14日(月)、この日も早起き(5:00)して一人沼津駅周辺を散歩しました。
宿泊ホテルのある沼津駅北口広場。宿泊ホテルは「静鉄ホテルプレジオ沼津」で今回で3回目、静岡駅の南側と北側にもあります。
開業4年とまだ新しく、リーズナブルで気に入っています。
朝食は6:30からなので駅北口から南口に回りぶらぶら。
北口は旧国鉄沼津機関区跡を含む大規模空閑地を活用して、静岡東部地域の中心都市としてふさわしい街づくりを目指し、土地区画整理事業が行われました。
南口が商業エリアのメインのようで、商店街が四方八方に広がっています。
1時間半の散歩を終え、ホテルに戻り朝食。アジの開きをメインにセミバイキングで食べ放題。がっつり頂きました。
朝食後、9:00から開園している「沼津御用邸記念公園」に。(東名沼津I.Cから約25分)
明治26年、大正天皇のご静養のために造営された沼津御用邸は昭和44年に廃止され、翌年から沼津市により「沼津御用邸記念公園」として親しまれています。2016年(平成28年)10月には 「旧沼津御用邸苑地」の名称で国の名勝に指定されました。
沼津御用邸記念公園来園口。園内は大きく本邸跡、西付属邸、東付属邸の3つのエリアに分かれています。
西付属邸(旧川村純義伯爵の別荘を宮内庁が買い上げ)
本邸は1945年(昭和20年)7月 沼津大空襲で焼失し、付属邸のみが現存しています。
御用邸として現在も使用されているのは葉山、那須、須崎の3か所。廃止された御用邸は11カ所。
来園口右側にある根上がり黒松。樹齢推定四百年。
大正三年昭和天皇が学習院初等科時代にお乗りになった自転車の複製。
調理室。皇族の食事を作っていた部屋で当時のまま流し台やかまど、天窓などが残っている。
お食堂。皇族が食事を召し上が部屋で椅子は食堂用の皮張り、御紋章入りのも。
照明。いいですね。
謁見所。天皇陛下がご滞在中、来客に面会する時に用いた部屋。床の間側に置かれた玉座用の肘掛け椅子には梨地漆に御紋章の蒔絵が描かれている。
皇族の方々の居住部分として用いていた建物で、御座所(居間)、御寝室、御着替所から成り、全体を御座所と呼んでいました。
手前の部屋が御寝室、奥が御着替所
御玉突所。1922年(大正11年)に増築。
御入浴室。浴槽のない掛かかり湯式の浴室でお湯は外から運んでいた。
湯沸室。ここで沸かしたお湯を調理室や御料浴室に運んで用いました。
海辺の芝生広場。
奥駿河湾の眺め。園外の島郷海岸からは御用邸の松林越しに遠く富士山が見えるそうです。
東付属邸。歩くと10分位かかるので車で移動。
明治36年昭和天皇の御学問所として設けられました。
東付属邸は赤坂離宮の東宮大夫官舎を移築して学問所として使用。
第1学問所(御教室)
室内の様子
この後、御殿場市の「東山旧岸邸」&「とらや工房」に。別ページで。
宿泊ホテルのある沼津駅北口広場。宿泊ホテルは「静鉄ホテルプレジオ沼津」で今回で3回目、静岡駅の南側と北側にもあります。
開業4年とまだ新しく、リーズナブルで気に入っています。
朝食は6:30からなので駅北口から南口に回りぶらぶら。
北口は旧国鉄沼津機関区跡を含む大規模空閑地を活用して、静岡東部地域の中心都市としてふさわしい街づくりを目指し、土地区画整理事業が行われました。
南口が商業エリアのメインのようで、商店街が四方八方に広がっています。
1時間半の散歩を終え、ホテルに戻り朝食。アジの開きをメインにセミバイキングで食べ放題。がっつり頂きました。
朝食後、9:00から開園している「沼津御用邸記念公園」に。(東名沼津I.Cから約25分)
明治26年、大正天皇のご静養のために造営された沼津御用邸は昭和44年に廃止され、翌年から沼津市により「沼津御用邸記念公園」として親しまれています。2016年(平成28年)10月には 「旧沼津御用邸苑地」の名称で国の名勝に指定されました。
沼津御用邸記念公園来園口。園内は大きく本邸跡、西付属邸、東付属邸の3つのエリアに分かれています。
西付属邸(旧川村純義伯爵の別荘を宮内庁が買い上げ)
本邸は1945年(昭和20年)7月 沼津大空襲で焼失し、付属邸のみが現存しています。
御用邸として現在も使用されているのは葉山、那須、須崎の3か所。廃止された御用邸は11カ所。
来園口右側にある根上がり黒松。樹齢推定四百年。
大正三年昭和天皇が学習院初等科時代にお乗りになった自転車の複製。
調理室。皇族の食事を作っていた部屋で当時のまま流し台やかまど、天窓などが残っている。
お食堂。皇族が食事を召し上が部屋で椅子は食堂用の皮張り、御紋章入りのも。
照明。いいですね。
謁見所。天皇陛下がご滞在中、来客に面会する時に用いた部屋。床の間側に置かれた玉座用の肘掛け椅子には梨地漆に御紋章の蒔絵が描かれている。
皇族の方々の居住部分として用いていた建物で、御座所(居間)、御寝室、御着替所から成り、全体を御座所と呼んでいました。
手前の部屋が御寝室、奥が御着替所
御玉突所。1922年(大正11年)に増築。
御入浴室。浴槽のない掛かかり湯式の浴室でお湯は外から運んでいた。
湯沸室。ここで沸かしたお湯を調理室や御料浴室に運んで用いました。
海辺の芝生広場。
奥駿河湾の眺め。園外の島郷海岸からは御用邸の松林越しに遠く富士山が見えるそうです。
東付属邸。歩くと10分位かかるので車で移動。
明治36年昭和天皇の御学問所として設けられました。
東付属邸は赤坂離宮の東宮大夫官舎を移築して学問所として使用。
第1学問所(御教室)
室内の様子
この後、御殿場市の「東山旧岸邸」&「とらや工房」に。別ページで。
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