてきて感じるのは、器具も必要ですが、まず、利用者様の心に寄り添うことができるかどうかということが一番大切なことで、利用者様の心が動けば、体が動くようになるのです。信仰もそれと似ていて、形や外見でなく、心が大切なのでした。
まず神の国と神の義を求める(デビット・カン講演12)
そのような試練の時を、私たちは通っていかなくてはなりません。本当の意味で、どのようにして義なるものとされるかということを、理解している人たちだけが残るのです。神様は私たちの心をご覧になります。
義について長々と説明してきましたけれども、皆さんにとって必要だと思ったので、時間をかけて説明させていただきました。そして、これから「主我らの義」について勉強していきたいのです。私たちはどのようにして、義なるものとなることができるのでしょうか。
人間は、どんなに良いものばかり食べていても、運動しても、それでもいつかは死んでしまいますよね。私たちが永遠に生きるためには、神の義を受けることが必要なのです。大事な聖句として、マタイ6の31~33があります。「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかといって思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義を求めなさい。そうすればこれらすべてのものは、添えて与えられるであろう」
これはよく知られている聖句です。最近何年か、私は家族のために、食べ物とか服とか物質的なもののために祈ることをやめました。そういったものを求めて祈らなくなりました。狂信者ではないと私は思っているのですが、そういった物質的なもののために祈るのをやめました。まず最初に、神の国と、神の義を求めるべきなのです。そうしている限り、神様は私のすべてを満たして下さると、私は神様に信頼しています。
今日は一日雨でした。私は車がないため、今日の計画が、できないなぁ。と、憂うつでした。 遠くにいる友人に、「雨だから、何も出来ないよ。」と、呟いていました。するとその友人は、「雨が降らないと美味しい果物が育たないんだよ。」と、言いました。なるほほど、何気なく食べていた果物。恵みの雨が降った一日でした。
この安息日、世俗からもう一度、神様に向けて、まず神の国と神の義を求めたいとおもいます。
恵み多い安息日でありますように!