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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

主は生きておられる 第20回

2014年12月22日 | 日記

 

 主は生きておられる第20回

     命のみ言葉
 イエス様は、地上におられた時、神様の命、聖霊の力が、その中に宿っておられました。同様に、私たちの中にも、イエス様の命が宿らなければなりません。そうすると罪に勝利する人生を生きることができるようになります。悪魔と誘惑と罪に勝つ唯一の道は、イエス様の命が私たちの中に留まることです。

では、現在イエス様の命が私たちの中に入ってくるためには、どうしたらよいのでしょう。それは、イエス様のみ言葉である聖書を信じることです。神様は、み言葉によって天地万物を創造されました。同じ力が、聖書のみ言葉の中にはあるのです。聖書のみ言葉は、その通りに実現すると信じて、受け入れるなら、それは私たちのうちに実現します。病気のいやしなどの場合には、別に神様のみ心を知る必要がありますが、私たちが罪から救われることを求めるなら、それはすぐにその通りになるのです。み言葉は、イエス様ご自身ですから(ヨハネ6:63、17:17)、み言葉を受け入れるなら、イエス様の命が私たちのうちに入ってきて、罪に勝利することが出来るようになります。

    最後の欺瞞 第2回  

もう一つの神秘的な現象を見てみましょう。

□ ① 。天国から帰ってきた少年アレックス

2004年11月、6歳の少年アレックスは、大きな交通事故にあいました。 2ヶ月の間、彼は昏睡状態に陥っていました。ですが最終的に意識が戻り、目が覚めた時、彼は非常に驚くべき話をするようになったのです。昏睡状態に陥っている間に、彼はイエス様と一緒に天国で時間を過ごしたのだというのです!この本は、アレックスが見た天国について書いた本です。

□ ② 。 4歳の子供が書いた本

コルトンは、盲腸が破裂し、2回の手術を受けている間、天国旅行に行ってきました。そこで25年前に亡くなった彼の曽祖父に会い、また、コルトンの姉に会ったと言うのです。 4歳の子供が、ある日「ママ、私は姉さんが2人でしたよね?ママ、お腹の中で死んだ赤ちゃんがいますか?」と、母親が一度も話をしたことのない流産した姉の存在について話しました。 この流産した彼のお姉さんに天国で会ったと言いました。

□このコルトンは天国でイエス様に会ったと言うのですが、ある絵を見た時、「お母さん、これが私が天国で見たイエス様ですよ! 」と言いました。その絵を描いた人は誰でしょうか?それついては後に述べることにします。


主は生きておられる 第19回

2014年12月21日 | 日記

  主は生きておられる 第19回

主は今も、このような信仰を持って、主に近づいてくる人を求めておられます。なぜなら、私たちもまた、いや死を必要としている者だからです。ですから私たちも、主に近づき,主に罪からの救いを求めて心から叫ぶ時、主の助けと力をいただくことが出来ます。その時私たちは、今までどんなに努力しても止めることの出来なかった罪の流れが止められ、罪の病が完全にいやされたことを感じるのです。罪の根が取り除かれ、罪の力が破壊されて、私たちは義なる人に創り変えられるのです。

これは福音の神秘です。それは説明することは出来ませんが、主に触れて、主の力を受けた人は、それを知っています。罪の力から解放された人は、体験としてそれを知っています。

皆さん!私たちは今、生きておられる方を私たちの人生の主にすべきです。その方の力を受け取るべきです。皆さんには今、何か問題がありますか?止めることの出来ない、ある罪の問題がありますか?そこから、皆さんを解放し、いやして下さる方がすぐ近くにおられるのです。「主よ救って下さい.あなたを信じます」と言って、主に心から叫び求めるなら、主のみ力が私たちの中に素早く入って来て、主の力を体験することができます。その主のもとに、早く行かれるように願います。
     

    最後の欺瞞   第1回

                  ソン・ケムン

 

