【気まま連載】帰ってきたミーハー婆⑫
東京五輪 それぞれの想い
岩崎邦子
東京五輪か8月8日に閉幕した。
「♪君の夢よ 叶えと願う 溢れ出す ラルー ラリ ラー」
米津玄師が作詞・作曲し、「嵐」が歌う東京オリンピックのNHK2020ソングの「カイト」だが、この部分の歌詞が一番耳に残る。
「♪小さな頃に見た 高く飛んでくカイト」で始まり、途中には「母は言った泣かないで」とか「父は逃げて良いと」が。「誰も知らない物語を密かに忍ばせて」や「友は忘れない」「些細な傷に残るもの 聞こえてくる どこからか」などのフレーズも。
東京五輪では、「勝ったときの歓喜の瞬間だけでなく、負けた選手にも寄り添える曲を」という意図があって、米津玄師と「嵐」が話し合って「カイト」が誕生したそうな。
競技のハイライト映像やダイジェスト映像などには、JОCJ(日本オリンピック委員会)が「ゴールテープ」を起用。「ゆず」の北川悠仁が作詞・作曲をし、アスリートたちにエールを送りたいという気持ちで制作されたという。
ユーチューブで検索すると、確かにエールを送る力強い歌だが、残念ながら私はテレビでは聞いていない。「ゆず」といえば、「栄光への架け橋」があまりにも有名だ。カラオケで歌っていた人もいたが、2004年のNHKアテネ五輪の歌だった。
他にも「CAN DO できる感動」(松岡修造)や、「SMILE~晴れ渡る空のように~」(桑田佳祐)といったアスリート応援歌がある。これもユーチューブで聞いてみた。五輪の種目によってはNHKばかりを見ていたわけではないが、どこかのテレビ局で歌われていたらしい。
本来なら東京五輪は2020年に開催される予定だった。でも、世界中に広まった新型コロナ感染のせいで1年延期。2021年になっても、その開催には賛否両論が。その五輪も終わってみれば、日本のメダルの獲得数は過去最高だった。
期待に沿えない結果が出た競技もあったが、新種目では10代の子たちの奮闘ぶりに目を見張る場面の何と多かったことか。悲願の金メダルのためには、その指導者や監督たちとの信頼関係が成り立っていたに違いない。
選手の奮闘ぶりを伝えるキャスター、ナビゲーター達にも、個性が見られた。自分のキャラクターをあまりにも前面に出している人には、辟易する。持ちえたスポーツ知識を前面にきちんと話している人には好感度は高い。スポーツ有名人との会話にはしゃぎ気味の人も。
普段は野球にそれほど興味がなかった人でも、今年は毎回興奮するほどの試合となった。「侍ジャパン」には、「なんとしても『金』を」という、プレッシャーの中、稲葉監督の下でその願いは叶った。喜びもひとしおだろう。
2008年の北京五輪のときにに星野監督率いる「侍ジャパン」がメダルを逃した。NHKのナビゲーターを務めている櫻井翔が、「天国の星野監督に吉報を」と、「翔君、すまん」と言われたことを、感慨深げに語っていた。
彼は、過去の取材ノートを駆使するなど、テレビを見ている人には分かりやすく説明するのが上手い。選手の心に寄り添い、今まで努力したプロセスを追って、視聴者に伝える。また出場するまで相当な努力を重ねてきたアスリートには、敬意を払う。
ボランティアの方々へも感謝をし、競技終了後のドラマや、光の当たりづらい所にも光を当てたい、と。櫻井翔はナビゲーターの任を完璧にこなした。
「♪君の夢よ 叶えと願う 溢れ出す ラルー ラリ ラー」
【岩崎邦子さんのプロフィール】
昭和15(1940)年6月29日、岐阜県大垣市生まれ。県立大垣南高校卒業後、名古屋市でОL生活。2年後、叔父の会社に就職するため上京する。23歳のときに今のご主人と結婚し、1男1女をもうけた。有吉佐和子、田辺聖子、佐藤愛子など女流作家のファン。現在、白井市南山で夫と2人暮らし。白井健康元気村では、パークゴルフの企画・運営を担当。令和元(2018)年春から本ブログにエッセイ「岩崎邦子の『日々悠々』」を毎週水曜日に連載。大好評のうち100回目で終了した。