みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 日曜の梅やんの守り

2020-09-14 05:46:00 | 日記
昨日は私も梅やんも一日中、木沢に居りました。
朝、フミ叔母から電話がかかり梅やんは何かを話していました。


私は午前中、チイ叔母宅に行き、木の材料をもらって来ました。ヤギが草場から庭へ出て来ないように柵を作るのですが、賢い動物は家の屋根を歩いて進入して来ます。動物と知恵比べの作業です。
チイ叔母宅へ梅やんを連れて行くと、チイ叔母は梨をむいて出してくれました。


梅やんは梨を美味しそうに食べます。


3人の姉妹は常に行ったり来たり、よく電話で話もするのですが、今朝のフミ叔母からの電話を梅やんはまったく覚えておりませんでした。


午後から私は実家の畑に柵を作る作業を1人でしました。その間、梅やんは電気コードのコンセントを2回ほど引き抜き、私の作業を中断させました。「飯がない、コメが無い」と何度も繰り返し言ってきます。
デイサービスがない休日は梅やんの守りに大人の1人具が掛かります。
夕方、私が炊飯器を戸棚の中に入れて隠してスイッチを入れてから四季美谷温泉へ風呂に入りに行くと、今度は梅やんが、チイ叔母に電話していたそうです。「モリがおらんようになった!」と。
梅やんはまるで賢くない動物のようになってしまいました。身体が元気で口も達者なものだからとても91歳には見えないのだけれど。来年の春ごろには介護施設に入れなければしょうがない。施設に入れて、時々実家へ連れてくる事にしようかと思います。
それでは今日はこの辺で。梅やんはデイサービスです。





みなみの梅やん介護日誌 家人の歯ブラシ

2020-09-13 07:13:00 | 日記
昨日の朝の事、梅やんは嫁の赤いまだ新しい歯ブラシを無断で使用してしまいました。


梅やんが歯をよく磨くので、夜は家人が梅やんの物は後ろに隠して置くのです。それを出すのが遅れたのか、上に置いてある嫁のきれいな歯ブラシを背伸びして取って無断で使用したらしいのです。歯ブラシはその後直ぐに廃棄処分になりました。
家人は、「今日はデイサービスが済んだら直ぐに山に連れ帰っておくれ」と言いました。このように梅やんとは共同生活が出来ないのです。



それで私は夕方の4時前に池田のデイサービスへ迎えに行き、梅やんを連れて阿波池田の町を後にしました。かつて池田高校が甲子園で優勝した時、若き日の私は東京に居りました。その池田の町に梅やんを連れてくることになるとは誰も予想し得なかった事です。私が苦学してアルバイトに行き詰まっていた時に、現金封筒で何度かお金を送ってくれた時の有り難さを忘れてはなりません。恩は生きているうちに返さなくてはなりません。

実家へ帰る途中、穴吹の国道沿いの蕎麦屋で夕食を食べました。

梅やんは天ぷらそば、私は肉入りそばに小ライスを確かに食べました。




窓の外には吉野川、この辺りにも堆砂があります。


山川から国道193号に入ると、美郷の山でシカが6頭も道におりました。6月に産まれた若いシカを連れた群れでした。
午後7時半ごろに木沢の実家に着きました。梅やんはさっそくチイ叔母に電話をかけております。「どこへいとったのやら知らんけんど、今戻ったわ。今朝行ったんだったんかい?夕飯もまだ食べとらん」と話して居ります。
夜の梅やんは実家に帰ってきて元気になり、生き生きとして居りましたが、安定剤が効いてきて11時ごろにやっと寝てくれました。深夜に雷が鳴り、大雨が降っておりましたが、今朝は止んだようです。
今日は日曜日です。梅やんも休養します。それでは今日はこの辺で。











みなみの梅やん介護日誌 秋の雨

2020-09-12 04:49:00 | 日記
昨日は一日中ほぼ雨が降っておりました。私はマイカーを近くのイシヤ自動車店に修理に出しに行き、池田の外科医院で手指のガングリオン術後の糸抜きをしてもらい、マルさんの整体で腰の治療をしてもらうなどして過ごしました。
梅やんは朝、デイサービスへ行き、4時過ぎには送迎で帰って来ました。
私が家人の車を借りて1時間半ほど仕事に外出していた間に、梅やんは家のカギを中から開けて出て行こうとしたそうです。
「明日は山にいんで畑に菜をまいたりせないかん。もう何日も泊まらせてもろうた。その方がお互いによかろう。明日はママ食べたらいちばんに山へ送って行っておくれ」としきりに言っておりました。
それでも、食前に飲ませた漢方薬が効いてきたのか、午後8時過ぎには寝てくれました。