先日、韓国で大学生が、10代の少年に40回刃物で刺され死亡するという事件が発生しました。

□彼らはオンラインカフェ空間である、「死霊カフェ」というところで論争になり、結局、殺人にまでつながったのですが、実はこれは、40回刺すと悪霊と交信できるという信念から出たもので、偶発的な殺人ではなく、呪術を通じた計画的な「いけにえの儀式」だったという論評も出ました。

「死霊カフェ」とは「悪霊(悪い幽霊)」と「死霊(善良な幽霊)」の存在を信じているネット住民たちが開設したインターネットカフェです。死者の魂を呼び出して、悪霊から身を守るようにする方法を共有したり、魂を呼び出したその体験談を分かち合うこともあります。死霊(死者の霊)と交流するので不気味なようですが、彼らにとって死霊とは友達のような存在であり、崇拝し、また癒しを与える、または「小さい死霊が泣いていて可愛そうなので、死霊を世話したい」と言うような、そんな存在に感じているのです。

このようなオカルト文化は、科学的に解明することができない神秘的な超常現象で、宇宙人、 UFO、魔術、魔女、このようなことを信じて信仰する文化です。代表的なオカルト映画に「ハリー·ポッター」があります。このようなオカルトは、単なる趣味や文化ではなく、一種の宗教です。



主は生きておられる 第18回

2014年12月20日 | 日記

  

  主は生きておられる 第18回

昔、ユダヤ人の男性は、着物を着る時、着物の裾と袖の端に青色のふさをつけて歩く習慣がありました。このふさの青色は従順を意味していて、主のみ言葉に従うことを表していました。長血を患った女性は、イエス様の着物のふさに触れました。彼女は、「この方は、生きておられる神の子であり、預言されたメシヤであり、私を罪から救い、病気をいやして下さる力のある方だ」という信仰を持って、全身全霊をかけて、手を伸ばし、主の着物に触れたのです。するとその瞬間、彼女は自分の病気が完全にいやされたことを感じました。その時、主は「わたしにさわったのは、だれか?」と言われました。数百人が押し寄せている中で、信仰を持って主に触れ、主の力を体験した人がいることを感じられたのです。

    これが真の福音です 最終回

皆さん、今まで罪の生活をしてきたことを心配しないで下さい。これはどうしてもできないと、あきらめていませんか。できないものを、できるようにして下さるのがキリストです。皆さん、私たちは、毎日毎日、奇跡を体験して生きる生活にならなければいけません。私たちは勝利を得る者、罪に打ち勝つ者になれるのです!

皆さん、ほんとうのイエス様を伝えて下さい。勝利することができる生涯を伝えて下さい。神様の子であるイエス様が、人の子になって、人の子である私が、神様の子とされることが可能になったのです。

  お祈りします。

私たちと共におられる神様、私たちの立場に立っておられたイエス様、私たちの戦いを知っておられ、私たちの絶望を知っておられ、罪の底から救い出す方法を知っておられるイエス様、そのイエス様の力を受けて、罪に打ち勝ち、勝利ある人生を歩むことができるように助けて下さい。全宇宙に神様の愛を伝える証人として下さい。神様の律法には欠陥がないこと、神様は正義を行われる方であることを証させて下さい。どんな犠牲を払っても、私たちが勝利を得ることができるように、私たちの中に留まって下さい。イエス様のお名前でお祈りを捧げます。         アーメン


主は生きておられる 第17回

2014年12月19日 | 日記

   

主は生きておられる 第17回

   罪の病のいやし

聖書の中に、12年間長血を患っていた女性のことが出てきます(ルカ8:43~48)。女性は月に一度生理現象がありますが、12年間ずっと血が流れ続けていたのです。今のように洗濯機があるわけではないので、洗濯だけでも大変なことだったでしょう。いろいろな治療法をためしたり、医者にかかったりしても良くならず、財産を使い果たしてしまっていました。

