楽しいブログ生活

日々感じた心の軌跡と手作りの品々のコレクション

父のこと

2012-03-04 23:48:57 | 日記
末っ子にして農家の跡取りとなり、二人の子を成し、享年89歳にて永眠いたしました。
経歴はまたの機会に譲るとして、娘の目から見た父の人間となりを少し述べてみたいと思います。
父は一言でいうなら「ゴーイングマイウエイ」の人といいましょうか、自分の思うところに従い自分のやりたいことを好きなことを最優先、わがままに駆け抜けた一生だったのではないかと思います。
褒められるべきは「わしはただの百姓の親父とは違うぞ」という気概を持って、常に勉学、研究の意欲を失わず、大阪法科専門学院法律学科の教師としての認定を受けたり、戦争体験をまとめた追想記や町史の研究書を自費出版し、短歌、和歌の趣味も持ち、園芸にまめで精力的な人物だったと言えると思います。
良くいえば信念の人ですが、自己顕示欲が勝って、周りの人間、特に伴侶に対する細やかな配慮と言ったものは二の次だったようにも思います。
しかし、俗に「豚もおだてりゃ木に登る」と言いますが、人の世話をするのが好きで、周りから持ち上げられるとその気になって「長」のつく役職をいくつも嬉々としてこなしておりました。
但し、自信過剰で鼻っ柱が強い性格が災いして敵も多かったことと推察します。
相手が国会議員でも大臣でもひるまなかったという逸話も耳にしてます。
しかし、晩年、高齢になってからも酒に強く朝昼晩と引っ掛けるのは大目に見るとしても、酒気帯びのまま平気で車の運転をしようとしたのには往生したと家人が漏らしていました。
詰まるところ、自分本位が勝ち、私心なしの奉仕精神の域には達してなかったと言うことかもしれません。
亡くなったのは、1日の朝方、自宅のベッドで、いつもなら起きてテレビをつける時間なのにどうしたんだろうと母が声を掛けたところもう冷たくなっていたと言うことで、楽な死に方だったと思います。
心筋梗塞によるものだろうという医者の見立てでしたが、腰を痛めていた以外はいたって元気で、全くのふいうちでした。
しかし、年が年だけに心のどこかで覚悟はしておりました。
驚くほど悲しいという気持ちが湧いてこないのは、私が薄情なのか、鈍いのか、はたまた、まだ受け入れがたいのか、自然の摂理と悟っているのか判然としません。
しかし、代が変わっていくのだという認識は強く持ちました。
父の追悼に事寄せて、自分の仕舞い方も考えてゆかねばならないと自省をしている今日(こんにち)です。
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