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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

主は我らの義 23 あなたを造り変える福音の力

2012年02月29日 | 日記

   

   ひまわりさんより

今日は暖かい千葉で今年3度目の雪となりました。
朝から降っていたのですが、昼近くには畑や道路の端が白くなり、その後道路もシャーベット状になって行きました。
雪がすべてのものを白く覆っていくように、イエス様は私たちの心を白くすると言われます。
私は小学生の時から、詩篇51篇7節の、「ヒソプをもって、わたしを清めてください。わたしは清くなるでしょう。
わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう」が気になっていました。
そして、こんな風になれるんだろうか。どうしたらそうなれるのだろう、と思っていました。
今は、白くなっているわけではありませんが、そうなれるのだという信仰を持って、感謝に満たされています。

   イエス様と恋におちいる

これは太陽系の写真です。木星、土星、そして一番左側に地球があります。
こちらは太陽です。点で示されているのが地球です。太陽は地球よりも100万倍大きいのです。
次の写真。右側の大きい星はアークトゥールスです。
その次はポルックスという星、ここに太陽がありまして、もうここまで来ると地球は、点ですらあらわせません。
私たちはどれほど大きな存在でしょうか。
何ものでもないのですね。無に等しいものです。
次の写真、アンタレスという星がありまして、それからベテルギュースという星があり、
ここに点で表されているのが太陽です。
ただの点に過ぎないのですね。もうこうなると地球というのはどうなってしまうのでしょう。
私たちは無に等しい者ですよ。宇宙というのは本当に広大なものです。
私たちの属している銀河系という星雲も、宇宙全体から見たらほんの小さい部分に過ぎません。
私たちの住んでいる太陽系というのは、その銀河系の中のほんの小さな部分に過ぎません。
その太陽系の中に地球があって、その中に小さな日本という国があって、
さらにその中に小さな沖縄という島があるわけですね。
その沖縄に小さな名護という町がありまして、それから本部半島が広がって、
その中にある小さい建物、その中に私たちが存在しています。
皆さん、私たちはどれほど偉大な存在でしょうか。
無に等しいのです。塵に等しいものですね。しかし、イエス様はそのような私たちを愛してくださっています。
イエス様がおいでになったとき、全宇宙を通り過ぎて、ここにおいでになりました。
たくさんの巨大な星雲あったのに、そこを通り過ぎてこられました。
たくさんの太陽や星があって、それらを通り過ぎてこられました。
そして、この小さな、汚れた星、地球においでになったのです。
それは、私たちの罪を負うわれるためでした。
彼の義とはどのようなものでしょうか。私たちはどのようにして印されるのでしょうか。
イエス様の愛によってです。
毎日毎日、私たちがイエス様と恋に落ちるときに、そのイエス様の真理に根づくようになって、
決して動かされるようなことはなくなります。
毎日毎日、神様の払ってくださった犠牲を思うとき、理解するとき、決して彼の側から離れたくなくなります。


主は我らの義 22 あなたを造り変える福音の力

2012年02月28日 | 日記



    ひまわりさんより
今日火曜日、利用者さんの家に入浴介助で伺っていました。
先週と今週の木曜日は、一般の方のための講習会を行うので、訪問看護はお休みになっていたのですが、
「もう講習会がはいっても次回からは休まないようにしますね」と言ったら、その利用者さんのご主人が、すかさず、
「その講習会は社会のために役に立っていることだろう」と言われたのです。
私は、この方々は、いつも社会の人に役に立つことを考えておられるのだなと、思いました。
私が行かないと、70代のご主人が、一人で奥さんをお風呂に入れなければならず、大変なのですが、
ご主人は、自分のことより、社会の多くの人の役に立つことを優先させようとして、そう言われたのだということがわかり、とても教えられました。

