田舎へ行ってご/見てご!

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矢口家住宅:土浦市

2018年01月28日 | 古民家っていいなぁ。(県外)
矢口家住宅(県指定文化財)は、旧水戸街道に面した土蔵造りで、店蔵、袖蔵、元蔵、米蔵の4蔵より構成されています。

茨城県内に現存する土蔵造りの商家建築のなかでは特に貴重なものであリ、現在も矢口酒店として営業(裏の別棟にて)をしています。

旧水戸街道に面した店蔵・袖蔵の間口は合わせて七間半(13.6m)もあります。

土浦では天保12年(1841年)9月12日の大火後、町屋に十蔵造りと瓦葺屋根が出現し、矢口家住宅はその代表的な建物です。

東日本大震災で被災しましたが、解体修理され往年の姿が甦りました。壁は黒漆喰が塗られており、大変美しい仕上がりです。
修復工事は平成24年夏から約4年間かけて行われ、総事業費は約2億1750万円とのこと。

屋敷全体が土蔵造の建物で囲まれていて、茨城県の土蔵造を代表する建物です。

立派な階段箪笥(二階に登る階段で収納を兼ねている)。金庫は元の場所と違うのかも?







開口部は分厚い観音開きの扉が用いられるなど、防火をかなり意識した造りになっています。

裏側から見た店蔵(左)と袖蔵(右)

袖蔵の上部。



白と黒の漆喰塗りのコントラストが美しいですね。

元蔵には江戸時代から現存する金庫があり、かつては、常陽銀行の前身の銀行の金庫として使用されていました。(誰かの足が写ってしましました)

<追録>矢口家と同じ並びにあります。

この日の昼食は「吾妻庵総本店」で冷し蕎麦を頂きました。この建物もかなり歴史があるようですが、詳しいことはわかりません。

うだつ(卯建・宇立)型の「行灯看板」は明治6年(1873年)に建築されたそうですが、平成10年の火災で焼失し日光東照宮を参考にしながら翌年復元したそうです。



現在は5代目が100年前の機械を使って蕎麦を作っているとのこと。気さくな女将さんがいる創業140有余年の名店です。




大山守(おおやまもり)大塲(おおば)家郷士屋敷:行方市(なめかたし)

2018年01月28日 | 古民家っていいなぁ。(県外)
大塲家(茨城県指定有形文化財)は、茨城県行方市玉造(たまつくり)にある中世の山城・玉造城を背にする位置に建つ伝統的な茅葺住宅です。
常磐自道車道土浦ICを出て、国道354号を霞ヶ浦大橋経由して45分です。

通用門からのアプローチ。

主屋が茅葺寄棟造りで、役宅部・居室部・相の間の三棟から成る規模の大きな住宅

通用門。

土間と会所。

会所(江戸時代には,幕府・諸藩の行政,財政上の役所,町役人,村役人の事務所)

大場家第三代清左衛門正治の時に初代水戸藩主・徳川頼房の領内巡視の際の宿泊所として、また水戸藩南部の藩政事務所として、寛文期(1661~72)に建てられたものです。

平成16年から20年にかけて5ヵ年計画により大規模な解体修理が行なわれ、幕末期の大山守大場家郷士屋敷に復元されました。

建物は農家造りの居住・役宅部と数奇屋風の格調高い御殿部(御殿・次の間・玄関・式台など藩主の御旅館として使用)があり、長屋門を構えた屋敷となっています。

茶の間。

長屋門。

御殿の間(西側)屋外の柱。藩主のために数奇屋風の御殿部という部屋も用意されていました。

茅葺屋根。