それは
『生まれた日と、生まれた理由がわかった日』
と言った人がいるそうです。
前者はほとんどの人が知っているけれど、後者は意外にもわからないまま生きている人が多いかもしれません。
ほとんどの人は、自分が好きなように生きているようで、実はそうではないのかもしれません。
生きている、というよりは生かされている感覚の方が近いかもしれません。
でも、嫌々でなければ気にならないし、そんな事考えることも無い。
機械や人工知能が、そして二つが合体したロボットが、過酷な労働から人間を解放する時代に近づいていくにつれ、『何のために生まれてきたのか?』なんて、どんどん考えなくなっていくように思うのです。
やりたいと思った事をいつでもやるだけ。
はたしてそれが、自分が生まれてきた理由なのでしょうか?
自分を律しないで、喜怒哀楽を楽しめる心を作ることができるのでしょうか?
人には幸福を追求する権利があります。
幸せを感じる力がなければ幸福ではありません。
ゆえに、喜怒哀楽を感じる感覚をバランスよく育てる必要があるのです。
そうすれば他者の幸福を求める気持ちも尊重できるようになるでしょう。
人が人間になれるのです。
自身を律っすることは人間にとって必要なことなのです。
人が人間にになりたい気持ちがある限り、自分を律することのできる書道はなくならないでしょう。
最新の人工知能搭載のロボットが、人の代わりに何でもしてくれる時代になっても、人間には書道が必要です。
人が人と社会生活をしていく限り、人がロボットをコントロールしようとせず、共に社会生活をしていこうとするならば、人だけでなく、ロボットにも書道が必要でしょう。
瞬時にインストールするのではなく、時間をかけてじっくりと染み込ませていかねばなりません。
付け焼き刃では刃こぼれしてしまいますからね。
丹念に焼き入れてかないと、よい心は作れないのです。