ユーチューブで「山田正紀・宮内悠介・小浜徹也 日本SF作家クラブの魅力を語る」と言うのをチラッと見てたので、いつぞやの徳島新聞の“俊英気鋭”(多分共同通信の記事よね)に宮内悠介の名前を見つけて、珍しく最近のSFも読んでみようかなという気持ちになって「盤上の夜」購入、本日やっと読み終わりました。
体調不良じゃなきゃもっと早く読了出来てたと思う。
囲碁や将棋など、ボードゲームをモチーフにした短編集で、
「盤上の夜」
「人間の王」
「清められた卓」
「象を飛ばした王子」
「千年の虚空」
「原爆の局」
の6編が収められている。
読み終わっての感想は一言で言えば「率直」。
何をエラソウにと思われるか知れないが、難しい言葉があるほうが脳は面白いと変換してくれるし、私自身はここに出てくる全てのボードゲーム、囲碁、将棋、チェッカー、麻雀、等何ひとつまともに知らない人間ではあるのだが、それが物語を追いかけるのをじゃまするようなことはなかったと思う。
そんなに捏ね繰り回してるわけではなく、割と真っ直ぐ「ああ、そういうことはあるかもしれない」という気持ちに案内してくれたのじゃないかという気がするのだ。
ただ、本筋から逸れるかも知れないが、現実でも、突出した才能の持ち主の中には精神疾患を抱えている人間が多いという事実や自分が年を取って、一見健康に見える人間でも心の内部に病巣を持つ人間はたくさんいるんだと身に沁みて分かってきたことがこの本に対して慕わしい気持ちを抱いたと言うことはあるかもしれないと思う。
少し前メーリングリストでjinさんが、「文学自体がマイナーな存在である中で、その中の更にマイナーなのがSF」と言ってたことも思い出すけど、つくづく人間て不完全で、なんとか完全に近付こうとひとしれず悩んだり努力したりしてるのが、普通なんだと言うことになれば、マイノリティの集団が社会なんだと言っても構わないんじゃないかと思うんだ。
病気の人間が特殊ではなく、健康な人間こそが特殊というアイロニー。
若い頃には自分とは相容れないと信じていた“負の想念”が実はずっと自分の心の内にあり、決して手なずけることが出来ない厄介なシロモノだと齢を重ねるごとに確信する情けなさ。
しかし、潔癖でなくなった分、そのまなざしに多少の優しさが加味されたように思うのは錯覚だろうか。
イビツなものにも存在を主張する権利はある。
体調不良じゃなきゃもっと早く読了出来てたと思う。
囲碁や将棋など、ボードゲームをモチーフにした短編集で、
「盤上の夜」
「人間の王」
「清められた卓」
「象を飛ばした王子」
「千年の虚空」
「原爆の局」
の6編が収められている。
読み終わっての感想は一言で言えば「率直」。
何をエラソウにと思われるか知れないが、難しい言葉があるほうが脳は面白いと変換してくれるし、私自身はここに出てくる全てのボードゲーム、囲碁、将棋、チェッカー、麻雀、等何ひとつまともに知らない人間ではあるのだが、それが物語を追いかけるのをじゃまするようなことはなかったと思う。
そんなに捏ね繰り回してるわけではなく、割と真っ直ぐ「ああ、そういうことはあるかもしれない」という気持ちに案内してくれたのじゃないかという気がするのだ。
ただ、本筋から逸れるかも知れないが、現実でも、突出した才能の持ち主の中には精神疾患を抱えている人間が多いという事実や自分が年を取って、一見健康に見える人間でも心の内部に病巣を持つ人間はたくさんいるんだと身に沁みて分かってきたことがこの本に対して慕わしい気持ちを抱いたと言うことはあるかもしれないと思う。
少し前メーリングリストでjinさんが、「文学自体がマイナーな存在である中で、その中の更にマイナーなのがSF」と言ってたことも思い出すけど、つくづく人間て不完全で、なんとか完全に近付こうとひとしれず悩んだり努力したりしてるのが、普通なんだと言うことになれば、マイノリティの集団が社会なんだと言っても構わないんじゃないかと思うんだ。
病気の人間が特殊ではなく、健康な人間こそが特殊というアイロニー。
若い頃には自分とは相容れないと信じていた“負の想念”が実はずっと自分の心の内にあり、決して手なずけることが出来ない厄介なシロモノだと齢を重ねるごとに確信する情けなさ。
しかし、潔癖でなくなった分、そのまなざしに多少の優しさが加味されたように思うのは錯覚だろうか。
イビツなものにも存在を主張する権利はある。