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終戦特別企画① シンガポールで華僑を救った「日本のスパイ」

2021-08-15 08:07:20 | 終戦特別企画

終戦特別企画①
シンガポールで華僑を救った「日本のスパイ」


山本徳造(本ブログ編集人、ジャーナリスト)

 

▲戦闘の後を視察する山下将軍(左から2人目)と篠崎氏(右)

 

「これを英国人の友人から預かったんですよ」とその老紳士は私にタイプ用紙の束を手渡した。「チャンギーでの捕虜生活を綴ったもので、面白いですよ。捕虜収容所での生活が過酷なものという書物ばかりです。でも、これを読むと捕虜もちゃんと楽しんでもいるんですね。どこか日本の出版社で出してくれるところはありませんか」
 もう40年以上も前の話である。ここでいうチャンギーとは日本軍がシンガポールを陥落させるまで刑務所だったところだ。そんな出版話を私に持ち込んだのは、かつてシンガポールにいた篠崎護氏である。
 ざっと篠崎氏の経歴に触れたい。
 昭和7(1932)年、明治大学の新聞学科を中退した篠崎氏は、のちに同盟通信社となる日本電報通信社に入社する。2年後に上海をはじめ南京、漢口などシナ大陸で取材活動を行う。ところが、なぜか急遽帰国させられ、外務省情報部の嘱託としてベルリンに派遣される。昭和11(1936)年のことだ。
 ベルリンでの日々も短かった。2年後の昭和13(1938)年にはシンガポールに移動し、日本総領事館嘱託となる。現地で創刊した英字紙『シンガポール・ヘラルド』に同盟通信の記事を配信するのが主な仕事だった。そして2年後の昭和15(1940)年9月のある日、篠崎氏は英海峡植民地警察特高科に逮捕される。日本軍のためにシンガポールの英国軍の配備状況を調べていたというのだ。要するに「日本のスパイ」容疑である。
 同年12月に行われた裁判で判決が下った。有罪だった。3年半の禁固刑を言い渡された篠崎氏は、こうしてチャンギー刑務所に収監されてしまう。もうお気づきのことと思うが、どういう訳か篠崎氏には「2年後」がついて回る。そう、獄中の人となって2年後の昭和17(1942)年2月16日、シンガポールが日本軍によって陥落、チャンギ刑務所から解放されたのだ。さっそく篠崎氏は雑誌『改造』に「チャンギー監獄脱出記」と題して報告している。
 日本軍占領下のシンガポールは「昭南特別市」と改名された。現地事情に精通した篠崎氏のことを知った警備司令官の河村参郎少将によって特別外事高等係に任命され、シンガポール市民の保護に当たることになった。その後、昭南特別市政庁の教育科長からすぐに厚生科長に就任した篠崎氏は、日本の敗戦までシンガポール住民の失業対策や福利厚生を担当することになる。その間、「抗日分子」と疑われて憲兵隊に捕まった華僑たちを数多く救うことになる。
 その当時の事情を篠崎氏は昭和49(1974)年に5回に分けて『諸君!』(文藝春秋)に「現代史の秘録 昭南特別市 シンガポール 1940-47年」と題して連載した。私もその連載を興味深く読んだものだ。雑誌には篠崎氏がシンガポール在住と紹介されていた。その翌年、タイでの取材を終えた私は、マレー急行で48時間かけてシンガポールに向かう。当てのない旅である。
 たまたま入ったオーチャード通りの書店で一冊の本が眼に飛び込む。表紙には軍刀を持った「マレーの虎」こと山下奉文将軍らしき人物が描かれていたからだ。本のタイトルは「SHONAN-MY STORY」で、副題が「THE JAPANESE OCCUPATION OF SINGAPORE」。つまり、「昭南―私の物語 日本のシンガポール占領」である。著者を見ると「MAMORUSHINOZAKI」とあった。
 1975年の出版とあるので、出たばかりなのだろう。本には出版社がアジア・パシフィック・プレスと記されていた。ただ住所のみで、電話番号が載っていない。書店の女子店員に尋ねると、「この出版社ね。すぐ近くだから、歩いても行けるわ」というではないか。私は本を購入し、店員に行き方を教えてもらった。そして急いで出版社へ。目的の出版社は、オーチャード通りに近いリバー・バレー通りにあった。歩いて15分もかからなかったと記憶している。
 20畳ほどの洒落たオフィスだった。しかし、中にいたのは、50代と思われる白人女性が一人だけ。デスクも一つだけなので、たった1人の超弱小出版社に違いない。突然訪れた私に、
「えーと、何でしょうか?」
 と彼女は怪訝な表情を浮かべた。少し気取った英語なので、たぶん英国人なのだろう。
「あの、この本を書いた篠崎さんの電話番号を教えてもらえますか」
 私が買ったばかりの本をかざすと、その夫人は急に愛想が良くなり、
