カメラ、会社に忘れてきちゃった。古い携帯で撮ったのでぼんやりしてる。また撮り直そう。
さて、徳新朝刊で“よしもとばなな”の「サーカスナイト」の連載が始まった。
昨日の文章の中に『わたしは無邪気で生々しくがむしゃらで、あけすけに全てを表現してうっかりやりすぎてしまった』という表現があったのをおもしろく感じた。
親鸞の完結篇も連載開始してからしばらく経ち、こちらも楽しみに読んでいるが、切り抜きはもう止めた。
最近は身辺の整理をしてゆかねばならぬ身だと自分に言い聞かせているせいで、なるべく余分な買い物はすまい、ほんとうに必要と思うもの以外には不用意に手を出すまいと考えているからだ。
写真も出来るだけ避けている。(これは老けた顔を見たくないというある種の見栄も働いてるんだろう)
横道に逸れたが、「親鸞」と「サーカスナイト」、色に例えると前者は無色透明、後者は薄いピンクのイメージがある。
ちょっと無理強いだが“硬”と“軟”という対比が出来るかもしれない。
どちらにしても脳を刺激する場所が両者では違っていて、手触りの異なる2つの小説を毎日同時に読んで行くことが出来るのは何だかお得感がある。
“よしもとばなな”を読むのも初めてなので、期待もある。
また、気に入った箇所に出くわしたら、取り上げてみるつもり。