梅やんは十数年前の気持ちでおるようです。すでに私の家に来ていることもあまり理解ができていません。
車の修理と介護人の身体の修理と、修理の効かない梅やんの認知症の頭との、矛盾をかかえたまま10年目の時が流れて行きます。
それでは今日はこの辺で。





みなみの梅やん介護日誌 脇町で、回転寿司を食う梅やん

2020-09-11 06:15:00 | 日記
昨日は夜、梅やんを連れて井川町の自宅へやって来ました。デイサービスを終えてから迎えに行き、モリモトで2000円のガソリンを車に補給していると、店のおかみさんが、「よう見てあげよるわ。梅やんは幸せじょ!」と言ってくれました。ここの店は梅やんが一人暮らしの時、行商の車で移動販売に家まで来てくれておりました。お世話になった店です。


車がそのまま神山方向へ走り出すと、梅やんは「何処へ行くんぞ、モリは何の用事があるんぞ?」ときいてきました。


雲早トンネルを越えます。


もう一つあの倉羅峠を越えます。


倉羅峠から来し方を見ると高城山は雲で覆われています。


やっと旧美郷村へ出ました。ここから吉野川まで下ります。この間に木沢から対向した車は軽自動車2台と普通車2台のみでした。
幾山河 越え去りゆかば 寂しさの 果てなむくにぞ 今日も旅ゆく。
梅やんは「今夜は何処へ泊まるんやら、服も持たず、銭も無し、辛い」と後部座席で呟きながら乗っております。


脇町の回る寿司で、梅やんはお腹を空かせていたらしく美味そうに寿司を食べました。


新型コロナ対策で注文して運んでくるお皿ばかりです。15枚で2000円でした。


夜になるとつるぎ町の道の駅も人影はありません。ここでトイレ休憩して井川町へ向かいます。
三好市の私宅に着く頃は午後8時を回ってしまいました。
なかなか玄関から入ろうとせず、「今夜らここで泊まらしてもらわなしょうないんか」と。
風呂に入り、午後10時に定期薬と安定剤頓服を飲んで就寝しました。
梅やんにとってはわけのわからん移動の旅でした。
今日は梅やんは池田のデイサービスへ行きます。それでは今日はこの辺で。










みなみの梅やん介護日誌 不安を覚える日

2020-09-10 06:03:00 | 日記
梅やんは昨日もデイサービスへ行きました。梅やんは、家の雨戸を閉めて、私の部屋の電気のコンセントを全部引き抜いてから出て行きました。居間のテレビは画面がギザギザの消し方をしています。時間があると、この様にします。独居生活の時にはこのようにして出かけていたのでしょう。


梅やんを井川町の私の自宅に連れて行った認知症の初期の頃、コンセントを抜かれる事件が多発しました。テレビも電話も、ファックスも、クーラーも全部のコンセントを引き抜かれる事に気がつきました。今もこの病気の行動は治りません。
家族と共同生活をすることが困難になります。


今週の私は家事ばかりです。梅やんが出て行った後のトイレ掃除、洗濯機を回して干す作業、雨どいの修理のコンクリート塗りなど。私の昼食は1時ごろに四季美谷温泉でカレーライスを食べました。


温泉からはロクロ山が見えます。


山の天気は変わりやすく雨が降ったり止んだりの1日でした。私の腰の座骨神経痛が出てきてゆっくりとした動作になります。不安がよぎります。体重を減らさなければ。


夕方の梅やんは機嫌良くデイサービスから帰って来ました。お茶を沸かして置いて、外から帰ってきて見ると、梅やんがインスタントの味噌ラーメンの袋を開けてヤカンに入れようとしていました。やめさせて、次は白菜の漬け物を食卓に出してあげると、醤油を入れられました。そしてキュウリ漬けの残りを混ぜようとしておりました。
お前は寝ておれ!。「怒られてはしょたえはでけんわ」という梅やんを引っ張って行って布団に寝かせて置いて、食卓の準備をします。
鳥のレバーを焼いて出してやると、口に入れて噛んだ後に吐き出して「クソのかたまりのような物じゃ」とぬかします。
食後の薬と安定剤を飲ませてからは、早く梅やんは寝床に入りました。3時に起こして紙パンツを交換するためにトイレ誘導しました。
今朝は元気にウコッケイが鳴いています。鳥たちは卵を産まずに餌ばかり食べています。
今日は家の中の片付けと掃除です。あと10日すればリキさんの17回忌、法事を致しますので。
なお、今夕、デイサービスの後、井川町へ梅やんも移動します。
それでは今日はこの辺で。