治承4年3月
20歳の高倉上皇は心に深い御願いを立てられ、平家が崇敬する厳島明神に参詣することを決めた。表面では平家に心を合わせているように見せ、内心では、清盛の怒りを和らげるための祈願=平家滅亡祈願である
19日、高倉上皇、厳島参詣へ出発の日、途中、鳥羽殿の後白河法皇にお目にかかる事の許しを得た
高倉上皇は夜が明けぬうちに鳥羽殿へ入った
もの寂しそうな住まいで哀れに思う
法住寺殿での華やかな暮らしの事は夢のようだった
後白河法皇と高倉上皇の御座所が設けてあり、二人の問答は誰も伺うことはできない
日が高くなってから高倉上皇はおいとまし、鳥羽の草津から船に乗る。伊勢、八幡、賀茂をさしおいて、はるばると安芸国、厳島までの参詣を、厳島明神は必ずお受けになるだろう