        キリストを信頼する

『各時代の希望』中巻の174ページには、「神様の栄を表そうとする熱心さは、聖霊によって植え付けられる動機であって」とあります。
皆さんは、しばしば失敗していませんか。
そうであるなら、イエス様に信頼をおいてください。そして、イエス様にあなたの義となっていただきたいのです。
このように祈り求めればいいのです。「あなたの動機と希望を私に植え付けてください。
そうしたら私は、あなたの命のうちに生きることができるようになります。あの取税人のように自分が罪人であることを認めます。
主よ、どうぞ私を憐れんでください。今日、あなたの思いを、今、私のうちに植え付けてください」。 
このような祈りの経験が、私たちのものとならなくてはいけません。
『セレクテッド メッセージ』 第2巻33ページにはこうあります。
「我々人間が何をすることができるかに頼るのではなく、キリストを通して神が何をなさることができるかに我々は依存するのである」。
最後に幾つか写真を見せたいと思います。
そのあとで讃美歌を歌いたいと思います。なぜ私が皆さんのために歌うかと言いますと、イエス様を愛しているからです。
本当に心から愛しています。イエス様が私の救いであります。
そのイエス様の愛について皆さんの前で歌いたいと思います。以前はもっと歌がうまかったんです(笑い)。
少し喉を酷使してしまいました。説教ばかりしていますから。
中国に行った時には夜明けから深夜までぶっ続けで説教をしたことがありました。
そういう生活を続けたことによって、歌が上手ではなくなったのです。
でも最善を尽くしたいと思います。
  

  

主は我らの義 22 あなたを造り変える福音の力

2012年02月27日 | 日記



   ひまわりさんより
我が家のプランターのジュリアンは、霜が降りたり雪が降ったりした冬の間、すっかり元気をなくし、しおれていまました。
2週間ぐらい前、気になって肥料をやったら、暖かくなってきたのと同時に、すごくきれいな花が咲きだしました。
肥料ってやっぱり大事だなと思いました。
そして、心にも肥料が必要で、それは聖書のみ言葉ですね。


    み言葉を通して義を生きる

私たちは、六日かけて、毎日毎日、創造される経験をするわけです。
そして第七日目がやってきた時に、神様の安息日に入ります。そして神様のうちに休みます。
なぜですか。私たちは新しく作られたものとなったからです。六日間、神の義のうちに生きてきました。何を通してですか。
み言葉を通してです。神様の力を通してです。それを通して私たちは、神様の約束を受けるのです。
それが文字どおり私たちの義となります。それが私たちに、勝利の手助けをしてくださいます。
私はかつて、妻に対して、自分の主張を押し付ける人間でした。そういった衝動がまた起こってきます。
そうするとき私は、待てよ、と言い聞かせるわけです。そして神様に心の中で祈ります。
「イエス様、あなたが私の義であります。あなたのみ言葉を私は心から愛します。
あなたの創造の力に信頼を置きます」。 そうやって祈る時に、私の目に涙がたまってきます。
涙をできるだけ隠して、私が誘惑されている、誘惑にあっているということを隠しながら祈ります。
そうしているときに家内が私を見るわけですね。その時彼女は、私が祈っているんだということを理解してくれます。
そうする時に、彼女も穏やかになります。イエス様が私の義であります。私には立派な品性というものはありません。
完全になる力もありません。しかし、神様のうちに休みを見いだします。そうする時に、神様が私のうちに働いて力を発揮してくださいます。
そして同時に私達が塵に伏されてされていくわけです。
『実物教訓』361ページをお読みします。
「聖霊の働きによって魂が清められるということは、キリストの性質を人間の中に植え付けることである」



主は我らの義 21 あなたを造り変える福音の力

2012年02月26日 | 日記



   ひまわりさんより

また我が家の愛犬ジョイの話です。今朝は日曜日なので少し朝寝をしようとのんびりしていたら、
6時過ぎに、ジョイが散歩に連れて行ってくれと、一階からクンクン泣き出しました。
私は、今日はしばらく静かにしているように、少し叱ろうと思って階段を下りて行ったのです。
ジョイはカーテンで仕切られたサンルームで、いつも私が近づくと大騒ぎして喜ぶのですが、今日は静かにしています。
カーテンを開けると、私に叱られるのを感じたのか、部屋の隅っこで小さくなっていました。
私の姿は見えないのに、階段を下りる足音などの感覚で、今日は、散歩でなく、叱られそうだと感じていたのでした。
このことから、私は、黙っていても、その気配で人に伝わるものがあるのだなと感じ、気をつけなければいけないと思いました。
(夫にこの話をしたら、君はしゃべらなくても後ろ姿に感情が全部書いてあるよと言われてしまいました・・・)