「ああ、彼に会いたいのね。ちょっと待ってね」
 と手帳をめくり始めた。それから数十秒もしないうちに、彼女はデスクの上に置かれた電話機のダイアルを慣れた手つきで回した。どうやら篠崎氏はご婦人にモテモテのようである。
「あ、篠崎さん。今、あなたのファンが事務所に来ているわよ。電話を替わるわね」
 こうして私と篠崎氏は翌日、日系百貨店「伊勢丹」の日本料理店で昼食を共にしていた。そのときは鉄板焼きだったろうか。その当時のシンガポールといえば、今のように高層ビルが林立する国際ビジネス・シティーではなく、日本料理店も探すのに苦労したものである。だから、在留邦人にとって、伊勢丹は日本を思い出すことのできる数少ない憩いの場だった。
 篠崎氏の第一印象は「優しそうな人」である。長身で大柄なのだが、穏やかな表情と腰の低さで威圧感がまったくない。私も親戚のおじさんと食事しているような錯覚に陥った。日本軍占領下のシンガポールで篠崎氏が華僑に頼られたのも分かるような気がしたものである。
 しかし、そのときどんな会話を交わしたのか、まるで思い出せない。ただ再会を約束して別れたことだけは確かだ。翌年、篠崎氏の『シンガポール占領秘録―戦争とその人間像』が原書房から出版された。そして、再会は2年後に訪れる。篠崎氏から電話がかかってきた。
「今、大阪にいるんですよ。お会いできませんか」
 と言うではないか。なんでも大阪に住む息子さんと同居し始めたという。それから数日後、私と篠崎氏が大阪で再会した。確か大阪駅からほど近いホテルのバーだった。
 冒頭の会話はそのときのものである。当時、水道橋の小さな出版社に勤めていた私は、東京に戻るなり社長兼編集長のK氏に、元英国人捕虜の手記を出版することを提案した。が、「捕虜が収容所で楽しく過ごしたという話なんて誰も信用しないよ」とあっさりと却下されてしまう。
 他の出版社にも出版企画を持ち込んだが、どの出版社も乗ってこなかった。理由はK氏と同じである。結局、英文タイプで打たれた手記を篠崎氏に送り返した。篠崎氏も落胆したことだろう。そんな篠崎氏は1991年にこの世を去る。享年83歳。波乱の生涯だった。
 篠崎氏が鬼門に入って14年後、ローリー・リチャーズというオーストラリア人が自身の戦争体験を1冊の本にまとめた。シンガポールが陥落した時点で、日本軍は約13万人の捕虜が抱えることになる。
 英国兵だけではなく、オーストラリア兵や無理やり駆り出されたインド人も含まれていた。リチャーズもその一人だった。本は、当時、1日も欠かさず書いていた日記がもとになったという。しかし、ある部分には触れられていなかった。
 どの部分なのか。日本軍の捕虜だったリチャーズは泰緬鉄道の建設に従事させられたが、1943年の2月から3月にかけての日記には、捕虜になってからもテニスやサッカーを楽しんだことが書かれていた。なのに、その部分だけ本では触れられていなかったのである。
 シンガポール陥落から70年目の2012年、シンガポールの南洋工科大学で教鞭をとるオーストラリア人研究者、ケビン・ブラックバーンが『チャンギーのスポーツマンたち』という本を出版した。ちなみに捕虜約13万人のうち約5万人がチャンギーに送られている。その中にはラグビー、サッカー、クリケット、荒っぽいことで知られるオーストラリア・フットボールの名選手も大勢含まれていたという。
 ブラックバーンが「チャンギーの収容所で質の高い試合が行われたが、それも不思議なことではない」と記すほどエリート・スポーツマンに事欠かなかった。そして、オーストラリア人捕虜と日本兵が野球の試合をしたり、サッカーに興じたことも、この研究者は書いているのである。
 日本軍の捕虜収容所といえば、すぐに虐待や日本刀による処刑といったイメージを浮かべる人が少なくない。しかし、そのイメージの基となっているのは、アメリカ、中国、南北朝鮮による膨大な量の印象操作である。
 篠崎氏の友人が書いた手記やブラックバーンの本、リチャーズの日記を読めば、「日本軍=残虐」説が「フェイク(ニセ)情報」であることが分かるだろう。
 外国人に限らず、日本人の中にも「日本軍は残虐だった」「毎日いじめられた捕虜が可哀そう」「南京大虐殺は本当にあった」「性奴隷にされた韓国人慰安婦がお気の毒」と善人ぶる日本人が少なからずいるから始末に悪い。そんなニセ情報に日本人はいつまで振り回されているのだろうか。

〈*本稿は季刊『いしんぴあ』(2018年8月)に掲載した「シンガポールのチャンギー収容所で捕虜は虐待されなかった!―『日本のスパイ』篠崎護との出会い」を加筆訂正したものです。〉


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