夏原 想の少数異見 ーすべてを疑えー

混迷する世界で「真実はこの一点にあるとまでは断定できないが、おぼろげながらこの辺にありそうだ」を自分自身の言葉で追求する

「ワクチン予約。早い者勝ちは、強い者勝ち。この自由な競争は、不公平・不平等の極み」

2021-05-29 10:38:00 | 政治
 高齢者ワクチン接種の予約方法は、ほとんどの自治体で先着順、つまり「早い者勝ち」方式を採用している。予約時刻になったら、対象年齢者を電話やネットで早い者勝ちで受け付けるというものだ。当然、電話は集中して回線はパンクする。対応する自治体も、人員や電話回線、サーバの増強で 、やりくりに追われることになる。その後の国の大規模接種センターはネット一本にしたが、メディアはネットに不慣れで、予約を取るのに苦労する高齢者の様子を報じている。また、ほっておくわけにもいかず、自治体の中には、高齢者のネット予約を手助けするところもある。
 
 この先着順に対しては、早速、経済学者等から見直し案が提示された(日経新聞5月22日)。その趣旨は、現場の混乱を回避し、効率的な接種を実施するために、抽選、年齢順、割当制などを導入すべきだ、というものだ。これは、接種が先行するドイツなどヨーロッパ諸国では、年齢、居住地域などを考慮し、保健当局が接種可能場所や日時を対象者に連絡する方式を採用していることからも、至極当然な提案だと思われる。恐らくは、こういう方式に変えていく自治体も数多く出てくるだろう。

 この方法を多くの自治体や国が採用したのは、対象者を公平に扱わなければならないと考えたからだろう。「上級国民」がズルをして優先されたなどという「疑惑報道」もあり、何よりも、不公平だという苦情に自治体は弱い。そこで、条件を付けずに、全員を一斉に「はいどうぞ」と受け付けるのだから、何より公平に違いないと考えたのに違いない。つまり、自由な競争なのだから、公平で平等だというわけだ。しかし、ここに問題がある。そこには、本質的に自由主義というイデオロギー(観念と表象の総体であり、社会的関係に根差した感覚、幻想、思考法という意味での)が強く押し出されている。
 自由な競争は、実際には公平でもなければ、平等でもない。それは、相撲取りと身体の弱い者が自由に格闘しろ、と言っているようなものだからだ。やる前から勝負は決まっており、必ず強い者が勝つのだ。この例ほど分かりやすければ、このやり方が公平だとも平等だとも誰も思わないだろう。だから、スポーツの多くは、男女別であったり、体重別であったり、規則によって、できる限り平等な条件で、公平に戦えるようにしようとするのだ。しかし、現実社会では、自由な競争は公平、平等と見做され、強い者が勝つ仕組みに満ちている。勿論、その最たるものが、資本間競争であり、自由競争が経済用語なのも、そのせいである。
 強い者とは、腕力が強いという意味だけでも、金持ちという意味だけではない。ネットでの予約で言えば、日頃からパソコン・スマホを使い慣れている者、身近に手助けしてくれる親族がいる者も、この場合は強い者であり、それ以外は弱者である。そこには明らかに、強弱の違いがあり、やる前から不公平、不平等は明らかなのだ。
 その結果、高齢者は重症化しやすく、優先的なワクチン接種が必要だという論理が、対象の高齢者の中では崩れることになる。重症化のしやすさは、パソコン・スマホを使い慣れているか、身近に手助けしてくれる親族がいるかとは無関係だからだ。
 早期のワクチン接種により、重症化せずに済んだ者、感染せずに済んだ者。逆に接種が数ヶ月遅れ、感染した者、重篤化して死に至った者。この違いは、高齢者の間で、何人かは必ず起きるだろう。その違いを作り出したのは、今回に限って考えれば、平等な「天の裁き」ではなく、強者に有利な「自由な競争」である。
 
 
 
 
 
 
 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする