るるの日記

なんでも書きます

親鸞を知る「忍耐よりも自然に」

2022-03-30 10:13:24 | 日記
行者宿報設女犯
我成玉女身被犯
一生之間能荘厳
臨終引導生極楽

「貴僧がもし業報によって女人と交わる事になるならば、私は美しい女になってあなたの妻になります。そして一生荘厳な家庭をつくって、死ぬときには、極楽へ導き致します

これは我が誓願なり。この誓願を一切の群衆に聞かしむべし」

建仁3年4月5日
寅の刻
親鸞の霊夢で如意輪観音が白い蓮華に端坐して親鸞に告げた。親鸞はその時、東方の山岳の間に無数の感情が雲集しているのを見た。そしてこの夢の内容を欲望持つ人々に説き聞かせたく思った

浄土真宗の場合、僧侶が肉食妻帯を禁止せねばならないという根拠はない。凡夫を救う如来の慈悲を感じるためなら、守れもせぬ中途半端な持戒をやめてしまって、肉食妻帯し凡夫と同じ生活の様態になる方が潔い

当時は女犯、男色、肉食は僧侶の間に秘密に行われ、公然の秘密だった。これは人間の自然性否定に迷うからであり、むしろ肯定にして自然な解放が、健全で朗らかな心になる

「仏と縁なき人々は仏も救えない」という善巧方便

2022-03-30 09:40:23 | 日記
苦悩を得て道を求め初めた時が
弥陀のもよおし
それから20年ほどのさ迷いは
弥陀のはからい
安心立命決定の信は
弥陀の賜物

人の過去の生きざまが、救いのための過程であり、計画されていた
そう「弥陀のはからいに、はかられて」なるようになった

それは自分の目前の足元から
それは自分の生まれる因縁から
根こそぎ徹底的に計算されている
人は弥陀の善巧方便の中で動いている【善巧方便・仏が衆生を救うにあたって、相手の素質、性格に応じていろいろと手段をとること】
人の出来事は仏の掌の上の出来事
善巧方便は人智の知り得ない大慈悲のはからい。救いの本願から出ているはからい

〈ルルの場合〉
「しかし縁無き衆生は、仏にもどうにも出来ない。縁を結ぶために弥陀の名を称えよ。。」
この言葉を発見した時の心もちが
仏のもよおし
信じたいが疑う日々が
仏のはからい
信じて念仏を称えられた時が
仏の賜物



仏の智慧と感応したよ~無明と明の本体は如来で、人とは如来に必要な修行器だったんだ

2022-03-29 16:33:24 | 日記
■人の意思が介入できないこと
生まれ、生き、死ぬこと
血流、鼓動、消化、眠る、醒める
宇宙の運行、、、それらに人の意思は入れない

■思いは自分の意思か?

思いには感情と理性がある

感情は自我に縛られ
自我は煩悩に縛られ
煩悩は宿業に縛られ
宿業は無明から発生

🔶感情は束縛されている

🔶理性は仏に計らわれている

どちらにしろ本当は自分の意思は無いのだが、この器には無明から流れてきた感情が脳と合わさり思考し、再び無明に戻って薫習される用を為す

それに計らいの働きを為すのが如来他力

■なぜ如来他力は計らうのか?
無明の本質は如来自体だから
無明とは明が無い状態の如来
無明も明も一体
如来は如来自体を整えたい欲求がある

■なんのために如来は無明と明を持ったのか?

智慧にはいろんな体験が必要だから無明を知らなければならぬ
そのために、一旦闇に堕ち再び明を取り戻す修行をしているのだ



    

親鸞を知る「親鸞と法然の出逢いは【如来のはからい】としか思えません」

2022-03-29 14:40:13 | 日記
建仁元年3月14日
法然の吉水の庵

29歳の親鸞は深い悩みと不安を抱いて
69歳になる法然の前にひざまずいていた
心砕け、傷ついている親鸞は、念仏に帰している法然の柔和な態度と、比叡山にたむろする誇りと慢で満ちた僧とを比べずにはいられなかった

親鸞の苦悩一つ一つに法然は肯定した。それは法然自身が通った道だったからだ。親鸞は自分の苦悩そのものを肯定してくれるというだけで、すでに有り難かった。機縁で逢う善智識とはまさにこれを言うのだ。比叡山に居ては決して出逢うことは出来なかった

次に法然は親鸞に苦悩の解決方法を伸べた。その法然の言葉は種子が土に落ちるように自然に、しかも的を得て親鸞の痛苦にぴたりとはまった
法然の方もこの自然さと必然性を、二人の機縁の熟成だと感じた

浄土宗信仰
凡夫直入の信心
無条件無一物の救済
絶対他力の往生
を親鸞は勇猛徹底した機根をもって、たちどころに決定した

親鸞が苦悩し安心立命の道を求め初めた時が決定の初めであり、一刹那に出来たのではない
浄土宗から見れば、道を求め初めたのがすでに如来のもよおしであり、それから20年のさ迷いも如来のはからいであり、決定の信も如来の賜りである。如来の救いの手はその初めから加わっていたのである



親鸞を知る「ルルよりも、念仏を信じていなかった頃の親鸞」

2022-03-29 13:48:30 | 日記
■理想
念仏は思想ではない
一切の思想を捨ててしまった世界に
智慧の世界の南無阿弥陀仏がある
無はすでに言葉がない
安心立命に一切の思想は役立たない
とはいっても

■現実
四六時中、心の妄想、雑念は休息しない。抑えつけても、、もう無理
私と同じように、親鸞の心の焦燥はここから来ていた
「悪性さらにやめ難し、心は蛇蝎のごとくなり」
蛇蝎→へび、さそり。人が非常な嫌うもの

■自力では無理だと認めましょう
人間の「生」そのものが、すでに恐ろしい業の成就である。生存の根本必須条件が「悪業」である。その上でどうこね回してみても、知れたものである、、無理
この事実をまず素直に認めましょう
この業の報いを認めず、幸せや平和になれるとしたら、それは公平でも正義でもない
自らを幸福に平和にするためには、まず自らの恐るべし悪業を認めて、慚愧し、懺悔し、あまねく同胞を眺め、共存同慈悲の心をもって
念仏申すようになればいい

🔶このような思いになることが出来るのは、法然や親鸞によって浄土真宗的の反省が目覚めたからである。それ以前の宗教は心を清浄にし、理を観ずる聖道の教行であった
難行

■これが如来のはからい
さて、親鸞は「生死出離安心立命」の道が比叡山に居ても到底満たされないことを知り、心痛のあまり頂法寺の六角堂に百日の日参をして、夜な夜な如意輪観音に祈願をこめ、明け方になって三里半ある比叡山まで帰った

95日目の夜、親鸞は疲れてうとうとしていると、「末代出離の要路はただ念仏」という声を聞いた、、、、ように思った
ハッと思って目をさまし、明かりを灯した親鸞は、じっと如意輪観音を見た。すると忽然と心の奥あたりから、光明がさして来るように感じた

翌朝、親鸞は比叡山に帰る途中、はからずも安居院の聖覚法印に出逢った。聖覚法印から吉水に法然上人という善知識が念仏を弘めていることを聞いて、親鸞は不思議な思いになり、急いで山を下って吉水に法然を尋ねた
親鸞29歳