これは、罪人である私たちの状況そのものです。私たちが、どんなに努力しても、罪の問題を解決することは出来ず、正しい道を歩むことは出来ません。

この女性は、イエス様の事を何かで知るようになりました。彼女は、「私はもう死にそうだけど、最後にその方に会って、それでだめならもう死ぬしかない」と考えたかもしれません。彼女がイエス様の所へ行こうとすると、たくさんの人たちが主を取り囲んでいたので、主に近づくことさえ出来ませんでした。しかし、主はその女の人が近くに来ることを知っておられました。主はゆっくり歩いて、その女性の近くを通るようにされました。彼女は、大勢の人がイエス様の回りに群がって近づくのを妨げている中で、地面に這いつくばって人々の足元から、ほんの少しだけイエス様の衣のふさにさわりました。

      これが真の福音です 第32回

これらの弱い性質と、皆さん戦っていますか。もしそうでしたら、喜ばしい知らせがあります。神様のみ子が、私たちと同じように、罪ある肉体のままでこられて、そのすべてのものに打ち勝たれました。だから今、私たちの模範、力の源になって、私たちを助けて下さることがおできになるのです。

使徒パウロは、福音を“力”と言いました。力と言うのは本当に力が湧き出ることです。皆さんの人生は力がありますか?パワーあふれる生涯になっていますか。「これ一つだけは見逃して」とか、「これは罪ではない」と言ってごまかしているものはありませんか。皆さん、妥協はしないで下さい。皆さんの標準を落とさないで下さい。皆さんがテレビを見ながら大笑いする時、その時、皆さんの運命が終わるかもしれません。今、皆さんの心が、そういうものに奪われる時間はありません。キリスト者の生活は、毎日毎日が奇跡の生活です。その奇跡は何でしょうか。人がもう一度生まれ変わり、罪に勝利する日々を送ること、これ以上の奇跡はありません。罪の欲望や快楽から、皆さんを解き放って下さるのです。


主は生きておられる 第16回

2014年12月18日 | 日記

  

主は生きておられる 第16回

 次に、ヨハネ第1の手紙5章18節をお読みします。

「すべて神から生れた者は罪を犯さないことを、わたしたちは知っている。神から生れたかたが彼を守っていて下さるので、悪しき者が手を触れるようなことはない」。 

私たちがイエス様の復活の力にあずかる時、悪しき者が手を触れるようなことは出来ないのです。たとえ触れたとしても、その力に屈することなく生きていくことが出来ます。

私たちは、命のパワーを理解することはできません。たとえばある人が、落ち込んで沈んでいた時、何かのきっかけでまた元気を取り戻すことがありますが、その人にどのような力が働いて、元気が回復したのか、説明することは出来ません。しかし、それを体験することは出来ます。福音の力、復活の力もそのようなもので、理解することは出来なくても、体験することは出来ます。

   これが真の福音です 第31回

終わりに、皆さんに尋ねたいと思います。皆さん、肉体の情欲に引かれていますか。皆さんはクリスチャンだから、たばことか酒は飲みませんね。でもテレビのドラマは楽しんでいませんか。皆さんは、時間を無駄遣いしておられませんか。ネットのゲームに、はまっていませんか。野球やサッカーの勝敗が気になりませんか。皆さんはスポーツに気を奪われていませんか。また、他人がうまくいくのが憎らしくなる心は残っていませんか?ほかの人が賞賛を受けたら、うらやましくなって、その人を好きになれない心はありませんか?皆さんが社会生活をする中で、世俗的な利益を得るために、皆さんの正直を捨てることはありませんか?自分を守ろうとして、嘘を言ったりしていませんか?他人の失敗を言うことに、快感や優越感を感じていませんか。相手の言った小さな一言でも一晩中眠れないほど不快になりませんか?聖書の言葉で、人を裁いていませんか?人が褒めてくれなかったら、認めてくれなかったら、怒りが出ますか。自分のことを、理解してもらえないと怒ったり、寂しくなったり、苛立ったりしていませんか?