    救いの力の証人となる

私たちは、すでに救われ印されているわけですよね。
その時に、私たちを通して神様は、救いの力を全宇宙に証明なさるのです。
全宇宙の前で私たちは証人となります。全宇宙はこの堕落した人類をずっと見てきました。
天使たちもこの地上に注目しています。神様の救いの力を理解しようとしているんです。
そして神様は、私たちが、かつては邪悪なものであったにもかかわらず、義なるものになったということを証明しようとしておられます。
私たちが、その生き証人となるのです。主なる神が私の義である。彼が私のうちに住んでおられる。
神のご臨在、神様が聖霊を通して私のうちに常にとどまっておられる、これが生きた力となります。私ではないのです。
神様がその創造の力を発揮されます。私を造り変えて、再創造を行われただけではなくて、常に、これからも私に力を与えてくださいます。
私が誘惑されたとき、時にはそれに勝利する力がないときに、自分が弱い者で、その誘惑に負けてしまいそうになる時に、私は直ちに叫びます。
「神様、あなたは私の義なる方であります。あなたの動機を私のうちに植えつけてください。
聖霊の動機を、望みを、私の心に湧き上がらせてください。
私にはできません。しかし、あなたはおできになります。
神様、どうぞ私を救ってください。あなたの義が私に必要なのです。
パリサイ人の義は私には必要ありません。あなたの完全な義を私は必要としております」。
このように、私たちが神様の御前に屈服するとき、義なる神様がこの私の義となってくださいます。
それは奇跡ですね。この奇跡を、皆さん経験しておられますか? 
皆さんの生涯において、生活において、この神様の創造の力を経験しておられるでしょうか。
そして、このことが、安息日を守るということなのです。



主は我らの義 20 あなたを造り変える福音の力

2012年02月25日 | 日記



 ひまわりさんより
現在私の行っている教会では、毎週土曜日の午後12時45分から14時30分まで、
預言の研究として、ダニエル書や黙示録の学びを、10人ぐらいで行っています。
皆さん信仰歴40年以上の人たちですが、「こんな研究をしたかった」、
「昔聞いた預言の学びを土台にさらに聖書がよくわかるようになってきた」、
などという声が聞かれ、今まで発言しなかった人が積極的に証をするようになったり、
表情が生き生きしてきたりと、学びに熱が入ってきています。
この集まりで、主に語って下さるのは、信仰歴は7年と短いのですが、
『各時代の大争闘』を10回も通読し、預言の研究を、寝る間も惜しんで続けているKさんです。
彼は、「世の終わりには、神の民にとって理解不可能な事がらを、神様がゆるされることによって多くの者がつまずくのです。
それで、事前に預言の学びをしておくことが最重要になってくるわけです」(ダニエル書8章の研究より)と述べています。
そのことは、今日のデビットカン先生の講演にも一部出てきます。


     迫害の中で立つ信仰(デビット・カン先生講演より)
 
私たちが印される経験をした後、激しい迫害の嵐がやってきます。
14万4千は、SDA の残りの子ら、それとバビロン諸教会から呼び出されてきた、5時労働者と言われる人たちから構成されています。
14万4千の人達というのは、SDA教会の人たちだけで構成されていると考える人もいます。
私もそのように長年教えてきました。ところが最近になって、ここ数年において私は考えを変えました。
バビロン諸教会に神様が用意しておられる神の民がいるということ。いろんな人たちと私は出会いました。
そして、驚きを覚えました。彼らの写真をいくつか今晩紹介できるかもしれません。
私たち以外の、日曜教会において神様はご自分の民を備えておられます。そのことを、多くのアドベンチストは理解していません。
最近、その人たちに出会う機会がありまして、本当にショックを覚えております。そういった教会には純粋なクリスチャンがおられます。
そういった人たちは、正しい食生活、食べ方、飲み方、正しい健康的な生き方をしておられます。そして証の書も好んでお読みになります
。実は安息日も守っています。SDA教会に出席していないんですけれども、今まで持っていなかった真理を受け入れる用意のできている人たちです。
私たちは、悩みの時を通過するとき、イエス・キリストのようになっていなければなりません。
そして仲保者がいなくなっても、立っている状態になっていなくてはなりません。なぜこのことが必要なのでしょう。